ノスフェラトゥのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
大好きなロバート・エガースが吸血鬼映画とゆうことで制作情報聞いた頃からオリジナル版も観たり、吸血鬼映画を未漁ったりして楽しみにしてたのですが
見終わったあとは、けっこう咀嚼が必要…とゆう感想でした。
期待通り、グロいし、ハードだし、ゴシックだし!なんだけど
1番受け取り方が難しく感じたのは、扱いが大きくなった(ほぼ主役!)エレンを性被害者として描き、オルロック伯爵を性加害者として、そして2人の間に絆があり、それは加害者からのグルーミングでもあるが
女性が抑圧され女性の性欲が不可視化されていた時代において開放でもあるように描かれているように見えるのだけど結局は出発が性被害なので、
どう受け取っていいのかと複雑な気持ちになってしまった。性被害者への誤解を深めかねない表現だとも、受けとれてしまうんでは…と日本の性加害への寛容さ(皮肉です)を考えるとなかなか複雑な気持ちに。
とはいえ、惚れ惚れする様な衣装や
オルロック伯爵の醜悪なビジュアル、エクソシストっぽい展開や、癇癪症として抑圧された女性の扱いと、デフォーの解決力の高さそうなフランツ医師がかっこいい!となりテンション上がりました。
それにしてもニコラス・ホルトの不憫な役へのハマり具合はもはや名人芸の域だと思ってる。
リリー・ローズもニコラス・ホルトもガイコツっぽい美形なので100億点のビジュアル。ロバート・エガースは役者を王道使いするのも好きなポイント。
次回作もロバート・エガースの作品が楽しみ!
好みじゃないけど凄い
何か昔の時代(ザックリ…)とか、吸血鬼とか
ぶっちゃけ自分は全く魅力を感じない!めちゃ興味ない!
でもライトハウスとか前回のバイキングのやつとか
この監督の映画はいつも凄みがあって
見たことの無い絵とイカれたウィレム・デフォーが観れるので
興味ない題材だけど観てみた。
そして観てみると、やはりそんな自分が観ても
美術の作り込みや、監督の「これがたまらないんだよ!」という思いの伝わる印象的なシーンがいくつも記憶に残るので
本当に凄い作品だと思う。
リリー・ローズ・デップは、この役は彼女以外考えられないってほど素晴らしかったし
ノスフェラトゥもキモくて怖くて意味不明で良かった。
特に死に方の描写が面白くて好きだった。
ただ話の展開としては迷惑女が迷惑吸血鬼を呼んだせいで
みんな大迷惑すぎてドン引きだし展開には意外性がない。
ラストも責任取るべき人が責任とった感じで
そりゃそうだろって感じ。
全体的に隅々まで細かく描かれていて上手だけど
緩急がなくどこを見ていいのかわからない絵画みたいだった。
だけど監督の次回作も結局観に行っちゃうんだろうなぁ笑
リリー=ローズ・デップの顔芸が秀逸!
ロバート・エガース監督の前作
『ノースマン 導かれし復讐者』のビジュアルの質感が好きで
本作も楽しみにしていた。
それのみならず、吸血鬼🧛ネタが好みでもあるため
自分自身としては必見の映画だ。
エレン(リリー=ローズ・デップ)の夫、
トーマス(ニコラス・ホルト)が不動産の契約のため
オルロック伯爵(ビル・スカルスガルド)の城を訪れ
騙されて妻を手放す契約書にサインをし、その後、
城から脱出するためにあれこれするところまでが、
実にスリリングで面白い。
オルロックすなわちノスフェラトゥのビジュアルも
見えそうで見えないあたりもいい感じなのだ。
中盤以降は、ノスフェラトゥに操られるトーマスの雇い主
やエレンの顔芸がオンパレードでなかなかに疲れる(笑)
そして、劇伴がだいたい鳴りっぱなしなのも疲れるし、
たびたび驚かされるのも疲れてしまうという
ザ・ホラーなつくりなのだが、今では相当に新鮮味を欠く
演出に感じた。
ラストは吸血鬼らしい倒され方ではあるが、
エレンの一人勝ちというか、もはや救世主だ。
ウィレム・デフォーが良い役というのも、
