か「」く「」し「」ご「」と「のレビュー・感想・評価
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見える子くん と 見える子ちゃん
他の人には見えないものが見えてしまうけど、見えないフリをして生活する話。
あ、「見える」ってその程度なんだ。
エルのものはまだしも、他のキャラのは表情や言葉尻から察することを視覚化したくらいのレベル。
ヅカも言ってたけど、これがそんな影響あるかな。
アレが見えたからってパラやヅカみたいに立ち回れるとも思えないから、やはり元々の性質では。
ミッキーの「そんなんじゃ女子に嫌われるよ」から始まり、伏線っぽい振りは多いが基本回収されない。
能力や性格から察してね、って感じかな。
エルの登校拒否やパラの体調不良にも無関係っぽいし、能力があまり活かされてないような…
映画でこういう設定だと全員の矢印を邪推しがちだけど、ヅカとエルを曖昧に残したのは好み。
各キャラに共感できる部分もあったし、みんな魅力的。
出口夏希も可愛かったけど、個人的には性格も服装も髪型もエルが一番です。
男だと(行動や性格ではなく考え方が)ヅカの方が圧倒的に自分に近いのもあって感情移入できた。
反面、この2人のパートが短くて非常に残念。
奥平大兼は『MOTHER』以来、いつも悪くはないけど他の役者に食われてあまり印象に残らないなぁ。
今回も他の4人の方が良い芝居してた。
出口夏希と早瀬憩は認知してたが、ヅカ役とパラ役が思いのほかハマってて素晴らしかった。
終わってみれば、カップル誕生までのいたって普通の話。
相手の気持ちを察してるつもりになってすれ違ったりもありがちで、いや、本当に普通。笑
タイトルの「」もキャッチコピーの「秘密」もよく分からず。
雰囲気はいいけど、似た設定の『アオハル・ポイント』(佐野徹夜)の方が映画に向いてそう。
立ち位置的に、パラを主役に据えた方が面白い作品になった気がする。
ちょっと違った
原作未読。原作がしっかりしているであろうこととティーザーが良かったので鑑賞。
煮え切らない系の男が主人公なのは、感情移入しづらいので☆マイナスです。こんな自信ない男のこと、あんなにかわいい女子は好きにならないでしょう。最近こういう系の男が出てくる映画が多いけど、若い人は大丈夫なのでしょうか。
で、特殊能力もほとんど出てこないし、あっても役に立たなそう。
!と?と…では何考えてるかわからないし、心のバーが回転しても、心拍数がわかっても、♦♠♥クローバーが見えても別にねぇってかんじです。唯一使えそうなのは、好きな人のことが見える矢印くらいでしょうか。
ストーリーの進み方も遅く、退屈でした。
5人の爽やかさが良かった!きっとスキの初まりは瞳の中が透明な青に満たされた時から!
原作:住野 よる氏の映画化作品
・君の膵臓をたべたい
・青くて痛くて脆い
そして 今作の
・か「」く「」し「」ご「」と「
今日はちょいと期待して「か「」く「」し「」ご「」と「」を観に行きました。
カギ括弧がね 一個ペアじゃないのね。気付いた?
右側端 ”」” コレがないのよね。
最初 このカギ括弧が右から左に少しずれて タイトル文字の ”かくしごと”を
隠すのね。 でも 欠けてて不完全・・・ 狙ってるのかな?
