岸辺露伴は動かない 懺悔室のレビュー・感想・評価
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原点の短編を映画として
岸辺露伴は動かない、原点である懺悔室の映画化。もともとの物語、そして原作の再現が難しいところをオリジナルや熱演で実写映画となっていたのは素晴らしいと感じた。
ストーリーに関して、呪われた男が愛する娘の人生を壊してでも自分の命を優先するかと思ったが原作でも悪人であると記載されているし、まず浮浪者にあんな態度をとっている時点でろくな人間ではなかったのだろう。斬首シーンをどう再現するか楽しみだったがもっと残酷さが際立つ描写になっていた。とてもインパクトがあり良かった。
本当に実写として素晴らしいシリーズであるため続編のドラマを作っていただきたい。月曜日 天気ー雨やブルスケッタの未知の虫系をぜひこの実写でみてみたいと思う。
さすがの脚本 小林靖子
荒木飛呂彦作品が好きで、彼の作品は全て読んでます。
あの短い短編をどうするのか?と思ったら、あれが前半、そしてその続きが後半です。
さすが脚本 小林靖子。後半は原作に無いオリジナルなのに、(絵面は若干物足りないが)原作超えを果たさんばかりの出来栄え。
露伴先生の地雷はそこにあるよねーと納得です。
【”ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア。そして人は誰でもペルソナを被っている。”今作は、ヴェネチアを舞台にした高橋一生夫妻が活躍するミステリーであり人間の幸福、運命、欺きの報いを描いた作品なのである。】
■漫画家・岸辺露伴はヴェネツィアの教会で、仮面を被った男(井浦新)の恐ろしい懺悔を聞く。それは若き彼(大東駿介)が、誤って浮浪者(戸次重幸)を殺したことで浮浪者にかけられた「幸せの絶頂の時に“絶望”を味わう」呪いの告白だった。
幸福から必死に逃れようと生きてきた男は、けれども次々に幸福になって行き、資産家の娘と結婚し、娘を成す。そして、ある日無邪気に遊ぶ娘を見て「心からの幸せ」を感じてしまう。
その瞬間、死んだ筈の浮浪者が現れ、高く投げ上げたポップコーンを三度続けて口に入れないと絶望に陥るという呪いを再び彼に告げるのであった。そして、男は貧しき男(井浦新)の顔と自分の顔を入れ替えて、その呪いから逃れようとするのであった。
そして、懺悔室での奇妙な告白にのめり込む露伴(高橋一生)は、相手を本にして人の記憶や体験を読むことができる特殊能力”ヘブンズ・ドア”を使い真相を探るが、自身にも「幸福になる呪い」が襲いかかっている事に気付くのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・相変わらず、漫画を読まず、NHKのドラマ(になったのかな?今作。誰か教えて!)も観ない私にとっては、ナカナカな序盤で有ったが、前作で岸辺露伴の特殊能力”ヘブンズ・ドア”を学習した私にとっては、ちょろいモノであった。エラソーですいません・・。
・”貧しい生活を送る人には、食事を施そうね!”と言う物語かと思ったら(コラコラ)、浮浪者の呪いから”欺き”により、男(井浦新)が逃げようとする姿を、美しく育った娘マリア(玉城ティナ)の幸福なる結婚を絡めたミステリーでありました。
マリアは仮面制作者として生きていたが、彼女には婚約者が居り結婚を控えていたのである。が、男(井浦新)は娘の結婚により自分が幸福になる事を恐れ、ナント、娘の結婚相手を殺そうとしていたのである。
■露伴と、女性編集者が知らない男から”チケットを貰って”オペラ“リゴレット“を鑑賞しに行くシーンも、ラストの展開を示唆しつつ、そこから捻りを入れた物語構成に深みを与えている。但し、オペラ“リゴレット“の概要が頭に入っていないと、ちょっと無駄なシーンに思えるかもね。
・だが、露伴は男(井浦新)の目論見を見通していて、結婚式の日取りを一日早め、場所も変えていたのである。だが、狙撃手の弾丸はマリアの胸を貫くのである・・。だがそれはマリアの父に掛けられた「幸福になる呪い」を解こうとするモノであった・・。
<今作は、人間の真なる幸せとは、運命とは、そして欺きの報いを描いた作品であり、且つヴェネチアを舞台にした高橋一生夫妻が活躍するミステリーなのである。
因みに、高橋夫妻は撮影後に、「幸福になる呪い」を軽ーく跳ねのけて、ヴェネチア観光を楽しんだそうである・・、という噂がある。今作で、相変わらず明るい編集者を演じた飯豊まりえさんが、ムッチャテンションが高かった理由が分かる気がするのである。幸せで良かったね!>
■イタリア人俳優さん達が、顔の上に文字を書いた顔型の本を乗せられた時の台詞。
・”コレハ、ナンデスカ?”
