「好きなことで生活を組み立てることができた成功者による、超絶上から目線の説教映画にしか見えません」不思議の国でアリスと Dive in Wonderland Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
好きなことで生活を組み立てることができた成功者による、超絶上から目線の説教映画にしか見えません
2025.9.4 イオンシネマ久御山
2025年の日本のアニメーション映画(95分、G)
原案はルイス・キャロルの『Alice’s
Adventures in Wonderland(不思議の国のアリス)』『Through the Looking-Glass, and What Alice Found There(鏡の国のアリス)』
就活で行き詰まる女子大生が不思議の国のアトラクションでおかしなことに巻き込まれる様子を描いたファンタジー映画
監督は篠原俊哉
脚本は柿原優子
物語は、都内某所で同級生たちと一緒に飲み会をしている女子大生の安曇野りせ(原菜乃華)が描かれて始まる
彼女は就活に勤しんでいたが、いまだに内定が取れず、友人たちに先を越されて焦っていた
夜になるとストレス発散のためにゾンビゲームに浸る毎日で、自分の何が悪いのかわからなかった
ある日のこと、祖母・文子(戸田恵子)との約束のために長野県のとある施設に向かったりせは、祖母の執事の浦井(間宮祥太朗)に出迎えられた
その施設は不思議の国を模倣しているところで、部屋ではVRによって、不思議の国を探検できるようになっていた
祖母は開園を前に他界していたが、りせはこのシステムの最終テストを請け負う約束を交わしていた
りせが指定されたデバイスを装着すると、目の前にあったスマホはりんごへと変わってしまう
そして、恐ろしく早口で落ち着きのない白ウサギ(山口勝平)が案内人として訪れた
白ウサギは矢継ぎ早に質問を繰り返すものの、その速さについていけないりせは困惑してしまう
さらに白ウサギはりんごを見つけるや否や、「これは毒リンゴだ」と言い出して、勝手に持ち去ってしまった
りせは白ウサギを追って庭園に出るものの、白ウサギは足早に木の根元の穴に逃げ込んでしまうのである
映画は、全10章の構成になっていて、「Walk into Wonderland」「Meeting Alice」「The Chess Cube」「Mushroom Room」「The Queen‘s Scene」「 A Mad Tea Party」「Walking in Waterland」「At Night」「In the Court of the Crimson Queen」「Nothing Inside」「Walk out of Wonderland」と英語の章題になっていた
しかも1秒ぐらいしか表示されないし、左右バラバラに登場するので、読んで理解できる人は少ないように思えた
基本的に、「これまでの固定観念を覆す」とか、「他者評価と自己評価の乖離」とか、「概念の定義」などが各章のテーマとなっていて、それらは「りせの中にある価値観」というものを揺さぶっていく
そんな中で「あらぬ断罪を受ける」ことになり、どうしてこのような理不尽な仕打ちを受けなければならないのか、と追い込まれていく
これが祖母が作りたかった不思議の国というところがなんとも言えず、意図してこのような内容になったのかはわからない
だが、自分を追い込んだ果てに自分を取り戻すというアトラクションが一般受けするのかはわからないので、大丈夫なのかと思ってしまう
ある種のヤバいセミナーを受けに行った意識高い系の人がなぜか覚醒するみたいな流れになっていて、どの層をターゲットにした映画なのかはわからなかった
現実的な構図として見れば、「好きなことを仕事にして成功している人の目線」で「悩める若者にアドバイス(ほぼ説教)する」という内容になっているので、嫌味に近い印象もあったりする
就活真っ只中の人には辛いだけで解決策がなく、そういった試練を乗り越えた人が「あんなことあったよね」と振り返ってマウントを取るみたいな映画になっている
就活がまだの若年層としては、学校教育の否定から就活は始まるのですよという教訓になれば良いのだが、それがわかるのは体験して大人になってからだと思うので、これも響きにくいのだろう
結局のところ、就活で頭打ちになってしまうのは、とりあえず大卒の肩書きが欲しくて入ったとか、大学生活の中で自分自身の根源欲求に気付かなかったとか、社会の流れに逆らわずに乗ってみたけど迷いしかないという層なんだと思う
そのような人たちにこの映画がハマるかはわからないのだが、せめて「りせが何を学んで、どうしてその会社に入ることになったのか」という因果関係の説明は必要だったと思う
トカゲが好きなりせがどんな小さな会社に入って何をしているのかがわからなければ、この映画の効能そのものを放棄しているようにも見えるので、それは残念だなあと思ってしまった
いずれにせよ、冒頭では「ぎゅうぎゅう詰めになった飴のケース」が登場し、それがラストでは3分目ぐらいに減っているという描写があった
これはりせの心の余裕をビジュアル化しているのだが、その中の飴が自然に食べて減っていったのか、意図して減らしたのかなどもわからない
わざわざ丁寧に説明する必要はないと思うものの、暗喩として登場させる以上は、その変化の過程は見せても良いと思う
冒頭は「行為」を描き、過程を省いて結果を見せるというのが正解とは思えないので、「行為で始まったものは行為で終わらせる」という最低限の結びは必要だったのではないか、と思った
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