脚本・監督:中川駿
---------MC---------
・大塚京(京くん)役:奥平大兼さん
(人の頭上に!、?、句点、読点が見える、人の気持ちがわかる能力)
・三木直子(ミッキーさん)役:出口夏希さん
(心が+に動くか-に動くか、横バーとしてみる事のできる能力)
・黒田文(パラさん)役:菊池日菜子さん
(人の心拍数がわかる能力)
・高崎博文(ヅカくん)役:佐野晶哉さん
(人の頭上にトランプマ-ク(喜怒哀楽)が見える、人の気持ちがわかる能力)
・宮里望愛(エルさん)役:早瀬憩さん
(人の想い恋心が矢印で見える能力)
・朝倉先生役:ヒコロヒーさん
・主題歌:ちゃんみな「I hate this love song」
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(展開)
高校2年の青春ど真ん中の5人グル-プ(男2人、女3人)がメイン。
彼等の悩みながらも心の何処かに芽生える葛藤と闘いながら
言えない秘密を抱える日々。
人の感情が色んな形で見えてくる。感嘆符であったり、鼓動が数字であったり、
横バ-が回転したり、トランプマ-クの色だったり、矢印だったり。
とっても活発な女子ミッキ-。誰からも好かれクラスの人気者。
ミッキ-を中学から知ってるズカ。一見笑顔だが実は装ってるだけで冷静そのもの。彼の仲良し 京くん。スッゴク真面目で地味で自分に自信のない彼。
そして、予測不能の行動をとるパラ。回りのことを一番気にしているが自分の心は清んでないと思い込んでいる。
最後が、内気で控えめで大人しいエル。彼女だけが人の恋心の方向が見える。
どうも気になる人がいて。どう思ってるのか・・・気になって気になって。
自分が見えている能力と、他人が持ってる能力が少しずつ違う。
言えない秘密を抱えたまま、修学旅行に行く5人。
甘ったるい学校伝説があり、修学旅行で二人っきりの時に相手に鈴を買って渡すと生涯仲良く成れるそうな。
そんな事を真に受けて、鈴を渡す事に本気で悩む彼等。
果たして、5人のお互いの想いの行方は・・・
教室の視線と、演劇ショウと、修学旅行の鈴と、そして図書館での回し書き~
そして追いかけた告白の行方がはじまって行く~
ミッキーの思いは京くんへ届くのか。
パラの想いは。そしてエルの願う京くんとは。
ズカのみせる本当の優しさとは。
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まぁ、中々な心情流れを感じましたわ。
とっても初々しい5人は本当に素直なんだと思う。
”青くて痛くて脆い”の作品でも感じたんだけど、どう言う想いで相手が(他人が)いるのか。自分の思いが不完全で居る状態。なんとかしたい 今のこの感じを
コレを打破したい・・・思い。
住野 よる氏の作風の良さは これなんですよね。
・キミスイでも感じさせてくれる 気弱な彼に魅せるあの強引さの彼女像。
・アオモロで感じた 本当は自分の心の庭に囲っていた彼女が段々離れて行ってもう届かない存在と心に芽生えた憎悪。ソレを乗り越えて取り戻す素直さ。
・今作かくしごとの 今一歩前に出れない彼が最後追いかけて話し出す言葉と、それを受けた彼女の嬉しそうな顔に変わって行く表情。
・修学旅行で倒れたパラ。その部屋へ来たズカがパラへ
心の底に深く潜んでしまって要る彼女に、
自分らしく思いが言葉に出来るって事の強さを 素直に褒めた事(勇気付ける)事でパラ自身が 涙が溢れてくるところ。
この場面表情は 彼女(菊池日菜子さん)、凄く良かったと思う。
・ミッキ-の図書館で別れ去って行く所。
回し書きの中で、思わず 声にする感情 ”ごめん”ってどういう事なの?
あの時の出口夏希さんの涙は美しかったね。
恋愛事に十分慣れ親しんだ お姉様以上の女性は なんじゃこんな展開~って、
それだけかと肩を落とすかも知れません。
でも 振り返ってみて欲しいのですよ 自分を。
初めての 最初の最初。相手の人の気持ちって全く分からなかったでしょう。
あの頃、どうやって 言葉に態度にしていいかも 分からなかった。
そんな思いを 丁寧に表現(演出)している住野 氏らしい作品だと思いますね。
ラストに流れる、ちゃんみな「I hate this love song」が
余韻を盛り上げてゆく。
ご興味ある方は
是非 お友達誘って
劇場へどうぞ!!
