長崎 閃光の影でのレビュー・感想・評価
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エンドロールで流れる主演3人の歌「クスノキ」とともに味わう深い余韻
この夏はちょっとした「長崎ブーム」と言ってもいいほど、毎月のように長崎に縁のある映画が公開されています。まずは6月に公開され、「現象」とも言うべき大ヒットを記録した『国宝』では吉沢亮が演じる主人公 喜久雄の故郷が長崎で、冒頭で描かれているのは1964年正月の長崎の料亭で起きた 喜久雄にとって非常に大きな出来事です(実際には長崎で撮影していないようですが)。7月には現代の長崎を舞台にした『夏の砂の上』が公開されました。オダギリ•ジョーがドツボにハマってやさぐれた中年男を好演しています。そして、8月公開がこの作品。1945年8月9日に原子爆弾が投下された長崎の様子をその直前から数ヶ月にわたって、3人の看護学生の視点から描いています。9月には長崎生まれのノーベル文学賞作家 カズオ•イシグロ原作の『遠い山なみの光』の公開がひかえています。この作品では戦後まもない頃の長崎が舞台(の一部)となっています。
ということで、戦後80年の節目となる年の8月に観てまいりました『長崎 閃光の影で』。夏休みに故郷の長崎に帰ってきた3人の看護学生 スミ(演: 菊池日菜子)、アツ子(演: 小野花梨)、ミサヲ(演: 川床明日香)は新型爆弾の投下という、とんでもない事態に遭遇してしまいます。一瞬にして廃墟になってしまった街、黒焦げになった死体、水を欲しながら死んでゆく人々、そんな地獄のような光景のなかで、彼女たちは未熟ながらも医療行為を手伝ってゆきますが、自分たちの無力さを痛感することになります。まあ未熟ならずとも、ベテランの医師でさえ、できることは限られていたのですが。
でも、そんなことが起きていようとも空はあくまでも高く広いです。原爆症で亡くなることになる母親から生まれて、空広(あきひろ)と名付けられた赤ちゃんの施設での様子を見せながら、物語は結末へと向かってゆきます。
やがて我々はスクリーンに登場する被爆樹のクスノキを見ることになります。そして、エンドロールとともに流れる 主演3人が歌う『クスノキ -閃光の影で-』を聞いていると、この作品の深い余韻に包まれてゆくことにもなります。
我が魂は奪われはしない
この身折られど この身焼かれども
涼風も爆風も
五月雨も黒い雨も
ただ浴びて ただ受けて
ただ空を目指し……
広い空に向かって世界の平和を願わずにはいられません。
世界中のひとに観てもらいたい作品、つらい物語だけど鑑賞してよかった
『木の上の軍隊』と同じく、これまた予想以上の力作でした。
脚本もよく練られていたし、カメラワークも巧みだと思った。
宗教(キリスト教)的な視点を取り入れ、彼女たちの葛藤を表現しているところに、とくに感銘を受けました。
また、若手女優たちの演技も素晴らしかったし、利重剛や南果歩など、脇をかためるベテランの俳優陣にも魅せられた。
そして、ラストシーン。山下さんご本人の出演に感動。
エンディングの歌には、こころ洗われる気がしました。
観ているのがつらい物語ではあるけれど、鑑賞してよかったです。
是非、学生の皆さんにも観てもらいたい。
いや、世界中の人々に観てもらいたい作品です。
そして、大切なことについて静かに考えましょう。
戦後80年の、この夏に。
敢えて厳しく言うが、実体験者の方は見ないし、見ても「こんなものじゃない」と言うだろう
戦後世代だが長崎に生まれ育ち、その後教師になった者として手記や体験記、関連書籍は相当数読んできた。今もそう。一言で言うならば、きれいすぎる。ある知人の実被爆者の方は、一度だけ原爆資料館を訪れて、「こんなもんじゃない」と思い、二度と行っていないとのこと。例えば、救護所だが、実際は嘔吐物や排せつ物にまみれて、蠅や蚊、蛆が蔓延して、まず手当の前の段階に看護師だけでなく動員されてきた一般人もあたっていた。中には幼い子どもを背負った若い女性が寺に収容された重症者たちの世話をしていたのだが、水も包帯もなく、膿だらけのどろどろの布をバケツで洗うしかなく、そんなことをしている内に、幼子は亡くなってしまった。それはほんの一部のことで、映画の中で白い白衣を着た少女たちが折り重なって眠るシーンとは、いかに現実とかけ離れているかわかるだろう。
