岸辺露伴は動かない 懺悔室のレビュー・感想・評価
全72件中、1~20件目を表示
ヴェネツィアロケ綺麗
建物とか装飾品とか圧巻
背景は雰囲気あってとても綺麗なのに
気味悪さたっぷりの演出。笑
岸辺露伴は動かないシリーズはアニメ版もドラマ版も好き
原作は未読だから、
解釈がどこまであってるかは分からないけれど面白く観れた!
気味悪い作品の中で、唯一ポジティブな飯豊まりえさんは良いスパイス
JOJOとしても、岸辺露伴としても
独立してドラマ.映画を確立させたのは凄いなと毎回感心
懺悔室で謎の男のあやまちを聞いた事で巻き込まれていく岸辺露伴。
男のあやまちは浮浪者を馬鹿にして見捨てたことから
男自身が幸せの絶頂を感じた時絶望する呪いを受ける。
詐欺やスリをしている日系人を雇い、入れ替わる。
難は逃れたが、日系人の男は死に
次は日系人の男から呪いを受けることに。
次は娘が幸せの絶頂を感じた時に絶望する呪いだった。
男は娘を子供の時から洗脳する。
娘が幸せになったら、男が死ぬことになると
娘は不幸を纏わせ幸せを手放す人生
男自身も幸せを感じすぎないように生きている。
そして、娘の結婚を阻止しようと婚約者を殺そうとするが
娘を殺してしまったことにより、絶望する。
浮浪者も日系人の男も絶望した男の背後で笑う。
男は娘が死んでも、これで助かった。とフラフラと教会を後にする。
自分も受けた呪いを解くためか、自分の幸せを勝手に押し付けられた腹いせか、はたまた娘のためか。
娘の結婚式を成功させるように手助けする岸辺露伴。
男にとって岸辺露伴は絶望へと続く道へと誘導する浮浪者達と同じような者に思えただろうね。
懺悔を聞いても、俺を助けてくれないのか、的な。
それなのに、幸せを感じすぎない生活に満足感も得ている矛盾。
呪いに囚われているのか呪いが囚われているのか。
周りが見えなくなった男の末路は辛いね。
後ろばっかり見て怖がって
娘の顔を見て、娘の意見を聞いて話し合っていたら
娘から見捨てられることもなかったんだろうにね。。
娘は一度死んだ(フリをした)ことで呪いが解け、幸せになる。
男は娘が死んだ(と思い込んでいる)ことで絶望し
命は助かりはしたが、命がある限り呪いは続く。
助かった、生きてるということは
生きている限りは死ねないわけだし
娘が死ぬこと以上の絶望はないだろうから
その絶望を受け入れたことで呪いと共に生きていく
救いのない男の末路は辛い。
男は少しでも他者にも娘にも思いやりを持てていたら
恨みも呪いも受けることはなかったのにね。
その男を井浦新さん!気味悪さ満点で届けてくれた!
そして、岸辺露伴はヘブンズドアで読んだことにより
呪いの一部をもらってしまった様
次々と幸せが押し寄せてくるけど、受け取り手次第で幸せは変わると言う。
その通りだな、と思った。
押し寄せてくる幸せを鬱陶しいと言う岸辺露伴は、マトモではない。笑
岸辺露伴役の高橋一生さんは、流石でした♡
もともと呪いを受けた男(後、日系人の男)役の大東駿介さんが、ポップコーンを顔キャッチ。迫真ある演技だった!
気味悪さは残るし、スッキリ解決!って爽快感がある作品ではない。
もともとがそういう話でもないけど笑
飯豊まりえさんの幸せの絶頂はいつかわからない。明日はもっと幸せかもしれない、その一言で、この話の気味悪さが消えていった。笑
タイトルなし(ネタバレ)
娘が死んで絶望したあとも怨霊に憑かれてたのは
もう彼にとって自分が死ぬこと以外は
絶望に値しない、
大した絶望ではないと判断されているから?
もしそうだとした場合、
なぜ2人目のときのように命は奪われなかったのか?