違和感があってよかった(笑)
この人がいい人を演じた作品をほとんど見たことがない
ので、このキャスティングは新鮮だった。
めちゃめちゃ期待して観たけど、
期待通りなのはビジュアル。
あとはちょっと物足りなかった。
でもこうやって吸血鬼作品がつくられるのは嬉しい。
『アビゲイル』のような新鮮な作品に期待している。
伝奇映画のストロングスタイル
こんなにシンプルなゴシックホラーが最新映画が作られる、なんて絶対にないだろうと思う。
正直、シーンと相対する相手ごとに態度とセリフを変えるエレンというキャラクターは意味不明だ。化物に魅了され、夫を愛し、親友を困らせ、親友の夫に罵声を浴びせる様子は見ていて不愉快極まりない。
観ていて「この話はどっちに進むんだ?」と混乱してしまった。
オカルトがバンバン登場しているのにそれを受け入れず人々は混乱するばかりだし、エレンは言動がめちゃくちゃだし。しかも、満を持して登場した化物の専門家(ウィレム・デフォー)はほぼ役に立たない。
せめてノスフェラトゥが美形だとか同情できるバックボーンがあればあのラストに納得できると思うのだが、純粋なクリーチャーなのでそれも出来ない。古典ってこういうものだよ、と言われればそれまでなのだが。
ただ、とにかく映像は美しい。特に、トーマスが馬車に乗って進んだ先に古城があるシーンは、ポスターにして売ってほしいとすら思った。
楽しかった
残業で疲れた状態で見に行ったので怖くて叫ぶかと思った(笑)。前半はファンタスティックな感じで、音がひたすら怖かったし、映像の流れはテレビゲームみたいなところがあって死ぬほどドキドキした。自分は敵が出てくるテレビゲームが怖くてできない人なので…後半はノスフェラトゥの姿がちょっと無機質に感じられてそんなに怖くなかった。ウィレム・デフォーがかわいかったです。
ヴァンパイア物はセクシャリティの困惑が楽しくて、この映画もまさにそれを称揚してる感じでとてもよかった。でも乙女の犠牲というのは、どれだけ主体性を持たせても使い古された話で飽きる。同性愛のヴァンパイア物は結構あるから、今度は男女入れ替えるとか、ひたすら男性のイキ顔を崇める映画とかあったら絶対見たいかな。恐怖映画で。
お前こそ我が苦悩
こないだ鑑賞してきました🎬
これはまさに吸血鬼ホラーですね😳
エレンを演じるのはリリー・ローズ・デップ🙂
なぜか悪魔に気に入られる役ですが、憑かれている時の白目をひん剥いた表情は特筆もの。
ものすごいリアルさで、彼女の新境地といっても過言ではないでしょう🤔
エレンの夫トーマスにはニコラス・ホルト🙂
オルロック伯爵の屋敷に着いてからの一連の表情は、彼の心理をよく表してました。
この体験は彼のその後の行動に影響を与えましたね🤔
オルロック伯爵にはビル・スカルスガルド🙂
おどろおどろしい口調に、異様な雰囲気を漂わせる男。
長く伸びた爪に、フードから覗く目は…。
違和感なく役に寄せてましたね😀
アーロン・テイラー・ジョンソンは、トーマスの友人フリードリヒを演じます🙂
色々起こっても悪魔やらを信じない男。
しかし彼も家族も、今回の件に巻き込まれていくさまは、もどかしさを感じます。
フランツ医師を演じるのはウィレム・デフォー🙂
作中で変人扱いされてる彼ですが、デフォーはこういう役が似合ってますね😀
(褒め言葉です)
独特の口調でまくし立てるシーンは、持ち味が出てました👍
全体に陰鬱な雰囲気が漂う作風ですが、
リリー・ローズ・デップのトランス状態の演技は魂の叫びを感じられて、一見の価値ありです🫡
吸血鬼ホラーファンならば、見逃せない1本でしょう🖐️
タイトルなし(ネタバレ)
19世紀、北部ドイツのウィスブルク。
少女エレン(リリー=ローズ・デップ)はかつて、死してなお不滅の存在(ビル・スカルスガルド)と終生の愛の契りを交わしていた。
年を経て、エレンは不動産会社に勤めるトーマス・ハッター(ニコラス・ホルト)と結婚。
