「バイキンマン、股間を焼かれる(汗)」TOKYOタクシー Immanuelさんの映画レビュー(感想・評価)
バイキンマン、股間を焼かれる(汗)
印象に残ったことは、倍賞千恵子さんの演技が良かったことです。まるですみれさん本人が、演技ではなく素で語っているかの如くある意味”自然”。すっとこちらに入ってきます。
キムタクさんは、最初は不器用な感じのタクシードライバーを演じていましたが、途中からキムタク。やっぱり…ですが、悪いとは言いません。キムタクさんらしくない演技を、誰も、特にキムタクさんファンは望んではいないのです。山田監督もそれを望んで配役したのでしょう。キムタクさんはいつものキムタクさんの感じでやってね…みたいな。
さて、私は途中から何だかこの映画はラジオドラマのようだな…と思いました。なんでだろうと自分でも思いましたが、途中蒼井優さん演じる回想劇などもありますが、お話のストーリーがタクシーの中の会話中心であることからそもそも絵的に地味という問題があります。言い過ぎかも知れませんが、要は、音声だけで成立してしまうのです、お話的に。ですから、わざわざ映画館のスクリーンで見なければならない必要性は特にない気もしてしまいます。
さてそんな今作ですが、お話の筋立てには若干ムリがあるかなあと思いました。
私がちょっとこれは…と思ったのは、蒼井優さん演じるところの若き日のすみれさんが、DV夫の股間をアツアツ油で焼いてしまう所でした。なんで股間?みたいなところは、夫の過剰な性欲がイヤだったという解釈で良いとしても、そんなに嫌だったら逃げた方が良いのでは?と単純に思った次第。なぜ計画的に復讐したのかが気になる所です。
DV夫を、殺したいほど憎くなる理由は”子供を虐待したから”が主であるのでしょうが、DV夫がサイコパスで一方的に”悪”なのでしょうか。もちろんDVは良いことではありません、それは絶対そうです。しかし良いことではありませんが、それには理由があるのではないでしょうか。なぜ理由を考えるのが必要なのでしょうか。それは、理由がわかれば予防もできるかも知れないし対処ができるかも知れないからです。
すみれさんにとっての”一番”は、今目の前にいる夫ではなく、以前の恋人の子供だったのです。もしかしたら裏を返せば以前の恋人が”一番”だったのかも知れない。DV夫もそれに気づいていたようであります。好きで結婚した女性の心の中に、自分ではなく過去の幻影がある。朽ちることもなく汚されることもない神格化された”偶像”の男性がいる。そんな偶像に勝てるはずがないのです。
DV夫の苦しみはどれほどのものでしょうか。DVをすることは、DV夫の”戦い”なのです。幻影としての過去の恋人との戦い。幻影とは戦えないので、代償としての目の前にいる子供がターゲットになったわけです。いわばスケープゴート。しかし、いかに子供を虐めようとも幻影としての元恋人に勝てるはずもなく、むしろ余計すみれさんの心を自分から離れさせてしまう結果になる。分かっているでしょう、DV夫も。でも、そうせざるを得ないその哀しみ。
すみれさんもまた、不器用な人です。”DVを受けることになったのが、すみれさんのせいだ”とは、もちろん言いません。どんな理由があろうとも、いじめはいじめる方が絶対的に倫理的に悪いのと同じように、DVはDVをする方が絶対的に倫理的に悪いのです。しかし、すみれさんはもう少し今目の前にいる夫を理解しようとして、どうすればもっと事態が良くなるのか現実的な方策を考えて実行することができれば、最悪の所まで追い詰められずに済んだかも知れません。
結局は暴力に暴力を返すことになりました。哀しい結末です。すみれさんは、自分がこうであると決めたこと・思ったことは曲げない性格であるのかも知れません。それは良く見れば、”自分がこうだと思ったことを曲げずに最後までやり遂げる意志が強い女性”ということでしょう。しかし裏を返せば、”例え間違ったことでも、自分がこうだと思ったら軌道修正ができず、柔軟に物事に対処できない人”になってしまう危険性はあります。
何事にも、その背後には理由(reason)があります。
不幸にも、そうまでしてすみれさんが守った元恋人との子供は、グレて事故死してしまいます。なんで不良になってしまったのでしょうか?すみれさんは、”マスコミや世間のせいだ”と言っていました。しかし子供の立場とすれば、マスコミや世間がなんと言おうが、そこまでして自分を守ってくれた母親に対して「自分を身を挺して守ってくれてありがとう。愛する母親は自分が守る。世間から守って自分が幸せにする。」と思うのが普通ではないでしょうか。…でも、そうしなかった。
子供が追い込まれた理由はおそらく、すみれさんの「あなたのために、私は罪を犯してまで守ったのよ」という思想だったのではないかと思うのです。子供としてはこれは重い。世間の嘲けりには耐えられても、これは耐え難い重い十字架です。直接言わなくても、そのすみれさんの思想が伝わったのではないでしょうか。そしてよくあることですが、「あなたのため」は実は「あなたのため」ではなく、親自身のためであり”親自身の言い訳”の隠れ蓑に過ぎないことが多いのです。
この世の中には、完全な善や悪というものは存在しません。特に人間というものは善と悪が共存した存在なのです。人は時として罪を犯す。でも、それはそうせざるを得なかった理由があるのです。勿論、犯罪を犯せば、また他人に迷惑をかければ、そのこと自体は悪いことです。罪を犯してしまったら、罪を償わなければなりません。それが大人の、人間として他者と共に社会で生きていかなければならない存在としての義務です。
しかし、理由も知らず知ろうともせず、善悪の、特に悪のレッテルを貼って罰して蓋をすることで、単純に不安を和らげようとする行為は、自分自身の中にも悪が存在し時に抗うことができない”不自由な”人間としてはカッコ悪いかと思ってしまいます。
アンパンマンは割と無表情で機械的に圧倒的な力を持ってバイキンマンを罰します。しかもその顔は取り替え可能なのです。つまりアンパンマンは、anonymousとしての”不特定多数の民衆の、正義という名の暴力装置”と見ることもできます。対するバイキンマンは表情豊かで、時に男性としての欲求に素直に従ってドキンちゃんに媚びる、人間(バイキンですが)臭いキャラクターです。
物語としてわかりやすく・勧善懲悪を宿命付けられているので、バイキンマンはいつもやっつけられるわけですが(しかも過剰に)ですが、罪に対して罰を執行する大人としての僕らは、やはり単純にではなく、その背後にある理由を考え続けることを捨てる安易な道を歩むことを慎むべきではないかと僕は思います。
バイキンマン(DV夫)は悪いことをしたので、股間を焼かれました。めでたしめでたし…終わり。…それで良いのですか?
最後に幻想的に、すみれさんと元恋人は踊ります。最後に心で2人は結ばれたのねと、涙する人は僕のレビューはお好みではないでしょう。でも、あくまで幻想と踊るすみれさんに、ちょっと背筋が寒くなる人は僕のレビューに共感していただけるのではないかと思います。
100人いたら100人違った見方や楽しみ方ができるのが、映画の良いとことだと思いますので、それぞれの心に感じたことを大事にしていけば良いと思います。…たかが映画、されど映画。ですね。
Thank's, all Cast and Staff ! :‑D
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。