映画オリジナルをつけてまで尺伸ばして
映画化する必要性や魅力を感じられなかった。
海外ロケでマイナス出さないためには
商業的に映画化がマストなどあるのだろうけど、
ドラマから制作されるごとに
クオリティが落ちているように思える。
テンポ感良いドラマの方が好み。
ただルーヴルが酷すぎたので
それと比べたら全然良かったが、
せっかくいい役者さん揃えてるのに
演技にも内容にも
惹きつけられるもののない作品だった。
高橋一生は演技が上手くてとても好きだったけど
40過ぎて20代前半の共演者に手を出して
作品続く予定のある中で結婚までしてみたいに対して
大分気持ち悪いイメージがついてしまい
それもあって楽しめなかったのかもしれない。
玉城ティナは本当のイタリアハーフ?
と思うくらい、イタリア語が流暢で
喉の使い方が上手く、最初現地の人かと思った。
(イタリア語は全くわからない)
好みの問題
あの短いストーリーから、よくこのような映画として見ごたえのある脚本に仕上げたなと、その点は脱帽。『岸部露伴は動かない』シリーズの脚本家は、スタンドという概念を普通の超能力っぽい演出にし、JOJOなしで、JOJOの世界観を成り立たせているという点は、テレビシリーズでも映画でもいつも感心させられる。
そこは分かっていてなお、でもこのストーリーは自分好みじゃない。
原作版の『岸部露伴は動かない』は、短編好きな自分としては非常にそそられるシリーズで、奇妙で不条理な世界観が魅力だった。特に初期作品では、露伴はストーリーテラーであり、奇妙な出来事を淡々と見守る、仮にかかわってもその物事の根本的な解決には興味がないのが魅力であった。
特にこの『懺悔室』は、シリーズ最初の作品であり、露伴の傍観者っぷりが際立ったストーリー。非常にドライで、ブラックなオチだからこそ、最後の「彼は悪人ではあるが…」というセリフがびしっと効いていると思う。
だからこそ、「不幸な娘さんのために奔走して、幸せな結婚を成就させる露伴先生」という大衆向けのストーリーは好みじゃない。動機は単に人助けじゃなくて、露伴ならではの「作品を侮辱された仕返しなのだ」という心情を絡めたとしても…。
ドラマのヒットの影響なのか、新作の原作コミックでもちょっとずつ露伴が丸くなっているのが少し寂しいこの頃。
感想メモ
ヴェネチア行きたい
日本人の役者さんもイタリア語喋っててすごい!
Heaven's door, la porta del cuore si apre
広角で室内、景色を撮る映像がヴェネチアの洗練された美しさを迫力満点に伝えてくれる
だがアングルは妙に傾いていて、不安になる感じ、ヴェネチアの持つ光と影を表しているような
井浦新がすごく良かった、口の開き方がジョジョっぽい
高橋一生は勿論最高
ポップコーンのシーンがやはり最高、めっちゃ青空でロケーションばっちり、ちょっと鳩がCGぽい
ベロに顔が出てくるのだが、思ったよりベロすぎて面白くなっちゃった、横から見るとめっちゃ長いのも面白い
後半のストーリーは映画オリジナルだが、上手い具合にまとめられていて良い
リゴレットというオペラと絡めた展開も綺麗
露伴が呪いの手先?として使われている、の理由がよく分からなかった、呪いを移されそうな訳でもないし
自分の実力以外の要素で、呪いの力で、漫画が売れているのが気に入らないでキレるの露伴で良い
幸せが襲ってくる
美しい映像と考えさせられるテーマ。
原作は一切読んだことはありませんが、NHKドラマ全編と前作映画は観ています。
前作のフランスルーブルに続いて今度は水の都イタリアヴェネツィア!
ロケ地のおかげもありますが、撮り方も凝ってて相変らず映像が美しいです。
前作と違うのは高橋一生さんと飯豊まりえさんがまさかのご夫婦となっていること。発表された時は正直ショックでしたが、あらためてお似合いだと思いますしその上で引き続き共演してくださるのはありがたいことです。
今年の5月劇場公開作品がもうアマプラで観られるなんて。。。本当に素晴らしい時代になったものです!!!
