ぶぶ漬けどうどすのレビュー・感想・評価
全86件中、1~20件目を表示
言葉もイメージもそのまんまの意味で受け取ったらだめです
私は主演の深川麻衣を全く存じていなかったのですが、とても素晴らしい俳優だ。
彼女は静岡出身で乃木坂46なるアイドルグループの1期生として活動していたらしいが、デビューシングルでは選抜メンバーから落ちてしまうも、地道に努力を重ねて、卒業シングルではセンターを務めたことは全く知らなかった。ましてや卒業後は、『16人のプリンシパル』で主要十役を制覇した確かな演技力を生かして、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』や『嗤う蟲』など多数のテレビドラマや映画に出演していたことも存じていなかった。
まあ、ここまでのことは冗談にも程があるが、深川麻衣が『パンとバスと二度目のハツコイ』に出演していなかったら、今泉監督を知ることはなかったし、『愛がなんだ』をみにいこうとも思わなかったから、出演作はぜひみたいと思える俳優である。
本作の主人公・まどかを演じるのは、深川麻衣にしかできなかったはずだ。アイドル時代も「聖母」という愛称で、メンバーやファンから親しまれていたが、「アイドル」という仮面を剥いだら、毒を吐きたかっただろうし、聖母ではない現実も生きていたことは想像に難くない。そんな彼女だからこそ、洋装も和装も似合って可愛い(ボブヘアもいい長さ)、ではなく、京都を舞台にした、本音と建前を使い分ける人物たちのドラマをこなすことができたに違いない。
以下、ネタバレを含みます。
ただ物語は極めて不可解である。
あるあるな物語の筋としては、よそから来たまどかが京都の魅力に気づき、そのよさを守るために、義実家や地域住民と関わっていく、というのがあると思う。
けれど義実家や地域住民は魅力に気づいていようとも、結局は自分たちの生業を守ろうとしているだけだし、義母は老舗の家を売ろうとしている。
まどかにしても、京都の魅力を知らしめようとするマンガは、カリカチュアされたものであり、「ネタ」として消費していることが否めない。さらには、義母の実家売却の黒幕とする不動産屋の男を追い出そうとするマンガは誹謗中傷に溢れており、肯定されるべきもののようには全く思えない。
皆が建前をつかい、守りたい京都は何なのだ?そして守ろうとする彼らは一体何者なのだ?
ラストシーンにも顕著なように、守りたい京都なるものは存在しないし、守ろうとする彼らは誰一人、善人ではない。本当が空(くう)であることに、虚を突かれてしまった。
まどかは、勧められたら帰らなくてはいけないぶぶ漬けを避けるでもなく、遠慮するでもなく、喰らいつくす。あの姿には、彼女が京都に寄生したかのようにみえて恐ろしかったが、本作が描こうとしたシニカルさが十全に示されているように思う。
ラストシーンの尻切れトンボ感がなければ、上半期を代表する邦画になったのかな…
序盤の非観光地化された京都の風景を映す素晴らしいショットのように最後まで本気を出してほしかったが、深川麻衣をみれたので十分です。
京都あるあるのブラックコメディに見せかけて…
冨永監督の映画では決して珍しいことではないが、どういうつもりなのかがなかなか読めないヘンテコなコメディ。京都に憧れる東京の女性が、裏表が激しいとされる京都の伝統文化に翻弄される話かと思いきや、主人公のサイコパスすれすれの京都愛は暴走の一途をたどり、魑魅魍魎のような存在のはずの洛中の人たちが引きずられ、翻弄されていく。冒頭の霞に包まれた京都の遠景から、あまりほかの映画ではお目にかかったことがないような絵面で、映画全体を通じてどこか不穏な空気が充溢しいてるので、サイコホラーのように思える瞬間も多い。京都弁に関しては、ネイティブではない室井滋が老舗の女将を演じているように決して正確さにはこだわっておらず、まあそれも冨永ファンタジーの一環だと思えば、好き放題に作っていていいことのように思う。逆に言うと、もはや京都あるあるを楽しむような映画とは一線を画した怪作だと思っている。
ここ数年の邦画で私的1番ヘンテコな映画に思われ、最後まで大変面白く観ました!気になっている人は頭を真っ白にして是非‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作の映画『ぶぶ漬けどうどす』を大変面白く観ました!
