「ドナーだ!スナイダーだ!いや、ジェームズ・ガンだ!! 現代社会を鋭く風刺したシン・DCユニバース第1作。」スーパーマン たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
ドナーだ!スナイダーだ!いや、ジェームズ・ガンだ!! 現代社会を鋭く風刺したシン・DCユニバース第1作。
DCコミックスのスーパーヒーローが一堂に会するアメコミアクション映画「DCユニバース(DCU)」の劇場版第1作。
大都会メトロポリスを拠点に、地球の平和を守るために奮闘するヒーロー、「スーパーマン」は惑星クリプトンの遺児として地球にやって来た異星人で、超人的なパワーを有している。
ある時、東欧の国家ボラビアが隣国ジャルハンプルへの侵攻を開始。スーパーマンは住民の虐殺を防ぐためそれに介入するのだが、その行いがアメリカ国内で予期せぬ反発を生み出してしまう…。
監督/脚本/製作はジェームズ・ガン。
打倒スーパーマンに執着するテック・ビリオネア、レックス・ルーサーを演じるのは『X-MEN』シリーズや『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のニコラス・ホルト。
クラーク・ケント/スーパーマンの実父、ジョー=エルを演じるのは『ハングオーバー!』シリーズや「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」のブラッドリー・クーパー。
空を見ろ!鳥だ!飛行機だ!いや、スーパーマンだ!!
…という事で、新生『スーパーマン』であります。一体何度目の実写化なのかわからない程、何度も何度も擦られ続ける永遠の鉄板ネタ、いや“ネタ・オブ・スティール“、それがスーパーマン。作品を観た事がなくとも、その名前を知らない人は流石にいないだろう。大ネタ中の大ネタっすね。
本作はザック・スナイダー版『スーパーマン』こと『マン・オブ・スティール』(2013)に端を発する一連のシリーズ、所謂「DCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)」に属する1作…ではない。
興行的不振やメインキャストの不祥事などでグズグズになってしまったシリーズを立て直すべく、キャストや世界観を一新して作り直されたリブート版「DCユニバース(DCU)」の記念すべき第1作なのである(正確には配信アニメ『クリーチャー・コマンドーズ』(2024)が1作目にあたるらしいのだが、こんなん観ている人殆どいないよね)。
ただ、このユニバースって正直言ってまだよくわかっていなくって、本作にもチラッと登場しているアンチヒーロー、ピースメイカーは改編前の「DCEU」から存在しているキャラクターで、ジョン・シナが引き続き演じている。彼が主人公を務めるドラマ『ピースメイカー』(2022)は現在シーズン2の公開が控えているが、調べた所によるとこのドラマのシーズン1は「DCEU」に、シーズン2は「DCU」に属する事になるらしい。もう何が何やらさっぱりや…😵💫
正直な所、今後の方向性や前シリーズとの関係性などは製作陣もまだはっきりとは決めかねているのだと思う。過去作との関連とか難しい事は考えず、とりあえずしばらくは目の前に供されたものを素直に楽しむのが吉か。
本作の指揮を執るのはDCEU第10作『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』(2021)の監督、ジェームズ・ガンちゃん。過去のTwitterを掘り返された結果ディズニーから追い出された彼は、ライバル会社であるワーナーへと移籍。あれよあれよと言う間にワーナーの子会社「DCスタジオ」の共同会長兼共同CEOという地位にまで登り詰める。そうして全ての指揮権を掌握した彼が打倒MCUを誓って(いるのかどうかは知らんが)制作しているのがこの『スーパーマン』、ひいてはDCUというフランチャイズな訳です。
ザック・スナイダーとは真逆と言って良いほど、2人の作家性は違う。重厚でダークでシリアスな作劇を望むザック。それに対してガンちゃんは軽快でポップでコメディな作劇を好む。2人の嗜好の違いはカラーグレーディングにも表れており、ザック版スーパーマンは「グレー」、ガン版スーパーマンは「レインボー」と言った具合に、画面の色調が大きく異なっている。
