長崎 閃光の影でのレビュー・感想・評価
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なんと言えば良いのだろう。言葉が見つからない。
この映画を見たいと思い映画館に行きましたが。まず、鑑賞させていただいたというのが実際の所。戦争の描写は大和や、特攻のような悲劇的なものから、沖縄戦のような悲惨なものを思い浮かべる事かと思いますが。この映画は長崎に原爆が落とされる日、その時どうであったか。そしてその瞬間からの激動の日々が描かれます。私はこの映画を通じ上手く言葉に出せないですが、ただ、戦争とは全く価値なく、生むのは憎悪、惨劇だけであり、なにも生まないと言うこと。そうした日常の中でも救いはただ死にいく命だけでなく、生まれてくる命もあるのだということを感じ取りました。また、私がこの映画を鑑賞したことにより、この映画を鑑賞することは、今一度命の大切さ、戦争の無意味さを考えるきっかけになるのではないかとさえ思ったので、あらゆる日本人、更には世界に発信して欲しいとさえ願います。最後に。先の戦争でお亡くなりになられた方々に追悼の意をこの場を借りてお伝えさせていただきます。
被爆地は1つじゃない
こらからの若い世代が観るべき映画です
中学生の娘が皆に観て欲しい作品だと。
娘が観たいというので一緒に鑑賞しました。リアルに原爆の惨さを伝えてくれた映画です。まだ看護見習いの立場でこんなに沢山の死や惨状に向き合ったこと、観ていて胸が締め付けられました。鑑賞後、2人ともしばらく無言でしたが、娘がこの映画は、今を生きる全ての人に観て欲しい映画だねと語りながら帰りました。修学旅行で見たり聞いたりすることはもちろん大事で、娘も実際に足を運び色々学んでいますが原爆が投下されてからの1ヶ月が映像として入ってきた事が娘にはすごく響いたようです。低予算でもこれだけの大事な作品を作って頂いたことに感謝します。これを繋いでいける世の中でありますように。
あと1週間・・・
第二次世界大戦の末期、看護学生の同級生で幼なじみの田中スミ、大野アツ子、岩永ミサヲは、大阪の空襲により学校が休校となり、長崎に帰郷した。久しぶりに地元へ帰って来た3人は、それぞれ家族や恋人との幸せな時間を過ごしていたが、1945年8月9日、原子爆弾が長崎に落とされ、日常は一変した。一瞬にして廃墟となってしまった長崎で、彼女たちは看護学生としての使命をまっとうしようと救護活動に奔走し・・・そんな話。
自分の家族の事も気になるのに、看護学生だから、という理由だけで強制的に救護活動に駆り出されるのはどうなんだろう、と思った。
あと1週間早く降伏してたら、という言葉が心に沁みた。たった6日後に8月15日を迎えたんだから。
長崎の原爆被害についての作品は広島に比べて少ない気がするが、本作もぜひ多くの人に観てもらいたい作品だなぁ、と思った。面白くはないけど、知っておく事の大切さを感じたいと思う。
スミ役の菊池日菜子、アツ子役の小野花梨、ミサヲ役の川床明日香、3人とも良かった。
時の権力者達はどんな映画を観て育ってきたのか
終戦記念日のすいとん
バブル時代に生まれた被爆3世の若い人に「昔はこんなものじゃなかった!」って憤るのはナンセンス。その時代のリアルな事はその時代に体験した人でしか語れないんです。無理にリアルに描く必要は自分はないと思います。従軍看護師が休養をしている場面はまるで白鳥が羽を休めているようで実に美しい。その当時のリアルな姿はそれにはほど遠いでしょう。でも彼女たちは、被爆者たちのために献身的につくした天使なんです。監督はそれを映像的に表現したかったのではないかな?この映画に批判的な人はこの監督の過去の作品見てほしい。この監督は絶望的な立場の人々に対する優しい視点を持った方です。終戦記念日の料理番組で再現したすいとんを見て、当時はそんなものではない!なんて言うのはやめましょうよ。それはその時代の真実を知るきっかけだと思って下さい。
さすがの南果穂さん
楽しむことではない、感じることに意味がある。
まず、長崎・広島において原爆の被害に遭われ亡くなられた方々にお悔やみと追悼の意を。
そして、最悪の被害に遭われながら生きのび、戦時最悪の出来事を語り継いでくれた山下フジヱ様や皆様に、感謝の意をお伝えいたします。
本作は、看護婦(当時の呼称)を根幹とした「命を救う側」の視点であり、多くの戦争映画に表現されている激しい戦闘や激しい思想の表現はほとんど無く、「その視点」にふさわしい、粛々としたリアリティのある現場を鑑賞させていただきました。