ファンタジーと出口夏希力
奥平大兼と出口夏希、二人とも最近気にしている若手。今回奥平大兼は受け主体で見せ場は無かったが、出口夏希がとにかく魅力的。(後で秘密は明かされるが)外見的には明るくて気が利く非の打ちようが無い学園の人気者が無理なく演じられるのは容姿だけでは無く細かい演技力も加えた出口夏希力の賜物。筋的に学園ものにありがちな悪者や親兄弟は一人も出さず、主要5人だけの相互の関係と思いに絞ったところはとても見やすい筋になっていたと思う。
反対に、これだけの人気者は周りが放っておかないんじゃ無いかと思ったりして。最近の高校生事情はよくわからないけど、「優しくて他人思いだけど口下手ではっきりしない男をクラス無双の人気者が密かに思い続ける」というところは男の理想、「色々見えてしまう」のとは違う意味でのファンタジー的世界観ではある。
とはいえ、作品世界の中で矛盾なくまとめられている点、ウェルメイド至上主義のマタゾウが高得点を与えることに何の躊躇もないのである(キッパリ)。
助演の三人も大小あれどそれぞれに見せ場が準備されていて、楽しい映画でした。
思春期にはいろいろあるよ
これラストに『実は、ミッキーは京くんが好きでした』ってやるんだけど、「そんな描写、ここまで全くありませんでしたからね!」って気分になんの。なんか突然、ミッキーが京くんのこと好きだよね。
よくよく振り返ると京くんは宮里ちゃんと話すとプラスに振れるってところで、ミッキーが少し残念感だす描写はあったけど『そこで描写したから良いでしょ』ってことにはなんないよ。
それで宮里ちゃんが『決定的な何かがあったわけではなく、(ミッキーは京くんに)少しずつひかれていった』って解説入れてくるんだけど、それで無理矢理感は消えないよ。
オープニングから、京くんとミッキーの能力が明かされるところまでは面白いんだよね。
二人とも能力があるが故に、気持ちを読み間違っちゃうところも良かった。
イケてるミッキーに対して、京くんのイケてなさもスゴイね。衣装もちょっとヤボッたくしてるし。そしてなんといっても奥平大兼の演技がすごい。キラキラした芸能人がここまで冴えない男子高生の演技ができるとは。
そこから『実はパラも……』ってやるあたりでダレるね。「どうせ皆なんか能力持ってんだろ」って気分になるの。最後は誰の能力で話のケリつけんのかなって、興味はもうそこだけ。
パラ、ヅカの能力を紹介してくんだけど、話者も変えてることもあって、物語の軸がボケるんだよね。京くんはミッキーを落とせるのか?ってのが主軸だと思うんだけど、どっかいっちゃうの。少しでもそれを避けるために、ヅカの能力はほぼ全カットだけど、それでもボケるね。
そして宮里ちゃんの能力紹介。
恋愛物だからね。宮里ちゃんの能力あったら、他はいらないよ。最初からこれ紹介しろって。
そして唐突にミッキーと京くんが結ばれ、めでたしめでたしと。
なんか作品テーマとして「別にイケてなくても、周囲の人に対して気をつかえれば、イケてる女子のカレシになれるよ」ってのを感じたな。そんなことねーよ、現実は、と思ったな。
みんな「何かが見える」っていう能力を持ってるんだけど、思春期のときって「誰が誰を好きだろう」って、見える気するよね。そして作中の能力のように読み間違う。
みんな、何かが見えた気になって、行動やめるんじゃなくてさ、聞けって、直接。そういうことだな。それができないから、色々と物語があって面白いってところもあるけど。
そんなわけで、話のヌルさは気になったけど、役者さんはみんな良くて、それを観られただけで良かったよ。
出口夏希と奥平大兼は《赤羽骨子のボディガード》で共演してて良かったから、この作品観ようと思ったんだよね。そして良かった。なんでラウールは呼んでもらえないのさとも思ったけど、まあ、キャスティングの基準、そういうことじゃないだろうしね。
私、見えるんです‼️
これまた青春の映画の秀作ですね‼️人の気持ちが!や?、シーソー、数値、♢♧♤♡、→などで見えてしまう、ちょっとミュータントな高校生の男女5人の物語‼️引っ込み思案な高校生・京、クラスで人気者な女子ミッキー、京の親友でミッキーの幼なじみであるヅカ、ミッキーの親友でマイペースのパラ、内気で不登校気味のエル‼️そんな5人のそれぞれの思いを活写しながら、修学旅行や演劇祭、受験勉強や進路など、ティーンエイジャー特有のエピソードを交えて微笑ましく描いてます‼️この作品の成功の要因の一つはキャスティングでしょうね‼️京に扮する奥平大兼やミッキーの出口夏希はもちろん、パラ、ヅカ、エルの三人もホントに魅力的‼️私的にはパラ役の菊池日菜子ちゃん推しです‼️演劇祭でパラがミッキーを助けるシーン‼️修学旅行のホテルでパラとヅカがお互いの気持ちを話し合うシーン‼️図書室で京とエルがメモ紙で会話し、そこへミッキーが加わるシーン‼️そんな瑞々しい名場面に、各々の人の気持ちが見えてしまう能力が視覚的に上手く活かされていてホントに新鮮ですね‼️そしてタイトルの最後に 」がないのは、自分の気持ちを隠してはいけない、きちんと相手に伝えよう、というこの作品のテーマを表してるのでしょうか⁉️後日談を配信でもいいから観たいですね‼️
