「シリーズの歴史に新たな1ページを刻む《最高傑作》!!」プレデター バッドランド 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
シリーズの歴史に新たな1ページを刻む《最高傑作》!!
《IMAXレーザー、先行上映》にて鑑賞。
【イントロダクション】
シリーズ初、プレデター視点で描かれる新章。ヤウージャ族の落ちこぼれ戦士・デクが、最悪の惑星で究極の狩り〈ハント〉に挑む姿を描く。彼とパートナーを組むアンドロイド・ティア役に、『マレフィセント』(2014)、『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(2024)のエル・ファニング。
監督・脚本は『プレデター:ザ・プレイ』(2022)、『プレデター:最凶頂上決戦』(2025)に引き続き、3度目のシリーズ監督となるダン・トラクテンバーグ。
【ストーリー】
プレデターこと“ヤウージャ”の母星。一族の若き戦士である“デク(演:ディミトリアス・シュスター=コローマタンギ)”は、兄のクウェイと共に一人前の戦士となるべく修行の日々を過ごしていた。小柄で戦闘技術も未熟なデクは、一族から「落ちこぼれ」として扱われ、クウェイだけが彼の良き理解者であり良き師でもあった。
デクは、一族の掟を重んじる厳格で冷徹な父・ニョールに認められる為、一族に伝わる“成人の儀”の舞台として、父すらも恐れる危険な生命体“カリスク”の生息する惑星ゲンナへ赴こうと考える。しかし、クウェイはデクの身を案じて反対する。そんな最中、2人の元にニョールがやって来る。彼はデクを「一族の恥さらし」として唾棄し、クウェイにデクを始末するよう命じる。しかし、クウェイは命令に背いて父と交戦。デクを宇宙船に幽閉し、自らの命を犠牲にして彼を惑星ゲンナへと向かわせる。
惑星ゲンナのジャングルに不時着したデクは、早々にこの星の過酷な生態系を目の当たりにする。十分な装備もなく、辛うじて持ち込んだスピアや弓矢といった武器も失ってしまう。彼に残された武器は、プラズマ・ブレードと僅かな装備のみ。
あらゆる動植物が過酷な環境で凶悪に進化したこの星で、デクは翼竜ヴァルチャーの狩場に迷い込んでしまう。すると、ヴァルチャーの巣に捕獲されていたウェイランド・ユタニ社製のアンドロイド“ティア(エル・ファニング)”が、彼に助言する事を条件に、共に旅をする事を申し出る。しかし、ヤウージャは他人と協力せず、一人で獲物を狩る孤高の戦士であり、デクはティアの申し出を一度は断る。すると、機転を効かしたティアは、「私はアンドロイドだから道具だ」としてデクを納得させ、下半身を失って歩行が出来ない自身を彼に背負われながら、仲間のアンドロイドであるテッサ(エル・ファニング)達の元へ連れて行ってもらう事にする。
やがて、旅の途中で猿を思わせる不思議な生命体“バド”も加わり、カリスク狩りの過酷な旅が始まる。
【感想】
『プレデター』シリーズは、今年で38周年。『エイリアン』とのクロスオーバー作品2作を含め、全7作品が製作されてきた。そんなシリーズが積み重ねてきた“歴史”があるからこそ出せる“新しい味”というのがある。本作は、それを存分に堪能する事が出来る一作だ。個人的には、シリーズ第1作(1987)に匹敵、いや凌駕する程のシリーズ最高傑作と言っても過言ではないと思う。
監督・脚本のダン・トラクテンバーグは、配信リリースとなったシリーズ7作目『ザ・プレイ』でもその手腕を発揮しており、私としては「この監督が満を持して劇場公開作を手掛けるならば、期待出来る!」と、本作の公開を心待ちにしていた。
本作を極端に言い表すなら、「最弱のプレデターが、最強のプレデターになる話」だ。
しかし、本作はそれだけに留まらない。デクとティアの「バディロードムービー」としても最高であるし、失った者達が1つのコミュニティを形成する「擬似家族ムービー」としても最高である。兄弟愛や友情、父親という壁を克服する「少年漫画的ムービー」としても最高である。本作は、そうしたあらゆるヒット要素を内包した、非常に完成度の高い作品なのだ。
