ファンファーレ!ふたつの音のレビュー・感想・評価
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ハッピーエンドとは言い難いがあたたかい気持ちで見終えた
白血病と診断された世界的指揮者&作曲家の兄と、幼い頃に生き別れた、小さな町の工場のアマチュア吹奏楽団でトロンボーンを担当している弟が、骨髄移植をきっかけに互いの存在を知り数十年の空白を埋めていくお話。
小難しいイメージのフランス映画ですが、この作品はテンポがよく話もシンプルでとても解りやすかったです。
兄ティボの病気発覚から弟ジミーにドナーを依頼しにいくまでが体感で10分あるかないかで、説明的じゃなくとてもあっさりした感じ。
その分、再会してからの心の動きに時間を割いたということでしょうか。
マイルス・デイビスやリー・モーガンが好きだというジミーに対して何故トランペットをやらないのかと問うティボに、「トロンボーンしか残ってなかったんだ」と答えるジミー。それ自体はバンドあるあるではあるものの、「選びたいことが選べる人生ではなかったんだよ(ティボと違って)」ということの暗喩のようでとても切ないセリフでした。
また、恵まれた経済状態の里親の元でなに不自由なく育ったかに思われる兄ティボも、妹の骨髄が適合しなかったという結果を受けて育ての母が実子である妹にティボが居ない場で「(実の兄妹ではないことがわかってしまうのに)どうして検査を受けることにしたの?」と問う場面があり、ティボ自身は養子であることを知らずに育った一方で実子である妹は兄が養子だと知っていたということが感じられて、これもやはりやりきれない場面でした。
ティボの出現によりジミーの人生への向き合い方が好転していくのと同時に、ティボはジミーのアマチュア吹奏楽団に関わっていく中で音楽への愛情を新たにすることができたように思える。
また、登場する人みんながそれぞれに善良であたたかい。
最終的にはティボは移植後しばらくしてから拒絶反応が出てしまったり、ジミーの所属する吹奏楽団がある工場は閉鎖されてしまったり、ハッピーエンドとはいかなかったけれども、心がほんのりとあたたかくしみじみとする良い映画だったと思います。
ラストシーンはティボの新曲の御披露目コンサート。マーラー風味のなかなか前衛的な交響曲で、えっ!この曲調で終わっちゃうの!?と思いましたが、そこからのボレロでしっかり分かりやすく感動させてもらえて安心しました(笑)。
余談ですが、ジミーがティボについて「金持ちの名前」というようなことをいい放つシーンが複数回登場したので気になってネットで軽く調べたところ、「ティボ」(Thibaut)という名前は「高貴な」「輝く」の2つの意味から成るそうで、爵位を継承した貴族の名前にもあるようです。
しかし日本だと家庭環境のいかんに関わらずこの手の漢字を名前につけることはよくあるかと思いますが、フランスは家柄次第でつける名前が異なる慣習が現代でもあるのでしょうか???