とにかく、独特な音楽の中で延々と流れるスタッフ表示と、主人公・澁澤まどか(深川麻衣さん)と夫・澁澤真理央(大友律さん)がほぼ遠景で歩き続けるオープニングから様子がおかしいかったです。
と頭で、夫・澁澤真理央が通行人レベルですぐ彼の実家からいなくなるのも、意味不明で変です。
京都のしきたりに翻弄される都会人の映画かな?と思って観ていると、実は真逆で、京都人の方が、例えば、和菓子屋でハロウィンに対応するなど、割と現在と折り合いをつけてまともに暮らしているように描かれます。
しかしその京都人も、全面的に肯定されているわけでなく、洛外の生粋の京都人より、よそから来た洛中の人の方が大きな顔をしていると、否定的に描かれたりもします。
京都の町家は、間口が狭く、奥行きが長い、細長い造りになっているのですが、ずいずいと暗い町家の奥に歩いて入って行く行程を延々と見せるのも、京都人の入り組んだ心の内面を象徴的に表現していて秀逸だと思われます。
変なシーンはそこかしこにちりばめられ、例えば、主人公・澁澤まどかが他の人物と歩いている場面でも、いきなり俯瞰からの画が挿入されたりします。
地べたと俯瞰を織り交ぜる撮影は、撮影場所の許可取りのわずらわしさから、基本は混ぜたりしないと思われますが、さして意味のない俯瞰ショットの挿入は、この映画のヘンテコさの1つの特徴だと思われました。
中村航 教授(若葉竜也さん)の間を開けずつらつらと喋り続ける人物造形も、大学の街の京都にいそうなおかしさがあったと思われます。
ちなみに、主人公・澁澤まどかが、安西莉子(小野寺ずるさん)と組んで、京都の深層を漫画で暴露して行くやり方は、たとえ登場人物が匿名表記でも、その人物が実際の人と分かる「同定可能性」があれば名誉棄損が成立します。
つまり、今作の主人公・澁澤まどかが、不動産会社社長・上田太郎(豊原功補さん)などを漫画で暴き立てるやり方は、名誉棄損の例外の3要件(公共性・公益性・真実相当性)に合致しているかは怪しく、現実では逆に主人公・澁澤まどかが訴えられたり、批判の対象になりかねません。
しかし、冨永昌敬 監督や脚本のアサダアツシさんはそんなことは百も承知で、おそらく主人公・澁澤まどかの悪い意味でのおかしさを、自覚的に描いていたと思われます。
そして、主人公・澁澤まどかの様子のおかしさの理由は、ちゃんと映画の中で描かれていると思われるのです。
主人公・澁澤まどかは、東京の自宅に京都から戻った時に、夫・澁澤真理央が浮気をしている現場に出くわします。
しかし、主人公・澁澤まどかは、浮気相手が誰かを暴いたり、夫・澁澤真理央を責めたりはしません。さっさと荷物をまとめて京都の夫・澁澤真理央の実家に戻って行くのです。
このことは、主人公・澁澤まどかが、【自身の身近な問題からは目を逸らせて生きている】のが理由だと思われます。
そして、主人公・澁澤まどかにとって【自身の身近な問題から目を逸らせて生きるために、逃げ場としての漫画作品がある】、と思われるのです。
さらにそこに(現在と折り合いをつけている実際の京都ではなく)【逃げ場としての、妄想的な京都の古き良き伝統、それに従えない人物の糾弾】が加わります。
しかしこの主人公・澁澤まどかの【自身の現実(の折り合い)から目を逸らす、逃げ場としての思い込みの京都の伝統と、それに従わないものへの糾弾】は、実は主人公・澁澤まどかだけに留まらない、現在の病理だとも思われるのです。
例えば、現在の週刊誌での様々な暴き方は、主人公・澁澤まどかの漫画での暴き方とほぼ同じだと思われます。
そして現在の週刊誌の記事も(主人公・澁澤まどかの漫画と同様に)、現実での折り合いや様々なそれぞれの複雑な事情をすっ飛ばした、【ある種の思い込まれた価値観からの糾弾】になっているのです。
さらに、そんな週刊誌の読者は、【自身の現実の問題から目を逸らすために、糾弾に加担】していると思われるのです。
