「ラストシーンは山田洋次版に軍配。だが」TOKYOタクシー 島田庵さんの映画レビュー(感想・評価)
ラストシーンは山田洋次版に軍配。だが
原作パリタクシー(原題 Une belle course)は、
今年2月にアマプラで観た。
日本版:山田洋次バージョンTOKYOタクシーは、
ごく日本的になるのは十分予想できて、
原作のエスプリは消え去るんだろうなぁ、と危惧したので、
観るのをためらったんだけれど、
ほかに観たいものがない(もしくは観たいものの都合が合わない)ので、観てみた。
そしたら、
「パリタクシー」で唯一、それはリアリティなさすぎで杜撰だろう、と思ったラストシーンに、
リアリティをもたせてて、さすが、と思ったし、
倍賞さんも木村さんも、
絶妙な演技がよかった
んだが。
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日仏の映画文化の違いというか、
邦画の説明過剰と浪花節は、
どうにもならない宿痾なんでありましょうか。
日本版は、
個々のエピソードはかなり原作をなぞっているんだけれど、
観客に親切というか、
たとえばキムタクの娘の高校の入学金の話を、
何度も蒸し返してくれる。
――くどい。
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日仏の女性解放運動の歴史もまた、
映画の違いに影響してる。
マドレーヌの裁判の時は、裁判所の外から
「マドレーヌに自由を!」という女性たちのシュプレヒコールが聞こえ、
裁判の妨げとなるほどだったのに、
すみれさんの場合はそんなことはない。
これは日仏の、たどった歴史の違いというしかないので、
映画でもどうしようもなかったんだろう。
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また、
マドレーヌが惚れた男2人は、
ナチスドイツから解放してくれた米兵と、劇場で働いていた時の役者。
どっちも、うら若き乙女が惚れちゃう必然性たっぷり。
だが日本版では、
2人の男になぜ惚れたのかが、まったく分からない。
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最悪なのは、
葉山に着いた時、すみれさんが「ホテルに泊まりたい」と駄々をこねるというシーン。
せっかくのそれまでの格好良さが、台無し。
もちろん、マドレーヌはそんなことは言わない。
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なにはともあれ、
同じ話でも別の文化に移しかえるのは難しいと、
思った次第であります。
それでもラストは、
話が分かってるのにもかかわらず、
まんまと泣かされてしまったんでありますが。