やはり、外国映画で台詞一つ一つの持つ意味合いを理解するのは困難ですねぇ…
クラシック、ジャズ、シャンソン(フレンチポップ)に浸る
リー・モーガンとアート・ブレイキーの「クリフォードの想い出」(1956年25歳の若さで亡くなった天才トランペッター、クリフォード・ブラウンに捧げられたトランペットの名曲、ティボとジミーは狭いジミーの部屋でこのレコードを聴いてお互いの理解を深める)、ダリダの「踊らせて」(仲良くなった兄弟がこの歌に合わせておどけてダンスを踊る)、シャルル・アズナブールの「世界の果て」(″僕は北国しか知らない″という歌詞が印象的。手術の失敗を知らされる悲劇的場面でこの歌が流れる、いや′ティボが歌う′だったかな)、ティボが指揮する楽団が演奏するドビュッシーの「牧神の午後の変奏曲」、ジミーが所属する炭鉱の吹奏楽団が演奏するヴェルディの「凱旋行進曲」、ラストの感動的場面でのラヴェルの「ボレロ」。
ティボが指揮するエリート音楽家たちの演奏も見応えがあるけど、ジミーの所属する寂れた炭鉱の素人吹奏楽団の演奏も楽しい。演奏をめぐる彼らのやりとりがまた楽しい。お互いを下手くそって平気で詰るの、日本人じゃあり得ないんだけど。フランス人だからなの、映画の中だからなの。まあ気を遣い合う日本人とは違うよね。
そしてティボの発するブラックジョーク。僕は面白かった。今の日本人て好い人に振る舞うこと、なんかいつも強制されてる感あるからな(コレ僕の偏見)。ああいうジョーク、僕は楽しい。
先週は「リンダリンダリンダ」で女子高生のパンクロックを聴いて涙しました。音楽っていいですね。もちろん映画っていいですね。
セ・ラ・ヴィ
お約束ですよね…
総じて辛口に言えばベタですよね…
泣かせに来てませんか…
映画・ドラマ擦れっ枯らしの「詰まんねえヤツ」としての内なる自分は、いっぱしの素人評論家みたいにポジショントークしようとする。
いや、ホントにそれでいいのか?ともう一人の内なる自分が首を傾げ、余韻の直感に素直に従えと言う。
それは、血を分けた兄弟でありながら異なった人生を歩んで永く離ればなれだったがために、再会してもこじらせまくったティボとジミーのようだな。
私は、そんな内なる二つの自分を和解させ、シンプルに統合させなければならない。
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この映画の最も優れた美点は、脚本とともに、圧倒的に編集でしょう。
冗長な背景説明や経過を潔く削ぎ落としながら、それでいて鑑賞者の受容を妨げないスピード感とペーソスの深みを保っているのは、とてもクォリティが高いと感じた。
そして余計な「伏線」やら「回収」やらが無い。
優れた「物語」というのは、「ありふれた人生」、つまり「誰にでもある人生」という普遍性を、多様なエピソードでフィクションに変換して届けてくる。
この作品のエピソードとは、生き別れた兄弟が経済的にも文化的にも社会的地位でも真逆の育ち方をしたこと、その兄弟を結びつけたのは骨髄移植であること、そして弟も生来的に持っていた絶対音感という絆が判明すること、などだ。
それを田舎の炭鉱楽団の仲間たちが遠景で際立たせてくれる。
しかし、創作者のそのようなエピソード設定に惑わされてはいけない(決して惑わすつもりではないにしても)。
その普遍性たる「骨」は、こう言ってしまえば平板過ぎておもしろくも何ともないのだが、人生に勝ち組も負け組もない。希望と絶望、期待と失望が等しくやってくる。禍福は糾える縄の如し。
それが人生さ。
って、フランスが時折り見事にみせるまさにセ・ラ・ヴィだ。
だから、寿命の折り返し点はとっくに過ぎた小生のような年頃の人間には、やたらと「身につまされる」。
そう言えば、昨年末の『ネネ エトワールに憧れて』にも通ずる。主人公のアフリカ系の少女のほうではなく、才能あふれるその子を排除していくバレエ団の女性年配ディレクターのほうに深い哀しみがあった。
『クレオの夏休み』もそうだ。アフリカに帰った乳母を夏休みに訪ねたフランス人の幼児が主人公のようであって、実は乳母の哀しみが深く描かれていた。
昨今のフランス映画って、こんな感じなのでしょうか? 好ましいという意味で。
佳い映画を観た、という余韻に浸りながら席を立つことができたのは、幸福である。
音楽は心を豊かに育んでくれます。
大まかに病気に生き別れの兄弟に廃れた町に生きる人々とベタな感じですよ。
でもちょっと重たく見せたのはよくある不景気に事業縮小だったりデモだったりに対して従業員の優しさや人柄の良さとのメリハリ。
それによってこの作品のメインのキーワードとなる”格差“が際立ちます。
兄と弟はお互いに音楽のセンスや絶対音感にと共通する部分がありながら育った家庭環境の違いから才能が開花し世界的に活躍する者と日の当たらない影で誰にも知られず生きてゆく者。
病気をきっかけに離れ離れの2人が交差し悩みや苦しみを乗り越えようとします。
ストーリー展開がとても良くできていて飽きさせません。
ラストはとても刺さります。
ベタなんですよ。ベタ。
なのに曇天がパァーッ!と晴れわたる感覚
ただのベタなら本国でもそれほどヒットはしなかったでしょう。
しかし格差はかなり深く根強くそして広範囲に広がっています。
タイトルにあるファンファーレはこんな重く暗い格差に苦しむ人々の気持ちを晴れやかに、そして背中を後押ししてくれる素敵なメッセージです。
音楽が溢れてくるとても良い作品でした。
なんだかなんとも粋で泣ける
いい映画でした!