「暗」のザックと「明」のガンちゃん。繰り返すがこれは単に作家性の違いであり、どちらが良いとか悪いとか、そういう話ではない。ただ、『スーパーマン』というライトサイドの極致の様な存在を扱う映画である以上、やはり「明」の方が作品のカラーとして適切だと言わざるを得ない。同じコミック映画でも『300〈スリーハンドレッド〉』(2006)の様な血みどろな作品なら「暗」で良いんだけどね。
前任者ザックの亡霊を振り払うが如く、本作ではDCEU時代のスーパーマン像からの脱却を徹底的に行っている。「敵を倒す」ことよりもまずは「人(リス)命救助」、「自分の悩み」よりも「世界平和」を優先、「超越者」である以前に「人間」など、前作との対比は隅々にまで及んでいる。
一方で、70年代〜80年代にかけて人気を博したクリストファー・リーヴ版『スーパーマン』(1978-1987)への回帰もまた露骨なまでに行っている。巨匠ジョン・ウィリアムズが作曲したあの「スーパーマンのテーマ」を再び使用しているだけでなく、ストーリーの展開やキャラクターの配置など、至る所にこのシリーズへのオマージュが読み取れるのである。
例えば都市を地割れが襲う、イヴというおバカなブロンド美女がルーサーの側にひっついているというのは『Ⅰ』(1978)からだし、孤独の要塞内部での乱闘は『Ⅱ』(1981)、スーパーコンピュータが敵、市民によるスーパーマンへの非難、スーパーマンによる一人二役でのバトルは『Ⅲ』(1983)、スーパーマンが世界平和実現のため国際情勢に介入、ルーサーがスーパーマンのクローンを作るという点は『Ⅳ』(1987)からのリファレンスか。スーパーガールの見た目も『スーパーガール』(1984)のヘレン・スレイターに寄せてたしね。
事程左様に、本作が目指すのはDCEUからの脱却と原点回帰(リーヴ版を原点と言って良いのかはわからないが、少なくともひとつのメルクマールである事は間違いないでしょう)。ダークでシリアスな路線から、スーパーマン本来の明るく楽しい路線へと変更する。この試みは、ある程度は成功したと言えるだろう。
もう一点、本作の特徴を挙げるとするならばそれは大胆なほどに現代の世相や国際情勢を物語に盛り込んでいる事。
現実世界の政治家や企業家、国家の名前を出している訳ではないが、この映画に登場する「悪」は明らかに「あの人」や「あの国」のメタファー。また、SNSによる誹謗中傷や権力者による印象操作、さらには難民や移民へのヘイトなど、社会を蝕む病巣をアメコミ映画という形をとって描き出した寓話的な作品である。
陽性な作劇を得意とするガンちゃんだが、その裏側にはいつも権力に対する風刺的な視線が隠されている。彼の出世作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ(2014-2023)にもその傾向が見られたが、今作では遂にその作風が爆発。企業のトップに位置する人間が、率先して現政権へ“NO“を突きつける様な映画を作り上げる。リスクしか無いにも拘らずこういう映画を撮ってしまうその反骨精神には、心からの賛辞を贈りたい。
過去作からの引用が多い作品だが、本作独自のひねりのある展開には驚かされた。それはジョー=エル夫妻が息子カル=エルに遺したメッセージである。これまで、傲慢なクリプトン人の中にいる数少ない聖人として描かれてきたエル夫妻だが、今作ではまさかの選民思想バリバリのクソッタレとして登場。「ま、どうせルーサーが改ざんしたフェイク映像でしょ」なんて高を括っていたら、まさかの…。
このツイストは今までの『スーパーマン』には無い(と思う。歴史が長すぎるため断言は出来ないが…)。ただ、よくよく考えるとこれと似た展開を我々は知っている様な…。
そう、それは皆んな大好き『DRAGON BALL』(1984-1995)である。世界的な人気を誇るこの漫画、実は『スーパーマン』のパロディになっている。武術の達人・孫悟飯に拾われた赤子・孫悟空は冒険と戦いを繰り返して真っ直ぐな青年へと成長するが、実は彼は惑星ベジータの遺児として地球に送られたエイリアンであった事が中盤で発覚。しかもその目的とは地球を侵略して更地に戻し宇宙の帝王フリーザに売り飛ばしてしまうというもので、満月を見ると凶暴な大猿になってしまうという彼の能力は、その為に備わっているサイヤ人の特性だったのである!
