ストロベリームーン 余命半年の恋のレビュー・感想・評価
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【”月が綺麗ですね。そして向日葵の花言葉の実践。”今作は夫々が哀しみを秘めた若き男女の恋物語であり、フライヤーに”涙する。”と記載されている作品の制作は少し難しいな、と思った作品でもある。】
ー 今では、否定している意見が多いが、夏目漱石が「I love you」を「愛している」ではなく、「月が綺麗ですね」と訳したという話がある。
英語教師をしていた頃の夏目漱石が、「I love you」を「愛している」と翻訳した教え子に対し「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですね、とでも訳しておけば良い」と言ったという説である。
・イキナリであるが、私は普段、”人道的”で”温厚”なすかしたレビューを書くようだが、実は冷徹な人間である。ここ20年ほど人前で涙を見せた事はない。(除く、漆黒の映画館内。映画館では、可なり涙を流す。これで、バランスを取っているのであろうと思う。)
・で、今作であるが、冒頭からイロイロと突っ込み処があって、ウームと思ってしまったのである。重ねて書くが、私は冷徹な人間であるからね。
■だが、主演の當間えみさんや恋人役の斎藤潤さん。そして二人を支える友人を演じた、伊藤健太郎さん(頑張れよ!負けるなよ!)を始めとした若き俳優さん達や、主人公を心配しつつも笑顔を絶やさない両親を演じた田中麗奈さん、ユースケ・サンタマリアさんの演技は良かったし、二人で湖畔で観たストロベリームーンは”綺麗でした”よ。ー
<今作は哀しみを秘めた若き男女の恋物語であり、フライヤーに”涙する。”と記載されている作品の制作はナカナカ難しいモノだな、と思った作品でもある。
けれども、主演の當間えみさんや恋人役の斎藤潤さん。そして二人を支える友人を演じた登場嬉しき伊藤健太郎さんを始めとした若き俳優さん達や、主人公の娘を心配しつつも笑顔を絶やさない両親を演じた田中麗奈さん、ユースケ・サンタマリアさんの演技は良かったし、二人で湖畔でストロベリームーンを観るシーンは、幻想的で美しかったのである。>
二人を包む満月の灯り。
とある交差点で1人の少女を助ける中学生男子に恋をし高校入学を決め…、その入学先の高校で一目惚れした彼・佐藤日向に偶然再会をする桜井萌の恋の話。
2012年4月高校での出会いから時は経ち日向は29歳の現在、実家の醤油製造業を手伝いながらの小学校教師、高校の頃に出会い付き合った萌との“半年の恋”の思い出を思い出し見せる。
余命も半年と分かっていての少し巻き気味の萌の恋、高校生の恋愛?!というより中学生の恋愛?!にも見え初々しくもあり甘酸っぱい2人。
家でのルールもあり萌の前では悲しい顔は出来ず、辛いのに気丈に振る舞う両親の姿には泣けて、萌の初めての友達でもあり親友の麗、自分の気持ちを押し殺し萌と日向を応援する姿には切なさを感じながらも。
麗演じた池端杏慈さんは他の作品でも観た記憶があるけど、これからもっと色々な作品で活躍して欲しいです!凄く魅力のある方でした。
原作のある作品だから賛否は勿論あると思うけれど面白かった!當真あみさんいいね!
暴走と急停止に巻き込まれた人々の人生も、いつかはかけがえのない財産に変わっていく
2025.10.17 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(127分、G)
原作は芥川なおの小説『ストロベリームーン』
余命宣告された高校生が最初で最後の恋愛に向かう様子を描いたラブロマンス映画
監督は酒井麻衣
脚本は岡田惠和
物語の舞台は、日本のどこかの地方都市・常盤市
小学生の入学式の日に拡張型心筋症が発覚した萌(當真あみ、幼少期:西原紬)は、自宅療養を余儀なくされ、父・康介(ユースケ・サンタマリア)と母・美代子(田中麗奈)の献身によって、学校と同じようなカリキュラムを行うことができていた
中学に入った萌の願いは「親友を作ること」で、それを知った両親は近くの唐揚げ店の一人娘・麗(池端杏慈)に出前をお願いする形を作って、2人を部屋で会わせることにした
麗は萌の可愛い部屋を気に入り、萌も理想の人が来たと思って大はしゃぎをする
2人は次第に仲良くなっていき、2人は同じ高校に入ることになった
そんな折、萌の病状は次第に悪くなり、予後は絶望的なものへとなっていく
萌は「悲しい顔はしない」と心に決めて、残りの人生でやりたいことを少しずつやろうと心に決めていた