浦上のカトリック信者は「神の摂理」として受け入れたという事は、永井博士の言葉から有名になったが、小崎修道士は住吉のトンネル工場内で意地の悪い先輩が苦しんでいた時、「ざまあみろ!」と思って放っておいたと告白している。また爆心地付近ではピカッと光ってからドーンと爆風が来たのではなく、光と音がほぼタイムラグの無い「ピシャッ」というのが近いと聞いたことがある。というようなことはいくらでもあげられるがやめておく。意味も無いし、矛盾をつくことが目的では無いからだ。ただ、若い世代に、「こんなものなのか」と理解されるのはちょっと厳しいと感じる。見終わった後、自分で調べて見たくなるような映画であって欲しかった。
あと気になったのは、「結局、この映画は何をテーマにしたかったのか?」ということ。ただ悲惨さだけを描きたかったのならば、前述の理由で成功していないと思う。
ひとつ思うのは、朝鮮人の被爆者が救護を求めてきた際、看護婦長?の女性は「朝鮮人につける薬はなか!」と足蹴にする。それに対し、主人公らの少女たちの心情などには一切触れられず流されてしまった。しかし、原爆・戦争の矛盾こそがこのワン・シーンに象徴されていたのであり、このテーマを丁寧に追っていれば、若い世代にも一石を投じる作品になった可能性もあったと思うが、残念である。
最後にエンディングで流れた「クスノキ」だが、あまりにも山王神社の楠だけが商業的に大きく独り歩きしすぎており、どうにも違和感を拭えない。被爆木は他にも市中に無数にある。中には被爆木と認定されていない木もあるのだが、木にとってはそんなことはどうでもいいことだ。
個人的には楠よりも遥かに小さい、若草町にある5本のカキの木の方をもっと多くの人に知ってもらいたいし、見てもらいたい。ほっそりとした木肌は無惨なほど焼け焦がされていながらも、健気に若葉やカキの実をつけているのだが、その姿に私は励まされる。
異常な事に慣れていく異常さ
広島に比べて取り上げられることが少ない(ように感じる)長崎での原爆被害を、日本赤十字で看護に当たった3人の看護学生の視点で描きました。
戦争末期でもどこかのどかだった町が原爆で一変し、過酷な状況の中でも懸命に仕事をした看護婦たち。まだ15歳だった主人公は当初恐怖で動けなかったものの、次第に使命感をもって働くようになります。
しかし被爆者は毎日どんどん亡くなっていくし、薬も設備も限られていて、病院(救護所)では非情な決断も必要となります。こういう事実があったことを忘れてはならないです。
戦時中に「ちよこれいと」をやっても大丈夫なの?とか思いますが、地方だと結構のんびりしていたのかも、でも教会で礼拝をしていたのにはちょっと驚きました。
映画としての評価ですが、若い世代に伝えるという意味では十分だと思います。
女の子たちは自然な感じで良かったです。小野花梨さんは上手ですね。3人が歌うテーマ曲も美しいです。
ただ、脚本と演出は、大人がお金を払って観る程のものでは無かったです。観客に若い人がいなかったんですが、むしろ若い人に無料で広く観てもらいたいです。
洗濯や玉音放送のシーンが舞台の場面を見ているように不自然に感じました。玉音放送って、「この世界の片隅に」では正座して聞いていたと思いますが庭で立って聞いていて、戦時中の人にはとても見えない婦長さんがラジオを途中で消す、なんて有り得ない気がしました。
朝鮮人の治療を拒否したシーンですが、拒否したけれどそれがずっと心の中で引っ掛かっていた、というのでは駄目なんでしょうか。日赤の看護婦がそんな事をした事実は無いという断り書きをするくらいなら、不要なシーンです。当時の風潮を表現したというならその通りの描写にするべきです。
