「逆転する強さ」プレデター バッドランド マルホランドさんの映画レビュー(感想・評価)
逆転する強さ
掟を破った若きプレデターのデクは、生存不可能とされる最悪の地「バッドランド」に追放される。
強敵だらけの荒野で、デクは思いがけない協力者となる謎のアンドロイドの少女と出会う。自分たち以外はすべて敵という過酷な世界で、二人は生き残りをかけたサバイバルを繰り広げることになる・・・。
この映画は、「狩る者」と「狩られる者」の立場がいかに流動的であるかを巧みに描いている。
映画冒頭、野生生物が次々と捕食される食物連鎖の光景が描かれ、最後にプレデターのバイクがそれらを蹴散らすシーンは、この惑星におけるプレデターの「頂点」としての強さを視覚的に示していた。
しかし、追放先の「バッドランド」に降り立った途端、その序列は崩壊する。デクよりも遥かに強い原生生物が待ち受けており、彼は一転して「最底辺」の存在となってしまう。
そして、「バッドランド」では、画面の端々で第三者の生物たちが常に何かを捕食しているシーンが目立つのも興味深い。
これは、パワーバランスが常に変動し、数分前には「狩る側」だった者が、次の瞬間には「狩られる側」に追いやられる、過酷な環境を象徴していたと思う。
主人公デクの成長において、「真似る(模倣)」という行為が象徴的に描かれていたようにも思った。
特に印象的だったのは、デクと少女、そしてカリスクの子供が大型の獲物を討伐し、夕食を共にするシーン。カリスクの子供はデクの一挙一動を観察し、その動きを真似ようとする。
「人の行動を真似て自身の行動を変化させる」のは、「柔軟性の証」だ。
当初、デクは自身のやり方にこだわる頑固な性格だった。
しかし、過酷な土地で経験した戦闘を「模倣」し、狩りの技術として学んでいく。さらには、うんざりしていたはずのカリスクの子供の「真似事」のように、原生生物を利用して敵に対抗する「柔軟性」を見せるようになる。
この変化こそがデクの成長を促し、最終的に父親を超える力になったのだろう。
この作品は、例えるならキャラクター間の「陰と陽」の二面性が随所に散りばめられているようにも見えた。
優しい性格のアンドロイドと、冷酷な性格のアンドロイド。
冷血なデクの父親と、守る側に成長したデク。
カリスクの母と子(侵入者を殲滅する母親と、デクらと親睦を深める子供)
こうした「守るものと守られるもの」といった対比構造で物語を描くところがとても良い。
デクが旅で出会ったのは、アンドロイドの少女、カリスクの子供といった「陽」の性格の持ち主たちだった。彼らは皆、自分の身を顧みずにデクを助けようとした。
映画が進むに連れ、デクの表情も何処か柔らかくなっていくように見えたのも魅力的だ。
物語中盤まで「強さ」にこだわり、相手を助けずに進もうとしたデク。両足を失ったアンドロイドの少女を背負って目的地まで届けた後、彼女が足を取り戻した際に「肩の荷が下りた」と呟くシーンは、どこか寂しそうにも感じられた。
プレデターの一族において「優しさ」は弱さの象徴かもしれない。だが、デクにとっては「守る」という経験こそが、彼を真に成長させた。もし彼が最後まで「強さ」だけにこだわり、一人で進み続けていたら、この結果にはならなかっただろう。
『プレデター バッドランド』は、単純な力の強さではなく、過酷な環境に適応する「柔軟性」と、他者との関わりの中で生まれる「守る強さ」こそが、真の成長をもたらすことを教えてくれる物語だった。
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