新婚早々トーマスは、カルパチア山脈に暮らすオルロック伯爵のもとを訪れなければならなくなった。
伯爵が、新たにウィスブルクに居を構えたい、と申し出、その契約のためだった・・・
といったところからはじまる物語で、あらすじ的にはF.W.ムルナウ監督版を踏襲している。
ただし、冒頭にエレンの物語が描かれていることもあり、物語の焦点はかなり異なる。
ホラー映画としての側面よりも、恋愛映画としてのそれである。
エレンを挟んでの三角関係。
終生の愛の契約を結んだエレンとノスフェラトゥに、人間トーマスが割って入った格好。
それゆえか、伯爵の造形は口髭などでやや人間味を残している。
(ムルナウ版、ヘルツォーク版をよしとする観客には不興を買うでしょうが)
陰の濃い画面、悠揚とした語り。
それでも、伯爵城への行程やデメテル号のエピソードなどは端折った感がするのは、三角関係に直接関係がないからか。
恋愛としても、好き嫌いだけではないあたりが興味深い。
エレンはノスフェラトゥへ終生の愛を誓っており(誓いは契約のもっとも簡素な形)、トーマスはエレンを伯爵に差し出す契約書にサインしている(騙されたといえども)。
関係性が「契約」に基づいており、旧・新約聖書との対比とみると、興味深い。
興味深い点は多々あるが、ハラハラドキドキ、ビックリキャァァを期待したひとには拍子抜け確実でしょう。
個人的には、悶絶レベルのおもしろさでしたが。
ホラーよりのロマンス映画
三大モンスター(知らんけどw)のゴシックホラー「吸血鬼」
エクソシストも追加されていて、キャストも豪華
とても期待していたものの、評価がどうも低めのようで
期待せずに鑑賞したら、あれ?好きだけど?ってなった🧛♂️
全体的に暗いから(ホラーだから仕方なし)
せっかくの豪華な衣装や建築物もよく見えなくて残念
エレン(リリー=ドーズ・デップ)に呼び起こされた
オルロック伯爵(ビル・スカルスガルド)の悲恋のように
見えて、なんだか切なくてラストのアレは可哀想になってきた。
長い…
オリジナルなサイレント版は未見、ヘルツォーク版はフジテレビのミッドナイトアートシアターで。
エガース版は他の作品もだけどかなりブルータルな仕上がり。
シンプルなストーリーなのにいろいろ枝葉を付けすぎて怖さ半減で冗長に。
奥さんがエクソシストみたいになるし、基本的にドラキュラ伯爵とノスフェラトゥは違う❓
半人半獣みたいな野蛮過ぎて知性が無くなったと言うか長い命の為にもうこれで死んでも構わないなら、あのラストもわかるけどあまりに頭が悪過ぎる…。
猫ちゃんは可愛い♥️
重厚で、リアルな吸血鬼映画だった。
重厚で、リアルな吸血鬼映画だった。でもなんか面白くない。
映画好き、「ノスフェラトゥ」好きの監督が頑張って作ったけど、凡庸で、結局「映画の神様」は降りてこなかった的な映画でした。期待していただけに残念。
まるで見せ物小屋のように、どでかい音や急なアップの映像で脅かすけれど、話が転がっていかない。
脚本が悪いのか?サイレント映画から映画を勉強すべきでは??
シーン、シーンの凝りようはわかるけど、いまいちセンスを感じない。途中で出ようかとも思った。後半の吸血鬼退治になってからは、ちょっと面白くなった。が、ペストの流行と重ね合わせての作りも怖さというか迫ってくるものがない。吸血鬼はただの鬼のような代物だし…。
センスなく、話は盛り上がらずに終わってしまう。特にラストの朝日が昇るシーンは重要なのに全然ハラハラしない。なぜ? で、ヒロインの献身的な姿も感動させてくれない。
一応ホラーだけど、ハラハラ感はなし。脅かしと、グロだけだね。絵が止まっているような映画だった。
コッポラの「ドラキュラ」(1992年)を見直して、映画作劇を勉強してから出直してこいと言いたい。
死んでもヤリたいアニマル吸血鬼によるNTR大作戦!(笑) 「美女と野獣」の行く末やいかに?
封切り週の土曜日昼に新宿Kino cinemaに行ったら、まさかの満員札止め!
