父と僕の終わらない歌のレビュー・感想・評価
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大切な題材の作品で、面白く観たのですが‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(レビューが溜まっていたので短く)
結論から言うと。今作の映画『父と僕の終わらない歌』を大切な題材を扱った作品と感じ、面白く観ました。
特に素晴らしいと思われたのが、父・間宮哲太を演じた寺尾聰さんの唄で、寺尾聰さんの唄の素晴らしさが、この映画の価値を決定づけていると思われました。
父・間宮哲太が患うアルツハイマーと、息子で主人公の間宮雄太(松坂桃李さん)や母・間宮律子(松坂慶子さん)の家族や周囲の人が直面する精神が削られる困難さは、どんな人にも起こり得る重要な切実さがあったと思われます。
そんなアルツハイマーに関わる辛い心情も、十分伝わる良さがあったと思われます。
ただ、実話の原作がイギリスの話で、今作も舞台がアメリカ海軍基地のある神奈川県の横須賀で、日本的な雰囲気から遊離していた映画の空気感は、好みが別れると思われ、個人的には苦手な所はあったと思われます。
あと、息子の主人公・間宮雄太をアルツハイマーの症状が進んだ父・間宮哲太を責める場面があるのですが、私にはちょっと過剰な感じは受けました。
この過剰さも、イギリス原作と今作のアメリカ的空気感がそうさせているのではとも思われました。
そのような点から、僭越ながら今回の点数になりました。
ただこれは好みではあり、大切な題材と周りの人々の心に響く心情描写と、特に父・間宮哲太を演じた寺尾聰さんの唄の説得力がある、優れた点ある映画になっていると、一方では僭越思われました。
「ルビーの指輪」から44年。寺尾聰の俳優と歌手生活の幸福な集大成。
寺尾聰が俳優そして副業かな?
JAZZシンガーとしての実力と魅力を遺憾なく発揮した素敵な映画でした。
私たちの世代には「ルビーの指輪」1980年に160万枚を売り上げて、
レコード大賞を受賞して、社会現象にもなった曲の歌い手にして作曲者。
その時寺尾聰は33歳で俳優として知られていました。
その彼が歌手としてミリオンセラーを出すなんて驚きでした。
《人に歴史あり》
と言うか寺尾聰のバックボーンや音楽活動は紆余曲折があり、
一言では語り尽くせないけれど、今も積み重ねた音楽活動と腕前は
衰えていなかったのですね。
寺尾聰を一言で言えば《味がある》
芝居も歌も《味がある》と思います。
新劇の重鎮で名優であった宇野重吉の長男。
音楽活動は高校時代に遡るらしいです。
宇野重吉の息子、そんなプレッシャーを嫌い《石原プロ》に所属。
俳優としても芽を出す。
ブランクもありながら今では名優として独特のポジションにある
売れっ子俳優。
「ルビーの指輪」ヒットの34歳の時のイメージも外見も
ほぼ変わらないのは驚きです。
《芸は身を助ける》
英語のJAZZナンバーを軽々と歌いこなす実力あればこそこなせた役柄。
松坂桃李という利発な男と松坂慶子という芸歴57年の大ベテランの
あどけない個性。
今風に長男・松坂桃李の恋人はディーン・フジオカ。
認知症アルツハイマーという有りげな設定も、寺尾聰78歳の年齢を
鑑みると致しからない設定でしょう。
横須賀が舞台ということですが、いきなりフェニックスが並ぶ道路を
走るので南国のようでした。
ロケーションは素敵でしたね。
哲太のアメ車も良かったですね。
ハイカラさと人情味の匙加減も絶妙でした。
予定調和の安心感か、現実の不在か
本作は、認知症を抱える父とその息子との関係を、音楽を媒介として再構築していく物語である。SNSで拡散され世界的に話題となった実際のイギリスのエピソードを下敷きにしているが、日本版では社会現象的な広がりよりも、あくまで家族の内側にある感情の機微に焦点を絞っている。その選択が功を奏している部分もあれば、逆に現実感を欠いていると批判される余地もあると感じた。