物語は、高校に入る直前に、路上で少女(小井圡菫玲)を助けている男の子・日向(斎藤潤、成人期:杉野遥亮)を見つけるところから動き出す
彼と同じクラスになれれば良いなと思いながら高校生活を迎えることになった萌は、入学式の日に運命の出会いを果たした
男の子のことを好きでたまらない萌は、その場の勢いでいきなり告白をしてしまい、彼を困らせてしまった
そんな気まずさの中、萌ははっきりさせたいと考えて、彼を講堂へと呼び出した
麗に見守ってもらう中、彼からの返事は意外なもので、萌はその理由では受け入れられないと言う
萌は「私のことを少しでも好きだと言うのなら」と言い、日向は「付き合う」と言う意味もわからないまま、交際をスタートさせることになったのである
映画はよくある余命ものかなと思うものの、これまでのよく似た作品とは違う視点が取り入れられていた
それは、死にゆく娘を持つ両親の視点であり、思った以上に尺を取っていた
娘の方が先に死を受け入れていて、親の方が追いついていないと言う構図になっていて、それを埋めることが果たして良いことなのかに悩んでいた
それでも、日に日に衰えていく体のことは本人が良く知っていて、巻き気味に色んなことを行なっていく
やりたいことをやり切る姿勢で生きていて、それに周囲が振り回されていくのだが、その暴走もとんでもないところで急ブレーキが掛かってしまう
それは、自分が死んだ後のことを考え始めてしまい、それによって「ここで別れた方が良いのでは」と思ってしまったからだった
やりたいことをするために相手を巻き込んでしまったことに気づくのだが、動き出してしまったものは簡単には止まらない
とは言うものの、実は動き出しは萌の思っていたところではなく、もっと過去の自分の行動によって生まれていた
人は知らず知らずにうちに誰かに影響を与えていて、それは自分にも影響を与えてしまうのだが、その連鎖の中で生きるためには「動き」が必要なのだろう
清々しいほどに自分本位で暴走して急停止してしまうのだが、人生はこれくらいのスピード感の方がうまく行くように思える
本作では、頭でわかっているつもりの両親が意外なところで現実感を感じてしまうのだが、それが霊園の抽選となっていたのは興味深いところだと思う
萌の希望を叶えたと思う一方で、墓を当ててしまうと言う無意味な強運を呪うだろう
父は「俺の手で引いてしまった」と言うように、どこかで「自分が娘を死に至らしめているのでは」と言う強迫観念がある
娘の健康に際して、親に責任があるかどうかは何とも言えない部分があるが、五体満足に生き切れなかったことに対して責任感を感じるのは当然の感情だと思う
そんな中で、萌は親を非難することもなく
限りない人生を笑顔で埋め尽くそうとしていて、そのマインドに親はついていけない
様々な感情が交錯する中で付き合っていくことになるのだが、それが最後まで続くものでもないのだろう
なので、親目線で映画を見ている人からすれば、あのシーンで一気に吹き出してしまう気持ちも理解できると思う
さらに映画では、泣き崩れる両親とは対象的な行動を取る人物として日向の存在が描かれていく
彼は最後の瞬間まで萌の気持ちに応えようとするし、自分の感情にも正直に生きていく
普段、テンプレのように使われてしまう全力疾走にこれだけの意味を持たせた作品も珍しく、間に合ってほしいと思わせるに十分な熱量を感じた
それは、そのシーンまできちんと描くべきものを描きつつ、全方位に対して、この命が尽きるまでに沸き起こる感情を見せることに成功しているからではないか、と感じた
いずれにせよ、余命わずかなのに元気な病人が描かれ、映画内では病名がはっきりと出てこないのだが、原作では「拡張型心筋症」と言うものがしっかりと明示されている
この病気は初期は「ちょっと息切れする」ぐらいに思えたものが、悪化とともに鬱血精神不全を起こし呼吸がままならなくなっていく病気でもある
さらに、何らかの要因で一気に悪化する傾向があるので、ちょっと前まで元気だったように見えると言うのはリアリティラインを大きくは逸れていないと思う
それを考えると、もっとはっきりと提示しても良かったと思うし、その病状の過程をもっと緻密に描いても良かったのかな、と感じた
2回は泣ける
あみちゃん、潤くん、キャストハマり過ぎ‼️
あみの天真爛漫さが良くて、潤くんの奥手さがマッチ。
可愛くて、ピュアすぎて、切なくて。
この手の余命系ではかなり面白かった。
若いから変にすれてなくてスンナリ入ってきた。
ラストの潤くんへの手紙の内容だけ、なんか嫌だったな。
攻めのあみちゃんでいて欲しかった。
ファンタジー色強め。
映画館の先行上映で感想。
あまり余命系は観たことないんだけど、特にこの作品はファンタジー要素が強いかも。
