岸辺露伴は動かない 懺悔室のレビュー・感想・評価
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ベネチアロケは効いていた
よく練られたストーリーに特異なキャラクターに風光明媚なベネチアロケで見ごたえある作品だった。広角のショットが多いのは、ベネチアの風景を見せたいだけじゃなく、広角のゆがみが、この奇妙な物語に合うと判断したからか。単純に路地が狭いというのもありそうだが。
幸せになると不幸になる、幸運と不運は紙一重のものとして描くその逆説が面白い。実際、一番辛いことは得ていた幸せを手放す瞬間であって最初から持たざる人は、その突き落とされる絶望すら味わうことはない。「幸せに襲われる」という発想が本作の核となっていて、これを思いついたのが素晴らしい。その核を損なわずに後半は原作にないオリジナルストーリーが展開するが、非常に良かった。
岸部露伴のマンガに対する情熱も幸運が訪れる程度では満足できないというのも描かれていて良い。
今時の娯楽映画としては珍しく、ゆっくりじっくり物語を描いているのも良かった。詰め込んで矢継ぎ早に展開する作品とは一線を画して、余白や間も大事にする作りになっていたのも好感。
「実写化不可能」な伝説的漫画を「全編イタリア・ベネチアロケ」で完璧に実写化。初心者にも優しい現時点での最高傑作!
作画のエッジが効きすぎるなど「実写化不可能」とまで言われた伝説的漫画「ジョジョの奇妙な冒険」。その中に登場する漫画家・岸辺露伴を主人公としたスピンオフシリーズ「岸辺露伴は動かない」の実写映画化第2弾が本作です。
主人公の岸辺露伴役の、まるで漫画から飛び出したかのような高橋一生を筆頭に、本作ではゲストキャストも含めキャスト陣の熱演が光っていました。
そして何と言っても、原作の世界を完璧に再現するため全編イタリア・ベネチアでのロケを敢行し、あらゆるカットでこだわり抜くエッジの効いた映像を作り出すことに成功しています。
さらに脚本の完成度に加えサウンドトラックもより壮大になり、前作から大幅に作品のクオリティーが向上。まさに「劇場版」に相応しい作品といえるでしょう。
スタンド描写の少なさが、「岸辺露伴」実写シリーズ成功の一因
全編ヴェネツィアロケは邦画初だそう。実写映画版の前作「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」でもルーヴル美術館やパリ市のロケ協力があったし、人気の観光名所が露伴の撮影チームに協力的なのは、もちろん「ジョジョの奇妙な冒険」と荒木飛呂彦の海外での人気・知名度によるところも大きいはず。
そして「ジョジョ」とイタリアといえば、まずシリーズ第5部「黄金の風」。イタリアを舞台とし、スタンド使いの少年ジョルノ・ジョバァーナがギャング団の中でのし上がっていくストーリーだった。また、「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」のレビューで書いたことだが、「長い連載の中で、ミケランジェロの彫刻に影響を受けたキャラクターのポージング(通称「ジョジョ立ち」)をはじめとする美術作品の引用」を多く行うなど、芸術や歴史的建造物をはじめとするイタリアの文化と荒木作品の親和性はもともと高かった。それゆえに、原作漫画「懺悔室」に映画オリジナルのエピソードを追加したとはいえ、全編を貫くジョジョ的世界観とヴェネツィアの歴史を感じさせる街並みや登場人物らの衣装がしっくりと馴染むのもある意味必然だろう。
シリーズレギュラーの高橋一生と飯豊まりえが結婚を発表したのが2024年5月、本作のロケ撮影が11月。露伴と泉京花の温度差の違いからくる微妙さが笑いを誘う掛け合いが映画前作やドラマ版に比べ少なく感じたのは、新婚の2人に配慮したからか。
新たなキャストで出色は、水尾役の大東駿介。ポップコーン・チャレンジで顔の上に落ちた一片を必死に口まで運ぼうとするときの表情の演技が最高で、デフォルメされた過剰さがマンガチックというか、歌舞伎の決め顔的というか。 シークエンスの緊迫感と相まって、本作の中でも屈指の名場面になっていた。
NHK制作のドラマからスタートしたこの「岸辺露伴」実写シリーズが毎作で高い質を維持できているのは、スタッフ・キャストともに原作へのリスペクトと映像化への真摯な取り組みがあるのは当然ながら、スタンド描写が少ないことも要因ではないかと思っている。本家「ジョジョ」では第3部以降、スタンドバトルが各章で最大の見せ場になることが多いが、スピンオフの「岸辺露伴は動かない」では、ストーリーにおけるスタンドの役割が相対的に抑えられている。露伴のスタンド「ヘブンズ・ドアー」は相手の心や記憶を本にして読む能力で、敵をパワーで倒す決め技というより、謎の解明やトラブル解決のための知的なツールとして使われる傾向がある。実写版でスタンドバトルが話のメインになると、中途半端な予算では視覚効果がショボくなってしまう。だが、「岸辺露伴」シリーズではもともとスタンド描写が少ないので、安っぽい視覚効果が実写作品の質を下げるリスクを回避できているのだろう。
そりゃ必見
ポストカード嬉しー
改変が素晴らしい。80点
映画作品としての評価は?