まず評価すべきは、父と息子の関係性の描き方。寺尾聰と松坂桃李の演技は抑制的で、派手なカタルシスではなく、じんわりとした余韻を残す。認知症により記憶が失われていく父に対し、息子が「本当は自分のことをどう思っていたのか」という答えのない問いに向き合う姿は、観客自身の親子関係を映す鏡として作用する。40代以上の観客が「自分の親を思い出して涙した」と口を揃えるのは、その普遍性ゆえだろう。音楽が二人の心をつなぎ直す瞬間に生まれる説得力も確かだと感じる。
しかし同時に、本作は現実の認知症介護が孕む苦しみや社会問題を巧妙に切り落としている。実際には、暴力や徘徊、免許返納を巡る家族の葛藤といった、耐え難い現実が日常に横たわっている。だが映画はそれらはあまり描かず、歌と親子の温もりに物語を収束させる。観客にとって安心感がある一方で、当事者やその家族から見れば「きれいごと」に映るリスクを孕んでいる。SNS拡散の役割も小さく扱われ、世界的な現象を社会的文脈から読み解く余地はほとんどない。93分という短い尺に収めるための割り切りとはいえ、テーマの厚みを削いでしまった感は否めない。
この作品の本質は「現実の認知症をどう描くか」ではなく、「記憶の喪失を前に、親子がどう答えを見つけ直すか」にある。だからこそ予定調和的であっても、その反復が観客の心に響く。忘れてはまた向き合い直す父の姿は、まさに「終わらない歌」として記憶に残る。だが同時に、認知症が社会に投げかける根源的な問いをどう描くかという課題には踏み込み切れていない。作品としての完成度と、社会的なリアリティとの間に横たわるギャップを、我々はどう受け止めるのか。感動に涙することは簡単だが、その涙を拭ったあとに現実へとどう向き合うかを問うのが、本作を観る我々の宿題なのかもしれない。
演者みんな良いけど特に寺尾聰さんの役柄がとても良い。
寺尾聰さんの役柄が本当に良かった。陽気な歌が大好きなお父さん。そんなお父さんが認知症になりだんだんと症状が進んだ時のあの感じもとても怖くてさすがの演技力だなと思った。
他の演者さんも違和感なくてみなさんとても素晴らしい役者さんばかりで見ていて安心して見れた。
現在では認知症は治ることはなく進行を止めるしかない。なので普通に考えてあの後もお父さんに付き合っていくお母さんや息子はとても大変な日々を送ることになるのだが、それでもなんというかあの終わり方で良かったと思う。
とてもあたたかい気持ちになれる映画。
夢のあるお話
「君は僕のヒーロー」だから
私の父は昔からとぼけた人だった。
父のなにげない言動が、どこまでが冗談でどこまでが本気か、子どもながらに戸惑うことが多かった。
そんな父が認知症と診断されたのは、3度目の失踪のあとだった。
まだまだ軽度という診断で、暴れたり、怒ったりすることはなかったが、それでもいつ失踪するか常に気にしなければならず、気が休まる時間がなかった。
しばらくは、もともと静かでとぼけたところが多かった父だったで、認知症と診断されてもあまり違いは感じられなかった。
けれど数年経つと、徐々に表情の変化が乏しくなって、感情の発露がみるみる減っていった。
ただ食べ、黙ってテレビを見て、静かに寝る。
その生命力の希薄さは、まるで植物と暮らしているようだった。
そんな父親の死んだ目に、光が戻った瞬間があった。
それは、ちあきなおみが歌う映像が偶然テレビで流れた時のことだった。
認知症となってからは蚊の鳴くような声しか出さなかった父が、ちあきなおみの歌に覆い被さるように大きな声で歌い始めたのだ。
びっくりした。
父親の奥底に眠っていた記憶が「歌」として発露し、それとともに生命力が蘇った。
ほんの一瞬だったけれど、かつての父が戻ってきたように感じられた。
父の昔のことや、好きなことなど、全然聞いたことがなかったので、かつて、ちあきなおみの歌が好きだったことも知らなかった。
もしかすると本人でさえ忘れていた記憶だったのかもしれない。
認知症という病名をつけられてしまうと、知らず知らずに周囲はそれ前提で接するようになる。
けれど実際には、その波はグラデーションのように、完全に認知症の時もあれば、(ほんのわずかな時間だけれど)意識がはっきりする瞬間もあるということを、父親の介護を経て知った。
けれど、介護する側は「父は認知症だ」と決めて扱う方が楽なので、そのほんの少しの記憶の復活の瞬間を雑に扱ってしまうようになる。
そのうち、父は、ちあきなおみの映像を見ても、なんの反応も示さなくなった。
