石炭の値打ちのレビュー・感想・評価
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BBCのテレビ映画
新自由主義の嵐の前の風景ーー連帯して生きる石炭労働者の貴重な記録
ケン・ローチ監督の初期作だ。Bunkamuraル・シネマで限定上映された。かつてBBCのテレビ映画として放映されたという、この二部構成作品は、タイムトラベルを体験させてくれる。上映機会を作ってくださったことに感謝したいし、その志に敬意を感じている。
本作は、50年という時間を経て、貴重な時代の記録として、当時の空気感を保存した傑作に昇華したと思う。時間の経過が、この作品を「失われた労働者階級の生活」を伝える貴重なアーカイブという高みに押しあげた。
本作は、ケンローチの原点的作品としても価値が高いが、さらに価値がある理由は、サッチャー政権登場直前の作品であるということだ。先進国が新自由主義的な政策を取り始めて、自由競争と自己責任の世界に移行した。その前の世界はどうだったのかーーそれが見えてくる作品でもあるのだ。
ケン・ローチ作品に見られる、社会の不公正・搾取の構造への怒り、その告発の切れ味は本作では鈍いと感じた。むしろ、本作で描かれる労使の関係や地域の在り方は、温かいものに見える。その理由は明白で、当時は現在ほどひどくなかったからだ。サッチャー政権は、経済立て直しに成功したけれど、それは労働者の没落やコミュニティの解体など、多くの犠牲を伴うものだった。
第1部で、皇太子の訪問に奔走する経営陣の姿は滑稽だ。しかしそれでも、彼らは労働者と同じコミュニティメンバーとして、協力関係にある。第2部の炭鉱事故でも、経営者は責任を取ろうとする意志を見せ、労働者とその家族に対する保護者的な役割を果たそうとしている。
ここにも石炭産業が地域コミュニティとして機能していた最後の時代の記録として見ることができるように思う。
逆にいうと、その後、世界で最も尊敬される映画監督の1人となるケン・ローチは、その後の新自由主義の世界的広がりの中でこそ、その特質を活かすことができたという皮肉な逆説があるのだと思う。
対象となる社会が変質し、システムが個人を排除するようになった結果、本作での「観察者」から、システムを批判する「告発者」へとスタンスを変えていくことになったのではないだろうか。
この作品に登場した労働者と炭鉱はどうなっただろうか。本作に登場したのは、素人の役者たちだ。映画の最後でも、炭鉱のまちの人々の協力への感謝が流された。
映画の公開から数年後、1984年のストライキ敗北を経て、英国の炭鉱は次々と閉鎖されていくことになる。
この作品の多くの中高年労働者は「リタイアした病人」とされていくことになる。健康上の理由で働けないのではない。この時期、製造業が衰退し、中高年は再就職先が見つからなかった。失業者とならざるを得なかったのだが、失業統計上の数値を下げるという政治的な動機もあり、傷病手当受給者へと移行させられた。専門的ブルーワーカーとしての誇りは奪われ、同時に、統計上も見えない存在とされてしまった彼らはどんな想いで、その後の人生を送っただろうか。
また、若い労働者は、第3次産業での再就職が多かったようだ。しかし、そこでうまくやっていくのは、相当大変だったはずだ。イギリス映画の大ヒット作「トレインスポッティング」や「フル・モンティ」は、彼らのその後を描いた作品でもあると言えるのではないだろうか。
この素晴らしい作品をみた今、ケン・ローチ監督の最後の映画と言われる『オールド・オーク』(2023)の劇場公開は、さらに待望されるべきものとなった。
日本ではいまだ劇場公開のアナウンスが届かないこの作品は、炭鉱労働者で賑わった街に、唯一残されたパブでの物語ということのようだ。まさに本作の50年後の後日談とも言える設定だ。
労働者階級の日常を描くことで、2度のパルムドールを授賞した名監督の最後の作品は、先進国での中間層の没落が明らかになった現代こそ、その価値が増していると思う。
ケン・ローチの「原点」である本作がようやく陽の目を見た今だからこそ、その「終着点」である『オールド・オーク』もまた、日本のスクリーンで上映されるべきだと思う。切に公開の実現を願っている。
生身の人間は決裂しない
近年『わたしは、ダニエル・ブレイク』でパルムドールを獲ったケン・ローチが、1976年にBBCで2部作のTVドラマとして制作したもの。
これまで日本では放映も劇場公開もされず、目に触れることがなかった。
それがBunkamuraル・シネマ渋谷宮下で文字通り本邦初公開となった。
※第1部と第2部のあいだに約10分間の休憩あり。
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作品に対する感想の前に、ちょっと映画ドットコムの公式紹介文をご覧いただきたい。以下に抜粋する。
「第1部では…(略)…階級社会の構造的な滑稽さと暴力性を浮かび上がらせていく」
「第2部では…炭鉱労働における労働者への人権軽視と管理体制のずさんさが引き起こす事故の悲劇を痛切に描写。」
・・・は?w
いやいやいやいやwww そんな映画じゃなかったですよ?
なぜにこんなに冷静さを欠いている?
なぁんかこんな紹介をされてしまうと、「このカクメイ的映像作品はケン・ローチ映画芸術同志による炭鉱資本への鉄槌にほかならない」としか見えない。
なぁんだ、ウザいオールドサヨクプロパガンダ映画かぁ…
ってスルーされることを是とし、それでもこの作品を世に問うのだ! …って、趣味で「上映会&ティーチ・イン」やってるミニシアターの支配人のつもりなんだろうか?