エンターテインメント性が高く予算もつぎ込まれている戦争作品は、それはそれで良いですし好きですが、比例して確実な「脚色」「オーバーアクション」がつきものです。
本作は、楽しんだりする事、評価したりする事を基に鑑賞するよりも、戦時最悪の状況を、しっかりと感じることを伝えてくれた作品だと思いました。
本作は、原爆直後の現地の状況・その地の人々・戦争に対する妄信的な表現・戦争に対する倫理的な表現・絶望・怒り・許し・裏切り・悲しみ・ジレンマ・必死な思い・気分の悪い思いなど。
それらの表現を、非常に「現実的な人の反応」を映像化されていると思います。
それは同時に、「もし自分だったら」と主観的に考察したとき、同じように「曖昧な」態度だと思うからです。
封建的な帝国主義の確固たる「頑固意思」も多少表現されてはいますが、表現の多くは……
①アメリカと戦争してるがキリストを信仰する。
②恨みを持つが、許したくもある。
③逃げ出すが、つまずけば戻る。また、戻ってきた者に対して罰則だけは与えるが受け入れる。
④確固たる意志を全面に表明しながら、敗北すれば受け入れて染まる。
⑤裏切り行為に、呆れるだけで非難と攻撃をしない。
⑥普通に気持ちが悪いと思う。普通に逃げ出す。
……などなど。
これが人間なんですよね。
特に、主人公3人が荷車を引きながら思い思いをぶちまけて喧嘩する様子。
決着や結論は無い。
みな戦争に憤りと悲しみを持ちながら、ある者は怒り、ある者は謝り、ある者は許し前に進みたいと願う。
みんなの思いが正解で当たり前のジレンマ。
生きている人間の、自然的な感覚なんだと思います。
そして、現実に戻り荷車を引く……。
そうして前に進むしか無いから。
妄信的な強要や自殺行為、一貫した思念は人間の本質では無く、みんな怖いし疑問を持つし思想も揺らぐ。
それはカヨが恋人に対し、戦争に行かず助かったというその言動に一瞬は非難を浴びせるが、冷静になれば生きていることが嬉しいし、一緒に歩みたい気持ちになったこと。
婦長が逃げ出す看護婦に非国民呼ばわりしても、一時の感情なだけで戻ってきた人にまで継続して非難をしない様子に描かれている。
命を投げ出した人々も、時代と思想に翻弄されはしても、もし「必要」がなければ死にたくはなかったはず。
誇張表現のない、死を迎える人や火葬する人にも、何とも重苦しい現実感が胸を締め付けられました。
忌むべきは、戦争と暴力だという事。
憎むことや敵対意思ではなく、「戦争の悲惨さ愚かさを語り継ぐ事」を継承し、平和を継続させる事が重要であるという思いで最後まで鑑賞いたしました。
戦争は無くなりません。現実に。
だが、少なくとも最悪な被害を受けた日本は、悲惨な思いを平和の中で感じ取れる私たちは、反戦の思いを伝えていければと思います。
水が飲める。水がおいしい。
映像はいまいち、女性の演技はとてもよかった。
こういう戦争体験記は、それがほんの一面に過ぎないとしても繰り返し語り続けられなければならない。
赤十字看護婦たちの手記が原案。
日本人にしか語れない、日本が作るべき映画なのだろう。
劇映画としては、もう少し何とかできなかったかと思う部分はあった。犠牲者の描写も緩い気がする。
しかし、後世に語り継ぐべき長崎の被爆体験をかたちにした点において、この映画の意義は高い。
3人の看護学生が、赦せるか赦さないかの議論を戦わせる場面が最も印象深かった。
人間には人を憎んだり恨んだりする回路が埋め込まれている。そうでなくても鬼畜米英のプロパガンダの下、家族や親しい人たちが米軍の無慈悲な殺戮の犠牲になるのを目の当たりにした少女たちだ。
それでも赦すべきだと説くクリスチャンの少女に対して、家族を亡くした少女は赦せないと言い、両親が無事だったもう一人の少女に八つ当たりをするが、そんな自分も赦せないと泣く。
大阪の看護学校が空襲によって休校となり、郷里の長崎に戻った少女3人。そこで原爆投下に見舞われたものの辛くも助かっていた。
固い友情で結ばれ、ともに過酷な救護活動に従事していたのだ。
田中スミ=菊池日菜子
大野アツ子=小野花梨
岩永ミサヲ=川床明日香
モデル出身の菊池日菜子と川床明日香が見事に演じていて、この二人を演技派の小野花梨が牽引している。
現在の田中スミだと思われる老婆の語りで映画は始まり、また彼女の語りで終幕する。この語りの声にキャスティングされた美輪明宏は長崎の被爆者だそうで、終幕に姿が映し出されるその老婆は手記を描いた看護婦の一人だという。