あえて病名とかに触れていないから、どの立場でも感情移入できるようにつくられてるなぁという感触。
主演の2人はもちろんだけど、萌ちゃんを見守るパパママのお芝居がとにかくよかった。
唐揚げと向日葵と月と好きの過去と未来の横断歩道
冒頭、時は2025年現代、佐藤日向(杉野遥亮)は自宅で醬油を作りながら小学校の教師もしています。
序盤、実家が唐揚げ屋である婦警の麗(中条あやみ)が、日向を横断歩道で過去に2度助けたことがあると言及します。
小学生の桜井萌が登場し、この子に焦点を絞ります。萌の自宅が、色の統一感が目に心地よく、カメラワークもBGMもオシャレで、明るく爽やかでテンポがよくて、掴みはオーケーです。
実家が唐揚げ屋である中学生時代の麗(池端杏慈)が、萌(當真あみ)と出会い、女の友情物語が始まります。
萌と麗が、部屋着と制服を交換するシーンが感動的で好きです。
クルマの後部座席から萌が、横断歩道で少女を宥める日向(齋藤潤)を見るシーンもエモーショナルです。
萌を乗せたクルマが過ぎ去った後、その横断歩道で、あとから駆け付けた麗が日向を助けるのでした。
2012年、萌(當真あみ)と麗(池端杏慈)と日向(齋藤潤)が高校に入学します。萌の真剣に全力で生きようとする意氣込みと初々しさに好感が持てました。
日向とフーヤンとカワケン(の三人組と)、萌と麗(の二人)は、まるでスーパー戦隊シリーズの定番メンバー(合わせて五人)のようです。五人で楽しそうに遊ぶ姿が美しく描かれています。
2012年6月の二人で湖で見たストロベリームーンは、幻想的で印象に残ります。
萌の家族は、悲しい顔をしたらポイントが付き、ポイントがたまるとペナルティが科されるというユニークな決まりがありました。
萌の両親(ユースケ・サンタマリアと田中麗奈)が、普段から悲しい顔を見せないようにしているため、よけいに嗚咽シーンに見ごたえを感じました。お母さんがクルマで一人で泣き叫ぶ場面の時、電車が大音量で通り過ぎてガタンゴトン、ガタンゴトン、オトンオカン、ガタンゴトン。間髪入れず雨の日の葬式の場面になります。日向の母が亡くなった時のエピソードで、萌じゃなくて安心というのも変なのですが、意表を突かれました。
面白いタイミングで沖縄風のBGMが流れるという愉快なシーンもありました。
五人で見た向日葵も印象的でした。
終盤、萌が描いた絵の最後のページ、キスの絵が見えて涙が出ました。
郵便局員(黒島結菜)を見て29歳と決めた萌が、13年後の未来へ手紙を送ります。
麗宛の中に日向宛も同封します。
日向の感謝の言葉は、萌に向けたものか、自分の母か、ストロベリームーンか....。
萌の父にも感謝、麗にも感謝ですね...。
エンディングで流れる主題歌「トワノヒカリ」(ORANGE RANGE)が、どことなく懐かさを感じさせる雰囲氣があって好きです。
笑わせてくれたり泣かせてくれたりと、感情を揺さぶる映画でした。
恋愛以外を捨象し過ぎて、只管長く感じた💤
初めに女子2人がお互い可愛い可愛い言って、友達になるシーンは良かったです。申し訳程度に具合が悪くなるシーンはあるものの、基本的に元気で顔色が良く、余命半年の人物の描写はこれで良いのか良く分かりませんでした。告白シーンの長いリアクション台詞は、當真さんは長い台詞を良く覚えたなあと思いましたが、具合が悪い人間には到底無理です。恋愛以外の要素を捨象してしまい、薄く長い恋愛模様だけで127分は只管長く感じました。具体的な病名や症状は全く分からず、実体験で無ければこのような話は安易に書くべきではないと感じました。父親が墓の当選を電話で告げて泣くシーンは必要なのか疑問でしたし、他にもこの家族に生まれて幸せだという気はしませんでした。心臓が止まってからも耳は少しの間聞こえているので、ワーワー喚くのではなく。感謝の言葉を伝えて欲しかったです。冒頭の園児達が何度も一斉に返事をするのは示し合わせた感じが強く、またヒナタ君が喚くシーン(2回)は、ヒナタ君の冷静で落ち着いたキャラクターからは何か違う様に感じました。醤油工場とはありますがどこの地方でどう特色があって舞台設定が不明で、何となく決めた印象でした。天文学書で見たストロベリームーンを、死ぬ前に好きな人と見に行くというプロット自体は美しいですが、結論としては、20年前に流行った携帯小説の映画化から、何も進歩していないと感じました。女子が安易に泣ける映画を作ると言う事は、日本女性の知性がいつまでもこの程度だと見られていると言う事だと思います。
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