「“希望の皮を被った絶望”を、観客に差し出す残酷な寓話」ナイトフラワー こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
“希望の皮を被った絶望”を、観客に差し出す残酷な寓話
本作は、ドラマとしての完成度よりも、観客の精神をどう揺さぶるかに全振りした作品だ。とりわけ本作の最大の問題作性は、“ラストを描かない”という選択にある。ここまで物語を積み上げておきながら、その決着を観客任せにしてしまう乱暴さ──いや、作家性と言い換えたほうが聞こえがいいかもしれないが、その“ぶん投げ方”は好みが分かれる。
物語は、貧困に押しつぶされそうなシングルマザーが、子どもの夢を守るためにドラッグ売買へ堕ちていく過程を克明に描く。生活の匂い、疲労、金の足りなさ、人間関係のぎらつき。ここまでの描写はあまりにリアルで、観客は自然と夏希の肩を抱くような気持ちで物語を追う。しかし、クライマックス直前に少女へ銃が向く瞬間、物語は現実の重苦しさから突如“幻想”へと姿を変える。あの昼間に咲くはずのないナイトフラワーが象徴するのは、希望という名の嘘か、それとも死後の世界か。
監督の内田英治は、因果応報を描くことで物語を安く終わらせることを拒んだのだろう。しかしその結果、観客は“現実の決着”を奪われ、不思議な喪失感だけが残る。ハードな現実描写で観客の感情投資を引き込みながら、最も知りたい“本当の結末”を提示しない構造は、作り手の意図とは裏腹に、人を置いてけぼりにする危険をはらむ。
とはいえ、最後の幸福な団欒が夏希の願望か妄想か死後の幻かは、すべて読み手に委ねられている。その曖昧さを「余白」と見るか、「不親切」と見るか。作品が突きつけてくるのは、物語の解釈というよりも“あなたは現実と幻想のどちらを選びたいのか”という問いそのものだ。
救いを求めて手を伸ばせば、触れた瞬間に崩れ落ちる。『ナイトフラワー』とは、そんな儚さと残酷さをまとった寓話なのである。
共感ありがとうございます!
>本作は、ドラマとしての完成度よりも、観客の精神をどう揺さぶるかに全振りした作品だ。
おっしゃる通り、最近の他作品でも「君の顔では泣けない」や「恋に至る病」や「火喰鳥を、喰う」の決着を観客任せにするスタイルが気になりました。
これは私見なんですが、「8番出口」や「雪風 YUKIKAZE」のようにセットに金をかけられないくらい製作費が低い現状があるので、あえて結末を詳しく描かないことで観客の感想の違いを作り、話題性を盛り上げて興行収入を高くしようとしたのではないかと推察しています。
殆どの映画が製作委員会制になっている現状で、元放送作家の自分から見ると、製作費の調達の方法がテレビのプロデューサー的な発想になっている影が見え隠れしています。
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