父のわずかな生命力は、介護のルーティンの中で、ろうそくの火のように静かに消えて見えなくなった。
脳科学的には、人間の記憶は「陳述記憶」と「非陳述記憶」の2つに分けられる。
「陳述記憶」の中には、大きく「エピソード記憶」と「意味記憶」があり、
「エピソード記憶」=「出来事の記憶」
「意味記憶」=「学校の勉強など一般的な記憶」
といった、一般的に「記憶」と言われる意識的覚えたものが含まれる。
一方の、「非陳述記憶」には、主に「技能」「プラミング」「古典的条件付け」「非連合学習」などがあり、
「技能」=「自転車の乗り方」など、身体でコツを覚えること
「プラミング」=無意識の潜在記憶
「古典的条件付け」=「パブロフの犬」など反射の条件付け
「非連合学習」=刺激の繰り返しによる慣れや鋭敏化
といった、どちらかといえば無意識に記憶されているものが含まれる。
認知症になった人は、陳述記憶はどんどん薄れていくが、体に染みついた動きや習慣などの非陳述記憶、つまり生きるために必要な記憶はなかなか薄れないで残っている。
だから、普段からとぼけた人は、認知症を発症したのかどうかが判別しづらい。
映画「父と僕の終わらない歌」のオープニングで、寺尾聰さん演じる父「間宮哲太」が、松坂桃李さん演じる息子「間宮雄太」を横須賀駅まで送った後、家までの帰り道を忘れたというシーンは、まさに認知症を象徴するような場面だ。
車の運転の仕方は覚えているのに、道を忘れてしまう。
本人も家族も、普段からとぼけた人だった場合、余計に認知症に気づきづらい。
この映画が、父の認知症を通じて家族の絆を見せていく物語だということを見事に表現したオープニングで、ストーリーは進んでいった。
そして、エンディング。
コンサートを終えた父・哲太は、誰もいないホールのステージの上で、ギターを抱えて座っている。
父を見つけて近寄ってきた息子・雄太にギターを教えようとする。
息子のことを忘れても、自分の名前を忘れても、「歌う」こと、そして「ギターを弾く」という「非陳述記憶」は失われていなかった。
人間の脳は「生きる」ために存在する。
だからこそ、食べることや寝ることといった「生きる」ために必須の記憶は、どれだけ認知症が進んでも残っている。
けれど、ひとりの人として、間宮裕太の父「間宮哲太」としては、どんどん「生」が失われていく。
息子の雄太はこれからもずっと、父哲太の生物としての「生」が終わるまで、父の記憶の喪失と向き合い続けなければならない。
ラストシーン。
自分のことを忘れていることを知った雄太は、涙ながらに息子のことをどう思っていたのか?を父に問う。
父は幼い自分に、ギターを教え、歌手となる自分の夢を継がせようとしていた。
その父の想いに応えることはできなかった。
自分がゲイであることで、孫を見てもらうことができなくなった。
父の期待に応えることができなかった。
そして、それに対するリベンジの機会を待つことなく、父の中で、自分の記憶が消えていく。
そんな時、親不孝な自分を責める雄太に、父哲太は笑顔で答えた。
「雄太はいつでも自分のヒーローだ」
子どもにとって、父親はヒーローだ。
強くて、なんでも知っていて、なんでもできる、スーパーヒーローだ。
でも、親から見た子どもも、同じようにヒーローなのだ。
いてくれるだけで嬉しくなり、楽しくなり、幸せな気持ちにしてくれる。
夢を継いでくれなくても、孫を見せてくれなくても、そんなことは親にとって些細なことで、生きていてくれるだけでじゅうぶん親孝行な子どもなのだ。
エンドロールで流れる、「smile」が切ない。
🎵
泣いたところでどうにもならないからね
そうすればきっと人生はまだまだ捨てたもんじゃないと気づくよ
ただ笑顔でいれば
泣けたな
この映画は寺尾聰の歌が上手いと言うことに尽きます。
なんだろアルツハイマーになる父を家族が支え合うまた父の夢を叶えるための物語実話もあって良かった。
今の時代の売名行為など家族が良かれと思うことがバッシングを受けるまた松坂桃李演じる役が同性愛者という今の時代の内容も盛り込まれてる。
歌で全てが変わる歌で救われるそんな映画のように思った。
見る人によって違うことも素直な心で感動できることはいいなって思わされた
もうひとつ心に響かなかった
心温まる物語
ナチュラルなアンサンブル