しつこく
筆談を繰返すのと、どこまでネガティブ?って所はイライラしましたが、矢印のスタンド能力にはちょっとうるっと来ました。
スタンド使いが5人も居ると、仲々まとめ方が難しかったんだろうと推察。日本語字幕付きで更に混乱。
出口さんと早瀬さんの黒子美少女ぷりも良かった。
QRコード表示は何秒だったのだろう。
新潟市民のための映画
新潟市内が撮影場所だったため、公開日に劇場へ。
新潟商業、どっぺり坂、白山駅からやすらぎ堤、カミフル、ほんぽーと。
修学旅行以外は新潟が散りばめられた作品。
内容は好き嫌い分かれるかな。
キャストは若い女の子向け。年齢が上がるほど男性には受けないだろう。
でも原作を読んでいなくても、斬新な設定は楽しめる。
全体に落ち着いたトーンで進む雰囲気も〇。
自分は嫌いじゃないです。
ポスター上段のキャッチコピーについて思うことなど。
ポスター上段中央のキャチコピーは、
「君の秘密を知ったとき、純度100%の涙が溢れ出す」
となっている。
ところで、原作には、
「自分の心を押し込めてまで好きな人の幸せを願うパラ」 という部分があり、これに、パラが好きな人はミッキーであること、更にパラは、ミッキーと京がお互いに好きなのに言い出せないでいるのを知っている事の2点を加味し、改めて原作のこの文言を変換して読むと、
「ミッキーのことを好きという心を押し込めてまで、ミッキーの幸せを願うパラ」
というふうに読める。 (原作単行本、エルの章 239頁)、
そして、これがパラの秘密であり、ポスターのキャッチコピーがパラのことを言ってると解釈して読むと、
「君(パラ)の秘密を知ったとき、純度100%の涙が溢れ出す」 が、とても素晴らしいキャチコピーに思えてきて、確かにこれなら純度100%の涙が溢れ出てきてもおかしくはないな、などと思うのであった。
とても分かりずらくなってしまったが、早いはなしが、
パラはミッキーが好きなのに、その気持ちを押さえてミッキーの幸せを願うなんて、スゲー泣ける話じゃないかという事であるヨ。
実は初めてこのキャチコピーを読んだとき、原作を読んでいた僕は、「 え゙え゙ー、泣くような内容だったっけ ? まー、泣くツボは人それぞれだから、人によっては泣いてもイイけどな」などと思いながらも、確認しようと図書館で借りて久々に読んでみた。
結論としては「わしゃあ泣かないな、心暖まるけどな」であった。
しかし、僕はこの結論を後でくつがえす事になる。ネット検索でパラが好きな人がミッキーだと知ったからだ。
原作を初めて読んだとき、そして今回久々に読んだときも、僕にはパラが好きな人が分からなかった。パラ→ヅカ,パラ→エルは、どちらも100%有り得ない。
そこで今回はネットで調べてみた。
話は脱線するが、
「最近の若いヤツは分からないことが有ると、とにかく正解を欲しがって、自分の頭でじっくり時間をかけて考えることをせずに、すぐネットで正解を探そうとする。そーいったタイパ重視の近頃の傾向はいかがなものか?」なんて非難めいたことは、とても言えた義理ではない。
僕も分からないことが有ると、サッサとネットで正解を探す。
いつの間にかタイパ重視の世間の風潮にスッカリ流されて、もみくちゃにされとるわい。何てコッタイ (^^)。 (脱線終わり)。
話は戻って、
ネット上には、パラ→京 という意見もあったが、僕は違うと思った。更に調べていくうちに、Yahoo!知恵袋かなんかで、パラが好きな人はミッキーだという意見があって、パラ→ミッキーという前提で原作を読み直すと、もうパラ→ミッキー意外には考えられないぐらいミッキー一択である。
で、「パラはミッキーのことが好き」となってくると、「わしゃあ泣かない」という結論もくつがえる。
つまり、パラはミッキーが好きなんだけれども、ミッキーは他の人が好きである。 だからパラはミッキーの幸せのために自分の気持ちを抑えて身を引くという事だ。 えー、これってチョット切なくて泣けない?
