スーパーマンのレビュー・感想・評価
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こうゆうのがいいのか?
映画としては、普通に面白かったと思いますが
オジサンなのかな
こんなのは、スーパーマンでは無いと思ってしまった
あまりにも弱すぎるし
SNSの内容で、人々の反応があまりにも急激に変わるのが
ありえないだろうって思いました
まあ私が年を取りすぎたのでしょう
スーパーマンはいつだってヒーローで居てほしかった
中盤後半ぐらいまでは、見ていられなかったぐらいですが
最後はとりあえず
まあいいのかなって感じです
次回作がありそうな雰囲気ですが
身に行っちゃうんでしょうね
スーパーマンの人間的な一面を強調したような作品となっている。
キスシーンが多い。
ジャスティスギャングの強さが目立ち、スーパーマンの強さが目立たない。
変な宇宙人が多数現れて、マンガっぽい。
以前のスーパーマンの方が良かった。
音楽も昔のほうがいい。
テーマ曲をアレンジしたものがちょろちょろ流れるだけでつまらない。
育ての親の言葉:"Your choices, your actions, that's what makes you who you are."
「何を選び 何をするのか それが本当の自分を決めるんだ」
自分が何者なのか悩むスーパーマンに、育ての親が語りかける。
生みの親のビデオがフェイクなのかどうか?
本物だとしたら、スーパーマンは地球を侵略るすためにきたことになってしまう。
【追記しました、既存文面更新しました】全ヒーロー映画中で最高傑作であるファミリー映画
多くの人が言っている「わからない」「おふざけ」というのは全て言いがりです。
この映画は「細かい背景がわからなくても、そのヒーローの良いところと悪いところが全部わかる」という内容に作られています。
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全てのヒーローとヴィランのバックボーンを一切語らず。
はっきり言ってダメダメな目的だけを語らせています。
これの結果で起きる全てのキャラへの険悪感を「喚き散らす子供」を見るような生暖かい視点に、見事に落とし込んでいるのです。
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全編を通して子供の喧嘩が続いて行く、ただのファミリー映画でした。
欠けた大人の成長や救済を描くのがヒーロー映画のつねですが、救済せずに保護をして終わったという怪作なんです。
まさに『大ヒーロー幼稚園』でした。
これが名作じゃなければ、なにが名作なのでしょうか?
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その上で、ヒーローたちもヴィランたちも、自分たちの芯と言える部分をしっかりと行動で示しています。
スーパーマンを知らない人でも知っているようなその「行動」を徹底的に見せた。
その後で、他のキャラのそういう「行動」も見せることで、スーパーマンへの救済が、全てのキャラに当てはまっていることわかるという物語になっています。
スーパーマンに与えられた救済というか保護というか、これが物語の中心なんだと思います。
過去の監督の発言をいつまでもあげつらってヘイトをまき散らす人がいますが、この映画ほどしっかりと「本当のポリティカルコレクトネス」を描いて居る作品もないと思います。
原著にはない「生みの親が支配的な遺言を残していた」という改変と、育ての親であるジョナサンの発言を持って、スーパーマンを成長させるのではなく「救済する」というこの神表現は、ポリティカルコネクトネスの正しい姿を描き出しています。
こんな表現がある作品は、ゲーム原典のモータルコンバットとこれしか知りません。
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多様性は、尊重してしまうと、ちょっと視点が変わるだけで『ただの相対主義の険悪に化ける』のです。この為、いま、ネット社会は「相対険悪の押し付け合い」です。
多様性とは認めるものであり、スタート地点が同じになるようにするだけが「ポリティカルコレクトネス」ではないでしょうか。
人を尊いと考えるならば、その後の一人一人の選択、人生そのものを尊重すべきです。
これを描いて居る作品は、世界中でもごくわずかではないでしょうか。
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子供として描くという仕組みを一切最後まで手を緩めずにやり続けることで、スーパーマン含めて誰一人として成長していないことが分かるというエンディングになっています。