実際に手記を書いた方の一人が主人公の現在という設定で出演してくれましたが、ナレーションの美輪明宏さんは男性の声にしか聞こえないので主人公の80年後の語りとしては不自然でした。
長崎の原爆投下に関する映画として一部貴重だが、、、
残念ながら監督か制作会社の息のかかったフィクションとして、日赤看護師が朝鮮人を治療しないとかいうシーンをねじ込んであり、ロールの最後でコメントして言い逃れしてなんの意図があったのか疑問であり不快な気持ちになる。この手の話は、はだしのゲン、ヒロシマなどの媒体を見聴きして、朝鮮人韓国を虐げてたのはある程度知るところだが、この看護婦の3人娘の映画になんの必要性があったのかわからない。
まぁ映画だから仕方ないのかもしれないが、3人娘の脳天気なことときたら泣ける。演技は良ければ救いもあるが心に響かない。
低予算というコメントもあるがもっと長崎の被爆被災者の心になりきる、嗚咽のような哀しさや悲惨さが見えなくて、表面だけを演技した浅さがどうしても気になった。
終始泣いてました…
こんな酷い事があったとは…
まず、アメリカは戦争を仕掛けられた側だから悪いのは日本なんですけど、そういう風に日本を追い込んだのもアメリカですよね、こんな恐ろしい一瞬で何万人も亡くなる爆弾を落としたアメリカがますます憎くなりましたよ、こんな事したのにアメリカの大統領は謝罪、慰霊にもこないし唯一慰霊したのはオバマさんだけだと思います、映画は前半は泣けて泣けて困りました、後半はそれでも生きていく強さみたいなのを感じました、こういう映画を若い人になるべく観てもらって絶対に戦争はしない事を感じてもらいたいですね、最後に監督さんへもう少し音声を聞きやすいようにしてもらいたいです、聞き取りにくい場面がかなりありましたよ、私が高齢だからですかね笑
クスノキ
戦後80年というのもあり、当時を綴った映画が多く公開されていますが、長崎の原爆にフォーカスを当てた作品は珍しいなと思い鑑賞。
「か「」く「」し「」ご「」と「」で一目惚れした菊池日菜子さんが出演していたのもきっかけになりました。
当時の状況を鮮明に描きつつ、とても残酷な描写をしっかりやっており、日常が非日常に変わる瞬間の恐ろしさがひしひしと伝わってきました。
被害者の怪我や病状はどストレートに映しており、欠損描写はもちろん、ガラスが目に入って目の見えない妊婦だったり、足を切らなきゃいけない患者は麻酔もそこそこにギザギザ刃でギコギコ切らないといけないというのは映ってないにしても看護婦たちの目線と唸り声だけでも肝が冷えました。
朝は元気だと思ったら、夜には一気に病状が進行して死んでしまったり、水を飲むと死んでしまったり、遺体は近くで直に焼くといった生々しい現状もしっかり映されます。
実際にこのような事が行われていたと思うとより生々しいです。
ストーリー的には看病がメインなので大きな動きは無いですが、少しメロなドラマを加えるためにテンポがぐねってしまっていたのはもったいなかったです。
そんな事する前に看病するべきでは…?と思ってしまいましたが、映画的には仕方ないかなと思ったり、当時あの場所にいたら大切な人との再会って感動的だよなとも思いました。
映像面はそこまでお金かかってないんだろうなって感じの映像で、灰なんかのモロ合成しました感はちょっと笑ってしまいましたし、基本的には建物内とその付近でのシーンが多いので背景の変わらなさは惜しいなと思いました。
7万人以上の死者が出ているというのがエンドロール後に出てきますが、今作は限定的な範囲のみの被害しか映されていないので深刻さが少し足りないかなと思いました。
NHKでの特集のようにも思えましたし、学校の授業で観るとなるととても良いものなんですが、あくまでも映画館というところでは映像面は満足できる出来ではなかったです。
一通り落ち着いて普段の生活に戻り、それでも戦争の残り香は消えない中で、小さな希望を紡いでいくラストはしみじみするものがありました。
節目の80年、戦争を実際に体験した人も少なくなってきてしまっている中で、この様に語り継いでいってくれる作品が多く生まれていって欲しいなと思いました。