まあ、好きな人の幸せのために自分は身を引くってのは、昔っからよくあるパターンで、切なさに泣けてくるってやつである。
そー考えてくると、映画ポスターのキャッチコピー「君の秘密を知ったとき、純度100%の涙が溢れ出す」ってのも、あながち間違ってもおらんのかな、などと思うのであった。
ドラマやアニメでLGBTQのL(レズビアン)の人が当たり前のように出てくる現在、消去法で残ったミッキーがパラが好きな人という結論にたどり着きそうなもんだが、女子が好きなのは男子だというという僕の思い込みで、パラ → ミッキーは完全スルーだった。
映画では終盤に、パラからの長い矢印が曲がりながらミッキーに行く描写があるから明らかだけど、原作しか読んでない人でパラ→ミッキーにたどり着いた人は少ないように思う。
(ホントはパラ→ミッキーにたどり着けなかったタコ仲間を増やしたいので、そう思おうとしているだけである (^^)。)
蛇足だが映画だけの人は、エルは京に片思いしてるのではとか、ヅカはミッキーが好きなのではと思ってる人が相当いそうな気がする。だけど、未来ではどうなるか分からないが、原作と映画の時点では100パー有り得ない。
このことは、小説をあまり読まない僕でさえ勘違いしようがないぐらいシッカリ原作に書いてある。映画でもエルと京の関係、ヅカとミッキーの関係の設定は改変されてないように思えた。
あと原作のエピローグがらみの部分が映画の後半にあって、ミッキーがパラに鈴を渡す場面で、パラがミッキーをLの世界にお誘い(?)みたいな感じの会話があって、何かニヤっとしてしまった。
「こらこらパラ、イタズラ心を起こすんじゃない。ミッキーと京の幸せを願うんじゃろう?」
ただ、原作でも映画でも抽象的なセリフだし、Lへのお誘いだと言おうと思えば言えるという程度である。
初日に鑑賞したのだが、最初は出口夏希カーイイから来週にでも見に行くかと思っていた。
だが公開2、3日前に、監督・脚本が 「少女は卒業しない」(個人的に天下の名作)、「カランコエの花」 (個人的に映画史に残る不朽の名作)の人だと知って、初日での鑑賞に変更。
いやー、日本映画にまた1つ名作誕生である(個人的に)
通常は見えないものが「見えてしまう」特殊能力を持った主人公。ホラー映画によく使われる手法が、あらぬ方向に展開していく絶妙な面白さ
現作厨の私が原作を読まずに劇場版を観に行ってレビューを書いていることをお許しください・・・と、原作者の住野よる先生に謝ってからのレビューですが、やはり住野先生の作品は読んでも映像化しても、とにかく作品を受け取る側の心をやさしく包み込んでくれる良い作品ばかりです。最近はテレビ局が制作に関わっている劇場版作品が多いですが、この作品はドラマ制作に慣れているTBSが手掛けているのも成功の一因だと思います。
基本編の予告映像では、特殊能力を持っているのは主人公の「京」だけだと思っていたら、京を囲むクラスメートにも他の特殊能力がある事が判ってくるドキドキ感が楽しいんです。このキュンとした気持ちが本編の中心になっている事が、心のベクトルは違っても君膵と同じ青春の甘酸っぱさを感じさせてくれるのです。君膵では大泣きしましたが、本作ではクスッと笑ってほっこりしていました。
ラストに近くなってきた教室のシーンで、京とミッキーがベタベタし過ぎない良い感じの付き合い方をしているのがとても良いですね。エル視線で二人の関係性を「もっと面白い矢印」で表現していたら、最後の最後でゲラゲラ笑えたかも知れないです。叶う事なら続編が観てみたくなる良作でした。
読めそうで読めない恋愛模様
人の気持ちを記号化して、相手の気持ちが読める男女の高校生の物語ですね。けれども、相手の心の中まではなかなか読めないものだなと思いました。
出口夏希さんの演技は、なかなか引き込まれるものがありました。
ラストのパラ(菊池日菜子)の心の中がもっと知りたいです。
【"素直になれなくて。そして恋の矢印。”今作は友人を思い遣りながら、自分の恋心を想い人に素直に伝えられない心優しき男女高校生達の姿を描く中で、人を愛する事の辛さや素晴らしさを描いた作品である。】
■大人しく、自己肯定感が低いが心優しき京(奥平大兼)。彼は、いつも明るくてクラスの人気者のミッキー(出口夏希)の事を、密かに好きなのだが、”自分なんて”釣り合わない。”と思っている。
そして、彼は移動教室で、隣の席に座った宮里(早瀬憩)に軽い気持ちで”シャンプー変えたでしょ。人気のモノに。”と言ってしまい、宮里は学校に来なくなってしまった苦い過去があった。
更に、モジモジ京の周りには相手の気持ちを察する事に長けたヅカ(佐野昌哉)や、同じく相手の気持ちを察する事に長け、且つクラスの中心で機転も効くバラ(菊池日菜子)が居て、皆、仲良しなのだが、5人は少しだけ他人の心の機微が見える能力を持っていたのである・・。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・原作は読んでいたので、どのように描いて行くのかな、と楽しみにしていたのだが、いやあ、映像で頭の上にビックリマークや、”・・・”を可視化したり、鼓動の速さを数字で表す斬新な映像演出にはヤラレマシタね。