全員が子供のままであることを「無垢なままで、その行動こそが尊ばれる」ということを描いて居ます。
エンドロール後のシーンでまで徹底的に子供ぶりを描くことで、『これからのDCユニバースの「まっしろなキャンバス」を示して終わり』ました。
傑作ではないでしょうか…。
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でわ、アメコミファンは不満なのかというと、そんなことはないんです。
ミスリード:ウルトラマンとポケットユニバースを見せるなら、その反対側の次元はアース3ではないかと推測してしまう。
ウルトラマンというのは、アース3の悪のスーパーマンなんです。
こいつが出て来て、別の次元とこの次元の間に世界を作ってしまったと発言する場合、最後に彼が正体を現し、マルチバースの話が始まると予想してしまうんです。
それが実はスーパーマンのクローン「ビザロ」であった。
しかも、原著のような自立意志もなく、レックスの誘導に完全に従う人形である。
「心の準備をする間もなく、スーパーマンの能力を持つレックスとの対決を体験させる」という原著ファンを驚かす仕組みになっているわけです。
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さらに映画を見てから数日経って気づいたのですが…。
この「実はウルトラマンじゃなかったです」というのは「ウルトラマンは出さない。アース3は出さない」⇒「マルチバースはやらないよ!」というメッセージなのではないでしょうか?
翌々週から上映を開始した、ファンタスティックフォーですが、同じようにアメコミファンに大人気の一方で、原著ではマルチバースというかユニヴァースの輪廻関連のキャラの物語で、ラスボスもそれを設定しました。
ここから、MCUとDCUの方向性の違いが明確になっていくと思います。
それを明示する作品としては、最高傑作だと感じる次第です。
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この映画を見る際に大事なのは「まずは、考えずに感じる」ことです。
考えずに感じるならば、原著にて「問題児」とまで言われるガイ・ガードナーの善性を、いきなり感じ取ることができるでしょう。
難しいテーマのヒーロー映画ではなく、本当のヒーロー映画の復活ではないでしょうか。
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その後で、なにかを感じたキャラの行動を映画らしく文学的に解釈してみると、かなり分厚いメッセージが出て来ます。
弱いスーパーマンが嫌という人が多く、なんというか「行動を見る気もないのかな」と、悲しい気持ちになりました。
最初の1分で済まされたスーパーマンが最初に負けているのって「レックスに負けていた」のですよね。それがジョナサンの言葉で救われた後、勝てたということが物語の流れでしょうか。
大多数の人が、険悪に悪者だと決めつけるレックスですが、彼は「自分で身に着けた有能さが無い相手に対して差別と偏見を向ける人間至上主義とエリート至上主義」というキャラなので「ビザロを使って、能力差が無い状態でスーパーマンに勝つ⇒相手の努力を認めて居なかったことで負ける」という事態になり「歯を喰いしばって泣く」んですよね。
全てのキャラが、本当に素晴らしい内面を隠しています。
表面をなぞって、スーパーマンらしくないと言い切ってしまうには、勿体なさ過ぎる作品です。
ちょっとワチャワチャし過ぎじゃね?
さらにマーヴェルをかなり意識しているような展開だし。
ジャスティスギャング? まるでよくわからん。
もう少しドラマチックにして欲しかったような。
初代スーパーマンシリーズはジョンウィリアムスの名曲とオープニングタイトルの映像場何時見ても興奮するし、マンオブスティールやバットマンVSスーパーマンは全くテイストが違ってよろしいのだが、本作はいきなりスーパーマンの生い立ちをガッツリカットしつつも過去のシーンにリンクしてきて?マークがつく人もいるだろうな。
でもなあ、わけわからんキャラクターが多くてきて世界観がよくわかりません。
ただの怪獣映画と言ってしまっても過言ではないか。
とはいうものの2時間10分つまらないことはなくラストのスーパーガール登場での次作を楽しみにしたい。
鬼滅の刃に大スクリーン奪われ、IMAXで見る為に遠くまで遠征したのは正解だった。
強いの弱いのどっちですか?
