「ナイトフラワーは噓を付くのか(ラスト考察)」ナイトフラワー RF-Seanさんの映画レビュー(感想・評価)
ナイトフラワーは噓を付くのか(ラスト考察)
いやぁ凄い映画だった。
映画の日だけどちょうどよい時間に開始するものが無かったからと言う理由で鑑賞してみたら思いのほか衝撃を受けた。特に結末に対して色々と考察が止まらず興奮したまま筆を取る、ならぬキーボードを叩こうと思う。
まずは北川景子、本当に素晴らしかった。美しい。そして儚い。たまに玉を蹴り上げる。素敵。前蹴りだったっけ?まぁいいや。乱暴な貴女にも、優し気な貴女にも、虚ろな貴女にも目が奪われた。特に餃子弁当を食べる時の表情の変化とか鳥肌もの。彼女を代表する作品になるだろうと確信した。
次に森田望智、ド迫力!面構えからしておっかない。そしてめちゃくちゃガラが悪い(笑)食い方が下品だったりするのに子供と遊ぶのはやんちゃな面が垣間見えて不器用な優しさとか全部込みで実力を感じた。格闘シーンの激しさは極悪女王を遥かに上回り(ダンプも好きよ)顔面の壊れ方はNHKに出るような女優さんとは到底思えず、朝ドラ出演のニュースで見た白いドレス姿なんか絶対同じ女性だなんて思えないくらいだった。ちなみにこちらもネトフリで恐縮だがシティハンターの香役も確かに良かった。
さてここから容赦のない結末ネタバレ考察に入っていく。
月下美人は夜にしか咲かない。
しかも劇中ではベランダに置いてあるのだから日照調整も行えないわけだし夜にしか咲かないと考えるのが普通だし自然だし事実だろう。
そしてあの特殊な演出。この世の楽園のような全員集合の幸せなワンシーンをブラックアウトして終幕かと見せかけてからの月下美人だけが画面に映し出されてゆっくりと花が開く演出が入ってくる。とても意味深。
この解釈を巡って人によって意見が大きく別れる所だろう。
そもそもラストに至るまでの10分間(感覚値)に違和感しかない。
少し遡ると、まず海がリンチされて車に乗せて山に捨てられるために運ばれていくシーンがある。つまり探偵からのアプローチに対してサトウは「売人たちを消す」方向に舵を切ったのは確実だろう。
続いて多摩恵とデカ男との闘い……とは到底言えない力の差を見せつけられて、ある意味、多摩恵の夢を打ち砕かれた後にさらなる無力感を味合わせる演出が残酷だと思うわけだが……ともかくサトウからの「三つの質問」の末にどうなったかという点について。
サトウがジムから出ていく際に「お前、母ちゃんとかいねーのか」と問いただし「俺にはいなかったっす」といった台詞があるのだが、これはサトウが夏希に情けをかけたように、お前らにも人の情けはないのか?とボヤいていると考えるのが自然ではないだろうか。つまり、情け容赦なく、あのダンベルで、どうにかされたのだろうと推察される。
続いてキラキラの一切を消した田中麗奈の銃声について。
銃声があった。
これは作中の現実世界において事実だ。
銃声が聞こえて「運動会……?」と呟いたのであればピストルを連想するのが最も自然(というか他の解釈があれば教えて欲しい)そこから嫌な予感が広がったがために小太郎がドアを開けようとした時に悲鳴を上げたのだろう。
銃声が鳴って、その眼前に立っていた小春が何もなかったかのように部屋に入ってくるはずがない。劇中で利発な子というのは十分にわかるのに、このシーンの小春はまるで「ママに抱かれるためのお人形さん」だ。事実をすっ飛ばして本人らしくない行動をしていると言う事はつまり事実というより夏希の想像の産物と言った方が正しくないだろうか。
そして一緒に部屋に入ってくる多摩恵。少なくともデカ男のパンチを浴びて鉄柱に頭を打ち付けジム機材の棚に放り投げられたはずなのに怪我一つない。これもラストにおいて明らかにおかしな点。もはや真実がどこにあるか分からなくなると同時に、最も道理が通らない点だろう。
極めつけは真昼間に咲く月下美人。
通常19時から22時ころに咲いて数時間で萎むこの花が、この時たまたま昼間にも関わらず偶然咲いたのだろうか?
売人の罪が全て赦されたような奇跡のように?
警察の捜査の手も伸びてこない幸運の証のように?
月下美人の花言葉である「儚い美」「ただ一度だけ会いたくて」を思い浮かべてみると、普段なら何気なく受け止められる言葉が、事ここに至っては実に不穏な調べに聞こえることに気づかないだろうか?
人の見る夢のようなはかない美しさ、それは幻想のように幸せなラストシーンと一致する。こと切れた多摩恵と小春が最後にただ一度だけでも会いたくてあの部屋に魂だけでも帰ってきたと言われた方がまだ違和感がない。
楽園に行くんだよって旅先のことを言うのも不自然だし、この台詞と前後してライティングが増していき幻想的かつ幸福感のある映像になっていく事からしても、このシーンは夏希の見る夢か幻なのだろう。
更に残酷な想像をしてしまうと、サトウ達があの部屋に乗り込んできて、夏希と小太郎は、あるいは夏希は、サトウの情けによって月下美人が咲く頃までは生かされていたのかもしれないとさえ考えた。なんて辛い。書いているだけでも辛い。
中盤で玉蹴りをされた男は「ヤクが少ない」と文句を言っていた。あの時だけは多摩恵の護衛に頼らず自力で撃退していたが、それを本人がやさぐれて強くなった結果だと受け取るか、多摩恵が近くに寄って来る前に黙らせる必要があったと受け取るか意味合いが大きく異なるだろう。となると、夏希は途中からヤク中だった可能性が高いのだろうと思う。
夏希のいないシーンは事実。夏希のいるシーンは幻覚もあり得ると考えると最も辻褄が合う。
でなければ、どうして小太郎はMDMAで遊べたんだろう、冷蔵庫の上の絶対に届かない所にあるはずなのに。商品をバッグに入れた後に置き忘れた?しまい忘れた?あのシーンは劇中で一二を争う冷や汗もののシーンだったが、子供にとっては劇毒であることは十二分に理解しているだろう夏希がそんなミスを正常な状態で犯すとは思えない。
考察は以上。
全体を貫くテーマとしての家族、貧困、顧みられない弱者を描いた映画としての完成度は素晴らしく、見ごたえがあり、色々と考えさせられた映画であった。
最後に月下美人と聞いて最初に思い浮かんだのが恥ずかしながら「美人薄命」だったわけだが、そんなところも自分の考察と一致するなあとのんきに考えた結果、これはレビューの締めとして肩透かし感があるので書かないでおく事とする。
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