そして、本作はディズニー傘下となった21世紀スタジオ(旧20世紀フォックス)だからこそ作れた作品とも言える。この“ディズニー臭”に嫌悪感を示す人もいるかもしれない。しかし、『スターウォーズ』シリーズの「ルーカス・フィルム」や、『アベンジャーズ』シリーズを始めとしたMARVELスタジオを買収し、世界的人気コンテンツを使い潰してファンを失望させ続けてきた昨今のディズニーが、これほどまでに「らしさ」を前面に出しつつも、非常に優れた一作を世に放ったのは驚異的であり、シリーズファンとしては素直に喜ばしい事だと考える。
勿論、それには何よりもダン・トラクテンバーグ監督はじめ、素晴らしいキャストやスタッフの力によるものであるのだが。
メインウェポンをこれまでのリスト・ブレイドやスピアから新登場のプラズマ・ブレードに持ち替えたデクの姿は、さながら少年漫画やファンタジーRPGの主人公。
代名詞とも言えるショルダー・プラズマ・キャノンは、まさかの敵役であるテッサが用い、ガントレットの小型核爆弾は作中誰も使用しない。
そんな新しい武器を手に活躍するデクの戦闘スタイルも、これまでのシリーズにない斬新さと面白味に溢れている。特に、クライマックスでウェイランド社に潜入する際の、惑星ゲンナで知り得た知識や出会った生物を駆使して独自の装備を構築する姿は本作の白眉だろう。
アンドロイド兵に囲まれた際の落ち着いた佇まいは、侍らしさも感じさせる。
カリスク、ティア、ニョールと、物語の進行に合わせて様々なボスキャラが登場し、それぞれで最高の戦闘を繰り広げてくれるサービス精神には敬服する他ない。特に、ラストでニョールと対決する姿は、「あんなに面白いものを沢山見せてくれたのに、まだ見せて・魅せてくれるの?」と驚嘆した。
ニュージーランドで行われたロケーションも素晴らしく、危険極まりない異星でありながらも、荘厳な自然の風景には思わず目を奪われてしまう。実際に現地に赴き、現地の民族と交流しながら紡ぎ出されたこの世界観も、本作の外せない魅力なのだ。
そして、それだけの密度を誇る本作を107分の尺に収めてしまうのだ。SFエンターテインメント作品ながら、最早、芸術の域に達している。
トラクテンバーグ監督は、きっと面白いプレデターを撮る為に生まれてきたのだ。
【ヴィランをヒーローに。視点を変えた事で開かれた“新たなる道”】
これまで、プレデターは「強者を求める宇宙の戦闘民族」として“悪役”の立場で描かれてきた。番外編的作品である『エイリアンvs.プレデター』(2004)で“成人の儀”に挑む若いプレデター達や、続く『エイリアンズvs.プレデター2』(2007)にてエイリアンの駆除を目的に地球に飛来した“ザ・クリーナー”は、ギリ悪役とは言えない立場(それ以上の悪役をエイリアンが務めていたので)だが、少なくとも善玉ポジションではなかった。
本作では、大胆にもデクを完全な“ヒーロー”としてのポジションに置き、逆境に立たされた主人公の成長譚として描いている。これまでと立ち位置を変えた事で、こんなにも新しい景色を見せてくれるものなのかと、正直驚嘆した。
デクは「一族の恥」とまで言われている程の落ちこぼれであり、身長も兄であるクウェイと比較するだけでも小柄である事が分かる。しかし、先ほど「最弱のプレデター」と銘打ったが、厳密に言えばそれは違う。あくまで、「そういう立ち位置に置かれている」のであって、兄・クウェイによる修行の甲斐もあって、身体能力や戦闘能力は決して低くない。それは、惑星ゲンナでのサバイバル描写や、カリスクを仕留めて見せた点からも伺える。言わば、「基礎は出来ている」状態なのだ。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ版『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021)を彷彿とさせる読経風の音楽と相まって映し出される、荒涼とした荒野の広がるヤウージャの母星。そこで修行に明け暮れるデクとクウェイ。戦士としてはまだ未熟ながら、兄との間にある確かな「家族」としての繋がり。