私も人生を折り返してだいぶ経ったせいか、今作は京香さんのセリフに何度も考えさせられました。
「でもぉ絶望って死ぬことなんですかね 相手が死んだら呪いは成功ってことですか?私なら生きて絶望してほしいかなーって」
「今日が最高の日なんて決められないです だって明日もっと大きな幸せが来るかもしれませんもん」
幸せと絶望…確かに幸せの絶頂ってちょっと怖い気がします。しかもその時が絶頂だったと気付かずにもっともっとって欲張れば欲張るほど絶望がデカかったり。。。少し足りないくらいの幸せが一番幸せでそこに気付くことが最も大事なことかも。
観終わった後にこのサイトを見てソトバ役が戸次重幸さんであることがわかってビックリしたり、そのソトバがイタリア少女の舌から復活する姿が気色悪かったり、水尾役の大東駿介さんのポップコーンのシーンが霜降り明星の粗品さんにしか見えなくなったり、そしてやっぱり17歳も年下の飯豊まりえさんを射止めた高橋一生さんが心底羨ましかったり。。。
幸福の呪い
今回の舞台はイタリア、予算たっぷりってことかな。偶然、教会の懺悔室に入った露伴に仮面の男、水尾が懺悔に来ます。それから、露伴が巻き込まれ、水尾の娘を救うお話。
昔、水尾が片付け仕事の途中にやってきた日本人の浮浪者、同じ日本人のよしみで何か食べ物をくれとせがみます、パンをやろうとした水尾ですが
自分の仕事を手伝わせようと、お預けにします。荷物を持って階段で転び死んでしまった浮浪者、駆けつけた水尾に浮浪者の亡霊が、お前が幸せの絶頂の時に不幸にしてやると呪いをかけます。確かに、昔から食い物の恨みは怖いと言いますしパン位すぐに食べさせてやればいいのにと思いますがそれくらいで逆恨み、死んだのも事故ですし悩む水尾も神経過敏過ぎますから、ただの妄想の怪談にしか思えないところですが、同じ呪いがテーマのオペラ、リゴレットの鑑賞を挟んで奥深いことを仄めかしていましたね。娘のマリアが仮面づくりの職人というのもカーニバルで使われる「ヴェネチアンマスク」になぞられ、日本の能面にも通じるとイタリアロケらしい設定は良いですね。
ただ、単に不幸にする復讐ではなく、散々、幸福を恵み幸せの絶頂で悲劇というギャップの大きさに重きを置くと言う質の悪さ、幸せの先の悲劇を恐れるあまり、日常の幸せ自体を怖がらせるというプロットは好みではありませんがユニークであることは認めましょう。
ルーブルより好み
全編ヴェネツィアで、全編ムードやトーンが統一されており、映画内の景色をどっぷり楽しめて、ルーブルより好みでした。
高橋一生は立ち姿のスマートさもあって、コート姿が美しい。
シャープな手の動きでさらっという「ヘブンズドアー」もますますこなれてかっこいい。
井浦新はこういう世界は本領発揮だと思っていたけれど、だからか驚きはなく、むしろ大東駿介が見所。
しかし、あの父親にとっての絶望が娘の死でないのだとしたら、なんなのか。娘の幸せの絶頂はこの先にあるとして、何が彼の絶望なのか。娘が死んで「よかった」とつぶやく人物にとっての絶望はやはり自身の死なのか。そこは疑問を残したまま。つぶやきをただ一人聞きながらその点に触れない露伴先生は、ここまで原作に手を入れつつもやはり原作通りに傍観の人で、脚本が巧みだなと思いました。
これぞ岸部露伴ワールド
派手なアクションがあるわけでもない、独特な世界観とまるで推理小説を追っているような感覚、その中に岸部露伴がいる。仮面のお店(JOJOファンには別の意味で感慨深い)のシーンや、ソトバに関わる話とか、そこから水尾との賭けのシーンとか、あぁこれは荒木飛呂彦の作品だよなぁと思わされる。マリアの結婚までのシーンは推理ゲームのような感じで終わってみればいつもの岸部露伴。楽しいとか以前に世界観を味わえます。最後に、ソトバが戸次さんだとエンディングロールまでまったく気づかなかったわw
足りないくらいがいいんです
原作は有名なお話らしいのですが、私はドラマと映画しか知らないのでどんなお話かとドキドキしながら鑑賞しました。
美しいベネチアの水の街にスッと立つ高橋一生の姿、とても素敵でした。
このシリーズは洋服を観るのがとても楽しみでもあり。
スタイリストさんは変わっていたけれど、世界観を丁寧に作りあげている事が良くわかります。
お話の方はとても怖かった。
ヨーロッパでの人種差別も描かれていて。
なんといっても大東駿介さんって、こういう役ばっかりなんだけど、またこれがほんとにお上手というか、ピッタリで。
大東さんが出てきた瞬間に、この役がどんな人物像なのかがわかるという稀有な俳優さんだとも思いました。
そう、絶望イコール死ではないと私も思っていました。
答えは人それぞれですけれど。
一生懸命もがきながら、もう少し、あともうちょっと、と生きようとも思いました。
前回の映画よりも、今回の映画の方が好きです。
友人が「夫婦」で出演してるから、なんか観に行く気にならない、と言ってましたが
このシリーズにおいて、泉京香役は彼女しか考えられません!
