劇場公開日 2025年8月29日

「端的に言って、みごとだ」8番出口 Chantal de Cinéphileさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 端的に言って、みごとだ

2025年9月6日
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鑑賞方法:映画館

興奮

知的

幸せ

「いったいアレをどう映画化したのか」

「あのシンプル極まりない間違い探し脱出ゲームを、どうやってシネコンで95分も鑑賞させる映画に仕上げたのか」

そういう野次馬的な興味を抱いて映画館を訪れた。

そして予想を遥かに超えたクオリティの作品に出逢った。

映画版『8番出口』は決して、人気ゲームの画面を役者が再現して映像効果と音響効果でインパクトだけ強調した「単なるゲーム体験の実写版」ではなかった。

あるいはまた、この手の映画化にありがちな、タイトルだけ人気ゲームから拝借して無関係なストーリーを好き勝手に付け加えて改変した「原作とは似ても似つかぬ別作品」でもなかった。

映画版『8番出口』は、ゲームのコンセプトと構造を丁寧に継承しながら、そこにメッセージが存在する物語だった。まぎれもなく『8番出口』でありながら、同時に映画作品になっていた。

まず驚くべきは、95分間のかなりの割合がゲーム内容と同じ「例の地下通路での行ったり来たり」で構成されていることだ。前後に地下鉄車内と地下通路をつなぐシーンが加わり、その他いくつかの短いシーンの追加はあるものの、物語の舞台はオープニングからエンドロールまで地下空間で完結している。

てっきりゲームの地下通路のシーンを刺身のツマのように添えてそこに至る過程や後日譚をオリジナルストーリーで水増しした構成に違いないと想像していた。『8番出口』を謳いながら実際は地上のドラマが延々続くモノを見せられる覚悟さえしていた。

だが、そうではなかった。映画版『8番出口』は「例の地下通路での行ったり来たり」に最小限の追加シーンを加えた構成で、物語性とメッセージ性のある映画作品を実現していた。

端的に言って、みごとだ。

映画の元になったゲーム版『8番出口』は、言ってしまえば、ループする無機質な地下通路を歩き続け、そこに生じる微妙な“異変”を見つけ出すというだけのゲームである。物語らしい物語もなければ、キャラクターの心理描写も存在しない。プレイヤーに与えられるのは、ひたすらに「歩行」と「注意深い観察」、そして「違和感を見抜く洞察力」である。このミニマリスティックな構造がゲームとしての魅力であり、人気を集めた理由でもあった。しかしながら物語がないものを映像に置き換えるだけでは到底95分の長尺に耐えるはずもない。

映画版『8番出口』では、主人公に「迷う男」という設定が与えられる。主人公は「地下通路で迷う男」であると同時に「生き方に迷う男」でもある。「地下通路で前に進むか引き返すか迷う男」であると同時に「地下鉄車内で起きたある出来事に対して前に進んで当事者になるか引き返して無関心を装うか迷う男」「身近な人物との間に起きた予期せぬ出来事を受け入れて前に進むかどうか迷う男」なのだ。

前者の「地下通路の迷い」はゲームと映画に同一性を与える基盤となっており、後者の「生き方の迷い」は映画に物語性とメッセージ性を与える基盤となっている。

映画版『8番出口』は、一言でいえば、「地下通路に閉じ込められた主人公が周囲を観察して異変に気づき出口をみつける」という原作ゲームのコンセプトと構造を継承しながら、「閉塞感に満ちた現代社会に閉じ込められた主人公が周囲を観察して社会の異変に気づき自分自身の決断で出口をみつける」というメッセージを重ねて物語に昇華させた作品なのである。

ゲームのコンセプトと映画のメッセージがもつ美しい対比。シンプルなゲームをメッセージ性のある物語に昇華させる基軸をゲームのコンセプトそのものの中に見いだした慧眼。評者が本作品を絶賛する最大の理由がここにある。

勘違いして欲しくないのは、繰り返すが、主人公の迷いや決断が地上を舞台にしたオリジナルドラマでだらだらと描かれるわけではないという点だ。映画の舞台はあくまで地下通路を中心とする地下空間で完結する。通常、この種の作品が映画化されると、舞台は拡張されがちだ。地下通路を飛び出し、街、家庭、オフィス、さらには超自然的な異界へとさえ広がる。ところが映画版はその誘惑を排した。すべてを地下通路に収斂させることで、閉塞感を徹底し、観客を同じ空間に幽閉する。この“潔さ”こそ、原作が持つ「ループ」という本質的な不気味さを忠実に再現する決定打であった。映画は観客を逃がさない。閉じ込め、歩かせ、違和感を見抜かせる。その体験は、人格を与えられた主人公の人生と重なり、ひいてはスクリーンの外にいる我々自身の人生とも重なり合う。

映画は最小限の追加設定で主人公の「迷い」に社会性と人格性を持たせることに成功し、「地下通路の出来事」に物語性とメッセージ性を持たせることに成功している。この巧妙な肉付けは、原作を裏切るのではなく、むしろ原作の「無」を「有」に転化する試みである。ゲーム版で「地下通路を行ったり来たりするだけの情景」に欠けていた物語性とメッセージ性を、映画版は「地下通路を行ったり来たりするだけの情景」自体に与えているのである。観客は地下通路の出来事に単なる驚きや恐怖以上の意味を見出し、深い解釈の余地を与えられる。ここに本作の知的な成熟がある。