幼少期の頃はの映像は無くイキナリ戦いに負ける?処から始まる。
無敵で強いイメージあるス―パ―マンでも弱点があるんだ?
敵役のル―サ―は、メディアを利用して国民を騙し武力行使で攻める、大統領役も無能過ぎる。
終わり方が、MCUと同じ続編に繋がる終わり方でしたね。まさかス―パ―ガ―ルが出て来たのは、ビックリした。
監督、キャスティングが変わると同じ映画でもこう変わるのか?と思いました。
想像以上に素晴らしかった!
本家のスーパーマンは子供の頃に見たきりで
すっかり忘れポンチだったのも幸いしたのかわからないけれど
クリストファー・リーヴの面影もなんとなくありつつの
デヴィッド・コレンスウェットが本当に素晴らしく美しく!
また、ストーリーも社会風刺的な要素もたっぷりで絶妙な面白さ。
そして、自分的には、敵役のルーサーにものすごい既視感を覚えて
なんだろう、なんだろう、誰だったっけなー?とずっと気になってて
帰ってきて調べたらわかりました!
「アバウト・ア・ボーイ」のあの子だー!確かにーーー!とスッキリ。
もうこんなに大きくなったんだねえええ、おばちゃん嬉しいよーとw
しかも天才科学者でどうやって倒せばいいのかわからない無敵度。
めっちゃ自分の好きポイントに刺さりまくり。
誰も殺さない、死なせないスーパーマンで、ルーサーも死ななかったから
次は味方として出てこないかなーなんて思ったりも。
せっかくあんだけの完成度の高いキャラクター、終わらせたらもったいない。
そして、可愛い可愛いクリプト!
ちょっとお馬鹿さんな犬ほど可愛いものはなく。そして強いからもうたまらん!
好きがいっぱいいっぱい詰まった、素晴らしい映画でした。
やっぱしスーパーマンはいいねー!ジェームズ・ガン監督あっぱれ!
続きも楽しみ!物凄くいい仕事してくれました!
ありがとう、ありがとう、そして、ありがとう。
社会派なスーパーマン映画
アメコミヒーローの原点スーパーマンの映画
個人的には過去のスーパーマンシリーズをまったく見てなかったので
初見ですが、DCシリーズを知っていたほうが
内容はわかりやすいかも
本作はイスラエルのガザ侵攻を想起させる内容があった
スーパーマンは他国の横暴を止めるために介入をしたが
それが国際秩序にとってマイナスということでSNSで炎上をしているという
さらにスーパーマンの実親のメッセージが
地球を支配するということだと発覚をして
それにより地球人から疑念の目が向けられる
しかし、ルーサーがすべて仕組んだことだった
(両親のメッセージは本物らしいが)
SNSはサルによって炎上させられているのは笑った
ルーサーはかなりエグい悪役だな
スーパーマンの秘密基地になぜ入れたのかというのは終盤で明かされる
社会的な側面をうまく扱っているように思えた
アクションシーンはよかったが
怪獣が急に大きくなった理由はわからなかった
ヒーローの原点と打ち出しがあるように
ウルトラマンならクリーチャー?にボコボコにされているところから始まる。ちょいちょい観てるけどかなりわからない。チームのグリーンランタンはわかるけど、自分の知ってる体はない…ちょっと追うかなと。
ちょいちょいコミカルなシーンも挟み込まれ、クラークケントの時の同僚とのやりとりに何故か大谷翔平が重なったりいい感じで観れていた。
勧善懲悪、愛溢れるエンド。だが、かなりモヤモヤしながら私は帰る事になりました。
死者が出ないアピールシーンやリスすらをも助ける。
えっクリプト…スーパーマンを苦しめるためとは言え助かってる。
なのに…悲しすぎる。
もちろんわかります。敵は悪なのだと。したがってもどうなるかわからない。そんな流れを作るため。でも、裏切った味方をも監禁に留まるぐらいなのに。
エンドロール後にもその出来事は何もなかったように触れられず。
SNSの影響で声も上がっている中で無償の助かる心を見せ、最後までスーパーマンの事を思い犠牲の心を見せたのに、触れられないのは悲しすぎる。書きながらも涙溢れてくるからやらせない後味の悪さが残る映画になってしまいました。
多分、VODとかで無料配信が始まっても観ないだろうな…
今までのスーパーマンとは違うけど?