ラストシーンを観て、ひょっとしたら、もう終わりなのかな?とチラッと思いました。
それならそれで、有終の美、にもなるかな。
よく練られたストーリー!世界観に浸れた
全編イタリアロケで、その世界観に浸れる!2時間近い映画だが全く退屈しなかった。
映像化不可能と思われた原作を巧みに再現した前半と、前半の設定を受け継ぎつつ、オリジナルストーリーを展開した後半。
前半が終わった時点でまだ1時間程度なので、これからどうなるん?と不安になったが杞憂でした。
幸運の絶頂から不幸へという前半の設定や世界観を損なわずに上手に展開してくれました。
途中挿入されるオペラなどが物語を上手に盛り上げていましたね〜。
ある登場人物の身勝手さに、ディアボロ的要素を感じたのは私だけかな?
それと、第5部へのオマージュを感じる場面がもう一つ作中にありましたね!
それも含めて荒木先生ファンの心をくすぐる内容でした。
幸せを得るには不幸に立ち向かう気持ちが必要
個人的に今回の映画は岸辺露伴実写シリーズで1番良かったと思う。
こうやって思い返すと、
男は結局自分自身のことだけが大好きで、
娘のことは付属品であり、自分を不幸にする一部にすぎないと思っていたのかもしれない。
ごく普通の家庭であれば、自分の死をもってしても
自分の子供の幸せを願うのではないだろうか。
(まぁ、そのような人間性だから呪われたのだろうが…)
みるからに体調の悪そうな浮浪者にパンをあげるふりをして奪い取り、仕事までさせて、事故とはいえ殺した上で謝りもしない。そりゃ恨まれるよねって思いました。
懺悔室へ来たのも自分自身の罪を告白しているようで、
娘が幸せにならないように願っているようにしか見えなかった。
マリアがロレンツォと交際するにあたって、自身の呪われた環境について話しても、ロレンツォは明るく「ぼくが君の選んだ最初の1番目になれるってことだね」みたいなことを言ってて泣けた。そしてマリアが仮面職人を仕事として選んだ理由に「運に左右されないものづくり」という言葉を聞いて、岸辺露伴と同様、ハッとさせられた。
だからこそ岸辺露伴もマリアとロレンツォ(自身のファンでもあるし)を助けようと一肌脱いだのかもしれない。
運ではなく自身の実力だけで勝負するその姿に。
呪いの力による運だけでのしあがった父親と運ではなく自身の実力で勝負し、運すらも味方につけて幸せの階段を上がっていった娘。露伴へも呪いが侵食し、幸運が襲いかかったのは、呪いと関係のないマリアとロレンツォを助けるためだったのかもしれない。仮面をどうしても盗みたくなった盗人も露伴とマリアを引き合わせるために呪いが画策したとしか思えない。これも運の巡り合わせですね。
一緒に映画を見に行った彼氏が、京香がイタリア語話せたのも呪いのおかげだよねって話してて、なるほどね!ってなった。自己紹介の時は手に書いた文字を読んで話してたもんね。わざわざ手袋を外して見ながらじゃないと話せなかったはずなのに途中から普通に話してたから笑
飯豊まりえさんと高橋一生さんがご結婚されたと聞いた時は本当に嬉しかったし、結婚後もこうして岸辺露伴シリーズの続編を製作陣が提案してくれて、みんなが作ってくれて本当によかった。
ご結婚後もお二人の掛け合いは変わらず、映画の中ではご結婚されたという空気感を出さないところも役者さんだからなんだろうなと勝手に嬉しくなっていました。
イタリア語での台詞回しもこだわりを感じて素晴らしかった。
あとは戸次重幸さんがエンドロールに出てきた時にびっくりした笑、どこに出てた!?!!?と思ってあとから検索したら浮浪者役でびっくりしました。
大東駿介さんのポップコーンの演技はめちゃくちゃよかった笑 デスゲームの空気感があった。
玉城ティナさんも井浦新さんもとっても素敵でした。面白かったです。また続編待ってます!