・京と同じく自己肯定感の低い宮里が、シャンプーを変えた事を彼に言われて、ドンドンネガティブ思考に陥って行くシーンの黒い矢印が、ザー!と現れる映像演出も凄かったよ。
・一方、心優しき京の事が好きな(見ていれば、分かるよね!)ミッキーが、”アタシ、どこか変わってない?”とキラキラした目で京に聞き、彼がオドオドとシャンプーの事を告げた時のミッキーの頭の上のビックリマークの大きい事ったら!そりゃあ、嬉しいよねえ。且つ、彼女のポジティブさと京への強い想いが分かるのである。
・面白かったのは、似たモノ同士のヅカとバラの、修学旅行先での二人っきりでの部屋での会話かな。”俺の事が嫌いでしょ。””嫌いって言うより、・・。”可愛い同族嫌悪カナ。
・ミッキーが、勝手に京が宮里の事を好きだと勘違いしていて、二人が学校図書館で紙に”おはよう”と書いている所に、意を決した表情で現れて紙に自分の京への想いを書くシーン。
京はその言葉に対し、”ゴメン”と書いてしまうのだけれども(心の中で、何やってんだ!と苛つく私が居た。)、宮里は京に”後を追って行かなきゃ駄目だよ!”と、ミッキーの背中から京に向けられて伸びる恋の矢印を見て叫ぶシーンは、ハラハラしたなあ。
・そして、京はミッキーに自分の想いを告げるのだけれども、このシーンで敢えて”その風景だけ“を映す手法はナイスだと思ったな。
そして、モジモジだった京とミッキーは、教室の中で仲良さそうに、お互いに恋の矢印を向け合って話しているのである。
その姿を教室の入り口からコッソリ見ていた宮里とヅカとバラ。
そして、バラの胸から伸びる恋の矢印の行き先の人が分かるシーンは、ちょっと切なかったな。
彼女がミッキーから修学旅行の時に二人だけの時に渡すとずっと一緒に居られるという鈴を貰った時の、ミッキーが”皆に上げたんだけどね。けど、バラには二人だけの時に渡すんだよ!”と言われた時の複雑な表情が、思い出されたシーンだったからね。
<今作は、友人を思い遣りながら、自分の恋心を想い人に素直に伝えられない心優しき男女高校生達の姿を描く中で、人を愛する事の辛さや素晴らしさを描いた作品なのである。悪人が一切出て来ない、ちょっと切なくて涙が滲む作品でありました。>
欲しいチカラ
登場人物5人の不思議な力。
気持ちを読み取るチカラ。
「!」「?」「・・・」みたいな気持ちが頭の上に見える京(奥平大兼)。
胸元にプラスとマイナスのシーソーが見えるミッキー(出口夏希)。
心拍数(リズム)が見えるパラ(菊池日菜子)。
喜怒哀楽がトランプの記号として頭上に見えるヅカ(佐野晶哉)。
好きな気持ちが胸元からの矢印で見えるエル(早瀬憩)。
そんなチカラを持ちながら、持っているからこそなのか、人間関係? 人との距離感・接し方に悩んでいる様子。
個人的には、ミッキーとヅカとエルの3人のチカラを同時に持てれば、人間関係に悩むこともないように思える。あれは欲しいなぁ。
見間違いでなければ、男子は頭上に、女子は胸元に チカラが現れるのだけれど それは何かしらの意図・設定によるものだろうか。
前に本で「男脳と女脳の違い」について書いているモノを読んだけれど、そういうモノだろうか。
最近の青春映画にありがちな無駄にいちゃつくシーンとか、演技もりもりな芝居とか変顔演技とかもなく、とてもいい感じに見終えることができた。かなり爽やかな感じに終えたと思う。
それでも、強いて難を言えば、映画は、不思議なチカラを持っている5人の「自分はこんなチカラを持っている」という打ち明け話しをつなげていくのだけれど、そのキャラクターの話しの時は、かなり頻繁に そのチカラが表す記号やシーソーとかを見る演技を見せてくれるのだけれど、他のキャラクターでの話しになると、まるでそのチカラがないような振る舞いをしていた。見えているモノを見るという演技が足りなかった。
たとえ、そのチカラが見せるマークやシーソー、数字、矢印を イヤで見たくなくても、本人の意図とは関係なく出てくるのだから、そこに目が行ってしまわないだろうか。
自分なら、イヤだったとしても 不意に見てしまうだろうと思う。
無意識に見てしまうと思う。無意識ゆえの視線の動き、大きく言えば目の動き、顔の傾きなど、そういう演技が欲しかった。
個人的な趣向で言えば、学園祭のヒーローショーはとても楽しめたし、そのラストのパラの行動とセリフは一番かっこいいと思えた。
ヅカの話しが まるで「ついで」のように短くまとめられていたけど、佐野晶哉のちょっと潤んだ眼の演技が印象に残った。
見えてしまう君の心。
クラスで優しく周りからの人気者の女子・三木直子(ミッキー)、…が気になる引っ込み思案の大塚京(京)と、その京の親友・高崎(ヅカ)と、三木といつも一緒にいる黒田文(パラ)と、突然学校へ来なくなった宮里望愛(エル)の話。
京は!.….?.、ミッキーは心のバロメーター、ヅカは♡.♠️.♢.♣️、パラは1.2.3.4、エルは←↑↓→と、それぞれ違う見え方で気持ちが分かってしまいながらも送る学校生活と恋を見せてく。
始まって早々から好みの作風で観始めるけれど、京目線から見える頭の上の?、!で見える人の気持ちに少し安っぽさを感じつつ、観進めればなるほど!
