劇場公開日 2025年11月21日

「2重に演じている。」ジェイ・ケリー ヘルスポーンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 2重に演じている。

2025年12月7日
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これは喰らった。なんて映画愛に満ちた映画なんだ。

単純に見えて、非常に複雑な映画である。
本作は、架空のハリウッド映画スター「ジェイ・ケリー」に人生の転機が訪れ、決して取り戻せない過去の選択や友情、家族など、さまざまな人間関係を見つめ直す物語である。

冒頭にはシルヴィア・プラスの詩が引用される。

“It’s a hell of a responsibility to be yourself.
It’s much easier to be somebody else or nobody at all.”

「本当の自分でいることは地獄のような重荷だ。他の誰かのふりをしたり、何者でもない方がずっと楽だ。」

『マリッジ・ストーリー』など、複雑な人間関係のすれ違いを鋭く描いてきたノア・バームバック監督は、本作でついに“自分自身とのすれ違い”を描くところまで到達した。

劇中の「あなたは二重に演じている」という台詞は、役者としての役柄と、プライベートの映画スターである自分という役柄の双方を指す。
ジェイ・ケリーはいつからか「ジェイ・ケリー」を演じ続けており、引退の影がちらつく年齢になって初めて、「本当の自分とは何なのか」を探し始める。かつての友人、娘、父親、そして仲間との関係の中に。しかし、どこにもいない。自分はスクリーンの中にいる。あれこそが自分なのだ。

映画スター「ジェイ・ケリー」として死ぬまで生きる――その決意と覚悟に満ちた見事なエンディングだった。

ノア・バームバック監督がすべての映画スターに宛てた処方箋であり、同時に映画への讃歌でもある。

35mmフィルムによる美しい映像。
豪華なセット(LAの舞台や架空の映画撮影セットは、巨大なセットの中に丁寧に組まれて撮影されている)。そのスケールを活かし、飛行機や列車の扉から過去の回想シーンへとつながる渾身のワンショット。パリからイタリアへ向かう列車すら、すべて一から手作りでスタジオ内に再現されたというから驚きである。カメラに映るすべてが完璧だ。

ジョージ・クルーニーは、映画スター「ジェイ・ケリー」を演じるジェイ・ケリーを、さらに“演じる”というきわめて複雑な役を見事にこなしている。
列車の鏡に向かって「ジェイ・ケリー、ジェイ・ケリー」とつぶやくシーンは、実際には鏡ではなく、フレームアウトした瞬間にクルーニー自身が反対側へ移動して演じているというトリッキーな仕掛けだ(これにより鏡にカメラが映り込まず、CG処理なしで正面から撮影できる)。熟練の技に唸らされる。

今のクルーニーだからこそ出せる味わいと説得力がある。アダム・サンドラーとの掛け合いも素晴らしい。

ノア・バームバック作品の音楽は常に控えめだが的確だ。
本作も非常にミニマルで洗練され、美しく、熟練の技に満ちている。傑作である。

一方で、この映画を「成功者の自分語り」「スターの自己憐憫」と捉える否定的な見方があるのも理解できる。犠牲になった過去の友人や娘たちが救われていないようにも映る。しかし、繰り返しになるが私は本作を映画讃歌であると同時に、映画俳優讃歌だと感じている。

重要なのは、主人公が「金持ち」や「スター」といった属性ではなく、そもそも「虚構の存在」であるという点だ。ジェイ・ケリーという人物はスクリーンの中にしか存在しない“架空の人格”であり、また2重に演じられた映画スター「ジェイ・ケリー」という"虚構の人物"である。彼の人生や成功、失敗、孤独は、現実の人間としての生々しい告白ではなく、カメラが生み出した虚像の物語だ。

この視点に立つと、彼の振る舞いや選択、過去との向き合い方がまったく違う輪郭で見えてくる。映画は「虚構そのもの」を認め、救い上げる。スクリーンに宿った存在に、人生と尊厳を与える。その意味で本作は、単なる自己語りではなく、虚構の存在が持つ輝きと影に敬意を払うノア・バームバックの愛に満ちた映画なのだ。

アカデミー賞ノミネートは確実だろう。
今年のベスト級の一本だ。

個人的にはノア・バームバック監督にアカデミー監督賞を獲って欲しい。いや獲るでしょうこれは(泣)

ヘルスポーン