ラストのボレロはその手があったか!
素晴らしかった。フランスの地方都市の炭鉱オーケストラ楽団のジミーと世界的な有名な指揮者ティボの2人の兄弟の対比が見事に描いていた。至ってシンプルな作品。ラストのボレロはああいう手があったのかと驚いた。伏線回収は◎。
ジミー役のピエールロダンは秋が来るとき以来。彼の演技は見事。彼のキャラなのか。ラストに驚いた作品。
音楽>
美しい音楽を臨場感のある音で聴けて楽しかったです。ベートーヴェンのエグモント序曲、メンデルスゾーンのフィンガルの洞窟など、聴く機会が少なかった曲の良さを認識できました。モーツァルトのピアノコンチェルト23番はとても好きな曲でしたのでちょこっと流れて嬉しかったです。「クリフォードの思い出」は全く縁が無かったですが、知ることができてよかったです。映画館からの帰り道にさっそく聴いてます。
展開が早い割にところどころ冗長に感じる部分もあり、音楽が圧勝の映画でした。またストーリーのウェット過剰さに比して、フランスオーケストラの絶妙な湿度が心地よく、むしろ情緒に触れました。ただ映画館ではところどころ笑いも起きており、わたしもサブリナ役のサラ・スコさんがコミカルでニンマリ、全体としては、おもしろかったです。
良い映画です。
シンデレラ・ストーリー的には展開せず
ダブル主演の弟役のピエール・ロタンが好きなので観に行きました。
前半は、よくある感じの生き別れの兄弟の再統合のお話しで、かなり良い感じで進むのです。
しかし、イメージしていたシンデレラ・ストーリー的にはすんなりとは展開せず。
後半は、中々に厳しい現実を突き付けられ、気持ちがどんより。
とって付けたように、ちょっと盛り上げてエンディング。
物語としては、エンディングに救いを入れる意図は良く分かるのだけれど、モヤモヤとすっきりしないお話しになってしまいました
音楽の力と楽しみ方の多様性を爽やかに教えてくれる
爽やかな佳作
難病+音楽ものかと思って観たのですが、病気ネタは導入部分だけでした。
兄弟が生まれ育った環境の違いによる異文化衝突があるのかと思ったら、そこも焦点ではなかったようでこちらも拍子抜け。
ジミーの周りの人は事あるごとにputin(ピュタン=売女の意味)と言いまくっており、なかなかにガラが悪い人たちなのですが気の良いオジサンオバサンの集団で憎めない。
(特にサブリナが良いキャラ)
工場閉鎖になったのにあまり悲壮感もない。
フランスは移民問題はあれど、白人社会は貧困もさほどではなく平等ということなのでしょうか。
(映画なのでマイルドに描いているのかもしれませんが)
中盤は炭鉱ブラスバンド再生の話とジミーの自己実現、ティボの育ての家族との軽い軋轢の話などが混ざり、とっ散らかってしまった印象。
ラストは工場労働者の救済もティボの病気も宙ぶらりんのまま「ボレロ」の勢いで押し切ってしまったのが残念。
ボレロは確かに良い曲ですけれどね。
ジミーがプロオケのオーディションにちゃんと落ちたのにはホッとしました。
過去のフランス製作音楽映画を思い起こすと嫌な予感しかしなかったので…
イギリスの炭鉱ブラスバンドは有名ですが、フランスにも同じ文化があるとは知りませんでした。
それからフランスではティボ、は気取っている名前なんですね。
色々発見がありました。
楽団と楽隊、でもどちらも心躍る! この【血】の繋がりは濃い
前提にあれこれ説明つけてもったいぶらずに、スパッと兄弟の結び付けに入って行くテンポの良さが心地よく、それは最後まで続いてくれて、ダレることなく観ることができた。
個人的には弟のジミー、彼の強面だがナイーブさが垣間見える表情が好き。
置かれた立場もすんなり受け入れながら、それでもひがんだり悩んだり、人間臭さも前面に出たり引っ込んだり、愛すべきキャラでした。
それに比べて兄ティボは置かれた立場が違うから、やや上からな態度や傲慢さも顔を出すが、善き人であることは疑う余地が無い。
周りを取り囲む人たちも総じて善人で、置かれた立場は苦しいはずなのに、暗さを感じさせないのが良かった。
そして音楽のチカラ!古いとか新しいとか、そんなことではなくて、音を聞くだけ・奏でるだけでエネルギーが満ちてくる。
最後のボレロには椅子に座りながらも身体がスゥィングしてしまいました!