他人から見れば完璧に見えるけど個々に悩みはあったり、少し謙虚すぎて前へ進まない進めない関係性だったりと見せていくけれど。
終盤ラストの図書室の「ごめん」を機に走り去る三木、“追いかけな”と背中を押す宮里、三木を追う京のシーンで流れるBGMと京との思い出の回想と京への想いのナレーションには泣かされた。
宮里が京へ送る視線がずっと切なかった。早瀨憩さんにはもっと色々な作品で活躍して欲しい!女性として女優としても魅力的!
特殊能力の設定がなかったとしても、それぞれの感情がすれ違う群像劇として、十分に楽しめる
相手の感情が、固有の記号によって表示されるという特殊能力の設定は面白い。
ただし、せっかくの特殊能力も、特に、恋愛の場面で十分に活用されているとは思われず、果たして、こうした設定は必要だったのだろうかという疑問も残る。
最後で描かれる、好きな人が矢印で見えるという女子の能力は別にして、他の4人の能力については、どれも感情の表示のされ方が中途半端で、あまり、便利な能力とは思えないのである。
これだったら、そうした特殊能力の設定がなくても、十分に物語が成立したと思えるし、逆に、こうした設定にするのであれば、「特殊能力を持っているがゆえに、自分が思いを寄せている相手の気持ちを見誤ってしまう」といった展開を、もっと強調するべきだったのではないだろうか?
男女5人のそれぞれの主観で描かれるオムニバス形式の構成については、群像劇として分かりやすいし、メリハリがついていて楽しめる。
ただし、相手の鼓動が見える女子の視点で語られる修学旅行のエピソードは、やや冗長でテンポが悪く、「あと2人分のエピソードを描くのなら、上映時間が足りないのではないか?」と心配してしまった。
案の定、相手の感情がトランプのマークで見える男子のエピソードはあっという間に終わってしまい、物足りなさしか残らなかったので、5人のエピソードは、もっと同じ比重でバランス良く描いてもらいたかったと思えてならない。
相手の気持ちが「!」と「?」と「•••」で見える男子を演じた奥平大兼は、相変わらず眠たそうで覇気が感じられないのだが、卑屈で煮え切らない姿にイライラさせられるキャラクターにはピッタリで、そういう意味では好演と言えるのだろうか?
ただし、出口夏希が演じた、相手の気持ちが「+」と「−」のバーの傾きで見える女子が、彼を好きになった理由については、今一つ説得力が感じられないのだが•••
生きる指針と糧になる映画‼️❓
5人の高校生がそれぞれ記号で人の気持ちがわかる超能力を前提にしてるけど、テーマは深い、他人への繋がり方、自分の気持ちをどんなふうに行動に結びつけるのか、深すぎて答えが見つからない。でも、映画では5人とも誰がヒロインとか主役とかで無く、それぞれ個性的で、演じるんじゃ無くて真摯にそのものを生きている感じ。特にパラには引き込まれたな、エルも凄い、ミツキーも魅力的。奥平くんは前から凄いけど、もう1人の彼も存在感が半端ない。学園ものなんだけど全ての人に、儚くて、萌えて、悩ましさ、切なさ、そんな感動が得られる。それでいて問題提起もされていて生きる上で勉強になる。こんなに痺れるのにほのぼの出来て、心に楔を打ち込まれる、なんか名作だな、予想外にもうけたな、最高の映画🎞️🎟️全ての人に、是非
面白いんだけどちょっと惜しかったかな…でも面白い❗️
以前、映画にもなった「恋は光」と似た感じなのかと思ったが、それをさらに複雑化させたストーリーで、この発想としては面白いと思った。
ただ、最初の方で能力が明らかになった人が、後半になるにしたがってほとんどその能力が表示されなくなり、新しく能力が明らかになった人ばかりがクローズアップされて、もっと重層化して、お互いの能力が矛盾や摩擦を生むようにしたら良かったのになぁ。実際はそういう事があったかとも取れる場面もあるが、それならそれでもっとハッキリさせてほしかった。
でも高校生って、あんなにキラキラして眩しいほどに輝く時代だったのかと、かつての青春時代を思い出して後からしみじみ思ってしまう…森田公一とトップギャランかよ😝
出演者がみんな可愛くて元気があって大変よろしい😁
※一週間でネタバレは解除します。
心を表すものは多彩で、その一部が見えていてもわからないことだらけだ