環境のみ
漫画は未見。(ジョジョは読んでる)
自身が侵した罪の重さとは?
人間誰しも両面を持つ。そんな出会いの中で自分を無くした若者と出会った浮浪者、2人とも夢を見て進んだ先の行為。それぞれが背負うものが負の連鎖(増幅)の如く若者の人生を縛り怨念が引き継がれる。
その怨念に露伴がどう向き合うのかが物語の面白さなんだろうけど、舞台(ベネチア)という環境のみに力を注ぎ、他は胡座をかいてる様に感じた。
そして原作が映像に適しているのか?その判断も一つあるのかもしれない。漫画では原作者の思いが絵に込められ見る者にダイレクトに伝わってくるのだけど。
ヴェネツィア再訪がこわくなりました
ジョジョは6部まで読了しているので露伴先生は知ってるんですが、原作短編は未読で、NHKドラマも柊木くん目当てのジャンケン小僧しか観ていない状態での鑑賞です。
予告で、全編ヴェネツィアロケという触れこみを見かけて、観る、と決めたので、私的主役はヴェネツィアの景色でした。
が、冒頭の廃墟から、え、こんな草っぱら、ヴェネツィア本島にはないよね…?と困惑。(パンフによるとリド島より南のペッレストリナ島の模様)
全体に、陽光きらめくアドリア海の女王といった華やかな景色よりも、無数のアーチと入りくんだ路地が綾なす陰翳の方にフォーカスした風景が多くて、とっても素敵なんですが、なんとも不穏でおそろしげ。ヴェネツィアは再訪予定ですが、現地行ったら背後から不幸が追いかけてきそうでびくびくしちゃいそう…。
もちろん、サン・マルコ広場やカナルグランデといった王道の観光名所や、ティントレット尽くしのサン・ロッコ聖堂は圧巻でしたけれども。
役者では、井浦さんの不吉さと、それなのに端正な佇まいがすてきでした。他の主要人物含め、人物デザインがまた秀逸でヴェネツィアの風景になじむし映えてました。
ポップコーン
ヴェネツィアで全編ロケとは観ている
だけで贅沢。素直に行きたくなった。
あの世界観を理解して、それを演技に
落とし込み雰囲気を醸し出す。
実写化に対してのリスペクトと
気持ちが纏まっているのが伝わってくる。
ポップコーンのシーンは笑った。
大東駿介さんの演技は良かった。
岸辺露伴が宝クジを踏み潰す
シーンは印象的。その時の脳内が見たい。
カメラワーク抜群で衣装も格好いい。
あの教会の鐘の音が石畳に響く余韻が
あの景色と映像にピッタリ。
幸福から身を遠ざけて身を守る奇妙な
お話でした。
あとから原作読んで
夢ならばどれほどよかったでしょう。
って言ってた?
絶望は娘の結婚式に出席できないことかと一瞬思ったけどすぐ娘が死ぬことだとわかった。
娘が死んだと思ったあと呪いが「やっと終わった」て言ってて、終わったことが最高の幸せだと、だからそのあと絶望が来ると思ったけどこない
死を、恐れ続けることが呪い?呪いは終ってない
死ぬことが呪い?
最後、イタリア語でなんていった?マリエのほう。
イタリア語話せないのに
あとから原作読んで、原作がポップコーン失敗した整形の人が、首を切られて死んで、恨むぜっ亡霊になっておわりだったから、かなり映画オリジナルだったと知って驚いた。面白かったよくできていたというおどろき。娘のことに関してほぼオリジナルなのか…
泉京香 最強!
