「圧倒的な映像美と、浮かび上がる「あの古典」。そしてはっきりと感じるディズニーの遺伝子」トロン:アレス ねこばばさんの映画レビュー(感想・評価)
圧倒的な映像美と、浮かび上がる「あの古典」。そしてはっきりと感じるディズニーの遺伝子
「トロン」シリーズはれっきとしたディズニー作品であり、そういう意味では「白雪姫」「シンデレラ」「美女と野獣」などなどと肩を並べる作品…と言えるっちゃあ言えるのだが、その雰囲気はディズニー作品の中でもとりわけ異質に感じる。我々が「ディズニーキャラクター」としてイメージする愛らしさやキャラクター性を完全に削ぎ落とした、シンプルかつスタイリッシュな画面作りが果たす役割はかなり大きいだろう。毎回大物ゲスト(今作はナイン・インチ・ネイルズ。見事すぎた)を呼んでオーダーしている劇伴音楽も大きく一役買っているに違いない。それでも「トロン:アレス」は「ディズニー最新作」の看板を引っさげて新作を投入した。ちょっとこの意味を考えてみたい。
「トロン」シリーズの中核にあるのが「グリッド」と呼ばれるコンピュータソフトウェアである。グリッドの「内部」には3次元空間が広がっており、プログラムたちが人工知能の意思を持って社会を築いており、そして「現実世界」の人間が特定の手段でグリッドの中に「侵入」することができる。グリッドに侵入した人間は、この空間を探索し、冒険し、時にはプログラムたちと肉弾戦に発展することもある。SF作品の中でもかなりファンタジー寄りの設定だ。
この「"現実世界" と "ファンタジー" の融合」は、実はディズニーが頻繁に取り上げているテーマでもある。はっきりと言及している「魔法にかけられて」を始め、「リロ&スティッチ」、「トイ・ストーリー」…いや、「ロジャー・ラビット」の時代から、ディズニーは「この世界は空想と隣り合わせ」と主張しているのだ。「トロン」の「グリッド」も、描写こそ独自路線なもののディズニーの伝統芸能なのだ。
今作「トロン:アレス」では、グリッドの方の存在が、グリッドの中での姿・形・機能のまま、現実世界に現れることができる…ただし、29分間だけ。この「29分の壁」を破る「永続化プログラム」を巡る企業間抗争が、本作のメインストーリーとなる。「グリッド」技術の本家大元であり、永続化プログラムの平和利用を目指すエンコム社が善…というか被害者の役回り。逆にグリッド存在の軍事利用を企画し、永続化プログラムを強奪しようとするディリンジャー社が悪役という構図だ。ていうかディリンジャーさん、他社の成果物を使いたいならそんな強引な手段を取るなよ。あんたもビジネスマンなら(映画館から出て冷静に考えたらとんでもない展開だったなと気づく事、ありますよね)。
面白いなと思ったのが、今作の主人公でありタイトルにも起用されている「アレス」が、元々は悪役であるディリンジャー社側の存在であるということだ。彼は人工知能としてあまりにも高性能であったため、ディリンジャー社の強引というか非人道的なやり方に疑問を覚えてしまい、結果的にエンコム社と同じ価値観で行動するという、「裏の裏は表」的な流れでヒーロー側に立つ。王道かもしれないがワクワクできる展開だ。…もしかして予告で触れていた「AIの反逆」ってこのことですかね?だとすると直接的なイメージの裏をかいていて上手いなぁと。
一方、最後までディリンジャー社の指示に忠実だったのがプログラム「アテナ」である。「なんとしても永続化プログラムを捉えろ」という指示のもと、破壊行為や殺人も厭わないし、最終的に超巨大空中戦艦を繰り出して現実社会に大混乱を引き起こす。「AIの反逆」というフレーズから受ける印象に近いことを行うが、こちらはむしろ一切反逆はせず「忠実すぎた」からこそ人類の敵になってしまったのだ。
人間のあいまいな指示が、加減を知らないツールによって大混乱を引き起こす…ここまで書いて、私はある作品を思い出した。「トロン」シリーズの過去作ではない。ディズニーの古典的名作、「魔法使いの弟子」である。見習い魔法使いミッキーマウスが、魔法のホウキたちに「水汲みをしろ」としか指示しなかったところ、周辺に大洪水を起こしてしまう話である。今作「トロン:アレス」製作陣のディズニー社の人員が、「魔法使いの弟子」を意識しなかったはずがない…と、私は考えている。
実際、私もIT業界人の端くれで、仕事の文脈で「魔法使いの弟子現象」と言ったことがある。良かれと思って作ったプログラムが、想定以上の作用をして、結局有害になってしまうことを指している。そして対話的AIツールが急速に普及したここ数年、AIの言うことを鵜呑みにして間違った判断をしてしまっただとか、AI搭載開発ツールが誤作動して本当に大事なデータを削除してしまったといった事態が現実に発生している。今作の「アテナ」の行動は、割とシャレにならない含みがあると強く感じた。
対話的AIの急速な普及、それで生まれた社会の歪み、そういった時代の流れのド真ん中に「トロン」シリーズ最新作を投げ込んだ「トロン:アレス」は英断という他ない。空想と現実はいつも隣にいる、でも空想は時に暴走する…そういった哲学が、ディズニーには伝統的にあったのではないか。こんなことも考えられるほど、あまりにも充実した映画体験だった。

