「やや配慮・説明不足のきらいはあるが、良作。」長崎 閃光の影で yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
やや配慮・説明不足のきらいはあるが、良作。
今年176本目(合計1,717本目/今月(2025年8月度)4本目)。
私は長崎出身ではありませんが、同じ原爆投下の広島市出身です。
さて、こちらの映画です。典型的に、他国での上映が想定されている作りであり、その意味では(翻訳字幕を前提とするなら)長崎弁は他国では気にはならないでしょうが、日本で見る場合、「ある程度」理解が必要かな…といったところです(Youtube等での方言勉強みたいな動画を見ているだけで違う?)。
原爆投下の被害となった広島・長崎には共通点も多いものの、異なる点もあり、その異なる点として、長崎では江戸時代からの文化の関係でキリスト教の発達が他の地方と異なる点があります。それは広島とも当然違います。よって、映画の中でもある程度キリスト教のことを知らないと分からないところも多々出ます。もちろん、原爆投下後の救出等においても、本映画が描くように、教会などが果たした役割も当然違います(広島の原爆では、「表立って」カトリック教会等が出てくるようなことはない)。
採点にあたって、いわゆる差別的な発言については、エンディングロールで断り書きはでますが、これらも踏まえて以下のように採点しています。
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(減点0.2/いわゆる強制連行と長崎のかかわり)
実際に程度の差はあれ、当事者に対する差別はあったし、映画にいう「差別的な内容は当時を配慮したものであり、当該団体または職員の発言という記録は存在しません」といった部分は理解はできます。ただ、当時の「当事者」はこの映画でいうところのだけではなく、数は少ないながら、台湾、中国からわたってきた方や、(圧倒的な兵力差はあったとはいえ)アメリカ等の交戦による捕虜者も少ないながらに被害者の一人です(人数は少ないが、一定程度の当事者はいるので、それらの団体が個別にそれぞれこの時期になると弔いの集まりを開いている)。また、当然の理として、(救助の意味の見込みが少ない)高齢者や身障者など、当時の治療などにおいて後回しにされたであろう人がいたことは容易に想定ができる部分があり、こうした人がいたことについても配慮もあってよかったのではないか、と思えます。
一方、映画でいう「当事者」は、特に長崎においては重労働に従事していたことはよく知られていますが、敗戦色が強くなるとどんどん男性は(年齢の下限など無茶苦茶だった)駆り出された事情があるため、それら重労働に従事していた当事者において、日本の敗戦色が強くなったこの当時(原爆投下の年、前年等)において、それでも労働に従事する当事者に対し、一定の理解、あるいは感謝を示していた人たちも一定数長崎にはいたことは知られており(このことは、広島とは若干事情が異なる)、このことにも触れても良かったかなと思います。
また、各国での放映が上映が想定できることは書いた通りですが、その「当時者」の当該国ではやはり支障をきたすので、「その部分」において(エンディングロールではなく、その描写の位置において)断り書きが必要な気がします。
(減点0.2/当時の火葬埋葬(土葬)と第二次世界大戦、原爆とのかかわりの説明不足)
日本で墓地埋葬法ができたのは、実は戦後です。帝国憲法において「ある程度の制限はついても」信教の自由はありました(旧帝国憲法)。ただ、ここから派生する、いわゆる「お葬式」については、人の重要な出来事にかかわることから、よほど過激な信教でもない限り当局は事実上介入しなかった事情はあります。このため、当時から今でいう火葬は既に定着していました。何より、当時は衛生事情がまだ発達していなかったので、当局もある程度火葬を推奨していた事情はあります。
ただ、ここから第二次世界大戦になると、木材等、戦争の道具に使われうるものはどんどん「徴収」されるようになったため、火葬が難しくなり、また、火葬を行うと空襲の標的になることは明らかなので、当局も当然推奨しなくなり、「一定の配慮は必要だが、まずは最低限の弔いを行い、その後、風葬、あるいは(海への)散骨等も…」といったように、火葬を極力避けるような雰囲気になっていきました。そして、木材等が実際に手に入りづらくなると(そして、男性はどんどん駆り出されますので、木材の運搬等を必要とする火葬は、実際にも難しくなっていた)、事実上それが制限されるようになっていきます。
ところが、原爆投下の直後の広島、長崎はその「現場」に当然、木材がゴロゴロと転がっている状況であり、原爆投下後ですのでさらなる空襲があることも誰も想定しなかったし(ただ、それは結果論で、第三の投下があってもおかしくななかった)、何より被害者が極端に多かったため、投下による着火でできた火も積極的に使われ、逆に今でいう火葬→土葬がどんどん行われるようになります。これは、そうした環境が「原爆投下により」結果的に可能になってしまったこと、また、公衆衛生等がさらに劣悪となってしまった2都市においてはそうしないとさらに被害が拡大するという実際的な問題であり、これは、火葬をできるだけ避けましょうという当時の風潮のさらなる例外にあたります。
このことは、実は墓地埋葬に関して当時の考えが二転三転した部分で、ある程度は説明があっても良かったのでは…と思います(ある程度このことは歴史を知らないと理解に詰まってしまう)。
(減点0.1/当事者は何歳だったのかが微妙(数え年・満年齢関係))
明治維新後、それまでの数え年を満年齢に改めることとなりましたが、明治維新のころといえば江戸時代後期~末期のいわゆる伝統的な数え年が当たり前で、国民の中でも数え年がまだまだ主流でした(数え年か、満年齢かというのは婚姻年齢等、年齢を参照する法以外などでは、そもそも本質論ではない)。これが満年齢を基本とし、定着するのは戦後のことになります(現在でも、冠婚葬祭等では伝統的に数え年を使うことはある)。
映画内で「何歳か」を自己紹介するパートは、このことについて説明があってもよかったかな、と思います(数え年・満年齢の概念がない国、まだそれが残る国等、バラバラです)。
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