まあ劇場が小さいからしょうがないんだけど、まさか観られないとは……。
翌日、改めてレイトショーに行って、なんとか鑑賞。
僕ら古めの人間から見れば、単なる『吸血鬼ノスフェラトゥ』(22)の二度目のリメイクといった印象しかないんだが、最近の若い人にとっては「あのA24で『ライトハウス』(19)を撮ったロバート・エガースの新作!」という扱いなのかもしれんね。
旧作のムルナウ版『吸血鬼ノスフェラトゥ』は一応大昔に観たことがあるが、実はたいして思い入れがない。ヘルツォークのリメイク版『ノスフェラトゥ』(79)のほうはいまだに見逃している。ただ予備知識として、一応「吸血鬼映画の元祖」でもあり、だいたいの内容は理解しているつもりだ。
今回のリメイクで最も目立つ変更点は、ラスト辺りの展開で「吸血」よりも「性交」に焦点を当てたという意味で、ノスフェラトゥのエレンへの執着がより「生々しい」ものになっている点だろう。
俯瞰して物語を見れば、本作は間違いなく「NTR(寝取られ)もの」の一典型を示している。まさに、これをNTRと呼ばずして、なにをNTRと呼ぶのか、というくらいの。
もちろん『ドラキュラ』だって旧版の『吸血鬼ノスフェラトゥ』だってNTRなのだが、今回は圧倒的にその気配が濃厚だ。
要するに本作はヴァンパイアものでありながら、「横恋慕した怪物が人間に恋するけど滅ぼされる」という、『キングコング』や『フランケンシュタイン』に近い「美女と野獣」の定型に敢えて寄せてあるのだ。「セックス」を前面に強調することによって。
明らかにデーモンを思わせる旧作の外観から、蛮族の野人に近い風貌に変更されたことによって、ロマンス小説における「ハイランダーもの」(イギリスの貴族階級の女子がスコットランド系の蛮族に誘拐されたうえに調教されて、女が蛮族の男らしさにめろめろにされる話)に近いテイストが生まれている点も、注目に値する。
「野蛮だけど雄雄しくて強壮な絶倫男」が、
「文明化されてるけどあっちの弱い男」を
差し置いて、美女をモノにするロマンス。
これは、本質的にはそういう物語だ。
さらには、エレンは昔から異様に感受性が鋭く、かつ性欲も強い、奔放で神経質な内向的タイプ。こういう女と暴力的で支配的な男の複雑な愛情と憎悪の物語としては、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』が容易に想起される。
要するに、ロバート・エガースは「ドラキュラ」の物語のなかに「ゴチック・ロマンス」としての19世紀的な要素を読み取って、それをわかりやすく拡大してみせたわけだ。
(ちなみに、オルロック伯爵の外見の変更には、昔からよく言われている旧版の『吸血鬼ノスフェラトゥ』が「ユダヤ人の外見=鉤鼻、長い爪、禿げ頭」を表わし、ドイツにおいて1920年代に荒れ狂っていた「反ユダヤ主義」を反映しているとされる話を製作陣が気にして、敢えて「避けた」可能性が高い。これは、ノスフェラトゥと呼称せずに製作された『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』(23)ではドラキュラの風貌がまんまノスフェラトゥを踏襲していたのと対極的である。今振り返って考えると、あっちの映画の船中のシーンは、まんま『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイクに近いものだったんだよね。)
同時に、先にも述べたように、これは「モンスターが美女を求めて滅びる」典型的な「美女と野獣」の物語でもある。
美女が野獣のなかに「善良さ」を見出すことができれば、それなりのハッピーエンドもありうるかもしれないが、本作のように「厄災」そのものの悪、周辺の家族を皆殺しにできるような許されざる悪が相手では、さすがに物語内で救われる余地がない。
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●ゴチック・ロマンスとしての「NTR」もの
●怪物映画としての「美女と野獣」の類型
他にも、エレンとノスフェラトゥ(オルロック伯爵)の関係性や物語の展開には、さまざまなフェイズの要素が投影されている。
●没落した貴族社会と、勃興する市民階級の対比
トーマスやエレンはドイツの新興階級の子女であり、19世紀に時代の主役へと上り詰めたブルジョワジーである。一方でオルロック伯爵はトランシルヴァニアの古城で蟄居同然の生活を送る貴族であり、階級的には過去の存在になりかけている。その「貴族」が「契約」という新たな近代的かつ法的な手段を用いて、ブルジョワジーの街に乗り込んで旧来的な闇の力で支配しようともくろむ物語でもある。
●抑圧された女性の性と、それを打破する異教の性神
19世紀は人類の歴史上で最も女性の「性」が抑圧されていた時代であり、そのなかでエレンは抑えきれない内なる情熱を抱えていて、悶々とした日々を送っている。その「はけ口」となるのが、ドイツの外からやってきてルーマニアの古語をしゃべる怪人である。エレン自身は「守護天使を召喚」したつもりというのは、「キリスト教の教えに従っていたつもりが、知らぬうちに禁忌に触れてしまった」という話で、キリスト教徒の堕落のいとぐちとして頻繁に出てくるロジックである。