しかしこの映画が僭越ながら優れていると思われるのは、そんな(現在の病理の象徴とも言える)主人公・澁澤まどかを、一方で、否定的に糾弾的に描いていない所にあると思われます。
主人公・澁澤まどかの暴走は、映画の中で、一方で悪い意味でホラー的な恐怖やおかしさを感じさせながらも、深刻さを超えて、その推進力はある種の魅力ある人物描写だったことも事実だと思われます。
今作は、例えば映画を観る前には、京都人の伝統固執がある作品では?との観客の先入観を、逆に転倒させ、様々な場面でこちらの思い込みをひっくり返して行く面白さがあったと思われます。
その上で、それぞれの登場人物を(現実に対応する人も、現実から目を逸らし別の価値観に固執する人も)根底では肯定した描き方になっていたと思われるのです。
夫の母・澁澤環(室井滋さん)が家を売ってマンションを建てようと企てる一方で、夫の父・「澁澤扇舗」13代目の澁澤達雄(松尾貴史さん)は、京都の伝統に固執する余り、陰謀論的なネットの世界にはまり込み、ついには脅迫書き込みで警察沙汰になってしまうのも、現代の病理的な内容になっていたと思われます。
今作の映画『ぶぶ漬けどうどす』は、現在の普遍的な病理を根底で描いていると思われ、一方で、(例えば観客に向かってカメラ目線で説教することもなく)その病理の世界を生きる人物も含めて、価値を転倒させながら違和感もそこかしこに挿入し、人間賛歌的にそれぞれの人物を肯定的に描いている所にも、深さと面白さと滑稽さと恐ろしさがないまぜにされた、稀有な作品なった要因があったと思われました。
今作を大変面白く観ました!
京都物まね
京都のお宅に伺って、そろそろお暇しようかとした時に「いや、そんな事言わんとぶぶ漬けどうどす?」つまり、「お茶漬けでも召し上がって行って下さい」と言われて、「そうですか?」とその言葉を間に受けたら、「言葉の真意も分らぬ田舎者」と心の中で笑いものにするのが京都人の底意地の悪さと言われています。東京から夫の実家の京都に移り住んで来た女性が遭遇するそんな異文化衝突のお話です。
京都に七年暮らした僕は所詮は他所から来た者のせいか、そんな目に遭遇した事はありませんでした。でも、そんな余所者の僕から見ても、本作には何故か京都の匂いが全くしません。確かに京都でロケもしているようだし、京都らしい台詞もあるのですが、誰もが想像するであろう京都に寄せた物真似にどれも見えるのです。
そして、富永昌敬のこれまでの作品『素敵なダイナマイトスキャンダル』『白鍵と黒鍵の間に』でも感じた様に、繋いでいた手を突然放す様な投げ遣りな終わり方にただポカーンとするのでした。
かなり面白い
ぶぶ漬けどうどすというフレーズは聞いた事あるものの、実際に言われることなんて本当にあるのだろうか?気になるところだが、そんな京都の裏側を垣間見れた楽しい映画。かなり誇張してる部分もあるかもしれないが、我々が思い描いてる京都そのもの・・・なんて言ったら京都の人に怒られるかもしれないが、そんなステレオタイプな京都のイメージを面白おかしくいじりながら描いた作品。普通に笑って楽しめる作品なのだが、後半に行くに連れてあるメッセージが浮かび上がってくる。そのメッセージは京都に限らず全ての人に共通する事かもしれない。誰しもまわりから求められる事に対して、当事者はそこまで気にしてないのかもしれない。逆にとても大切にしてる事もあるのかもしれない。結局人の価値観なんて人それぞれだし色々なことを考えせられた。面白いがとてもいい作品でした。
脚本が・・・
大好きな京都が舞台のコメディと聞いていたが、観ようか観まいか迷ったあげくに観に行ってきた。
演者はよかった。主演の深川麻衣はじめ、俳優陣の演技に文句はなし。
個人的には、中村先生(若葉竜也)の京都偏愛変人キャラが好き。よそ者に滋賀県で「京都人かくあるべし」ってセリフ言われても説得力がないんですけどw
しかし、どうも脚本が雑というか、練り込み不足な印象。わざとそうしたのか?