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(レビューが溜まっていたので短く)
結論から言うと、今作の映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』は、個人的には食い足らなさが残りました。
本作は、原作の「岸辺露伴は動かない」の再現度を評価するか、映画として評価するかで、評価基準が違って来るのではとは思われました。
残念ながら私は原作を知らないので、今作を純粋に個人的な映画としての評価で、食い足らなさを感じました。
その理由は、それぞれの登場人物の造形がやや抽象的に留まっていると感じた所です。
例えば、水尾(大東駿介さん)に物乞いをして、階段から転落して死んでしまう浮浪者のソトバ(戸次重幸さん)の人物描写は、あくまで抽象的な浮浪者として描かれ、個別具体のソトバの人生を描いてはいません。
一方で、ソトバは声高に動き叫び、人物描写として過剰になっています。
もちろんこの人物描写の過剰さは、おそらく原作の「岸辺露伴は動かない」の特徴で魅力なのだとも伝わりますが、一方で私的には、登場人物の背後の深みの無さを過剰な描写で覆い隠しているように感じたのです。
この、中身の深みの乏しさを過剰な表現で覆い隠しているように感じたのは、ソトバ以外の。例えば、水尾や田宮(井浦新さん)やマリア(玉城ティナさん)にも感じられました。
この要因は、しかしそれぞれ数多くの他作品で優れた演技を魅せて来た役者陣から考えれば、制作者側がそれぞれの登場人物の深い人物背景を考え尽くされていないのが原因ではないかと、僭越思われました。
水尾の成功もセリフで説明されるだけ、田宮の人生はほぼ不明で、マリアも周辺の人間関係は婚約者のロレンツォ・グリマーニ(アンドレア・ベラチッコ さん)以外は省かれ、婚約者のグリマーニもマリアの人生を引き受けるには描写が軽すぎではとは思われました。
岸辺露伴(高橋一生さん)や舞台のベネチアの魅力や、ストーリ展開は面白さも感じながら、映画としては食い足らない作品になっていると、僭越思われ、今回の点数となりました。
(辛口過ぎて、今作を評価している原作ファンの皆さんスミマセン‥)
非常に良かった
漫画原作の実写化で原作を壊さずオリジナルも入れて
非常に良いバランスの映画だったと思う。
原作を確か10代の頃に見て、ずっと記憶に残ってたので
楽しみにしてました。
漫画の実写の場合不安が勝つのだけど、
ドラマシリーズから撮って来て原作も面白いのを知ってる
から安心して見れました。
特に前半の原作部分は素晴らしかったです。
これだ!と言う感じをビシビシ感じて痺れました。
に比べて後半は蛇足のような気もしたけど、
全体的に楽しく見れました。
なんと言ってもヘブンズドアの表現が素晴らしいと思う。
変にスタンドをCGで観せたら一気にチープになるところを、俺にはこの能力がある。と本にするだけの簡潔な表現
にしたのが原作ファンだけでなく幅広く観てもらえる演出になってるよなと毎回感心します。
岸辺露伴の編集さんはこの子で良いのか?
と言う疑問は常に持ってます。
原作とは別物として
ヴェネツィアロケ綺麗
建物とか装飾品とか圧巻
背景は雰囲気あってとても綺麗なのに
気味悪さたっぷりの演出。笑
岸辺露伴は動かないシリーズはアニメ版もドラマ版も好き
原作は未読だから、
解釈がどこまであってるかは分からないけれど面白く観れた!