・映画製作陣・・”コレハ、ロハンガ”ヘブンズ・ドア”トツブヤクト、ソノヒトノカンガエガアラワレルホンデアリ、カレハソノホンニジヲカキコムコトデ、ソノヒトノコウドウヲ、アヤツルコトガデキルンデスヨ。”
・”フーン。ヘンナノ。”
と言うような会話がされたかどうかは、明らかではない・・。
呪いの連鎖を断ち切る強さ
とにかく俳優陣の演技が最高だった。
高橋一生の岸辺露伴はハマり役。
冒頭の懺悔室で告白を聴くシーンなんて、
岸辺露伴の悪戯心というか性格の悪さというか好奇心旺盛感が抜群に面白い。
大東駿介の変顔ポップコーン食い&鳩🐦とポップコーンを取り合う姿が滑稽だし、
戸次重幸なんてもはやホラー扱い、デイヴィッド・クローネンバーグばりのホラー。
井浦新もやりすぎなくらい狂った演技でもはや笑えるレベルで面白かった。
ヒロイン玉城ティナのハーフ娘感もばっちりハマったいた。
飯豊まりえも期待通り。
呪いの連鎖的な話で、幸せの絶頂時に不幸のどん底に落としてやる的な呪いなのだが
何より面白いのは、幸せの絶頂にならないようにコントロールするあたりが
実に人間らしくて滑稽。もうこれ自体が呪いということに気づいていない。
そこを演技で打破する岸辺露伴の演出はさすが売れっ子漫画家だ。
泉とのラストシーンも実に美しく、満足。
ただ、なんというか前半はすごく勢いがあって、荒木飛呂彦らしくて面白かったのだけれど
中盤から後半にかけてはちょっと失速しちゃったかなと。間延び感もあったかなと。
劇場版にするよりも、ちょっと長めのテレビドラマにしていたほうが面白かったかなと思う。
とはいえ、公開初日レイトショー@セントラル宮崎で約7割ほどの入客。
これは宮崎ではヒットと呼べる実績。
興収がどこまで伸びるかも楽しみ。
幸運という不幸
この作品が映画化すると聞いて、とても楽しみにしていました。
原作では露伴先生が呪われた男の告解を聞くだけの、シリーズ中で比較するとやや地味な舞台設定。
けれど原作ファンとして不安がなかったのは、スタンドという言葉を使わずにヘヴンズドアーを使いこなし、ジョジョならではの特徴的な衣装も巧妙に実写へ落とし込むことができるスタッフさんだからです。
本編は一言でいえば、原作の拡大でした。
テーマをより掘り下げ、原作では描かれなかったひとつの結論を導いた、とても素敵な作品でした。
エンドロールで戸次重幸さんの名前を見かけた時、「戸次さん?出てたっけ?」としばらく考えて、あの浮浪者が戸次さんだったことに気付きました。全然顔に目がいってなかった。あの狂った演技、最高でした!
不協和音な音色のなかで。
取材で立ち寄ったベネチアの教会で、仮面を被る日本人男性に神父と間違われ懺悔を聞かされ巻き起こる漫画家・岸辺露伴の話。
「幸せの絶頂の時にくる“絶望”」という呪いを掛けられた仮面を被る男・水尾、…そのベネチアの街で仮面作りをする水尾の娘マリアの控える結婚式、その結婚式=“幸せの絶頂”と顔まで変えた父が邪魔しようとするが…。
世界観、作品雰囲気と嫌いじゃないし悪くないけど少し静かめな本編とピアノの音色でウトウトしちゃって。
原作未読、ドラマシリーズはアマプラ配信の方で追っかけたけど追っつかず、作品感想とは関係ないけど担当編集者・泉役の飯豊まりえさんって何かいいんだよな~と調べたら高橋一生さんと結婚してたんですね!