そんな彼を「始末しろ」と命じる厳格で冷酷な父・ニョールと、弟を救う為に命を賭けたクウェイ。そこにあるのは確かな「兄弟愛」と、かつてデクに救われたクウェイの恩返し。そして、デクはクウェイの計らいで狩りの惑星へ。このテンポ良い冒頭の掴みからして既に完璧。デクへの感情移入を自然に促し、以降の惑星ゲンナでのサバイバルを共に体験する事が出来る。
ティアから聞かされたオオカミの習性に倣い、星で得た全ての知識や生物を活用・味方に付け、決戦に挑む姿は、シリーズ第1作の『プレデター』(1987)にて、アーノルド・シュワルツェネッガーことシュワちゃん演じるダッチが決戦前に装備を整えていた姿を彷彿とさせる。
また、ウェイランド社のユニットの燃料に点火し、ブレードを天に掲げて咆哮してカリスクを呼び寄せる姿は、かつてダッチがプレデターとの決戦に挑んだ光景まんまであり、ファンならば思わずニヤリとしてしまう。
【旅を通じて描かれる“擬似家族”構築の道】
彼とバディを組む事になるアンドロイドのティアのキャラクターも非常に魅力的。仏頂面で彼女をあくまで「道具」として運ぶデクとは対照的に、ティアは絶えず会話し続け、デクについても興味津々。カリスクに襲われて切断され失った下半身とのコンビネーションも面白く、脚だけがウェイランド社の基地をてくてく歩いて行く姿はシュール。
そんな彼女を演じたエル・ファニングの1人2役の演技も素晴らしく、ティアとしての陽気で心優しいアンドロイドと、テッサとしての冷徹で任務遂行を最優先とする恐ろしさの演じ分けも見事だった。
旅の途中で出会うバドの可愛らしさは、ディズニーらしいマスコットキャラへの愛着を促す点は気になりつつも、やはりその愛らしさから自然と好きになっていく。
その正体がカリスクの子供という事が判明するのも見事で、カミソリ刃の草原でのティアの「あの子ただものじゃないかも」という台詞から既に伏線が張られている。ラストでは少しばかり成長して母親の姿に近付いているが、あの驚異の再生能力はどの時点から獲得されるのだろう。
物語中盤まで、デクとティアの最優先事項となるカリスクの存在感も良い。最強の生命体として恐れられるだけの巨躯と高い身体能力もさる事ながら、真に恐ろしいのは首を刎ねて尚も再生する驚異的な再生能力。この能力設定が上手く、デクに一応の勝利を収めさせ、彼の株を落とす事なく、更なる展開へと繋げていく。デクは言わば「試合に勝って、勝負に負けた」状態となるのだ。そして、彼女もまた子を思う母親なのだとクライマックスで共感させられる。
ラストでは、それぞれが兄や姉妹機、母親を失いつつ、互いに支えて合う真の「家族」として再出発する。擬似家族はハリウッド脚本の十八番だが、本作はその魅力を十分に引き出していた。
【“あのシリーズ”の要素は、もしかしてクロスオーバーへの布石?】
本作で敵役となる組織ウェイランド・ユタニ社。その目的は、宇宙に存在する凶暴で強靭な種を捕獲して、生物兵器として利用する事。ファンには言わずもがな、この会社は『エイリアン』シリーズに登場する巨大企業である。
クライマックスでテッサが搭乗するパワーローダーも『エイリアン2』(1986)を彷彿とさせる。
他にも、本作には酸を吐くウナギのような生命体やテッサ達の報告を受ける“マザー”等、『エイリアン』を彷彿とさせる要素が多く散りばめられている。
とすると、同じ21世紀スタジオ作品である以上、今後シリーズが続けば、ディズニー傘下後初の『エイリアンvs.プレデター』が実現するかもしれない。少なくとも、私は鑑賞後にそうした展望があるのだろうと考えた。
【総評】
これまでのヴィランとしてのプレデターを、ヒーローとして新たな視点で描き、超一級のエンターテインメントとして成立させたダン・トラクテンバーグ監督の手腕、お見事でした。
ミッドクレジットで描かれたデクの母親の宇宙船の登場は勿論、『エイリアン』シリーズの要素を多く含んだ本作が、今後どのような展開を見せるのか楽しみで仕方ない。
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