●侵蝕してくる「魔」――ストーカーとしてのオルロック
予備的知識として、西欧では一般に魔は「招かれないと結界を越えられない」存在とされる。悪魔や吸血鬼が「外から呼びかける」のは、本人の意思で「呼び込まない」限り、建物のなかには「入ってこられない」からだ(本作と似たような「魔の越境」を描いたエストニア映画の『ノベンバー』(2017)でも、そういう描写があったはず)。
だからこそ、オルロックはエレンをしきりに呼び求め、エレンが「Come!」と行ったからオルロックはやって来られたわけだし、トーマスがサインをしたから街まで入って来られたわけだ。
一方で、この「合意」については、ストーカーとしてのオルロックがエレンを襲うに際して「性的合意」を取りつけている、あるいは幼少時に「守護天使」と勘違いして彼を呼び入れてしまったエレンの行為を「性的合意」と詐称している、というふうにも解釈が可能だろう。
●ペスト(疫病)の象徴としてのノスフェラトゥ
旧作でもそうだったように、ノスフェラトゥはネズミと密接に結びつけられ、街に疫病をもたらす存在として「象徴」のように描かれる。かつてペスト(黒死病)は、かかれば最後の恐ろしい伝染病であり、人口の半分が亡くなるような人類最大の恐怖の一つだった。
監督は当然ながら、19世紀の産物であるドラキュラ譚に、同じく「東から来た厄災」であるコロナのパンデミックを重ねて見ているはずだ。
●近代的な科学とオカルト的な錬金術の相克
科学が勃興してきたとはいえ、瀉血や拘束など「誤った医療」がいまだ幅を利かせていた時代を背景に、あえて「錬金術」研究に脱線して大学を追放されたフランツ教授(=「ヘルシング教授」)をヴァンパイア・ハンターとして活躍させる。ロバート・エガース監督のシンパシーがどちらにあるのかは、意外にわからない。もしかすると「女性や精神障碍者を抑圧するような科学」ならば、「太古の邪神につらなる知恵の体系」のほうがまだマシという感覚なのかもしれない。
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映画のなかでのエレンの扱いには、どこか複雑なところがある。
彼女は、決して観客が共感できるキャラクターとしては描かれていない。
とくに、自分に親切にしてくれた一家に対してよくあんな口が利けるものだというのは、観た人全員が感じることだろうし、エレン自身も、自分の感情や発言をちゃんとコントロール出来ていないような気配がある。
夢想的で、感情的で、性欲が強く、ロマンティスト。
態度がころころ変わり、発言もころころ変わる。
巫女体質で、影響を受けやすく、腺病質。
要求は多いが、他人に感謝できない。
夢遊病。てんかん。ヒステリー。
魅力的だが、面倒くさい。
いるよね? 身近にも。こういう女性。
ここまでじゃなくても。
こんな感じの人。
失礼承知で女優さんの名を挙げるなら、広田レオナとか、真木よう子とか、遠野なぎことか……。
これは、普段はあまり正ヒロインを務めないタイプのこういう「面倒くさい」女性を、敢えてヒロインに抜擢した映画なのだ。
自分自身でもヒステリー体質を抑えられなくて苦労していたなかで、セックスの出来る相手を見つけていったん落ち着くという話も、やけに生々しい。いかにも「抑圧された性衝動」のせいで異常行動に走っているといわんばかりの設定(笑)。まあ、幼少時の性的なPTSDのせいで、いろいろ身体と心の調子がくるっているという解釈なんだろうね。
彼女は19世紀の抑圧的な社会からはバリバリに浮いていて、幾多の苦難を味わうことになる。オルロックに魅入られたり、夢のなかで犯されたり。医者にしばりつけられたり、腕ぶっさされて血抜きされたり。街の人たちから白眼視されたり、言ってることを誰にも信じてもらえなかったり。で、みんなに言うことをきかされそうになる(最近はやりの「ガスライティング」ってやつですね)。あまり幸せな人生とは、到底いいがたい。
とはいえ、結局は「彼女を気にかけて、優しく庇護した一家」の経験する悲惨な末路を見れば、エレンが「本来的には関わったもの皆を不幸にする女」「近くで気になっても手を出したらえらい目に遭う女」として描かれていることも十分理解できる。
そう、これは「美女と野獣」の型に紛れて隠蔽された「ファム・ファタル(運命の女)」の物語でもあるわけだ。いわば、ホラーを偽装した「ノワール」。
若い女に執着して、身を持ち崩すのがオルロック伯爵で。
ダメだと思ってても、朝までアニマルみたいに頑張っちゃう。
で、燃え尽きちゃう。身も、心も。
ね、よくある話でしょ?(笑)
乱暴だけど結論を述べよう。
『ノスフェラトゥ』は、「腹上死」の物語である。
話の大筋自体は、地方の太客がコケの一念で上京して銀座の伝説のホステスとついに一夜をともにして、そのまま大往生して昇天、南無~というのと大差ない気もします。
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その他、寸感を。
●これ、リリー=ローズ・デップのやってるヒロインって、もともとはアニャ・テイラー=ジョイがやるはずだったんだってね。それはそれで観たかったなあ。
