「予定調和の安心感か、現実の不在か」父と僕の終わらない歌 こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
予定調和の安心感か、現実の不在か
本作は、認知症を抱える父とその息子との関係を、音楽を媒介として再構築していく物語である。SNSで拡散され世界的に話題となった実際のイギリスのエピソードを下敷きにしているが、日本版では社会現象的な広がりよりも、あくまで家族の内側にある感情の機微に焦点を絞っている。その選択が功を奏している部分もあれば、逆に現実感を欠いていると批判される余地もあると感じた。
まず評価すべきは、父と息子の関係性の描き方。寺尾聰と松坂桃李の演技は抑制的で、派手なカタルシスではなく、じんわりとした余韻を残す。認知症により記憶が失われていく父に対し、息子が「本当は自分のことをどう思っていたのか」という答えのない問いに向き合う姿は、観客自身の親子関係を映す鏡として作用する。40代以上の観客が「自分の親を思い出して涙した」と口を揃えるのは、その普遍性ゆえだろう。音楽が二人の心をつなぎ直す瞬間に生まれる説得力も確かだと感じる。
しかし同時に、本作は現実の認知症介護が孕む苦しみや社会問題を巧妙に切り落としている。実際には、暴力や徘徊、免許返納を巡る家族の葛藤といった、耐え難い現実が日常に横たわっている。だが映画はそれらはあまり描かず、歌と親子の温もりに物語を収束させる。観客にとって安心感がある一方で、当事者やその家族から見れば「きれいごと」に映るリスクを孕んでいる。SNS拡散の役割も小さく扱われ、世界的な現象を社会的文脈から読み解く余地はほとんどない。93分という短い尺に収めるための割り切りとはいえ、テーマの厚みを削いでしまった感は否めない。
この作品の本質は「現実の認知症をどう描くか」ではなく、「記憶の喪失を前に、親子がどう答えを見つけ直すか」にある。だからこそ予定調和的であっても、その反復が観客の心に響く。忘れてはまた向き合い直す父の姿は、まさに「終わらない歌」として記憶に残る。だが同時に、認知症が社会に投げかける根源的な問いをどう描くかという課題には踏み込み切れていない。作品としての完成度と、社会的なリアリティとの間に横たわるギャップを、我々はどう受け止めるのか。感動に涙することは簡単だが、その涙を拭ったあとに現実へとどう向き合うかを問うのが、本作を観る我々の宿題なのかもしれない。