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確かにローチの視点は間違ってもイギリス保守党のものではなく、明らかに労働党寄りではある。
1970年代後半という時代性もある。
イギリスは厳然として階級社会である(今でも)。
しかし紹介文を書いた御仁の世界線通りであるならば、ローチは所長をもっと憎々しく、ネクタイ組の管理職をもっと冷酷な鉄面皮に、皇太子歓迎組の労働者たちをもっと阿呆らしく、一方で、会社の生産性優先&労働者の安全性軽視を糾弾する労組のリーダーをもっとヒロイックに描いたはずだ。
しかしそうはなっていない。
ローチの眼差しは、とても公平だったように思える。
それぞれの立場の人間が、それぞれの持ち場で最善を尽くそうとし、意見がぶつかっても怒鳴り合いになっても、殴り合わなかった。
一見、教育も教養もなく、使う言葉は汚く、社会的地位も低い労働者同士が、あるいは組合として会社に物申す場面でも、どんなにいがみ合っても、驚くべきことに「話し合うこと」を放棄していないのだ。
ビリヤード場でも食堂でも、周囲がそれ以上ヒートアップしないように止めに入り、本人たちも「(お前のことは認めないが)また話そう」とばかりに切り上げる。
つまりローチの視点はあくまで生身の人間、炭鉱という濃い人間関係で支えられる共同体のリアリティから遊離していない。
助け合い、慰め合い、からかい合い、ドタバタし、時には対立するが、決して相手を殲滅しないし排除もしない。
つまり絶望的に決裂しない。
この「観念的な理念による決裂や断絶をしない物語」をローチが描くのは、実は彼が等身大の漸進的な変化を望む保守性を持っていることにほかならないと思う。
それは派手さや衒いのない、自然な目線を感じさせる撮影とショットにすべて表れているのではないか。
この眼差しは、40年後の『ダニエル・ブレイク』に到っても変わっていない。
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もちろん、1970年代後半からの炭鉱争議とスト、そして相次ぐ閉山が、世界的に見ればかなり遅くなった石油エネルギーへの転換と国有企業の解体という、英国の社会構造そのものの大きな地殻変動だったことは間違いない。
英国病と言われたその苦しみは、言ってみれば産業革命の発祥の地ゆえの「成功は失敗の元」の見本であり、サッチャーの新自由主義の登場でトドメを刺された。
そんな時代の転換点にあったかも知れない、生身の人間たちの手触りがわかるような架空のコミュニティを描く。
これがローチの撮りたかったことではないのか。
本邦初公開、観ることができて本当に良かった。
ケン・ローチ監督の源流に触れる、庶民的で力強い初期の二部構成ドラマ
第一部 炭鉱労働者の日常をユーモアたっぷりに描く、加えて皇太子の視察が決まり、準備に追われる彼らをコミカルに綴っていく。
私の会社の現場もあんな雰囲気だったなあ。軽口を言い合い、決して上品とは言えないけど、仲間への愛情と尊敬がベースに流れている。まあ、もう少し整理整頓はできていたけどね。
政治論争は口角泡を飛ばして熱く議論するのが欧米流。でも今みたいに誹謗中傷とか陰湿な感じはない。
第二部は一転してシリアスな展開。1931年のG・W・パプスト監督の「炭坑」を想起する。事故の被災者救出を待つ時間が、我々にも永遠に感じられる。そして結果を聞く際の残酷な分かれ道。ラストの「やっぱりお父さんと行きたい」には泣ける。
見逃すなんて、もったいない
淡いカラーの炭鉱夫の映像を見てちょっと興味が出た方、ちょっと調べてみて社会派ケン・ローチ監督、1部・2部構成の168分。。。ちょっと面倒くさい映画かも。。。
と躊躇しているあなた、渋谷ル・シネマで2週間の限定上映、時間と心に余裕があれば大大推奨いたします。
時は1997年イギリス・ヨークシャーの炭鉱町。そこでの炭鉱夫、家族、管理職の職員など様々なひとびとが描かれます。
ドキュメンタリー(もちろん、そうではない)をみているように、あたかもその場で彼らの暮らしに入り込んでいるような錯覚すら覚えます。それでいて、まったく退屈させないディテイルのリアリティは流石と唸る仕上がりです。
第一部は炭鉱に皇太子(チャールズ)が視察に訪れることになり、そのてんやわんやをユーモアたっぷりに描きます。皇族―労働者に象徴される階級社会を対立構造ではなく、所与のものとして、当たり前に生きている庶民の暮らしが清々しい。
会話のなかで交わされる皮肉やユーモアは気が利いていて、労働者階級の矜持も感じられます。
第二部は炭鉱での爆発事故を描きます。ここでも様々な立場の人々が描かれますが、脇役に至るまでおざなりではない人物描写が素晴らしいです。
決して思い描くような予定調和ではないところも心に沁みます。
原題のThe Price of coal は「石炭の値打ち」と邦題がつけられていますが、
Price に込められた 価格、代償、犠牲 の意味を噛み締めたい。
炭鉱の子供達が履いているベルボトムのジーンズもかわいらしく、若者のロングヘアなど時代っぽさも素敵です。
ケンローチのリアリティ炸裂
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