秋が来るときのレビュー・感想・評価
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激しすぎる親子の物語
舞台はフランスの田舎町、ブルゴーニュ地方。主人公は一人暮らしの高齢女性・ミシェル(エレーヌ・バンサン)。そしてチラシに映る美しい紅葉の中を歩く二人の高齢女性の姿から、のんびりとした人間ドラマを想像していたのですが、実際はまったく異なる内容でした。
物語の具体的な展開は驚くほどハードでした。ミシェルは娘・ヴァレリー(リュディビーヌ・サニエ)から蛇蝎のごとく嫌われており、そのヴァレリーは、服役を終えた親友の息子・ヴァンサン(ピエール・ロタン)ともみ合いになり、転落死してしまいます。さらに、ヴァンサンの母であり、ミシェルの無二の親友であるマリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)は末期がんで亡くなり、ミシェルがかつて売春婦だった過去も明かされます。そのことで、ミシェルの孫・ルカ(ガーラン・エルロス)は学校でいじめを受け、それをヴァンサンが助けるなど、次々に衝撃的な出来事が巻き起こり、ヒリヒリし通しでした。テンポも非常に早く、観る者を一瞬たりとも飽きさせません。さらにはヴァレリーの死をめぐるミステリー的な要素も加わり、全方位的に見応えのある、予想を裏切る作品でした。
しかし、冷静に物語を振り返ってみると、この作品の本質は「親子関係」にあるのだと感じます。ミシェルとヴァレリー、ヴァレリーとルカ、マリー=クロードとヴァンサン、さらには娘の死を追う女性刑事とその出産――それぞれの親子のあり方が描かれています。親子関係という人類普遍のテーマがあるからこそ、最後まで興味を惹かれ続けたのだと思います。
それぞれの親子関係には深い問題があり、観ているうちに、自分自身の親との関係にも重ねずにはいられませんでした。特に、ヴァレリーが母・ミシェルに向ける激しい憎悪には、客観的には嫌悪感を抱いたものの、ふと「自分も同じような感情を抱いていたのではないか」と気づかされ、大いに反省させられました。
いずれにしても、事前の予想を全く覆される内容でしたが、表層的なストーリーも面白い上に、底流にある親子関係の描写も興味深い作品であり、非常に印象的でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.4とします。
あなたの罪が許された
冒頭、主人公が教会で牧師の説法を聴いている。
読み上げられているのは〔ルカによる福音書7章〕。
『マグダラのマリア』が自身の髪で『イエス』の足を拭く
「罪深い女を赦す」の節。
なんということはない場面も、
これが鍵になるシーンと、あとあと気づくことになる。
田舎の家で独り暮らす『ミシェル(エレーヌ・ヴァンサン)』の元を、
パリに住む娘の『ヴァレリー』が息子の『ルカ』を連れて訪れる。
得意の料理の腕を振るい、二人を歓待する『ミシェル』。
が、茸料理を食べた娘だけが、食中毒を起こし病院に救急搬送され
「私を殺そうとした」と、心無い言葉を母親に投げつける。
そう言えば、久々に会ったにもかかわらず、
母娘の様子は最初からよそよそしい。
あまつさえ娘は、
田舎の家の名義も自分に変えろ、
毎月500€を仕送りしろと母親に要求する。
既にパリのアパルトマンを譲られているのにもかかわらず。
観る者が義憤を覚える言いぐさも、
母親の過去に対する嫌悪感が根底にはあるよう。
ここで、冒頭のシーンが思い出される。
『ミシェル』の親友『マリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)』の息子
『ヴァンサン(ピエール・ロタン)』が刑務所から出所する。
彼が何の罪で服役していたのかは明らかにされない。
「やんちゃが過ぎた」とは『ミシェル』の、
「アイツはダメなヤツ」とは『ヴァレリー』の弁。
彼を息子同然に気遣う『ミシェル』は、なにくれとなく面倒を見る。
その恩に報いるべく、パリの『ヴァレリー』に会いに行く『ヴァンサン』。
しかし、ここで悲劇は起きる。もっとも、その真相は藪の中。
登場人物の全員に怪しさがある。
『ヴァンサン』の告白は本当か。
『ヴァレリー』の食中毒は狂言ではないのか。
『ミシェル』は娘を憎んではいなかったのか。
また『ヴァンサン』に、何の仄めかしもしていなかったのか。
『マリー=クロード』は息子を心底信じていたのか。
『ルカ』は何故、嘘をついたのか。
皆々が、なにがしかの思いや秘密を抱えている。
その魂が救済されるのは、いつのことだろう。
ドラマは起きつつも、描写は淡々とし、
ブルゴーニュの美しい風景に隠されてしまう。
BGMでさえ、画面の出来事と裏腹で、
予定調和を外している。
登場人物の表情は曖昧で
何を知っていて何を知らないかも判然としない。
物語りの全てが模糊としたベールに覆われ
鑑賞者を翻弄する。
家族との溝の深さがリアリティ。
キノコ日和
パリから引っ越しブルゴーニュで一人暮らしをする婆ちゃんの。娘&孫や親友とその息子との関係のお話。
ミシェル宅に孫のルカを連れてやって娘のヴァレリーがやって来て、キノコ料理を振る舞って始まって行くけれど、いるよねーこういうのほほ〜んとしつつも我道を行っちゃうお年寄り。
そしてなんだか冷たい接し方の娘…と思ったら、そんな態度の癖に家や金の無心だけはご立派なクソ娘。
親友マリー=クロードの息子ヴァンサンの登場で、えっ!?からのえぇっ!?そんな話し!!!?
