「デルトロ作品というよりもトム・ティクバ風」フランケンシュタイン 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
デルトロ作品というよりもトム・ティクバ風
本作は、単なるゴシック・ホラーの枠を超え、
創造主と被創造物のあいだに横たわる哲学的悲劇を、
圧倒的な質感とともに描き出す。
しかしその全体的な印象には、
どこか奇妙な異質感が漂う。
監督特有の幻想的な哀愁や、
クリーチャーへのロマンティックな眼差しといった、
〈デル・トロ調〉が期待される一方で、
序盤に広がるのは血生臭く、
匂い立つようなグロテスクな世界である。
その美は単なる残酷描写ではなく、
セリフの端々にまで浸透している。
「フランス製の陶器は排尿の音がよく響く」このセリフに象徴されるように、作品全体に漂うのは生理的な嫌悪と快楽が交錯する病的な美意識だ。
緻密な編集と、どこか神経症的なリズムが刻む映像運びは、
むしろトム・ティクヴァの作品を思わせる。
それでもなお、『シェイプ・オブ・ウォーター』に通じる、
耽美でアート志向の映像世界が支配している。
このまま〈異形のロマンス〉へと傾くのかと思いきや、
物語は突如として原典の思想的領域へと急旋回する。
この転換こそが、本作の批評的価値を決定づける瞬間である。
クリーチャーが知識を得、
人間社会の構造と【世界の在り様】に気づく過程は、
単なるシナリオの転調ではなく、
作品の哲学的コアが覚醒する瞬間だ。
そして、彼が初めて【感謝される】という行為、
ラブを経験することで、自己の存在価値を問い直す。
この繊細な感情描写のために、
前章の血と肉のリアリズムをフリとしたとも考えられる。
それは構成上の〈歪み〉も残る。
クリーチャーの精神的覚醒と、
ヴィクター・フランケンシュタインの傲慢と破滅の物語が、
ほぼ同等の比重で描かれるにもかかわらず、
観客の感情はフランケンの側にどれほど傾くだろうか。
ヴィクターのパートは、原典における〈創造主の罪〉の再演に留まり、
フランケンの精神的旅路の深淵さが、相対的に希薄に見えないだろうか。
結論として、本作『フランケンシュタイン』は〈ラブ〉よりも〈バイオレンス〉を選んだ作品ではない。
むしろ〈存在の悲劇〉と〈創造主の原罪〉を主題とする、
現代的な形而上ホラーである。
スクリーンを覆う血の臭いは、人間社会の醜悪さと、
異形の者が突きつけられる拒絶、
そして生と死の残酷な現実を可視化するための美学である。
デル・トロは、原典が抱えた根源的な問い「人間とは何か」「創造とは罪か」を、これまでになく痛ましく、
そして美しい形で問い直そうとした。
だがその二章のアンバランスさに、
彼自身の美学が物語を食い尽くしてしまう。
その〈中途半端さ〉こそ、皮肉にも、
この作品が人間的原罪であることの証明なのかもしれない。
しらんけど