色んなエピソードが、ぶつ切り感があり、短いカットで場面が進んでいって描き方が薄い。そして、主人公まどかが、途中から思い込みの激しい嫌な自己チューキャラになってしまっている。空回りする自己チューキャラの暴走ぶりを笑って欲しかったのだろうか?残念ながら周りの人に迷惑をかけまくる不快感が勝って笑えなかった。
そしてエンディングで完全に置き去りにされた感が・・・一体何だったのか、これは・・・
目の付け所と設定は良いと思ったし、演技もよかっただけに、ちょっと残念な映画鑑賞になってしまいました。
ま、京都にはこれからも通うけどね!
※「洛中」「洛外」なんて言葉を現代の京都人は使うのだろうか?「碁盤の目の内と外」という表現は聞いたことがあるが・・・
場所を京都に移した「嗤う蟲」
「京都の方の本音と建前の違い」という、これまで擦られまくって手垢のついたモチーフを、本作で今更のように取り上げた意味は、映画の後半部分の室井滋の姿に集約されていたと思う。
加えて、深川麻衣と若葉竜也、そこに片岡礼子まで出てくると、「“嗤う蟲”か?」と思ってしまったが、見終わると「やっぱり場所を京都に移した“嗤う蟲”だったなぁ」というのが感想。
とりわけ、深川麻衣の「傍若無人で自己中心的な思いこみを疑わない絶対的な自己愛」の怖さが共通していた。傷つかない鋼のメンタルは、それだけで、周囲を振り回す「力」になり得てしまうんだなぁとしみじみ思った。
公式サイトでは、シニカルコメディと謳っているが、自分にはホラー映画だった。
あと、本作の若葉竜也、大好き。
世間的には評価は低めだが、言うほど悪くない。
それぞれの地域の文化の違いは当たり前
原作未読。深川麻衣さんが主演ということで鑑賞しました。彼女が演じるまどかの立ち振舞いに怒りです😡⚡。思い違いはあるかもしれませんが、謙虚さが無いですね。何代も続く夫の実家の扇子屋さんに住むことになりますが、来て間もないのに若女将としてテレビ局の取材を受ける。私は「←あんた来たばっかりやがな。ようわからんのに、なんで若女将として取材受けるん?」と心のなかで叫んでいました。普通お断りするでしょう。そのあたりのキャラ設定がダメでしたね。まあ空気を読まないという設定ですから仕方ないですけれど...