●オルロック伯爵役のビル・スカルスガルドの顔をパンフで見て驚愕。あんな野人メイクしちゃったら、こんな美青年にやらせる意味まるっきりないじゃん!(笑)
しかも、彼に決まるまではダニエル・デイ=ルイスやマッツ・ミケルセン、結局教授役をやったウィレム・デフォーなどもこの役で検討されたとのこと。なにそれ、ぜんぜん違うじゃん、オッサンばっかじゃん!!(笑)
いうなれば、内に魂を込めた人形のようなもので、オルロック伯爵のあの外見のなかに「繊細で細面の美青年の魂」が宿っているというのが、ロバート・エガース監督の考えなんだろうね。まさに「美女と野獣」のビーストだ。それを「表面には表れない配役」で表してる。
あと、スカルスガルドの放つ低音は、脳をゆさぶる美声だった。
●この映画で一番恐ろしいのは、実はノスフェラトゥ=オルロックではない。
当たり前のように、街の平和のためなら生贄にエレンを捧げるしかないと結論付けて、あまり逡巡したり苦悶したりする様子もなく、「オルロックにエレンを抱かせる」NTRつつもたせ計画を実行に移す、教授と医者のコンビのほうが、よほど怖い。
要するに、「正義」もまた「悪」の一形態にすぎないってことなんだろうなあ。
●ノスフェラトゥが支配しているシーンのみがモノクロ、それ以外のシーンが彩度を極端に抑えたカラーというのは、よく考えられた象徴的な演出だ。総じて美術や撮影のすみずみにまで監督の美意識が張り巡らされていて、ゴチック的な映像美を存分に堪能できる。
また、影を用いたドイツ表現主義的な演出は、旧作への限りない愛慕を込めたオマージュとしてしっかり機能していた。
決して怖くもなければ見やすい映画でもないとはいえ、少なくともとても美しい映画ではあったと思う。
取捨選択せずに撮りたいものを撮ったという感じだが、やっぱりちょっと長いよねえ
2025.5.20 字幕 TOHOシネマズ二条
2024年のアメリカ&チェコ合作の映画(133分、PG12)
ヘンリック・ガーデン監督の映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイク
原作はブラム・ストカー『吸血鬼ドラキュラ』
超常的な存在と繋がった女性の運命を描くホラー映画
監督&脚本はロバート・エガーズ
原題の『Nosferatu』はドイツ語で「吸血鬼」という意味
物語の舞台は、1830年代のドイツ
超常的な存在に助けを求めるエレン(リリー=ローズ・デップ)は、祈りを捧げたのちにノスフェラトゥ(声:ビル・スカルスガルド)と通じ、約束を交わすことになった
それから数年後の1838年、エレンはトーマス(ニコラス・ホルト)と結婚し、幸せな日々を過ごしていた
金銭的に裕福ではないトーマスは、友人で造船業を営んでいるフリードリヒ(アーロン・テイラー=ジョンソン)にお金を借りていたが、勤めている不動産業も徐々に慣れ、近い将来には借金を返そうと考えていた
トーマスはクノック(サイモン・マクバーニー)の経営する不動産屋で雇われていて、遅刻癖から先輩たちからは呆れられていた
ある日のこと、クノックからポーランドに住むオルロック伯爵(ビル・スカルスガルド)からヴィスブルクにあるグリューネヴァルト荘園の購入の打診があったと告げられる
伯爵は都合によりこちらに来ることができず、そこで彼の邸宅に言って契約を取り交わしてこいと言われる
往復路を含めて一週間程度はかかるとされていて、そこでトーマスはエレンをフリードリヒの家に預けて、伯爵の元へと向かうことになったのである
映画は、トーマスと伯爵のパートと、エレンのパートが行ったり来たりする内容で、時系列はいじっていないので混乱はしない
ただし、終始画面が暗く、室内のシーンがほとんどなので、かなり眼精疲労がきつい内容となっていた
ホラー的なシーンはジャンプスケアが何度かあるぐらいで、心理的な怖さとか、見た目のグロさはそこまで感じない
伯爵のところに向かうまで、到着してからの顛末、そこから伯爵が海を渡るという一連のシーンと、トーマスが伯爵のところから逃げ出して教会で助けられるところとか、エレンサイドで夢遊病が悪化していく様子が事細かに描かれていく
なので、133分という少し長めの映画になっていて、体感時間的にはもう少し長いように思えた
流石に有名すぎる話で、海のシーンだけで一本の映画になる作品なので、全部入れ込むのはちょっと無理があると思う
距離のことを考えると、1週間で往復は無理だと思うのだが、当時の設定そのままなので突っ込んでも野暮なのだろう
伯爵が海を渡って来る距離も相当で、黒海から地中海を抜けて大西洋を北進することになるのだが、それだけでも結構かかるよねとか考えてはいけないのかな、と感じた
吸血鬼という存在に懐疑的なフリードリヒは流行病だと断定するし、その論説を唱えるフォン・フランツ(ウィレム・デフォー)との間に立たされるジーファース医師(ラルフ・アイネソン)も大変だっただろうなあと思う
普通の治療をしてもうまくいかず、かと言って超常的な事象を鵜呑みにも出来ないので、結果として対処療法になってしまう
医師が超常的な現象だと理解するのが、いつの間にか(契約書のサインの時かな)忠実な僕になっていたクノックの存在認知であり、同じようなことを色んな人から言われると信じてしまうレベルなのは致し方ないところだろうか