今までのスーパーマンとは違う、監督の意図はよ~く分かりましたしそれなりに楽しめましたが今一つだったかなぁという評価です。
今までのスーパーマンみたいに力押しで勝ってしまう,人によってはマンネリと取られてしまうと思いますので変化を求めた監督の意図はよく分かるのですが私は何でも力で解決してしまうスーパーマンが好きで最後はスッキリした気持ちで鑑賞を終えることも多いですが今回は今ひとつスッキリした気持ちにはなりませんでした。
最後に酔ったようなスーパーガールがでてきましたけど今度やるスーパーガールの人なんですかね?
善良は知性に勝るのかもしれない
子どものときに、クリストファー・リーブが主役のリチャード・ドナー監督版を封切りで見て、スーパーマンの印象は確定している。
スーパーマンは強く賢く、地球人の味方である。封切り時期に、「原作」といわれた小説の「スーパーマン」(エリオット・S・マッギン著、手塚治虫訳)も読み、スーパーマンのIQが地球人よりもはるかに高いことが、そこで描かれていた。
ドナー版のあと、スーパーマンは何度も映画化されたが、「強く賢くて信頼できる」スーパーマンという像が弱くなった気がしていた。
ドナー版でも、レックス・ルーサーなど悪役たちに心理戦を仕掛けられたが、相手のわなを突破すれば、スーパーマンにまったく迷いはなかった。
その後に製作されたスーパーマンは、悩みが多い、悩みが多すぎるキャラクターだったと思う。また、マーベルの快進撃に影響されて、他のヒーローと能力の比べ合いが多く、人類の守護者、人類の親友という側面がおろそかにされていた気がしていた。
今回のジェームズ・ガン版で、スーパーマンは善良なヒーローであり、敵が悪評を流したとしても、結果的にスーパーマン自身が揺るがないという久しぶりの正統派演出を見たように思う。
スーパーマンがクラーク・ケントとして善良に育ったのは、養父母のジョナサンとマーサのおかげだろう。超人に善良な両親の教育が施されたら、どういう存在になるのか。今回の作品で見事に証明されたように思う。
ちなみに、むかし読んだ小説版「スーパーマン」では、超人の子が地球に送られてくることを知った天才物理学者アインシュタインが、金持ちでもインテリでもないが、善良な子供のいない老夫婦を見つけて、超人の子を引き取らせるように仕込む筋書きが語られていた。
今作で、人類の知性の頂点にたったつもりのルーサーが、人間自身が地球を支配することを妨害するスーパーマンを激しく憎む場面がある。かつての小説の概念をあえて引用し、ひもづければ、20世紀最高の知性の一人、アインシュタインが、善良に育つように願いを込めたスーパーマンに、ルーサーの知性が勝てなかったのは、当然といえば当然なのかもしれない。
昔のスーパーマンは〜
令和版とか言ってもアメリカ人は令和なんて知らない。現代版とか言ったら良いのかな?