ポップコーンを上に投げ口でキャッチは変顔七変化みたいになったけど高橋一生さん演じる岸辺露伴が魅力的でカッコよく少しウトついたが楽しめた。
原作からの続きを補完できるとは。コメンタリー版も◎
原作は全て拝読。
ドラマ全て拝見。
原作で初めて拝見したのがこの『懺悔室』、
本来、身代わりさんが亡くなって呪いが
続くまでが本編でした。
それ以降が描かれるとあり楽しみ半分、
不安半分でしたが個人的にキャラクターや
ストーリーの流れもよく楽しめました。
岸辺露伴じゃなかったらもしかしたら
物足りなさはあったかもしれませんが、
それぞれの俳優陣、スタッフさんの
荒木作品の愛情が感じられて
拝見していて楽しかったです。
ルーヴルへ行くより懺悔室が好みです、
マリエ君の魅力もいつも通り物語へ
しっかり影響してます。
田宮は
原作では哀れな呪われし者と言う印象
でしたが、今回井浦新さんの怪演で
呪いの影響か本質がサイコパスなのか
裏にある気持ち悪さも垣間見えて
魅力的なキャラクターになってましたね。
所々の台詞いいまわしがほどよくて
ジョジョ愛を感じて好印象でした。
難点をいえは呪いの影響のルールが
わかりにくいので岸辺露伴を特に好き
じゃない方が見たときに
微妙な反応になるかもしれません。
あくまで死んだ者たちの呪い。
というだけで、ものすごく綿密な
ルール化されたものがないので
私はあまり気にせず楽しめましたが
人によるのかな、と。
あそこまで行くともう田宮の
スタンド能力じゃないかなと
勘繰ってしまいます。
追記:映画館でコメンタリー版映画見ながら聞けます。アプリダウンロードでイヤホンつけたら
岸辺露伴が『今この声が聞こえてると言う事は、君は耳にイヤホンをつけてる、という事だな』とアナウンスが流れたり始まったら高橋一生さん、マリナさん、井浦さん、監督の話でニヤニヤします。
これは面白い。いや最高の映画体験でした、これくせになるなァ。コメンタリー是非体験して頂きたい。
ヴェネツィアにじっとりと蠢いている「異端さ」
※5/12のジャパンプレミアにて初見。
※今後数回鑑賞予定なので、完全版レビューを公開します。
取り急ぎ、初見時に強く印象に残った点について。
◯画の美しさ
オールヴェネツィアロケ、とは予告や宣伝で沢山聞いていたけれど、映画を観てその意味がちゃんとわかってなかったな…と思うくらいに凄かった。
とにかく、どのシーンを切り取っても、画の美しさが格別に違う。
言葉にうまくできない。もうそこに佇み、存在しているだけで美しい。
スクリーンを介して、暴力的なくらいにその美しさで圧倒してくるし、無言のうちに雄弁に都市って語るのだなと初めて感じた。
また、都市の風景に関わらず、特に美しいと思ったシーンは…
・懺悔室での懺悔の核心部分を聞いてしまった後の露伴
まなざしはフレームアウトし、口元のみが大映しになるショット、最早美しさ端正な顔の輪郭すら怖すぎると感じて、ゾクゾクしてしまうくらいだったなんと美しいことか…
・ラストシーン。言うこと無いですね。
一生さんも舞台挨拶でこのシーンについて言及していたくらいには、貴重な一瞬の空の移ろい、海の輝きを閉じ込めたようだった。
個人的には、『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』の時の、パリパートのラスト(ルーヴル前で露伴と泉の会話、曇り空が映るシーン)をヴェネツィア版にするとこうなります!という感じかなと思ったり。
パリとヴェネツィアの都市性の違い、みたいなことも感じたので、今後掘り下げていきたいかも。
◯脚本、原作からの追加パート
原作パートを本当に前半1時間でテンポよく描ききり、後半1時間をオリジナルで更に展開した点について、
原作がドラマサイズくらいなので、どんな感じになるのかなと思っていたところ、
原作では名前も出て来なかった娘=マリアを膨らせることで、更に「呪いの連鎖」の構図になっていて、構成の更なる深み・面白さを感じた。
さすが靖子にゃん(脚本の小林靖子先生)と思わずにはいられなかった。
◯井浦新さんが凄い
本当に凄かった。キャストの皆さんとても良かったし、ファンとしては一生さんやっぱり凄い露伴先生はこの人だけだよ…とは思っているが、今回のMVPは間違いなく井浦新さん。
とにかく、「井浦新に背負わせたい業・難役」をてんこ盛りにしていたし、
舞台挨拶からも田宮の芝居からも、井浦さんご本人が原作ファンとしての気合いで満ち満ちていて圧倒されたし、
何より、人間の持つ様々なしんどさ・どうしようもなさ・みっともなさ・残酷さ等、人間の負の部分(という表現は適切で無い気がしますが、適切な表現がわからない…)の見本市みたいなことをお一人でやられていて、芝居のパターンの幅広さに本当に感動した。
◯音楽
こちらについては2点。
・少しニッチな話ではあるが、田宮の懺悔が佳境に入った時、テレビシリーズの『六壁坂』でやはり佳境のシーンで使われていた『愛のテーマ』という楽曲が使われている。
私が本シリーズのサウンドトラックで最も好きな楽曲なので、映画館で本当に驚いたし、菊地成孔さん!新音楽制作工房さん!ありがとう!!!という気持ちでいっぱいである。
それでは、何故この曲が再度"引用"されたのかと考えると、単純な考えではあるがやはり両エピソードとも親から子への呪いの連鎖の物語であり、「血脈」の濃さ・怖さ・断ち切れなさを描く象徴的なエピソードという相似が見られるからではないだろうか。
・お馴染み『大空位時代』は、テレビシリーズから『ルーヴル』でスケールアップしていたので、今回は更に変化があるのか?どうなるのか?と気になっていたら、きちんとヴェネツィアバージョンになっていた。街全体に響き渡る印象的な鐘、そして呪いの瞬間に打ち鳴らされる鐘が加わっていた。
この鐘の音色は幸福がもたらす祝福なのか、絶望へのカウントダウンなのか、どちらにも捉えられるようで印象的だった。
◯岸辺露伴は「血脈」の物語なのか?