監督兼共同脚本の松本准平は、長崎の被爆三世だとのこと。
原爆が無差別殺戮であることは、東京大空襲も同じだ。だが、強烈な爆発で粉々になり、熱射によって黒焦げになるだけでなく、即死を免れたとしても放射能被爆が人間を破壊するのだから恐ろしい。
この映画では描かれていないが、被爆者とその家族への差別という市民同士の恐ろしい二次加害まで生みだした。
献身的に治療と救護を行う医療従事者は、長崎の被爆地にもいたのだ。薬もない、水もない、設備もない状況での懸命な救護活動が展開する。
悲惨な救護現場から離れようとする看護婦や、疲弊して患者を投げ出しそうになる医師の姿もあった。みんな人間なのだ。
一方、この惨状においても高圧的な言動の軍人はいたようだ。
当時の世相として人種差別があったことも描かれている。
これらの細かいエピソードには、リアリティがある。
毎年8月になると戦争を振り返る企画があちこちであり、テレビは各局が競って特番を組む。
今の若者たちは、そんなテレビからは離れてしまって、ブラウザやアプリの向こうに戦争とは無関係のコンテンツを求めているのだろうか。
日本の核保有をとなえる政治家が一部で支持を得るという現象に愕然とする。
核保有論の基盤には抑止力説があるのだと思うが、たまたま今は均衡が保てているだけなのだ。
いつ何時、過信しすぎた武力主義の元首が現れるか分からない。圧倒的な軍事力の差があるアメリカに戦争を仕掛けた80余年前の日本の指導者のように。
こんなもん
まあこんなもんかな、ただ終盤に原爆のキノコグモのシーンがありその時に急に、原爆の音、ドーーーーンてなるシーンがあるが、このドーーーーンめちゃくちゃビックリする。このドーン必要全くないじゃないか、内容も内容でうたたねしてるもんを起こすためなのか?心臓止まるがな。
今だから価値のある映画
核武装するのが安上がりでコスパがいいなどと軽々しく口にする政治家が登場する時代だからこそ、多くの人に見てほしい。(ちなみに核武装は開発コストから維持管理まで含めると膨大な経費がかかるものであり、安上がりでも何でもない。それを安上がりと言うのは無知・無教養以外の何ものでもない)
現実の長崎の現場は、この映画の何倍も壮絶なものだったと思う。まだ10代の看護師の資格も得ていない若者が、治療らしい治療もできない中で次々と人が亡くなっていく環境に身を置く辛さはいかほどだっただろう。
ラストに登場する、この経験をされた生存者の女性の目には、平和な日々を生きる我々がどんな風に映るのだろうか?と考えさせられた。
もっと多くの映画館で、もっと沢山上映して、もっと沢山の方に見てほしい。私が見た回は、小さいスクリーンながらもほぼ満席だったのだから、時間と機会さえあれば見たいと思ってる人は、多いはずだ。
一瞬で焦土に化しあまたの人間を殺戮した原爆の恐怖を見よ
今年は広島、長崎に原爆投下され80年。今も苦しむ人たちがいるという事実。映画「オッペンハイマー」を見たとき、実験で甚大な被害を与えることを目にしながら生活している人間に向かってこの爆弾を落としたことにずっと怒りを感じていました。だからこの長崎の惨劇を見て、悔しさと虚しさを感じ、忘れてはいけない、この状況を後世に伝えていくことが必要だと映画の力を示していた作品でした。
【映画感想文】
作り手たちの原子爆弾投下に対する強い怒りと憤りが強烈に伝わってきた。冒頭の当たり前のような日常生活や笑いあっていた家族が、原爆投下の一瞬で下敷きなったり、黒焦げになったり、街が焦土になってしまう、この非道さ理不尽さ。原爆は天変地異の災害ではなくまさしく人為的殺戮だ。
日本赤十字の看護学校に通う女学生三人が空襲による休校を機に帰郷し、家族と再会し楽しい時間を過ごしていた。そこに原爆投下だ、轟音と異常な光をともなって。そのとき、一人は祖母の家に行くため爆心地から離れていた、一人は父とミサに行っていた、もう一人は日本赤十字長崎支部で働いていた。
三人は生き残り、日本赤十字長崎支部で被爆者の看護にあたる。次々に運ばれてくる死傷者。被災者のうめき声、血、火傷、爛れた皮膚、足を切断する手術、傷口から蛆虫がわいてくるなまなましい描写の連続。彼女たちはそれを直視し看護する。原爆関連の映画は多数あるが、看護者の視点で見せる映画は初めての経験だった。必死に治療しても、看護しても被災者は次々に亡くなっていく。この無力感と虚無感がにじみでている。