強過ぎるとか、他国間紛争にも介入するというので、SNSなどで誹謗中傷を受けたり、天才大富豪に自分の脅威として排斥する為に打ち負かされたりなど、昔のスーパーマンとは違うなぁ。なんか負けたり、他のDCヒーローや従姉妹の犬のクリプトに助けてもらったりするので、自分の昔からイメージにあるスーパーマンとはちょっと違うから面白さが足りない。
大人向けスーパーマンが日本で今の子供が観たいとはならないよな。
そうすると客は減り、日本では鬼滅の刃に打ち負かされるよな。
なんかつまらないから寝たのか予告編の子供救出や怪獣退治は観てない。
変な80年代風の曲がイメージぶち壊しか?
昔のスーパーマンの主題歌の曲だけで気分が盛り上がるのに残念。
力と葛藤の狭間で:現代を映すスーパーマンの肖像
本作のスーパーマンは、生まれながらの高潔な救世主というよりも、偶然、超人的な力を得てしまった普通の青年として描かれている。
彼の行動原理は単純で、「不当に苦しむ人を放っておけない」という人間的な優しさにすぎない。人類全体を見渡すような超越的視点も、絶対的な善悪の基準も持ち合わせていない。だからこそ、彼はその力の使い方を自問し続け、その結果については常に他者から問い詰められ続ける。
スーパーマン――そしてその存在の意味をめぐる認識は、メディアやSNS、国家、そして敵対者によって勝手に歪められ、彼を深い苦悩へと追い込んでいく。
彼は、ただの正義のヒーローではない。
制御不能な巨大な力をたった一人の人格が引き受けることで得られる恩恵を、人々を救うという行動で示す一方で、そのリスクは世論と報道によって煽られていく。
「結局あいつはエイリアンで、心の奥では何を考えているか分からない」
「正義感を気取ったバカが、勝手な行動で世界を混乱に陥れている」
今回の敵は、そんな不信と恐怖を意図的に拡散すべく、メディアやSNSにまで工作を仕掛けてくる。そこが実に面白い。
結局のところ、今作が描いているのは、「他者によって傷つき、歪められる自分のイメージ」と「それでもなお、自らの信念をどう保ち続けるか」という、極めて現代的でありながら普遍的なテーマだ。
だからこそ、本作における“最強の敵”とは、単なる悪の存在ではない――信念を揺るがす、外部からの見えない力そのものなのだ。
その点で「敵キャラの掘り下げが甘い」といった批判は的外れであり、むしろその抽象化がうまく機能している。
冒頭、スーパーマンは架空の同盟国による軍事行動を、政府の許可も得ずに単独で阻止したことが明らかになる。
彼は記者の取材に応じるが、アメリカを象徴する存在が、無断で同盟国に介入した行動は、外交上も道義上も大きな問題を孕んでいると批判される。
彼は感情を爆発させ、「市民が目の前で殺されそうになっていたんだ!」と叫ぶ。
この場面は、現実に起こっているガザでの虐殺を思い起こさせる。イスラエルの行動を黙認し続ける西側諸国と、そこに介入できない私たちの無力感が、スクリーンの向こうでスーパーマンの怒りとなって現れる瞬間だ。
スーパーマンという、ともすれば非現実的な存在のはずのキャラクターが、現実世界の質量を伴って迫ってくる。彼の巨大な力と、それを抱える等身大の人格のバランスが、観客の中に生々しく立ち上がる。
彼が信念を貫いて人々を救うとき、そこに宿る神々しさは、映像美や音楽の力だけではない。
私達の心の奥底の願いを彼に投影するからこそ生じるものだ。
登場人物が多すぎるという指摘もあるが、私はむしろ歓迎したい。
彼らの存在が、スーパーマンを追い詰め、逆に救いの糸口ともなり、展開に深みと予測不可能性をもたらしている。
超人的な力で全てを解決してしまえば、ドラマは単調になりかねない。だが今作では、スーパーマンですら打開できない局面がいくつも用意されており、そこで必要になるのが、周囲との信頼と絆、そして彼の信念の真価である。
他のヒーローたちとの対比によっても、彼というキャラクターの輪郭がより際立ち、その孤独と強さの意味が立体的に描かれている。
正義は単なる“答え”ではなく、問いそのものである。
そんな視点から描かれる本作は、スーパーマンを「信じたい」と思ったことがあるすべての人にこそ観てほしい。
敵の動機がイマイチ安直な