10年前とはまた色々状況が変わってきたんだなと改めて感じました。
鑑賞日 8/2
鑑賞時間 15:50〜17:50
一瞬で
最近長崎、熊本ロケ作品多い(と言っても全然見れてないのだけれども) 時期的に見るべき作品かなと思い立ち鑑賞
本当は軍需工場が有った小倉に落とすはずだったらしい その日は曇りで劇中でも言っていたが、たまさか晴れ間が広がった次の候補地長崎へ_というとても酷い経緯 時計がその時のまま止まっていたが、あの数日間体感本当にそんな感じだったんだろうと思った あんな中で生き延びた看護師さん達がいた、記録が残ってるのは奇跡。しかし広島からの情報なんかは全く無かったんだろうか、対応が未知の病気に対するような感じであった
あの音や凄まじい破壊力、現在ではそのパワー計り知れない、やっぱり核は恐ろしいし持つべきではないと思った
語りが美輪明宏、楽曲提供が福山雅治やっぱり長崎県民が関わっている
実際に現地を体験した看護師
の手記を再現した映画だと言うので
事実確認としての映画。と言う意味では貴重な映画だが
終戦記念日間近の戦後80年で、反米感情だけを煽る
効果が本作映画で出ないことを望みたい🤲
核は安価な装備だから核武装すれば良い。
と主張し(たそうだが)
先日の参議院戦で議席を伸ばした政党の主張する
攘夷思想が再び我が国に巻き起こってしまったら
また、我が国は危険な道を進みかねない。のだから
間違ってもそんな感情が勃興しないことを祈りたい◎
寧ろそれよりも、戦後80年にも成ろうかと言う年月を
経ても、原爆を落とされた。と言う事実のみを教育し
なぜ、広島と長崎だったのかを公表せず
戦後総括から新時代に向かう指針を提示しない
政府やメディアを糾弾する意見が出てくるなら歓迎したい
そう思い鑑賞後の感想とする!
一週間早く負けていれば
導入でメイン3人がいいコだと伝わったこともあり、ひたすら辛い作品だった。
重さはしっかり伝わるが、“映画”としては…
原爆投下後から、ずっと悲惨な救護所の様子が続く。
救えた描写はほぼなく、零れ落ちる命を主人公たちと共に無力に眺めさせられる。
医者どころか、正式な看護婦ですらない彼女たちに出来ることは少ない。
いや、医者ですら出来ることなどほとんど無かった。
アツ子が黒焦げになった家族を見つけた時の心情はいかばかりか…
(鼻水や涎まで垂れ流す小野花梨の泣き顔が素晴らしい)
ただ、物語としての展開が皆無のため映画としては残念ながら退屈。
仕方ないとはいえ、看護師や市民がそれぞれ同じような格好をしているため区別がつけづらい。
メインどころは方言が微妙なところ以外はいい芝居をしていたが、モブがちょっとヒドかった。
“閃光”の直後に1人残らず大人しかったり、列車に乗ろうとする様子に必至さゼロだったり。
「お母ちゃん、水」botの子供は何故あそこまで執拗に繰り返させたのか理解に苦しむ。
メインが3人というのが多いとは思わないが、背景や心情が描ききれてるとも言えない。
他にも色々つまむなら、主役は看護学生ひとりにして、医者や看護婦長、妊婦など掘り下げてほしかった。
ミサヲの死がアッサリな割にエピローグも冗長かな。
唯一救えた空広くんのくだりはベタながら嫌いじゃない。
戦争の悲惨さを伝えるという意味ではしっかりとしたつくりになっていたとも思う。
母を探す兄弟の敬礼、特に最初の弟を背負った状態でのそれはなかなか見事。
でも映画としては(派手さやエンタメ性という意味でなく)もう一捻りほしかったです。
何より、不謹慎ながら看護婦長がちょっとエロ過ぎて集中できなかったので、そこもどうにかしてほしい。
忘れんば生きられんことばあるたい。
でも、生きて、生き続けて、
忘れんでいること。
こういった作品を作り続けて、伝えていくことはとても大事なこと。上映館も少なく1日1回の上映はとても残念。
せめて福山雅治作で主人公3人が歌っている主題歌がヒットしてほしい。(ヒットしなくてもスタンダードとして歌い継がれてほしい)
このような事実はなかったと断りを入れるなら、なぜそういったシーンを入れたのだろう。実際の看護学生たちの手記をもとにした作品なのに、ここは創作ですって、なんかすべて否定されてしまいそうで少し残念。
