「感情でドライブされるシナリオ」ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
感情でドライブされるシナリオ
歴史の暗部をいわば【禁じ手】を使用して、
二度と繰り返してはならない過去を警告する作品だ。
冒頭とラストのテロップで明示されるこの製作意図は、
シナリオ、映像、演出のあらゆる要素に緻密に織り込まれ、
観る者にその重みを突きつける。
本作の入念さは、単なる歴史の再現を超え、
ナチス政権のプロパガンダとその背後にある人間の感情を解剖しつつ、
誤解や悪用を防ぐための慎重なバランスに裏打ちされた、
【感情でドライブされたシナリオ】になっている。
シナリオは、
ゲッベルスとヒトラーの言動を軸に展開するが、
単に史実をなぞるだけではない。
資料に基づく彼らの言葉や行動に加え、
当時の状況や関係者、
そして国民の情動を丁寧に描き出す。
これにより、
プロパガンダがどのように人心を掌握したかが浮き彫りになるが、
同時に、
【映画作品としても危険を孕む事になる】
この情動の描写は、
解釈次第では彼らの行為を美化していると誤読されるリスクや、
悪意ある引用を誘発する可能性をはらむ。
そのため、製作陣は記録映像を効果的に挿入し、
史実の重さを強調することで、
観客にあるいは別の誰かに、
「賛美ではなく警鐘」であることを明確に伝えている。
この慎重さこそ、
本作の倫理的基盤であり、
観客に歴史の教訓を深く刻みつける。
プロットは冗長さを徹底的に排除し、
必要最小限の描写で最大の効果を引き出す。
例えば、1944年の「狼の巣(ウォルフズ・シャンツェ)」でのヒトラー暗殺未遂事件は、
必要以上のドラマ化を避け、ごく簡潔に描かれる。
この事件を詳細に知りたい観客には、
トム・クルーズ主演の『ワルキューレ』(2008年)を参照するよう暗に促すような構成だ。
余談だが、
私が実際に狼の巣を訪れた際、
そこは小さな石碑がひっそりと立つ、
寂れた森にすぎなかった。
この現地の印象は、
本作の抑制された描写と奇妙に共鳴し、
歴史の残響が静かに、
派手な観光地にされる事もなく、
しかし確かに存在することを感じさせた。
映像美、いわゆる「ルック」においても、
本作は明確な意図を持つ。
色調は極端に暗く、
青と黒の色調が支配的で、暖色はほぼ排除される。
特にハーケンクロイツの赤が登場する場面では、
周囲の暗さを一層強調することで、
その象徴性を抑制し、
視覚的にプロパガンダのチカラを中和している。
人物の頭部と背景が溶け合うほどの暗闇は、
登場人物の内面と時代そのものの不透明さを象徴するようだ。
一方で、
ヒトラーの部屋に置かれた巨大な地球儀には、
暗い部屋の中で唯一、
微妙なライティングが施されている
(部屋の中にはその光源のプロップは見当たらない、
電気スタンドはあるがそれは光源ではなさそうだ)。
これはチャップリンの『独裁者』(1940年)でヒトラー風の独裁者が地球儀を弄ぶシーンへのオマージュとも解釈でき、
権力の虚飾を皮肉る演出として機能している。
本作の最大の功績は、
ゲッベルスのプロパガンダ手法を単なる歴史的事実として提示するだけでなく、
それが現代にも通じる危険性を観客に突きつける点にある。
原題は「総統と誘惑者」、
プロデュースというタイトルはどのように捉えられるだろうか。
映像、シナリオ、演出のすべてが、
過去の過ちを繰り返さないための警鐘として調和し、
観る者に深い省察を促す。
歴史映画の枠を超え、
現代社会への切実なメッセージを内包した、力強くも言語化と物語化に慎重な作品である。
これから見ようとする者です。
良いガイドになります。
三島由紀夫の盾の会の制服は
森英恵に発注されましたが
ゲシュタポも参考にしたでしょう。
厄介な意匠です。
ナチのみならず人類の蛮行ですが。