韓国映画の【最後のピクニック】を観た時には、遠くの身内より近くの友だな、なんて思いましたが、本作は正に兄弟としての【血】がとても重要。
話しは逸れますが、本作を観る直前、赤十字からのメールで「あなたの血液と適合する患者さんが輸血を求めています」と届きました。
もうずぅっと長いこと献血をしていますが、このメッセージが届くのは3回目だと記憶しているくらい、適合するのは奇跡的なんでしょうね。
なんて心新たに献血協力の連絡をして、予約を入れさせてもらいました。
王道なのにどこか斬新さも感じる見事な三幕構成
劇場で本作のトレーラーを観て、「これは楽しめて泣けること間違いなし」と確信して楽しみに待っていた本作。本編開始と共に「FESTIVAL DE CANNES」のロゴを見て更に期待が高まります。
自分が白血病であることを知り、ドナーを探すことになって初めて“自分の出自”に複雑な事情があったことを知るティボ(バンジャマン・ラべルネ)は、実の弟であるジミー(ピエール・ロタン)に会うため北フランスのとある田舎町を訪れます。と、この設定だけでも一つ映画が作られておかしくないくらい興味をそそりますが、これについては驚くほどに潔く序盤の短い時間で一気に片づけられます。
その後、ジミーからの骨髄移植により体調が回復したティボは、弟にも自分と共通する“音楽に対する才能”があることに気づいて興味を持ち、更にはジミーの所属するワランクール炭鉱楽団のメンバーとも関りを持ち始めたことで、何かしらジミーの音楽活動をサポートできればと考えるのですが…
フランス映画、特に本作のようなヒューマンドラマを観ていると大概にして避けて通れないのが、お互い主張を譲ろうとしない“言い合いシーン”。オブラートに包むことなくストレートに本音をぶつけ合っているため、聞いてて居た堪れない気持ちになりますが、不思議と“悪意よりも愛”を感じるという意味ではどこか“あこがれる気持ち”もあります。本作でも家族間や友人同士で衝突が絶えませんが、反面でお互いを気遣い合ってることが解っているからこそ、多少口が過ぎてもそれを赦し再び手を取り合う様子に深い愛を感じます。
そして、本作の重要な要素である音楽についての掘り下げ方も見事で、私のようにその素養がない者にとっても取っ付きやすく、またオーケストラにとって指揮者が如何に重要かということを解らせてくれる実演シーンの数々は見事。特にワランクール炭鉱楽団の練習は気の置けない仲間同士のヤジなども絡みつつ、味のある演奏に自然と体が動きます。
さらに、意外とは言わないまでも、どこかで願っていた流れとは違った終盤の驚きの展開、誰しもが否定しようのない“ベタだけどやっぱりそれが欲しい”お約束な選曲と締めを喰らって感情は最高潮。飛び石連休連休狭間の平日午前の回でしたが、まあまあな客入りのヒューマントラストシネマ有楽町シアター1は、エンドクレジットが終わって客電が点くまで皆さん着席されたまま。
観終わって“噛みしめ甲斐”のある本作の余韻に、王道なのにどこか斬新さも感じる見事な三幕構成だったと思い知らされました。いい意味で予想を覆され、満足度高い一作です。
期待通り
設定は既視感がありますが、素直に感動。
音楽とスポーツには否応なく感動させられてしまいます。理屈じゃありません。