ジプシーとか、宿屋の主人の義母とか、ロマの老女とか、ややこしそうな人たちが意味深な言葉をトーマスにぶつけていくのも面白いのだが、それぞれがドラキュラというものをどのように認知しているのかの違いだった
伝聞と目視で言えば伝聞の類だと思うので、そう言ったものを信じるのはスピリチュアルな能力の賜物なのだろう
冒頭でエレンは伯爵と交信をしているのもその典型的なシーンで、電波系をいかにして現実に落とし込むのかと命題があったが、さすがちょっと苦しいところが多いなあと感じた
いずれにせよ、もう少しコンパクトにまとめて欲しい作品で、エレンの祈りから始まるなら、エレンのパートを主軸にした方が良かったと思う
映画は、エレンの待ち人パートとトーマスのロードムービーが重なっているので、視点が移動しまくって忙しい
それでいて、それぞれのシーンはこだわりがあって撮られているので、ある意味テンポを犠牲にしてでもきちんと描くという趣旨があるのだと思う
なので、これまでのドラキュラ映画で物足りなかった人向けのマニア映画だと思うので、あんまり一般層には響かないのかな、と思った
あの方が来る
1838年ドイツにて、伯爵からの依頼との命を受け廃墟となった古城を訪れた不動産業者の男が、不穏な事態に巻き込まれる話。
若い女性と怪しい存在のプロローグに始まり数年後、新婚の妻エレンが悪夢を理由に引き止める中、夫トーマスがオルロック城へ出かけて巻き起こっていくストーリー。
道中の宿でもフリがある中、どう見ても怪しい閣下と対峙し思うツボ…そして妻の方も…。
登場人物みんな人の話しを遮って茶々入れて、引っ張ったり引っ掻き回したりするし、ノスフェラトゥ本人のみならず、あっちこっちで煽りに煽るし理屈もわからずある意味何でもありで中々本筋部分が進まず飽きてくる。
ノスフェラトゥと対峙するために何かイベントや試練がある訳でもなく、最初からちゃんと話ししてその通りにすれば終わるってことですかね?なんて思っていたら、特に何かした感じもないのにキッケレキー。
で、なんでエレンも?
こういうダークファンタジー系が好きな人にはハマるのかも知れないけれど、自分には冗長だった。
古典のリメイクとしては上出来だが、オカルトホラーとしては物足りない
モノクロとカラーの画面を巧みに切り替えることによって作り出された陰影に富んだ映像と、怪奇映画らしい幻想的でオドロオドロしい雰囲気は存分に楽しめる。
ただし、堪能できるのは「雰囲気」だけで、まったくと言っていいほど「恐怖」を感じることができなかったのは、オカルトホラーとして致命的だろう。
そもそも、グロテスクな老人然としているノスフェラトゥには、女性を惑わす「魔人」としての魅力がないし、悪夢を見させたり、催眠術のような能力で人を操ったり、ネズミを使ってペストを流行らせたりするだけで、どうやってもコイツは倒せないと思わせるような手ごわさが感じられないのは、物足りないとしか言いようがない。
結局、ヒロインが、自ら進んでノスフェラトゥを受け入れなければならなかったのであれば、彼女の夫が、遠路はるばる契約を結びに行く必要はなかったのではないかとも思えてしまう。
ヒロインが、自己を犠牲にしてノスフェラトゥを滅ぼすラストにしても、元々、ノスフェラトゥを長い眠りから呼び覚ましたのは彼女だし、自分で蒔いた種を、自分で刈り取っただけなので、それほど評価されることのようにも思えない。
何よりも気の毒なのは、主人公の夫婦を献身的に支えてくれた友人の夫婦とその子供たちで、一家4人が全滅の憂き目に遭うというのは、余りにも救いがないし、その必要性はあったのだろうかという疑問も残る。
古典を現代に蘇らせることには、それなりの意義があるのだろうが、その上で、現代の観客を満足させることの「限界」のようなものも感じてしまった一作であった。
邪悪な吸血鬼が淫靡な世界に誘う・・・
いつもの悪い癖が出て冒頭部分を見逃してしまったため、解釈に誤りがあるかもしれませんがご了承願います。
さて本作品ですが、吸血鬼と言うとドラキュラ伯爵が頭に浮かび、紳士的なイメージがあるのですが、「ノスフェラトゥ」は、まさにモンスターでした。
ブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」を非公式に映画化した「吸血鬼ノスフェラトゥ」のリメイクということで、やっぱりちょっと趣が違うんですかね。
なにしろ生々しいと言う印象を強く感じます。
ゴシック調の雰囲気を漂わせつつも、起こる出来事はリアルで、凄惨な表現が多かったです。
【ネタバレ含みます】
容姿からしてモンスターっぽいノスフェラトゥは、邪悪な悪魔、ケモノ的な荒々しい強さを魅せつけます。
そんな事もあってか、襲われる女性もやたら艶っぽい。
ドラキュラは処女の血を好むとか、聞いた覚えがありますが、本作では人妻を略奪するようなエロっぽさがあります。
元となった「吸血鬼ノスフェラトゥ」もこんな感じだったのかな?明らかにドラキュラ伯爵とは異なりますね。
基本的な設定は変わりないみたいなんですが(先日見たデミトリ号っぽい話も盛り込まれてました)、ラストも生々しかった。
日光に当たって灰になるかと思ったら、生々しい死体がそこにありました。一晩中、ノスフェラトゥを留めるためにその身を捧げる人妻。一緒に死んじゃうなんて、え〜〜〜っ!