ラーゲリからの時もそうだったけど、衣装がきれいすぎて、(汚れていないというか、汚れつけたようで)、ちょっと入り込めなかった。
ドラマ化とか、30分くらいの短編にして、鬼滅か国宝の同時上映につけてもっとたくさんの人に観てもらえるようにできないかな。
映画「ひろしま」をオマージュしている場面が
長崎の被爆時に救護活動をおこなった赤十字看護婦の手記を原作としています。
その時に活動した看護士がプロローグとエピローグで特別出演。
映画「ひろしま」をオマージュしている場面が、私が気がついただけでも明確に2ヶ所あったように思えました。
広島の惨状が新聞で報道されていて、救護活動も最初から新型爆弾による被害をある程度想定しているなど、広島と長崎の対比を意識した演出になっているようです。
こんなことを言っては申し訳ないのだけれど、あまり上手な役者さんを集められなかったのかな?と観ながら思ってしまいました。
全体的に演技が稚拙な気がしますが、
然り気無く重要な役で出演していた池田秀一さんは良かった。
野外ロケの場面では、郊外の山道や集落の路地まで舗装されていたり、現在しか存在しない建材が使われていたりするなど、作り物感がちょっと強かったです。
生き抜くことのリアルな感じ
被爆者の目線ではなく、被爆者を救いまくった人たちの目線というのは、意外と見たことなかったかもと思いながら─
被爆からそれが進行していく悲惨な状況も非常にリアルでしたが、良くも悪くも人間性とか感情の起伏とかじつに真実味があって、史上最悪な出来事がしっかりと最悪だぁ・・・と思えるぐらいにつらくて意義深い作品だと思えました。
あくまで劇映画なので、楽な気持ちで存分に堪能して楽しめばいいとは思うのですが、ポップコーンや氷を頬張りボリボリしながら見るのはやめた方がいいような気がしました。幸せをかみしめるのもまたいいのかもしれませんが。
若き3人のパフォーマンスが素晴らしくて、三者三様の表現一つ一つに心が動かされます。何気に違いというところもこの作品のキーになっているのかもしれません。
重い主題にうちのめされますが、観てよかった作品
満席のシアターで鑑賞。
題材が題材なので、終始、観ているのがつらい場面が続きます。
健気で純真な白衣の天使たちの活躍を美化して描くような展開ではなくて、名ばかりの救護で満足な治療もできず、ひたすら死と向き合う、救いのない日々が描かれている中、時折、はっとするほどうつくしい画が映し出されるので、なおのことその痛ましさが増して感じられました。
3人の少女たちは、それぞれに惨いエピソードがありますが、ひとりひとりがその悲劇に襲われる場面よりも、後半、3人がリアカーを引きながら心情を吐露する場面や、終盤にうち2人が堤防に腰かけて語り合っている場面がことさら胸に迫りました。
過ぎた過去の悲惨な史実に留まらず、現代のわたしたちの身に惹きつけて感じられる場面だと思います。
エンドロールで流れる少女たちの歌声のあどけなさに、日々、惰性で生きている自身の来し方を顧みてひどくうちのめされました。
映画の善し悪しではない。
監督曰く、惨たらしい描写ではなく、広く知ってもらうことを優先したそうだ。
被爆者からすれば「こんなものではない」のだろう。
だが、自分が小学生の頃は「平和教育=怖い」という印象が非常に強かった。
これはもしかしたら平和や戦争の議論を避けることになるのかもしれない。
悲惨さを伝えつつも、議論を恐れないことこそが
この映画の目的だったのではないだろうか。
そして、私たちがこの映画を通してヒロシマ・ナガサキを議論し続けることが、
慈善団体の婦人が話していた「生きること、忘れないこと」になるのだろう。
さらに、それが核兵器使用の防止になることを願う。
何百回も繰り返された核実験も悲惨だが、
戦略核の使用の最後の地が長崎になることを心から願う。
長崎 閃光の影で
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