気味悪い作品の中で、唯一ポジティブな飯豊まりえさんは良いスパイス
JOJOとしても、岸辺露伴としても
独立してドラマ.映画を確立させたのは凄いなと毎回感心
懺悔室で謎の男のあやまちを聞いた事で巻き込まれていく岸辺露伴。
男のあやまちは浮浪者を馬鹿にして見捨てたことから
男自身が幸せの絶頂を感じた時絶望する呪いを受ける。
詐欺やスリをしている日系人を雇い、入れ替わる。
難は逃れたが、日系人の男は死に
次は日系人の男から呪いを受けることに。
次は娘が幸せの絶頂を感じた時に絶望する呪いだった。
男は娘を子供の時から洗脳する。
娘が幸せになったら、男が死ぬことになると
娘は不幸を纏わせ幸せを手放す人生
男自身も幸せを感じすぎないように生きている。
そして、娘の結婚を阻止しようと婚約者を殺そうとするが
娘を殺してしまったことにより、絶望する。
浮浪者も日系人の男も絶望した男の背後で笑う。
男は娘が死んでも、これで助かった。とフラフラと教会を後にする。
自分も受けた呪いを解くためか、自分の幸せを勝手に押し付けられた腹いせか、はたまた娘のためか。
娘の結婚式を成功させるように手助けする岸辺露伴。
男にとって岸辺露伴は絶望へと続く道へと誘導する浮浪者達と同じような者に思えただろうね。
懺悔を聞いても、俺を助けてくれないのか、的な。
それなのに、幸せを感じすぎない生活に満足感も得ている矛盾。
呪いに囚われているのか呪いが囚われているのか。
周りが見えなくなった男の末路は辛いね。
後ろばっかり見て怖がって
娘の顔を見て、娘の意見を聞いて話し合っていたら
娘から見捨てられることもなかったんだろうにね。。
娘は一度死んだ(フリをした)ことで呪いが解け、幸せになる。
男は娘が死んだ(と思い込んでいる)ことで絶望し
命は助かりはしたが、命がある限り呪いは続く。
助かった、生きてるということは
生きている限りは死ねないわけだし
娘が死ぬこと以上の絶望はないだろうから
その絶望を受け入れたことで呪いと共に生きていく
救いのない男の末路は辛い。
男は少しでも他者にも娘にも思いやりを持てていたら
恨みも呪いも受けることはなかったのにね。
その男を井浦新さん!気味悪さ満点で届けてくれた!
そして、岸辺露伴はヘブンズドアで読んだことにより
呪いの一部をもらってしまった様
次々と幸せが押し寄せてくるけど、受け取り手次第で幸せは変わると言う。
その通りだな、と思った。
押し寄せてくる幸せを鬱陶しいと言う岸辺露伴は、マトモではない。笑
岸辺露伴役の高橋一生さんは、流石でした♡
もともと呪いを受けた男(後、日系人の男)役の大東駿介さんが、ポップコーンを顔キャッチ。迫真ある演技だった!
気味悪さは残るし、スッキリ解決!って爽快感がある作品ではない。
もともとがそういう話でもないけど笑
飯豊まりえさんの幸せの絶頂はいつかわからない。明日はもっと幸せかもしれない、その一言で、この話の気味悪さが消えていった。笑
冒頭から不気味な雰囲気
タイトルなし(ネタバレ)
娘が死んで絶望したあとも怨霊に憑かれてたのは
もう彼にとって自分が死ぬこと以外は
絶望に値しない、
大した絶望ではないと判断されているから?
もしそうだとした場合、
なぜ2人目のときのように命は奪われなかったのか?
映画オリジナルをつけてまで尺伸ばして
映画化する必要性や魅力を感じられなかった。
海外ロケでマイナス出さないためには
商業的に映画化がマストなどあるのだろうけど、
ドラマから制作されるごとに
クオリティが落ちているように思える。
テンポ感良いドラマの方が好み。
ただルーヴルが酷すぎたので
それと比べたら全然良かったが、
せっかくいい役者さん揃えてるのに
演技にも内容にも
惹きつけられるもののない作品だった。
高橋一生は演技が上手くてとても好きだったけど
40過ぎて20代前半の共演者に手を出して
作品続く予定のある中で結婚までしてみたいに対して
大分気持ち悪いイメージがついてしまい
それもあって楽しめなかったのかもしれない。
玉城ティナは本当のイタリアハーフ?
と思うくらい、イタリア語が流暢で
喉の使い方が上手く、最初現地の人かと思った。
(イタリア語は全くわからない)
あんまり驚かなかった
舞台はヴェネツィア!
どうせ、イタリアロケは少しだけだろうな〜と思ってたら、全てヴェネツィアだった!
ヴェネツィアの優雅な建造物に、独特の雰囲気の物語がマッチしてる。
映画として十分面白い!
原作とは雰囲気が違うけど、なんか観ちゃうドラマシリーズなんだよなぁ〜。
わかりやすい
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