「マン・オブ・スティール」とか「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」とかを見ていませんので、以下に書く事にはその辺りの欠落があると思います。
印象的に、マスコミ操作ってそれほど有力なの?と思いました。
テレビで「スーパーマンは侵略者だ」と流れると、手のひらを返したように、スーパーマンの周囲(間近に)にいて賞賛していた人たちも「侵略者だ」「裏切った」とか罵声をあびせたりモノを投げたり。追従するテレビ番組も非難轟轟。
たしかに、日本も似た感じかもしれませんが、「ネット社会でリテラシーが」とか「ファクトチェックが」とか言いながら、視聴者・市民・国民の変わり身があれほど早いとは驚きました。
また、敵にあたるレックス・ルーサーの動機がイマイチ理解できませんでした。
あれだけ大きいことをしたのだから、もっと根深い何かがあるのかと思ったのですが、嫉妬ですか? 注目されたかった?
ロイスが編集長ペリーに、レックス・ルーサーのなにか壮大な動機を言っていた気がしましたが、ラストでスーパーマンと対峙した時には、嫉妬とか注目とか、子どもの泣き言みたいなことしか印象に残りませんでした。
「バットマン」の宿敵「JOKER」のように「レックス・ルーサー」を主役にしたスピンオフは無理なのかなぁ、って思いました。
とくに、それを期待しているわけじゃないですが、人体改造やクローンを作ったり、ポケットユニバースという世界まで作っておいて、スーパーマンへの嫉妬とかだけの理由では。
かといってマッドサイエンティストのようなものも感じられなかったので、なにか物足りない気がしました。
映画を見終わって、ふと 昔にアニメで『スーパーマンJr.』だったか、スーパーマンの学生の頃の『ヤング・スーパーマン』だったかを見た覚えがあって、それはやらないのかなぁって思いました。
クリプト!ナイス!
だよね。今回1番がんばったんじゃないかな?だから、★0.5プラスしておいた!
冒頭は良かったんだよなあ。「負けて」クリプトに引きずられるとこまでは。
スーパーマンが政治的介入とかね。うーん、もうそれは「アベンジャーズ」で出てるしさ。基本キャラの方向性もGo Gだよね。つまり、「マーベル」っぽさというか、既視感というか。まあ、それが「ジェームスガン風」というならその通りだけど、既にマーベルで出してるテイストをなぞってもね、、、
それに他のDCヒーローのキャラに魅力がないというか。コミック未見だけど、グリーンランタンはコミックよりなのかな?華がないんだよなあ。唯一良かったのは、クリプト繋がりのスーパーガールかな。ここは今後共闘を見てみたいとかも。
スーパーマンの既存のイメージを一度壊して新たなヒーロー像を出したいのはよくわかる。今までチートだったスーパーマンに「人間味」を出したかったのもわかる。確かに「スクラップ&ビルド」はやりようのある手法だけどね。作品の、物語の、バランスが偏ったままのような気が、、、
エンドタイトル後のやりとりも、もろ、マーベル風だよね。これから新しい「DCユニバース」的な展開だすんでしょ?マーベルと同じ味にしても飽きるのが早まるだけなような気がするなあ
熱烈なファンが多いコンテンツだからこそ、やりようが難しいのかもだけど。ストーリーに一貫性が乏しく、行動原理の必然性が弱かったかも。
個人的には「スーパー!」のノリ、好きなんだけどなあ笑
2025年度劇場鑑賞32作品目(33回鑑賞)
その人の本質は 血か 考え方か
「血への嫉妬 vs 人の本質は考え方」が主題になるのだろうか。昨今、政治の世界でも話題になる排外主義だが、血や人種の問題に起結させる危うい考え方がSNS等を賑わしている。ちょうどそこに、この映画が来たという感があります。
スーパーマンと題しつつ沢山のヒーローが出てくるので、わりと詰め込んだ感はするけど、思ったより満足です。やはり屋台骨の主題がしっかりしてると良いですね。
ちなみに、私はアメコミヒーロー物にはあまり興味はなく、沢山あるマーベルも最初の数作で脱落、DCはそれより出来が悪いというイメージを持ってます。
SUPERMAN is a “man”.