これに関しては、ジョジョファンの方はきっとお詳しいと思う(私は露伴シリーズのみ原作を読んでいて、ジョジョ全体は読んでいないため)ので、私が言及しきれないところも感じてはいるが…
少なくとも岸辺露伴シリーズ全体を貫く軸なんだろうなということを、改めて強く感じた。
『ルーヴル』のレビュー(プロフィールよりブログにて完全版アリ)でも言及したが、『ルーヴル』は黒い絵を巡る血脈の呪いの物語で、それが最後に映画オリジナルパートである岸辺家(露伴と奈々瀬)の血脈の物語に帰結する。
また、先ほど音楽で触れた『六壁坂』も奇妙な「子孫だけを残す妖怪」のエピソードである。血脈の象徴である子孫を(しかも本人は不在であるというのに)残すことで、相手にいつまでも「忘れさせない」という永遠の束縛を果たす物語だと私は捉えている。
以上の点からもやはりこのシリーズは、血の繋がりが齎すものの光と闇について、形や場所を変えながら変奏し続け考え続けさせるような作品のように思えてならない。
※いろいろ書きましたが、当方高橋一生さんのファンです。今回も抜群にビジュアル良し、芝居良しなので、とにかくスクリーンで!ご覧ください!!!
幸せとは、ふと訪れる安堵が充満した感情のことだと思った
2025.5.23 一部字幕 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(111分、 G)
原作は荒木飛呂彦の同名漫画
ヴェネツィアにてある男の告白を受けた露伴を描くミステリー映画
監督は渡辺一貴
脚本は小林靖子
物語の舞台は、イタリアのヴェネツィア
交際文化交流のためにイタリアを訪れた岸辺露伴(高橋一生)は、予定を前倒しにして、ヴェネツィアを訪れていた
次作のための取材を兼ねてヴェネツィアを散策していた露伴は、そこで自身のファンを名乗るスリ(Nicò Sordo & Moreno Corà)に絡まれてしまう
盗難を無事に交わした露伴は、二人を能力にかけ、彼らの記憶を読み取っていく
そこには、マスクについて描かれたページがあり、彼らが持っていたものが盗難品であることがわかった
その後、露伴が散歩を続けていると、本物の仮面を売っている店を見つけた
中に入ると、そこには若い仮面職人のマリア(玉城ティナ)がいて、盗まれた仮面を返すことになった
一方その頃、イタリアで合流するはずだった編集者の泉京香(飯豊まりえ)は、予定の会場にて、主催者のロレンツォ(アンドレア・ベッラチッコ)と打ち合わせに入っていた
露伴がヴェネツィアにいると聞いて怒り出した京香は、その足で露伴を置くことになったのである
映画は、その後散策を続けていた露伴が、ある教会の中にある懺悔室に足を踏み入れる様子が描かれていく
その部屋が懺悔室と知らなかった露伴だったが、仕切り越しに座っていた男(井浦新)は、露伴を神父だと思い込んで告解を初めてしまう
男の名は水尾と言い、彼はかつて旅行でこの地を訪れていたが、窃盗に遭って、現地で働かざるを得なかったと言う
そして、そこでソトバ(戸次重幸)と言う浮浪者に遭遇し、食べ物を恵んでほしいと言われてしまう
水尾の言葉を受けた浮浪者は荷物運びをするものの、よろけて階段下へと転落死してしまう
そして浮浪者は、水尾に対して「幸せの絶頂の瞬間に、お前を絶望に落としてやる」と言う呪いをかけた
それ以降、浮浪者の怨念は水尾を陰で支えながら、彼が幸福の絶頂に至る瞬間を待ち望んでいくのである
映画では、告白する男はマスク姿であり、露伴の再現映像は別の人物にて再現されていた
実のところ、水尾は浮浪者の呪いから逃れるためにあるシナリオを描いていて、その際に起こったことを後悔していた
懺悔室で語られるのは、呪いを回避するために代役を立てたことだったが、浮浪者はそれを看過していた
姿も名前も変えた水尾は田宮と名乗り、次々と成功を収めていく
そして、娘(マリア・M)を授かり、幸せの絶頂を迎えてしまう