2025.5.30 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(115分、G)
原作は住野よるの同名小説
人の気持ちが見える高校生のジレンマを描いた恋愛映画
監督&脚本は中川駿
物語の舞台は、関東圏にある清鈴高校(ロケ地は新潟県新潟市)
高校2年生の京(奥平大兼)は、人の気持ちが「!」や「?」で見えてしまう能力を持っていたが、自分に自信が持てずに、想い人・ミッキー(出口夏希)から距離を置きたいと考えていた
京には親友のヅカ(佐野晶哉)がいて、彼はミッキーの幼馴染だった
ミッキーには親友のパラ(菊池日菜子)がいたが、彼女はミッキーとヅカが付き合うのは絶対嫌だと思っていた
ある日のこと、ミッキーは執拗に「何かわかる?」と意味不明なことを言い出し始めた
京はそれがシャンプーを変えたことだとわかっていたが、2ヶ月前のことがあって、それを言えずにいた
それは、隣に座っていたエル(早瀬憩)にそのことを告げた翌日から、彼女は不登校になってしまっていたからだった
京は思ったことを口に出すとロクなことにならないと思っていて、ミッキーの意味不明な質問をずっとはぐらかしていた
物語は、学校外でミッキーと遭遇した京が、彼女にシャンプーのことを告げるところから動き出す
実のところ、ミッキーはエルと交流があって、京にシャンプーのことを言われたことを気に病んでいた
エルは自分に自信のない女の子で、自分なんかが流行りのシャンプーを使っているなんてと考えていて、それで京に嫌われているのではないかと思い込んでいた
そこでミッキーは、エルと同じシャンプーを使って京に近づき、彼の気持ちを確認しようと考えていたのである
映画は、予告編ではうまく隠しているように、5人それぞれが色んな形で相手の気持ちが見える能力を有している様子を描いていく
京の章から始まって、ミッキー、パラ、ヅカ、エルへと続く物語は、高校2年生の2学期ぐらいから、3年生の春先まで続いていく
そんな中で、京とミッキーがどうなるかと言うのが主軸になっていて、見えることによって一歩引いてしまう彼らのジレンマというものを描いていた
京は気持ちの浮揚が見え、ミッキーは心のバランスが見える
パラは鼓動の速さが見え、ヅカは喜怒哀楽がトランプのマークになって見えている
そして、エルは「好意の矢印」が見えて、それがどこにつながっているのかがわかってしまう
それぞれは、自分に向かうもの、自分自身のことについては可視化できないようで、それでいて、悩みが深刻になっているように思える
映画のタイトルには「かくしごと」のそれぞれの間に「」があるのだが、最後の「と」のあとにも「がある
これの意味するところは、彼らに見えているものは一部であり、もっと複雑なものを人は抱えているというものに思える
また、別の見方をすれば、解放された「」であり、外側には丸見えである、とも取れる
ミッキーにしろ、京にしろ、二人がどう思っているかというのは3人ともにわかっていて、それでもうまくいかないジレンマに陥る2人を見てモヤモヤしてしまう
そう言った先にある「見えなくても面白い」というミッキーの心は、京の固定概念を吹き飛ばしてしまうのである
いずれにせよ、青春のややこしい時期に悩みを抱えている人たち向けの映画で、大人にとっては通り過ぎた過去のように思う
彼らもいずれは見えているものの虚飾に悩まされるようになるし、徐々に見えていたものが信じられなくなったりするかもしれない
また、成長と同時にその能力が失われる反面、自分のことがわかるようになっていき、名実ともに大人になっていくのかもしれない
ある意味、瞬間的に起こる自己肯定感の低さというものが生まれる時期でもあるのは、将来というものが不確かで、想像力に限界があるからだと思う
だが、そう言ったものを超えた先に大人の世界というものはあるので、彼らが成長したあとに大人の世界で何が見えているのかも気になるところだろうか
きっと、学生時代はゆるかったと思えるぐらいに過酷だと思うので、卒業と同時に力が消えたら良いのになと思った
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