繰り返すが、見事だ。

映像の演出も素晴らしい。例えば冒頭の一人称視点映像。ここではその後の三人称視点映像よりも狭い画角のレンズが意図的に使われ、さらにレンズの周辺減光効果も加えられている。そうすることで日常で我々が見ているあの光景、地下鉄を下車してホームから階段を昇るときに見ているあの光景、得体のしれない閉塞感のなかで茫漠とした意識が認識する視野の狭いあの光景を上手く再現している。人間の視覚を擬似的に閉塞させ注意力を強制的に一点に集中させる演出はホラー映画の常套的な技法に見えながらも、本作品では冒頭で現代社会の得体のしれない閉塞感を観客に視覚的に体感させることで「この閉塞感から脱出したい」という衝動を観客に与え、主人公に対する自然な感情移入を促し、ひいては映画のメッセージを受け取る心の準備につなげる重要な意味を持たせている。

再度繰り返す。みごとだ。

終盤、"外側の無限ループ"の出口=主人公の決断を一瞬示してスクリーン全体を鮮やかな単一色に切り替えエンドロールに繋げた演出には鳥肌が立った。あれは作品を通じて散々見慣れた色が「下地の色」から「光の色」に、すなわち「注意喚起の警告色」から「闇を抜けた者に降り注ぐまぶしい陽の光」に変わる演出だったと解釈したい。演技から演出への切り替えタイミングも完璧だった。演技と演出の間をギリギリまで短く切り詰めることで観る者の心情を一気に不安から喝采を経て爆発的な感動に打ち上げる効果を生んでいた。

しつこいが繰り返す。みごとだ。

総じて、映画版『8番出口』は「出口を探して脱出するシンプルなゲーム」を、そのままホラー映画に仕立てる安易な実写化では終わらせなかった。閉塞感に覆われた現代社会において、本当の出口はどこにあるのか。観客は無限ループのような社会の通路を歩き続ける主人公に自らを重ね、最終的には「見過ごしていた現代社会の違和感に気づき、自分自身が決断して一歩前に踏み出すことが出口につながる」というメッセージを受け取る。その寓意性が、作品を単なる映像的スリルの域を超えて、現代の寓話へと押し上げている。

単なるホラーでもなく、単なるゲーム実写でもなく、また単なるサスペンスでもない。原作のシンプルさを尊重しながら、その精神を現代社会への比喩と主人公の決断に高めた作品。それは観客にとってもまた、自らの人生の“出口”を意識せざるを得ない体験として刻まれる。映画館を出る瞬間、観客はスクリーンの外にある「自分自身の地下通路」を歩き出しているのだ。

人気ゲームの映画化ということもあってか、劇場では親子連れの観客を多くお見かけした。子供をひとりふたり隣の席に座らせて幕開けを待つ母親らしき方々も多かった。だが、子供に観せるつもりの映画で自分自身が心を揺さぶられてグッと来た親御さんも多かったのではなかろうか。あるいは逆に、腑に落ちない表情で結末の解説をせがんだ子供もいたのではなかろうか。

だからといってこの作品を「どちらかといえば大人向け」とか「子供には難しい」などと評するつもりはない。この作品を公開時に劇場で親子で観たという経験。そのこと自体に価値がある。なぜなら結末の解説をせがんだ子供たちは遠い将来もういちどこの作品に出逢い「あのとき観た映画はこういう意味だったのか」と理解できる日が来るからだ。エンドロール直前のまぶしい黄色い光に包まれながら。そして作品のメッセージと親子並んで劇場でこの映画を鑑賞した記憶を重ねるだろう。この作品のメッセージは時を超えてその瞬間をも照らす射程をもっている。あの光は主人公を照らす光であると同時に、スクリーンのこちら側の我々を照らす光なのだ。

みごとだ。ただ、みごとと言うほかない。

本作品は、シンプルなゲームを起点として物語とメッセージを持った作品に昇華させる試みのひとつである。その試みは大いに成功したと言っていい。

こういう作品は、人気ゲームのタイトルにあやかってひと儲けしようという商業主義からは決して生まれない。また、原作のうわべだけ借りて自分の創作を前面に押し出して原作を上書き消去しようと試みる作家のエゴからも決して生まれない。

本作品を観れば、監督がゲーム版『8番出口』のコンセプトに強く惹かれて、原作の構造を大切にしながら、丁寧に物語とメッセージをつむいで映画作品に昇華させていったことがスクリーンからひしひしと伝わってくる。

我々はそれを「原作への愛」と呼ぶ。原作への愛が伝わってくる映画を観るのは幸せだ。それを創れる監督は立派だ。かたちにしたスタッフとキャストの仕事も素晴らしい。そしてなにより、あのシンプル極まりないインディーゲームからこれだけの映画作品を作り上げた彼ら制作陣の情熱と手腕は、

最後にもういちど言わせてほしい。みごとだ。

Chantal de Cinéphile
さんのコメント
2025年9月8日

素晴らしいレビューで、感動しました。

空
melodyfairさんのコメント
2025年9月8日

分析がお見事!感動しましたー!

melodyfair
ミントさんのコメント
2025年9月6日

全く同感です。
自分じゃこんなに説得ある文章書けないなー

ミント
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