物語は、その娘が成長し、仮面職人のマリアとなっていることが暴露され、彼女にはロレンツォと言う婚約者がいることが判明する
そして、その結婚が実の父親の手によって失敗へと導かれようとしていたのだが、そこで露伴の能力が役に立っていく
露伴は、独自に結婚を阻もうとする輩を特定し、ヘヴンズ・ドアの能力にて、そうならないように書き込んでいた
それらが結実するのがラストの教会での顛末であり、物語は幕を下ろすのである
本作では、オペラの「リゴレット」が引用され、劇中でもそれを演じるシーンが登場する
ものすごく有名なオペラなので知っている人もいると思うが、それを知っていたらラストのネタバレは読めてしまったりする
かと言って「リゴレット何?」では厳しいと思うので、気になる人は「結末部分」だけ指で隠して、起承ぐらいまで読めば良いのではないだろうか
いずれにせよ、全編ヴェネツィアロケが行われていて、多くのイタリア人俳優たちが参加している
基本的に短編にオリジナル要素を加味してボリュームアップしているのだが、個人的にはそこまで改悪とは思えなかった
それよりも、高橋一生演じる露伴を受け入れられるかが鍵となっていて、やっぱり実写でやると変だよなあと思ってしまう
個人的に好きなのは、露伴と京香のズレた掛け合いなのだが、それがあまり多くなかったのは残念だったなあ、と思った
原作に対する冒涜
残念の一言に尽きる。
ベネツィアは美しい。構図もいい。役者の演技もいい。ロレンツォの愛嬌のあるキャラクターは癒しだった。脚本に若干の破綻はあったがそれをカバーして有り余る。だというのに、生成AIで出力した音楽を使ってしまった。魅力的なBGMならまだ多少マシな出来になったことだろうが、不協和音寸前な上に耳に残るものが何一つない。生成AIだと知らない状態で聞いてもだ。最悪である。
公開初日と舞台挨拶回の2回鑑賞し、音楽は微妙だったが今回も良い出来栄えだと思っていたところに全て生成AI作曲だと知り、パンフレットを見ながら反芻して楽しもうと思っていたものは全て吹き飛んだ。音楽に関しては素人なので違和感があるのは好みの問題だろうと思っていたのに、生成AIだったとは。まさか原作者の荒木飛呂彦氏が生成AIに懐疑的どころか全面的に否定の姿勢なのを知らなかったのだろうか。よりによって荒木飛呂彦の、よりによって岸辺露伴の作品に生成AIを全面的に使うとは失望もいいところだ。
作中で岸辺露伴は幸運に襲われ出版部数がどんどん伸びていくのだが、喜ぶどころか「ここまでナメられたのは初めてだッ」と憤りを見せた。更に冒頭では「芸術と言ったか?」と自分の漫画を芸術と称されたことに腹を立てている。岸辺露伴にとって漫画は読者に読ませる漫画であり鑑賞する芸術などではなく、そしてそれは運などには頼らず自分の手で生み出すものなのだ。そこまで描いておきながら生成AI作曲である。パンフレットのインタビューでも菊池氏本人が「なるべく内容は知らず、情報は最小限に抑えて、そこから使用できそうな楽曲を選び、渡辺監督にお渡ししました」「私自身は一切作曲を行っていません」と明言しているが、こんなものは岸辺露伴というキャラクターへの侮辱に他ならない。ツギハギの音をそれっぽく繋いだものが出力されるのを運に任せていただけなのだから。そもそも映画音楽とは観客の没入感を支えるもの。それがノイズとして浮いてしまっている時点で致命的なのである。「細かいイメージを伝えなくてもある程度の状態のものは生成されますし、むしろある程度のミスマッチ感はあった方がいいんです(引用:パンフレットインタビュー記事)」と語った音楽担当は一体どういうつもりで映画音楽に手を出したのだろうか。
一応音楽担当のXアカウントを確認したが、支離滅裂かつ品のない煽りを繰り返しており、一見すると社会人のアカウントではない。原作へのリスペクトは窺えなかった。至極残念である。
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