「昭和の残り香と、木村拓哉の静かな成熟が支える「人生の残照映画」」TOKYOタクシー こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
昭和の残り香と、木村拓哉の静かな成熟が支える「人生の残照映画」
本作を観ていると、物語そのものの起伏よりも、そこに存在する「人間の時間」がじわじわと迫ってくる。84歳の倍賞千恵子が演じる老女の、あの立ち姿、あの声の震え、あの少しゆっくりした呼吸。作り物ではなく“人生の重さそのもの”がスクリーンに染み出していて、観客は彼女の言葉を聞くというより、彼女の時間を共有させてもらっている感覚に近い。演技というより、存在の説得力。これだけで映画が成立してしまうのだから、本作はある意味でズルい。
そして木村拓哉。ここ数年で彼が纏うようになった「力みのない大人の余裕」が、この映画で見事にハマっている。かつての“主人公然とした木村拓哉”ではなく、相手の人生を静かに受け止める“聞く側”の演技ができている。無駄な感情を乗せず、距離を詰めすぎず、沈黙を大事にし、相手の話を遮らない。演技の熱量を一段引いたところに品が宿っていて、「自然な紳士」という言葉がこれほど似合う木村拓哉は初めてかもしれない。彼の成熟そのものが、この映画の温度を決めている。
ただし、物語構造は正直いびつだ。人生の終盤を描く映画にありがちな“死の気配”の伏線が弱く、いきなり訪れる死と、その直後に提示される遺産相続があまりにも急で、観客を感情の橋から落としてしまう。原作『パリタクシー』では、都市の冷たさや人生の終わりがじわじわと積み上がり、最後の別れに向けた心の準備ができる。しかし日本版は、良くも悪くも“情緒優先の昭和文法”で、物語の最後を整えるためのイベントが急に降ってくる。ここはどう考えても弱点だ。
また、「ロードムービー」のように宣伝されているわりに、旅の必然性や外界との衝突がほとんどない。東京から葉山まで移動しているはずなのに、外の世界の温度が物語に入り込まず、タクシーは旅を運ぶ器ではなく、ただの密室として機能している。旅は人を変えるものではなく、この映画では“語りを運ぶ背景”に過ぎない。この点は完全に原作との差で、都市のザラつきや傷が削ぎ落とされてしまったことで、映画が持つ社会性の部分が薄れてしまった。
とはいえ、本作を単に物語構造の粗さで切り捨てるのはもったいない。むしろこれは、昭和から平成を生き抜いた二人の役者が、その人生をスクリーンに刻む“残照の映画”だと思う。劇的な展開があるわけでも、深い社会批評があるわけでもない。ただ、老いていくということの寂しさと尊さを、倍賞千恵子の身体が語り、木村拓哉の成熟がそれを静かに受け止める。それだけで充分に胸に残る。
美しい映画とは言えない。完璧な映画でもない。けれど、人生に寄り添う映画だった。そういう作品を、たまには観てもいい。
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この作品を鑑賞して山田洋次の今までの作品を調べていたら、なんと本作で90本目になるそうです。今年で94歳になったので、テレビやYoutubeよりも映画が娯楽だった昭和の最盛期には、年間4~5本は映画を作っていた計算になりますね。
そんな大巨匠が作った映画ですから、昭和生まれとしては残り香がたまらなく嬉しく感じます。帝釈天がスタート地点というのも粋だと思いますが、欲を言えば老人ホームは金沢八景の太田屋付近の設定で、釣りを絡めた一捻りがあったら最高だなと思いました。
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後部座席で寝ている時間帯も必要なんじゃないですかね。横になってもいいですよとキムタク、嫌だと倍賞さん、そして助手席へという様なシーンが在っても・・何よりトイレ休憩しなさいよって。
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