テレビシリーズを経て、岸辺露伴は高橋一生しかありえなくなった。このオールベネチアロケの劇場版でも、それは見事にはまっている。
原作の先を描く後半部分も、テイストを損なわず見事なホラーミステリーに仕上げている。
そんな中で出色なのが、原作ではちょい役なのがレギュラーに出世した担当編集の泉京香だ。
テレビでも、ただのコメディリリーフだったのがジョジョにキーマンになっていった。
論理的思考の欠片もなく発する彼女の一言が、時に露伴を大いに助ける。
今作でも彼女なくしてこの展開はなかった。彼女が持つとパチモンの幸運のお守りも最高の力を発揮する。
そういえば君、イタリア語喋れたっけ?
いえ、全然。
サイコーのラストである!
安定の一作
ジョジョスピンオフの岸辺露伴の第一作目の映像化です。
このシリーズは、安定した作品作りが素晴らしいと思います。
ドラマも含め、元々原作が短編の小品的な物語なので、飛び抜けた名作もない。その代わり駄作は一つもありません。ただただ、原作をどう再現するか、という深いリスペクトが感じられます。
ポップコーンで人生決めるの?とか(無茶で笑える要求は、ちょっとYMOの「ハンコ鼻に詰めろ」を思い出しました(笑)
あと、
悪霊騙されるのバカすぎとかおっしゃってる人いるのですが、原作そうなんだから、いいんじゃないですか。そこ変えられたら、炎上しますよ。
さて、原作の後日談があったとして、という設定からの小林さんのストーリー作りが冴えています。
テレビなら前半で終わりなのでしょうけど、
そこからの展開もまるで最初から存在していたように自然な流れでした。
ベネチアの映像も本当に美しく、充分鑑賞に耐える楽しめる作品でした。
ただ、もう岸辺露伴の原作漫画作品はほとんど残っていません。
映像化のためにわざわざ描くのも違うような気もしますし、
他の人がオリジナルストーリーを考えてしまうのも違う気がしてしまいます。
続いて欲しいですが、
ここで一区切りするのですかね?
いつもの冒頭のあの2人が出てこなかったのが残念。
A5よりA4
今回の舞台はベネツィア。
杜王町の狭い街で活躍していた彼がベネツィア。さすが世界的に大人気の漫画家。
とりあえず、1ジョジョラーではなく観客として視聴しようと思っていた。
高く美しい空に白い雲、赤茶の壁、暗く狭い横道、そこを歩く岸辺露伴。
ダメだ…ときめきが止まらないよ。
冒頭からお約束のスリ撃退からのヘブンズドアー!
彼の能力をお披露目。ここでジョジョを知らない人へスタンドなどの余計な情報を排除しながら、この世界の設定や彼の漫画家としてのプライドと品格、気高さがわかる。芸術ではないのだ!漫画なのだ!
そこで1つの仮面を手にする。そして一軒の仮面職人の女性の元へと返す。
教会の懺悔室に興味本位で入るとうっかり神父と間違われ仮面の男の懺悔を聞く。
この辺は原作通りであくせく働いていた男の元に浮浪者から物乞いされキツイ労働をさせた挙句、浮浪者を死に至らしめる。その後、幸せの絶頂の時に絶望を与えるという呪いを受ける。
その呪いは男にあらゆる幸福をもたらす。男がいくら拒んでも幸せが降り注ぐ。
身代わりを仕立てあげ、娘を見る幸福を得た瞬間にポップコーンゲームが始まる。
ここで3つのポップコーンを投げるがゆっくりと、なんとしてでも死を回避したいとんでもなく凄まじい表情で口にするので、この映画のクライマックスはここでは…?大丈夫か露伴先生と少し心配になる。
しかし、男は次の呪いを受ける。今度は娘が幸せの絶頂にあった時に男は絶望を受けるというもの。そこから男は娘に2番目の幸せを与え続ける。
そこは自分が犠牲になって娘の1番の幸せを願いなさい!と私も男を恨みたくなる。
そんな記憶を読んだ露伴先生の指先に血が広がる。
絶望の幸せを与えられる男は黒い服、教会では不吉な黒い傘を幸せを避けるように出ていく。
その不穏な状況に京香ちゃんがやってくる。
作品の全体の衣装が良い。奇抜なスタイルが特徴の作品だが岸辺露伴は黒い出立ちだがコートの前部分にはシルバーのアクセサリがバチバチついて襟元はフリルっぽくて馴染むようでしっかりと主張しているし、京香ちゃんにいたってはどピンクの膨らんだスカートに袖と今までの雰囲気をガラッと変えてしまうし、人懐っこい笑顔で居るだけでホッとする。良いキャラだなぁ。
露伴先生は仮面職人のマリアとウェディングドレスを巡り再び再開する。
彼女の縁起の悪い家で何をしても幸せがくる話を聞く。なるほど〜そこにつながるか!