そこからの流れも、ミシェルはなんだか能天気…と思っていたけれど、これはどうみたら良いのでしょう…まさか計算?
素直にみたら良いのか捻くれた見方をしたら良いのかと、どちらともとれるという意味では面白かったけれど、素直にみてしまったら全然面白くないし、捻くれてみたら物足りないし…ちょっと中途半端だったかな。
「安定と信頼」のフランソワ・オゾン
ペース良く作品を発表し、そしてどれも一定水準以上のクオリティで「安定と信頼」のフランソワ・オゾン監督。公開初日の本日はあいにくの雨天となりましたが、TOHOシネマズシャンテ11時からの回はそれなりにお客も入っていて、オゾン監督の人気が裏付けられているように思えます。
物語の主人公ミシェル(エレーヌ・ヴァンサン)は独り、自然豊かなブルゴーニュの田舎で人生の終盤を過ごしています。家庭菜園で食材を賄い、勝手知ったる台所で要領よく作られるミシェルの料理とワインに心奪われ、即、彼女に感情移入してしまう単純な私。とは言え、作品を通して彼女を取り巻く人たちの選択のアレコレに、一般的な善悪という判断だけでは収まり切れない難しさもありますが、決して否定しきれない人間臭い人々とストーリーについ、自分自身の「人生」を考え直すような一本です。
序盤、久しぶりに会う娘と可愛い孫の来訪を待ちわびつつ、二人に振舞おうと古くからの親友マリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)と連れ立ってキノコ狩りへ向かうミシェル。図鑑と見比べながら注意深く選別したつもりでしたが、そのキノコの料理がまさか、その後のミシェルの人生を揺るがすような、思いもよらぬストーリーの幕開けとなります。紆余曲折していく展開と、その都度「どちらに転ぶか」の岐路の連続に、観ているこちらも試されている気分になって気づけば夢中に。そして、わざとらしくならない範囲で判りやすく且つ巧みに「伏線」を置いてくれるため、後のシーンで早々に「あれの回収」だと気づいて見入ることで感慨が深まって、より一層印象に残ります。
結果はあくまで結果であり、それは抗うことのできない「さだめ」。大切なのは相手のために「善かれ」と思って採る選択と行動。人生には思い通りにならないことが多々ありますが、そのことで誰かを恨むのではなく許す(赦す)ことで、自分を苛む苦しみから解かれて安らぎます。まさかの運命が待っていたミシェルの人生終盤、苦労や不幸を感じることも少なくありませんでしたが、最後のシーンを観ればミシェルが「報われた」と感じたに違いないと確信を持てて「良かったね」と声を掛けたくなります。
本来なら、キリスト教(カトリック)に関する理解があればより深みを感じるだろう本作ですが、無宗教或いは無神論であってもしみじみ自分の人生を思い返し、わだかまっていることを解消したくなるような前向きさをもらえる一作。やはりフランソワ・オゾンは見逃せない。
ルカは良い子
分かりあえたなら。
パリ生活を終え自然に囲まれた田舎のブルゴーニュで暮らす80歳ミシェルの話。
パリ時代からの友人マリー・クロードと森の中でキノコ取りを楽しみ、そのキノコを持ち帰り調理と、…1本の電話から休暇で遊びに来た娘ヴァレリーと孫のルカだったが振る舞ったキノコ料理を食べた娘ヴァレリーがキノコ毒に当たり緊急搬送されることに。
自分から電話して遊びに来た娘ヴァレリー、自ら来といて母ミシェルへの態度はなぜ?があり。振る舞った食事を機にさらに拗れた母と娘の関係性、…の間に入った出所したばかりのマリー・クロードの息子ヴァンサンの優しさ、またその優しさで何か裏目な展開になりながらも。
「立派なキノコね」とカリっいやっキノコを取るシーンは少し下描写が一瞬よぎりながらも(恐らく私だけ)、ヴァンサンのイケメンさ、ルカの美少年にはT2時代のエドワード・ファーロングを思い出させで!ラストの展開ミシェルは何か急だしちょっと残念な終わりだったかな。