・純粋に平和を望むスーパーマンが、SNSやフェイクニュースに追い詰められる
・地球の平和の役に立てよと言うのがクリプトン星の産みの親の望みと思っていたが、実は下等な地球を支配しろと言うのが本意と知り、アイデンティティに悩む
・自分を信じる育ての親の言葉にあるべき自分の姿に戻る
・利権で紛争を起こし儲けようとする人間より、純粋に人間を信じ平和を願うスーパーマンの方がよっぽど人間らしい
・アメコミ色が強い歴代スーパーマン映画よりくだらなさがなく良い作品
・バカ犬がいいアクセントになっていた
スーパーマン‼️スーパーマン‼️スーパーマン‼️
私は、この映画最高に面白かったですね~
スーパーマンとして活躍して3年でしたっけ?
まだまだ青臭くて、いろいろ葛藤して、人間くさいやつでした。
あれだけ、大バッシングを受けても結局人類のために戦う❗
なんて良いやつなんだ‼️(笑)
ワンちゃんも大活躍していて、笑えるところもあって最高です。
今回の敵である、ルーサーがある意味スーパーマンの事を一番知ってるんじゃないかってぐらいむちゃくちゃキャラがたっていて良かったですね~
ただ、昔からのスーパーマンとはちょっと違うので、合う合わないはあると思います。
これからのDCがどうなっていくのか、わくわくさせてくれる映画でした❗
あと、ふと思ったことをつらつらと
スーパーマンは最初はクリプトン人の両親の映像を見ていました。自分でも意識していない心の奥底では自分の故郷というかルーツは地球では無いとの思いがあったのかも。それが、育ての父親に諭されることにより自分が何者であるのかと認識したのかなぁと。
それと、もしクリプトン人の両親の映像に破損がなかったら、ルーサーの言うとおりスーパーマンは侵略者になっていたのか?
イヤ、でもあの両親の元でそだったならその心配はないかな
ルーサーは、深層心理ではむちゃくちゃスーパーマンに憧れや羨望があり、実は大好きなんじゃあないのかと(笑)
でも、超優秀である自分が他者に憧れるなどあり得ない❗そういう気持ちが自分をイライラさせてスーパーマンを激しく憎むみたいな。
そう考えると、サンドイッチ屋のマリクを殺したのも俺のスーパーマンを勝手に助けやがってみたいな気持ちがあったのでは(笑)
最後の涙も、スーパーマンに面と向かって否定され、自分を倒すのは、新聞屋の面々と犬コロにやられるという、スーパーマンにとどめもさしてもらえなかったという悔しさがあったのではと思いましたね~(笑)
これってスーパーマン2?