ティボのピアノや一流のオーケストラ、そしてあまり上手くない吹奏楽団。音楽のシーンを見ながら、自分の思い出も頭の中を巡って懐かしい気持ちになりました。
レコードのプレゼントからの音楽部屋でのあれこれの流れがすごく好きです。音楽を通して2人の距離が一気に縮まる。本来なら子供の頃に叶っていたかもしれない兄弟連弾のシーンが微笑ましかったです。
そして、最後にあの素敵なシーン。途中の乱闘騒ぎと共にラストも金八先生にでも出てきそうなベタな演出だけど、やっぱり良いですね。
ボレロって同じフレーズの繰り返しで一見つまらなそうな曲だけど、最初はとても弱い演奏から始まってひたすらクレッシェンド。どんどん壮大になって気づいたらこちらも巻き込まれている、不思議な曲ですよね。
育ての親も、とても愛情深くて素敵でした。
「1日15時間」
『ラベル』の〔ボレロ〕は、本作のような使い方でこそ生きて来る
世界的に名を知られている指揮者にして作曲家の
『ティボ(バンジャマン・ラヴェルネ)』が白血病に倒れる。
ドナーを探すうちに、自身が養子であること、
血の繋がった実の弟がいることが判る。
弟の『ジミー(ピエール・ロタン)』は
別の家族の養子となっていたが、
葛藤の末に骨髄の提供を承諾する。
一旦の完解を得た『ティボ』は
礼に訪れた弟の家で、
彼が素人楽団でトロンボーンを吹いていることを知る。
今度は兄が助ける番。
次々と襲い掛かる楽団の難局に、
共に知恵を出し、立ち向かっていくのだが・・・・。
{音楽映画}に駄作無しと個人的には思っている。
とりわけオーケストラをモチーフとした群像劇は
成功確率が高いよう。
一方、個人に焦点を絞ったものでは、
直近の〔ボレロ 永遠の旋律(2024年)〕のように
不完全燃焼な一本が多い。
同作では〔ボレロ〕完成までの過程を描くものの、
初演のカタルシスに対し、
作曲までの長時間の呻吟や強い懊悩が前に出過ぎ、
陰鬱な空気に貫かれてしまう難。
一方本作は、ある意味で王道を行くもので、
ラストのシークエンスでは感涙がこみ上げて来る。
団員たちが、これほど暖かい表情で演奏する一曲を
嘗て観た記憶がないほど。
ちなみにその楽曲こそ、
先に挙げられた『ラベル』の〔ボレロ〕。
もっとも中途の過程では、
選曲の変遷を含め、
観る側の事前予想を
(良い意味で)ことごとく裏切ってくれるのだが。
プロの指揮者である兄が、
素人たちにどれだけ丁寧に教えても、
使用言語が異なることで伝わらないもどかしさ。
たまたま養子に貰われた家庭の格差が
その後の人生に大きく影響する皮肉。
斜陽産業である鉱山を母体とした楽団が、
企業や行政に見放されて行く世情。
一波乱二波乱どころか、
三つも四つも新たな展開を用意し、
最後は予定調和の大団円に収める脚本の妙が素晴らしい。
一軒、多幸感のあるファンタジーにも取れるが、
舞台となったフランスでは
「黄色いベスト運動」に象徴されるように
格差は拡大をしているよう。
話中でも、炭鉱が閉鎖されたことにより
多くの失業者の生活に影が落ちるエピソードも示される。
資本家や官憲に対するレジスタンスは、
必ずしも強硬な姿勢ばかりではなく、
ソフィスティケートされた手法でも
十分に人心に訴えることを本作では見せてくれる。
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