「ブラック・サバスは好きですか」トロン:アレス 猿田猿太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
ブラック・サバスは好きですか
正直、評価の厳しい映画だと思った。初作は当時として画期的なCG映画であり、それだけでも映画史に残る傑作ではあるのですが、コンピューターシステムの世界に人間丸ごと取り込まれる話は、SFとしてもかなりファンタジーだと思う。ソフトウェアとの対話もなされているけど、当時の素朴な技術では数値の区別しか出来ない時代。
なので、★5を付けれるとすれば私みたいな人間に限られるんじゃないかと思う。初作にあった映像の再現で、バイクを始めとする「光の壁」を放つメカニックは懐かしい限り。第2作でも再現されてはいたけれど。ソフトウェアの化身である人間型のキャラクターと、ユーザーを名乗る巨大な顔との会話もまた、初作の幕開けでみられる印象深いシーンの再現。
加えて、自分の世代には懐かしいパソコンの世界。フロッピーディスクなんて知らない人もいるんじゃなかろうか。画面にタイプされる行番号付きのコーディングは、明らかに昔のBASICのようなインタプリタ言語。そうだそうだ、初作「トロン」の時代、パソコンはこんな感じでした。前述したけど、そのレベルの技術で会話できるソフトウェアなんて信じられないんですけどね。
タイトルにも書いた「ブラック・サバス」というバンドの音楽は、ちょうどこの時代の音楽だったのでしょうか。まだ学生で洋楽なんて聴くセンスを持ち合わせていませんでしたが、今は結構好きです。粗さのあるハードロックの重たいサウンドが堪りません。なので、「こちら側」のCEOがブラック・サバスの「パラノイド」と共に舞台に上がるシーンは心が躍りました。
初作を見返すと、ゲームセンターの名前が「SPACE PARANOIDS」。果たして、ブラック・サバスと関連性があったかどうか判らないけど、そのブラック・サバスといえば、ギタリストのトニー・アイオミが広めて音楽史上に多大な影響を与えたパワーコード。ソフトウェアもコードなら、音楽もコード。関係ある? 関係ないかな。
そして発想の逆転。ソフトウェアで構築された兵器や兵士の具現化。要するに3Dプリンタの技術発達の末なのでしょうか。3Dプリンタ独特のバリ付きで具現化されていくのに、クスッと笑ってしまった。
そしてソフトウェアの哲学。「命令された通りに任務を遂行する」「バグがあるとすればユーザーの設計であり、コンピューターは命令された通りに実行しているだけ」、つまり、結果的にシステムが崩壊しても、どんな被害が出ても、命令されたとおりに実行するだけ。それがユーザーの母親を殺す結果となったとしても。
それは悪意でも誤りでもなく、命令に従うソフトウェアの純粋な忠誠心。主人公を追い詰めた「アテナ」(ギリシャ神話の女神の名前)が倒れる際に「アレス」(ギリシャ神話の戦いの神の名前)に、「命令に従っただけ」(だったかな)と言い残し、アレスが頷き返したのも、そういうことだと思います。ソフトウェアは悪くない。ただただ、ユーザーである人間が悪いのでしょう。初作はもう少し見返さないと思い出せないのですが、コンピューターのソフトウェアをテーマとするにあたり、きっちりとその哲学が込められていることに納得の出来映えだと思います。
しかし、アレスは発達する。ユーザーの意見に逆らい、自分の道を生きようとする。これ、手塚治氏の「火の鳥」に登場するロビタ(だったかな)というロボットを思い出します。ただ、命令に従うのでは無く「お言葉ですが」と反論できる。今のAIが散乱する時代、悪い人間をたしなめ、思いとどまらせる、こうした機能が必要という事でしょうか。
初作のリスペクトはまだまだありますね。「永続性」のテストにオレンジが使われたのは、どうやら初作の実験でも「オレンジの電子化」が行われていた模様。
その当時の電子化の技術で初作と同じようにアレスが取り込まれたのは、初作とまったく同じCGを再現された世界。これは初作を見ていない人には判らない、しかも当時にリアルタイムで感動した人だけの感動だったと思う。バイクの挙動とか当時のまま。このサービスは嬉しかったなあ。
というわけで、この映画の評価が低いとすれば、初作の当時に感動した人しか面白くない、ということじゃないでしょうか。ちなみに、今日私が見に行った映画館では巨大な劇場で数名だけのガラガラ状態でした。割高のドルビーだし無理もないか。