彼女たちは看護者であるが被災者でもある。一人が実家を見に行ったとき、そこはすべて焼け野原になっていて、自分の家の側で家族が黒焦げになった姿を目にする。他の二人も家族の状況がわからないなかで被災者の看護をする。人が死んでいく姿を見なくてはならない過酷さと、自分のことは二の次にするに彼女たちの精神力、責任感に心を揺さぶられる。
原爆で焦土と化した街をCG化し緻密に描写する映像には目を覆いたくなる。たった一発の爆弾で街が、多数の人が死んだ。それだけではないこの悪魔の爆弾。被災者であまり傷を負っていない人が死んでいったのは、ほとんどが放射能における原爆病が引き起こしたものだ。この悪魔の爆弾は、何年も、何十年も、次の世代においても死をもたらすのだ。
そして一番の悲劇は、被災者が一生この体験を忘れられないことだ。心に負った深い傷は永遠になくならい。それが悪魔の爆弾だからだ。
観るまで躊躇しました。
小生が原爆について学んだのが1976年の小4で「実写版はだしのゲン」でした。
原作の中沢啓治先生の制作意図通りに、敢えて観る人のトラウマになる様に妥協せずリアルに表現され、それ以来二度とはだしのゲンは観ていませんが、自分の中の反戦と核兵器、放射能とは何なのか?の原点になる名作です。
その様な重い記憶もあり原爆を題材にした映画を観るには覚悟が必要でした。
本作品では直接の被爆は避けられたものの「被曝」によって時間差で原爆病に冒される描写も含まれ救護所を舞台に救護に従事した者の人間模様が描かれています。
エンディングロールも印象的で福山雅治さんのネムノキを主役の3人がカバーしていました。
そしてキャスティングでびっくりしたのが「赤い彗星」のあの人が…。
看護師を通して知る原爆の悲惨さ非道さ
自分の原爆の知識をさらに上書きされた作品。
原爆投下後の長崎の様子も垣間見ることができるが、
それ以上に診療所へ運び込まれる人たちを襲う
痛みや苦しみ、数々の死を目の当たりにし、
その度に火葬場へ見送るしかない看護師のやるせなさ、
これは観ていて本当に辛かった。
特に小野花梨演じるアツ子の溢れんばかりの怒りは
凄まじく、スクリーンからビシビシと伝わるほど。
小野花梨さんのイメージを変える演技だと思うし、
間違いなく菊池日菜子の代表作になったと思う。
私は「はだしのゲン」や『ピカドン』という原爆を
扱った作品に小学生の頃に出会い、
その惨たらしさに衝撃を受けるとともに
トラウマにもなったが、
本作はそれ以来の衝撃であり、
トラウマ級の作品となった。
原爆とは何をもたらすものなのか、
あらためて考えさせられる作品である。
今作ることに意義がある
戦争体験者が少なくなり、記憶の継承が困難になっている今だからこそちゃんと体験者…被爆者の生の声を元にした映画は重要だと思う。被爆者の方々の姿はあんなものじゃなく、筆舌に尽くしがたいものだと思うけれども…でもこれは一人でも多くの人に届けるためのもの、あれくらいでいいと思う。今はある政党の候補者が核を持つことは低コストで抑止力として有効…と演説で平気で言って当選する時代になっている。そんな事を言っている人間は、いざという時あの光や痛みを自分の身に受ける事は絶対にないんだろうと思う。広島に原爆が投下された日、長崎に原爆が投下された日、はたまた終戦の日もわからない人々がいる中で、戦争に関することが形骸化することのないようにしていきたいと思えた作品だった。
そして朝鮮人の差別のシ―ンだけど、絶対にこれには突っ込む人いるだろうなぁ…と思ったらレビューでも案の定言われている…。あの演出は(あの場であったとかじゃなくて、エンドロールにもあったけど)制作陣の義務感からだと思う。関東大震災でもそうだけと、あったところにはあったはず。あの時代朝鮮人を労働力として使っていたんだから。やらない人もいたんだろうけど…。清廉潔白な人間ばかりりではない。あの演出で誤解が生まれる可能性はあるけど…、でも、日本人はひどい目に遭ったけど日本人もひどいことをしていたという事を伝えることは、被害にあった…ということを伝えるのと同じくらい重要なことだと思うから。
自分の学生時代は、戦時中の歴史について、戦争はよくないの一辺倒で学校でも触りだけのものだった…戦争に対しての振り返りができていないんだなぁ、という感じが否めず、やっと最近になってメディア…新聞が煽った、民衆の熱狂感もあった等々深く掘り下げられている。本当に今、ちゃんと生の声を残してほしいと思った。
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