あと夫の浮気とか義父(松尾貴史)の逮捕を織り込んだ意図が、よく解りませんでした。共演では室井滋さんの義母役や片岡玲子さんの老舗の女将役が、良かったです。
京都の人は本音を言わないとか他のことも言われたりしているようですが、それはそれぞれの土地の文化であり、文化の違いは狭い日本においてもどこにでもあることだと私は思います。
余談ですが居酒屋などの「飲み放題」は、日本とアジアの一部の国だけのシステムです。欧州では、「飲み放題」禁止の国もあります。アルコールに強い人が多いので、「飲み放題」にしたら店が潰れてしまうかもしれませんね。海外の酒好きな人にとっては、歴史のある京都を観光して飲み放題できたら最高かもしれません。広い意味での文化の違いですね。
京都の裏表 楽しかったです。
小野寺ずる🤩
京都の風情と裏の顔を表現
序盤のちょっとしたところの表現は良かったが、ラストに向けて、なんでこうなるの。というところが連発した。
事件なんか、なくてええのに。
と思いましたが、映画館内では、笑いがおこり、お客さんは楽しまれていました。
察しろよ。歴史しかないんだから。
空気を読めよと。何もかも。
生粋の京都人。御先祖様から京都以外の血は受け付けまへん。
そんな人間おるんかいや?
老舗?そんなん長い事そこで商売しとるだけやがな。
リスペクトはするよ。リスペクトは。
しかしなにかしら新しい文化を取り入れづつアップデートします。けどうちはそとさんは……みたいな。
はいはい。古き良き日本人。いや京都に都に本家に元祖に……もうええわっ!
なんやねん。正直クソつまんない考え方。
でも作品は楽しい。京都とは真逆の人間が乗り込んでわいわいわい。
特区にしたらええねん。マンションもいらん。洛中も洛外も区別なく、伝統と歴史を重んじて近代的なものは何一つ持ち込まないで。観光も特別な許可を取らなきゃいけないぐらい厳しくして。
良かった。京都に生まれなくてと思わせてくれる楽しい作品でした。
京の風にあてられて
京が都になってから権力争いの坩堝になり、護摩業やら御祈祷をする各宗派の坊さんやら、嘘か本当か陰陽師の安倍晴明が一条戻橋に式神を飼ったりと、魑魅魍魎が跋扈してきたわけです。
と言うか、そう信じたい。特に外野は。
そんな『なんかあるんじゃない?』って期待した主人公が京都にあてられて、少し発狂しながら破茶滅茶して行くホラー映画でした。
監督がホラーを前提に作りたかったと、どこまで本気か分からない話をしていたのを目にしたけど、こういう、人に何かが取り憑いた感じにみんなを巻き込んで繰り広げる劇画タッチな常軌を逸した喜劇の連続も、ある意味ホラーだなって、ホラーにするならこういう作り方しかなかったかもなと思た。普通に洛中の都市伝説を真面目に作品にしたところで、多分どこかで行き詰まった気がしたから。
最後の終わり方が、いただけない
期待しすぎたかも
「よそさん」のまどかの図々しさにイライラしっぱなし
京都嫌いは人嫌い ではなかった。
京都人はイケズだ!
を徹底的に揶揄して笑わせてくれる映画を期待して観に行った。
違った。
終始、深川麻衣演じる、まどかの図々しさと勘違いの連続にイライラさせられた。
むしろ京都人は「よそさん」を持て余しながら、梓姉さんなどは何かと京都の作法を指南してくれている。
京都は変わらないのが良いのだ。
というのはまさに「よそさん」の勝手。
まどかは夫を漫画の作画担当に寝取られても、もはやそれもネタ。
京都を守る使命感に囚われて、どんどん視野が狭くなって行く。
扇屋の主人(松尾貴史)が「京都はずっとよそさんに、壊されてきたんや」の言葉はこの映画のテーマではないか。
京都はこうあって欲しい、「ぶぶ漬けとうどす」をも含めて。
京都は「よそさん」に壊されつつある。
室井滋演じる環義母さんはまどかに本音をぶつけるが、それさえもまどかにとっては「ぶぶ漬け」だ。
ちっとも通じやしない。
ネットの言説が京都を飲み込んでいく。
今、必要なのは京都的な裏を読む力ではないのか?
もはや絶望的だが…
まさかこんな感想になるとは思わなかった。
いっぺん周って京都を深く愛する京都的な映画だ。
ずるマニア
面白かったけども。
言葉をそのまま受け取る素直さ VS 多段階階層で空気を読まなければ...
全86件中、1~20件目を表示