「親の背中を見て子どもが育つとしたら、レインボーの将来はかなり心配になってしまいますね」おばあちゃんと僕の約束 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
親の背中を見て子どもが育つとしたら、レインボーの将来はかなり心配になってしまいますね
2025.6.19 字幕 京都シネマ
2024年のタイ映画(126分、G)
祖母の終末に寄り添う孫を描いたヒューマンドラマ
監督はパット・ブーンニティパット
脚本はパット・ブーンニティパット&トサボン・ティップティンナコーン
原題は『Lahn Mah』で「おばあちゃんと孫」、英題は『How to Make Millions Before Grandma Dies』で「おばあちゃんが死ぬ前に何百万ドルも稼ぐ方法」という意味
物語の舞台は、タイのタラート・プルー
大学を中退してゲーム実況の配信で稼ごうと思っていたエム(プッティポン・アッサラッタナクン、幼少期:パーチャン・ヒランプラティープ)は、思う通りに行かないまま、母シウ(ジャー・サランリット・トーマス)に迷惑をかけながら日々を過ごしていた
その日は清明節の日で、先祖の供養のためにお墓を訪れていたが、エムはゲームばかりしているし、長男キアン(サッミャ・クナコーン)の妻子はこれまで来たこともなかった
次男のスイ(ポンサトーン・ジョンウィラート)は借金まみれでフラフラしていて、金の無心ばかりしている
その後、お参りの用意に取り掛かるものの、エムが適当に花を撒いたために、おばあちゃん(ウサー・セームカム)が撒き直すことになった
だが、その時にバランスを崩して転倒したおばあちゃんは病院に運ばれてしまう
幸い怪我などはなかったが、精密検査の結果、末期の大腸癌であることはわかってしまう
当初は、本人には知らせないつもりだったが、おばあちゃんの世話を任されたエムが「知る権利がある」として知らせてしまった
物語は、おばあちゃんの死期が迫ったことで、遺産相続の醜い争いが水面下で始まっていく様子を描いていく
キアンは娘のレインボー(ヒマワリ・タジリ)を使って心にもないことを言わせ、スイはおばあちゃんが貯めていたお金を盗んでしまう
エムは母の代わりにおばあちゃんの世話をすることになったが、元々が適当な性格なので、やることなすこと怒らせてしまう
だが、少しずつ慣れ親しんできて、エムの行動も変わってくるようになった
映画は、おばあちゃんの遺したものをどのように分配するかという問題があり、古びた家以外には大したものはなかった
それでも、誰もがこの期に及んで取り入ろうとしていて、当初は同じマインドだったエムは、家族たちの酷い行動に怒りを露わにしていく
おばあちゃんは何事もないように過ごしているが、エムが感情的になっていく様子を見ていくうちに、彼自身を認めていくようになる
だが、エムがいつの間にか家の買主を募集しているのを知り、複雑な心境になってしまう
遺産相続にまつわる家族間の負の部分が見える内容で、この手の話はどこにでもある
演出の都合上、悪意が表情に出ている作品で、何かをもらうために「種を蒔く」ものの、何ももらえなかった時の態度の豹変ぶりは凄まじい
エムの母は「与えるほうが気楽」と言うものの、その気質はエムに受け継がれているように思えた
映画の後半にて、いとこのムイ(トンタウン・タンティウェーチャクン)がおじいさんとの最後の話をするのだが、なかなかショッキングな「約束」と言うものが交わされていた
その代償があの家であり、そこまでしてでも手に入れるべきお金とは何なのか、と思ってしまう
エムはそう言ったお金への執着を捨てていくのだが、周囲のふりを見て我がふりを正していったのかな、と思った
映画のタイトルは、原題が登場人物を示し、英題は意味深な守銭奴へ向けた皮肉になっている
おばあちゃんはエムのためにお金を貯めていて(400万バーツ=1600万円)、それはお墓を建ててもお釣りが来るものだったが、頑なにそれに手をつけようとはしない
おばあちゃんの兄(ワッタナ・サブパキット)の所業もなかなか強烈なものだが、これが文化的なものなのか、単に兄が外道だったのかはわからない
おそらくは、家父長制の名残があって、親の決めた相手と結婚したのにも関わらず何も得られていないのだが、親の何かを得るために生きる意味はほとんどないように思う
エムがスイに言う「もう誰も助けてくれない」と言うのは辛辣だが、この家族の現実なのかな、と感じた
いずれにせよ、お金が絡むと家族はバラバラになると言うどこにでもある問題で、ムイのおじいちゃんは「全てを整理したのちに」家だけを遺していた
人生がいつ終わるかはわからないものの、ある程度の予兆というものは本人が一番わかっているので、その時に向けての準備は必要なのだろう
裕福は人生の成果で、それを分け合う意味はないと思うが、そういったものがなくても与えられるものがある
それは、時間であり、ぬくもりであると思うので、そう言ったものを気にかけるだけでも、何かが変わるのかな、と感じた