小川、川に掛かる橋を歩くシーンが違う場所で2回あったけど橋の手すりがオシャレでそこに目がいってしまった。
あちこちにいろんなものが隠れてる
オゾン監督の映画を見る幸せ(「サブスタンス」を見た後だったので特にほっとした)。ファスビンダーloveのオゾン作品とも異なり、今作はとても静かで穏やかでセリフも最小限。主役ミシェルを演じるのは80才の女優、エレーヌ・バンサン。小柄で、顔立ちも仕草も表情も話し方も可愛い、しっかり者。でも落ち込んだらまだ日が高くてもベッドにもぐり込む。
親友マリー=クロードの息子ヴァンサンは久しぶりに彼女を見て言う:「ミシェル、相変わらず可愛いね!」。ミシェルは人生の色々な局面で幸せも辛さも悔しさも悲しみもすべて経験してきた。人生の最後に近づいた今、親友や孫や森や本やクロスワードパズルと共に、お料理しながら、死の到来を待ちながら、前向きに生活している。
舞台は、秋のブルゴーニュの森。静かで木々はまだ葉を完全には落としていない。地面は湿気をたっぷり含んだ土と落ち葉で覆われている。オゾン監督は映画のあちこちに秘密や優しさや怖さや複雑な感情をポンと置く。それだけで後追いしない。だから後から私たちは、あれは何だっけ?あれは・・・えっ?など私たちを考えさせてくれる、自由に。その自由が嬉しかった。
文句なし!オゾンワールドにハマってしまう作品
文句なし!さすがオゾン監督。オゾン監督作品にしては重いが、何故か観やすく音楽も◎。心が穏やかになっていく魔力もある。作品のテーマとしてはよくある題材だが、今、希薄になっている家族関係を考えさせてくれる作品だった。ミシェルは娘とは過去の事で関係が悪化したままだが、友人、友人の息子、娘の孫のサポート・愛に支えられる。家族との関係、人生の最後をどう過ごすか色々考えさせられた作品だった。素晴らしかった!
演技とは思えないエレーヌ・バンサンにひたすら絶句!
心のひだに潜む影の存在への気づき
主人公のミッシェル(エレーヌ・バンサン)がパリで仕事をしていた時代からのい友人マリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)と二人で語り合いながらブルゴーニュの紅葉の森の中をキノコ採りに歩く情景は、人生の実りの秋(とき)が感じられて美しい。司教が語る
物語の冒頭、主人公ミシェルが教会の礼拝で祭司が語るナルドの香油を惜しげもなくイエス・キリストに塗る説教に耳を傾けているシークエンスが描かれている。しばらく観ていて、なぜこの礼拝のシークエンスが挿入されているのか分からなかったが、物語の終わりに近づき気づかされた。ミッシェルが語らずに守り続けた秘密と、家族との和解と赦しにつながる、見応えのあるサルペンス要素をもったドラマでした。
落ち葉は葛藤を覆い隠す
関係が良好とは言えない母ミシェルと娘が久々に再会するも、ミシェルが作ったキノコ料理を食べた娘が病院に担ぎ込まれた事で生じる疑念を発端に、ミシェルの親友とその息子が絡み…
人の為に行う善意は、必ずしも善き事になるのか?他方から見れば有難迷惑でしかないのか?…そんな倫理的葛藤が描かれるわけだが、これがなかなか深い。秋という設定にしたのは、大量の落ち葉がそうした葛藤を覆い隠すというメタファーに感じた。
葛藤の末に導かれる「嘘」と「選択」。それは自分勝手と捉えられるかもしれないが、平穏に生きていきたい、もしくは安らかに終活を迎えたいという人の真理なのかもしれない。
日本公開は初夏だけど、物語設定と同じ秋シーズンに観るとよりまた染みるかも。
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