実際にあったエピソードの、非現実的な描写、のような
外国で実際にあったエピソードがもとだそうで、舞台が横須賀だからか、あまりリアルには受け入れられませんでしたが、一つの物語だから、と割り切って、あとは寺尾聡さんの歌唱を楽しみに観賞しました。それでも泣いて笑ってハラハラしました。
アルツハイマー型認知症の病状とその家族の苦悩の描写は辛いものがありました。が、あそこまで病状が進んでいるのに施設に入れない、のは現実的ではないなあとか、つい自分の身に置き換えて思ってしまいます(入れようとした施設もだいぶ高級有料老人ホームなのでそれもまた非現実的)。
寺尾聡さんと松坂慶子さん演じた夫婦像はすてきでした。松坂桃李さん演じる息子は今までにない味わいでしたが、役どころが明らかになって納得。電話越しの声だけで登場していた恋人役がどなたなのかなかなか思い出せなくて、でもこの声は絶対知ってる、有名な人だ、と気になって(笑)。父親の介護のために実家に戻った息子としばらく会えなくなって、病状が深刻化していき、このまま恋人と別れてしまうのか、辛すぎる、と胃がヒリヒリしました。最後、その恋人も現れて、ああ納得! 素敵な役どころでした。それもまた非現実的ではありましたが、もっと恋人同士の描写見たかったです(笑)。
シンプルに良い映画でした~👏
公開当初はレビュー点数低かったから後回しにしていたけど😒
後回しにした事を後悔するくらい、メチャクチャよかったじゃないですか😆
何がよかったかって言うと、十数年認知症を患ってきた母を見てきたからこそ言えるんですが、認知症を患った人の描き方がメチャクチャリアリティがあったところがすごく良かった☺️
認知症を患うと、毎日が支離滅裂になっちゃって、心の奥底に眠っている僅かな気持ちもつい口に出ちゃうし、今日は調子いいなと思った矢先の1時間後にはあり得ないくらいの激変するわ、その逆も然りで、とにかく描き方が秀一でした😌
今は、レビュー点数も真っ当になりましたが、公開当初から4.0近くだったら、まだまだ世の中捨てたもんじゃないぞと思えたはずですが、3.5さえも下回る期間もあって、それを見た時は、やはり日本の政治と同じく、未来に期待は持てねぇなと思いました😓
定番というかステレオタイプのストーリーでした。寺尾さんは素敵です。...
定番というかステレオタイプのストーリーでした。寺尾さんは素敵です。でも、歌が残念。
使用されている「Smile」(チャップリン作曲)や「That's Life」などは、確かに2019年の映画『ジョーカー』でも印象的に使われていました。特に「Smile」は大ヒット作『ジョーカー』のテーマそのものと結びついて記憶している人も多いでしょう。選曲が既存の名作からの“流用”に見えてしまうと、「オリジナリティがない」「他作品の感動に寄りかかっているのでは」と感じる人も少なくありません。『ジョーカー』の文脈では“狂気”や“孤独”の象徴だった曲が、『父と僕の終わらない歌』では“再生”や“家族愛”の象徴になる――このズレが逆に違和感や興ざめを招くこともあります。特に海外の映画ファンには。日本のテレビや映画制作者にありがちな海外映画からの流用が邦画のオリジナリティを下げているように感じてしまった。
「目」の演技
松坂桃李さんは前にもゲイの役者をやっていて、優しそうだからと妙に納得してしまいました。
この家族に癒されました。
アルツハイマーだからと言って怒りたくなる様な事でも、どんなに後片付けで疲れても大好きなお父さんへの深い愛があるから怒りたいんじゃ無く悲しくなるだけ。
寺尾聰さんが子供の頃の息子の顔を愛おしそうに見つめるシーンは、純粋さのみが残ってる素晴らしい「目」での演技でした。それに応える松坂桃李さんの暖かい眼差しも又素晴らしかったです。
自分の祖父も認知症でした。
キャストが抜群
寺尾聰はじめ、主要キャストが良いキャラを演じていて感情移入できました。
ストーリーも満足なのですが、ステマのくだりはなくてもよかったかなと感じました。
その直前までが良い盛り上がりだったので急に落とされた感じがあったので、、
個人的に、なくてもストーリーは成立するかなと思いました。
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