娘を2番目に押し留める男とそれに従うマリア。
男はそんなマリアが幸せの絶頂を迎える結婚式を阻む。
露伴先生の指先の血はどんどん広がり、幸福の呪いが広がっていく。京香ちゃんがふと口にする絶望とは死ではないのでは?ここで露伴先生も考えを変える。京香ちゃんはいつも思いついた事をそのまま口にするので、それが突破口になるのがこのバディ感よ。
舐めやがって…オペラから出ていく。露伴先生の反撃だーー!テンション上がるー!
オペラの曲をバックに男と対峙する。カサッと踏むのはナンバークジ。ほら拾いなさい、当たってるから。「だろうな」のセリフでそのクジをこれでもか!と踏みつける。これが露伴先生なのだ。性格が悪く時々大人気ない。打たれたケンカは全て買い全力でカウンターを繰り出す。
結婚式の日にちを変え、出し抜こうと目論んでいたが男の手下によって新郎を庇ったマリアが撃たれてしまう。
それを見た男は絶望する。
人の絶望は本人の死ではない。
そのまま男は出ていき、マリアは起き上がる。
幸せを浴びながらもたった1人の父親に1番の幸せを願われなかったマリアは1番愛する彼と幸せの絶頂の結婚式を挙げる。
大事な指輪交換で指輪をうっかり落とす小さな不幸を見て岸辺露伴先生もにっこり。
男はそのまま2人分の呪いを受けながら歩き続ける。絶望しながら生き続ける。
新郎も背中にピンクダークの少年のサインをもらってにっこり、京香ちゃんもブーケをもらってにっこり。
与えられる幸運ではなく自分の力で仮面を作りながら打ち勝つように生きてきたマリアもやっと自分の幸せを喜ぶ人生のスタートを切った。
そういえば君、イタリア語喋れたっけ?
いえ、全然。にっこり。
この2人の絶妙に噛み合わないコミカルな所が実写版岸辺露伴の強みであり、パラレルワールド杜王町が出来上がっているなぁとしみじみ思う。
たった1話分の話を大きく肉づけした部分も「世にも奇妙な物語」の様であったが主要キャラおよびゲストキャラ達もしっかり癖強にしていたのと、ベネツィアという美しい舞台にある光と闇の明暗が人生を現すものがするりと馴染むので画面いっぱいに楽しむ事ができた。
ヘブンズドアーのハンドサインがカッコ良い。
荒木飛呂彦先生のジョジョ作品には小林靖子さんが必要。
結局ジョジョラーとして楽しんでしまったよ…仕方ない
追記:原作のトウモロコシ工場で働いてた関係で幸せになり最悪のポップコーンゲーム流れでお願いしたかったが仮面とかのせいで無しにしたかったのかも…少し残念。
個人的に岸辺露伴先生が好きすぎるので高評価は仕方ないない。
う~~~~ん
ジョジョのファンでドラマ版も時折見ていましたが、ちょっとこの映画は好みではなかったかな・・・。
前半は原作もある話で、後半はそれを大きく膨らませた話という印象。全体としても「〇にも奇妙な物語にありそうなシチュエーションだな……」と思ってしまった。
岸辺露伴というキャラクターで考えると困っている人を積極的に助ける性格ではないため、起こっている事象に対してどう介入するんだろう、と思っていたら「そういう手があったのか」と納得した。
井浦新の演技は素晴らしいと思ったが、あの人が逃げ回っているのは投げたポップコーンを口に入れるゲームそのものなのか、もしくはその結果は「あの時」に確定していて罰そのものなのか、観ていて混乱した。とにかく右往左往逃げ回っているだけで「???」という印象。
あと、ヴェネツィアを推していたが正直「狭い路地ばかりで住みにくそうだな……」と思ってしまった。ジョジョ5部だとあの街どうなってたっけ、と読み直してしまった。
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