間違って2を観てしまったかのように知っている前提で生い立ち、人間関係、マルチ要素などが出来上がっており、イマイチ感情移入ができないまま走り抜けるストーリーを見せられたという印象でした。
良くも悪くもマーベルっぽいライトなスーパーマン映画だなと思いました。
腕力では問えない強さに
ジェームズ・ガンのファンとして観に行きました。
映画としての完成度も高かったし、ジェームズ・ガンの映画としても非常に完成されていたと思う。
スーパーマンというヒーローの代名詞を中心に据えて現代劇を描くとすればこうなるだろう、と腑に落ちる点が多々あった。
最初から負けてる(マイナスからスタートしている)のは、かなりチャレンジだったと思う。ボコボコに負けた後に恋人とも喧嘩して敵の策略で貶められて「スーパーマン虐め」はかなりやられていた。
多様性とか色々言うくせに人との差異に敏感で他者に怯えている現代人とSNS。ストーリーにSNSを組み込んだのは、色々あったジェームズ・ガンなりの答えなのかも知れない。
特によかったキャラはグリーン・ランタンだ。口では悪口や皮肉を連発してはいるが、スーパーマンに対しても強く憎んでいるわけではないし、仲良くするつもりはないし、ただ言いたい事は言う。というある意味ものすごく現代人として正しい姿かも知れない。何より、やるべきことをきちんとやっている。
次いでクリプト。最後の最後までルーサーに止めをさせないスーパーマンだったが、このワンちゃんが滅茶苦茶にしてくれたおかげで観ている側の溜飲が下がる。この映画最強キャラはこのワンちゃんだった。
敵役のルーサーは、正直微妙。間違いなく天才だったが、スーパーマンが現れた事によって歪んでしまった人間というのはちょっと陳腐だった気もする。
スーパーマンを取り巻く環境、生みの親や仲間や敵や恋人や育ての親との関わり合い。スーパーマンが独りぼっちで苦悩するよりもその時々の考えを一緒に考えようとしている姿勢は非常に現代人っぽいと思う。
特に、エンドクレジット後に余計な口を叩いて相手を傷つけてしまった後に「ああ、やっちゃった」みたいな小さな悩みは実に人間らしい。
ワン!2! 3! 4♪ 良かったよ!カジュアルスーパーマン!
もうね、予告編の頃から期待してた通りなんですけどね。
スーパードッグのクリプトにデレデレですわ (^q^)
もしかしてもしかしなくても影の主役はコヤツじゃなかろうかね。
まっこと、ういヤツじゃのう…
ま、さておき!
新スーパーマンは今までありそうで無かったような、人間味?あふれる甘マスクのタイプでございました。バトルでは「ア゙ァ゙ーーッ!」とか「グゥアー!」とか「グゥーッ(おっさん銭湯みたいな)」などなど咆哮するわで、けっこう痛がるシーンが多かった気もして、どうにもこうにも手のつけられない「鋼鉄の男」っぷりはどこかに行ってしまったかのご様子。超人グループがあるとしたら横並びっていうか、ややもすれば後輩キャラっていうか。
個人的にはデザインも含めてシリアスなザック・スナイダー版スーパーマンこそ至高!派なのですがね。なんの。スパイダーマンシリーズでもそうなんだが、不思議と最新版が一番良く見えてくる魔法みたいなものがある場合があって、今回はそれにハマってる気がしましたね。
弱さも人間。ヘマしたっていいじゃないか、な新ヒーロー。
野良リス?すら目ざとく助ける我らが青スーツは、とんでもない小悪党版レックス・ルーサーの罪も命で贖わせることもなく、赦すわけですよ。これは甘い!甘いよ~~笑 (^_^;) ・・・なんだけどね、他の惑星でパーティー三昧らしい従姉妹スーパーガールもとんでもねえキャラだと予告入ったりして、ああそうか!その路線か!ならばもう好きにやっちゃって楽しませてくれい!!ってな気分になりました。
よく考えたらジェームズ・ガンってガーディアンズやってたんですね。ああ、完全に納得。グリーンランタンはほぼスターロードでしたもんね。
総合的に言って、新スーパーマンのキャラクター戦略、ひとまず成功ですかねえ?
まーまー高っ!な価格のクリプトぬいぐるみキーホルダーご購入でございました…(^_^;) そのうち出てくるクレーンゲーム版よりもね。劇場販売版を~と。劇中同様、左耳だけピョンとハネる仕様になっていてコレマタCUTEなのです!
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