想像以上に楽しませてもらった一本です。ドラキュラとは違う吸血鬼映画にワクワクしちゃいました。
物語に盛り上がりも盛り下がりも無い
余り期待しないで観たが、、、正直配信かレンタルで良いであろう…。(あるいは観なくても…。)
ホラー映画(ホラーなんだよね⁈あんまり怖くはなかったんだけどイヤ全然怖く無かった)なので致し方無いが終始画面が暗く解りづらい。。 映画館でこれなので家の画面で見たらたぶん暗過ぎて訳が分からないと思う。
最初から主人公(エレン)の精神状態について行けないので感情移入出来ないまま物語りは進む。
衣装やセット・美術は良かったが、ストーリーに盛り上がりも盛り下がりも無く、この作品を撮った意図や意義を全く感じられずに終わる。特にラストシーンの終わり方が解らない…なぜ日が登るまでエレンの血を吸い続けたのであろうか⁈それがエレンの魔力であったからなのであろうか⁈もしや二人は愛し合っていたからなのであろうか⁈全く解らない…。致命的なのは、もっと"エロス"を表現すれば良かったもののそれも中途半端であったし、と言うか「エロチックにしてますよ」と独りよがりの映像となっていて肝心な"エロス"がこちら側に伝わって来ない。
この消化不良状態を何処に持って行けばよいのだろうか…⁉︎
悪魔の花嫁
ストーリー展開よりシネフィルが世界観を堪能する為の映画な感じでしたが、シネフィルでなくても80年代の少女漫画好きな私には楽しめました。
感染症になす術のないどんよりとした空気。疫病や精神疾患を悪魔の仕業と考えられていた時代。当事者の方々の苦しみはどれほどかとも思いましたが、もしや現代より人としての尊厳は守られていたのかも?
オリジナル作品はまだ未鑑賞ですが、大変な傑作なのだろうと思います。どこまで忠実なのかは解りませんが、閣下は絶世の美男子にして、正体を現すのは朝日を浴びるシーンのみの方が良かったかな~?
ヒロインも美形両親のいいとこ取りなんだから、もっと綺麗に撮ってあげたら…。と思いましたが、呪縛を断ち切り本物の女優への復活を目撃する感動がありました。
酷い。
映画サイトが何やら凄い映画と話題にするので初日に鑑賞。
明らかにブラム・ストーカー版をベースにしてるのに
ジョナサンをトーマス
ミナをエレン
ヘルシング教授をフランツ教授
ドラキュラ伯爵をオルロック伯爵
と名前が変わってるので終始違和感が拭えない。
内容もただの少女だったエレンが伯爵を蘇らせるとかトーマスが陸路で城に行けたのに伯爵は海路でロンドンに行くとかえ?ってなる箇所が目立つ。
肝心の伯爵は城に居る時は終始暗がりで全容を見せないのは良かったけど血を吸っても若返らずハゲ頭のままでやたら裸を見せるシーンが有って怖いどころかただ気持ち悪いだけ。ラストは伏線が張られていたとはいえエレンとのHに夢中になって朝日を浴びて死ぬとか間抜け過ぎ。
吸血鬼とヒロインが恋仲になるのはコッポラ版がやってるけどそっちの方が断然うまくやれてたと感じさせる映画だった(ラストもミナがドラキュラの首を斬るって衝撃の展開だし)。
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