今作のスーパーマンの設定は衝撃的なものだったが、実は『DRAGON BALL』からの引用であるというのが自分の見解。『スーパーマン』から『DRAGON BALL』、そしてまた『スーパーマン』へと、パロられた本家が直々にパロり返した結果なんじゃないだろうか。
ダークで重厚な神話からライトで人間的な寓話へと舵を切った本作。一からオリジンを描くのではなく、もう既にあるものとしてドラマを始めてしまうというのは、歴史の積み重ねがあるご長寿シリーズだからこそ出来るスタートの切り方である。
ただこれも良し悪しで、ここからDC映画を見始めた観客が今回の物語について来られたのかは正直疑問。というのも、1本の映画にしてはあまりにも情報が多く詰め込まれすぎていたから。
先述した様に、本作は『スーパーマンⅠ』〜『Ⅳ』+『スーパーガール』をごっちゃにしたかの様なストーリーで、それだけでもやり過ぎだと思うのにそこに更に「ジャスティス・ギャング」なるヒーローチームや「クリプト」というスーパードッグまで登場する。登場キャラがやたらと多く、DC作品に触れている観客でもピンとくるかどうか微妙な人たち(デイリー・プラネットのセクシーお姉さんは一体誰っ!?)が「お馴染みのメンバー」面して出て来るというのは、ちょっとやり過ぎな気がしないでも無い。
本来なら本作の内容は三部作くらいの尺を使ってじっくりと描くべきもののはず。『1』でロイスとのロマンスとボラビアへの介入、『2』でルーサー&ウルトラマンと対立、そして敗北、『3』でジャスティス・ギャングとの共闘、そしてヒーローとしての矜持を取り戻してルーサーに勝利、の様に時間をかけてじっくりとシリーズを構築していくというのが常套手段。あえてそこから外れる事によって既存作品にはないボリューム感とスピード感は生まれているものの、結果としてライト層には優しくない映画になってしまった。相当なオタクじゃ無いとこれは十全には楽しめ無いかも。壮大なユニバース計画の第1歩がこれで、この先大丈夫か…?
今作にはガン監督の「今の混沌とした政治状況について一家言あるんだ俺はっ!」というはっきりとした姿勢が表れている。責任ある立場の大人としてそれは当たり前の事だと思うし作品にその想いを込めるのも結構なのだが、お話が重くなってしまう事を避ける為か本人の性格か、シリアスな場面でもギャグが挟み込まれ、そのせいで全体のトーンのチューニングがかなり狂ってしまっている。ロシアンルーレットで罪なき市民を撃ち殺した極悪人に対する罰がワンちゃんにしばき回されるだけで良いのか?
ジェームズ・ガンは愛犬家らしく、クリプトの造詣には「オズ」という自身の飼い犬が大きく影響を及ぼしているのだという。自分も動物は好きだが、はっきり言って今作で繰り返し描かれている駄犬ギャグはあんまり面白く無い。シリアスになり過ぎないよう、ここでワンちゃんをひとつまみ…なんて考えたのかも知れないが、そういう小手先の笑いじゃない手段で映画を賑わせて欲しかった。
も一つ言うと、今回スーパーマンよりもワンカットで雑魚キャラたちを薙ぎ倒すミスター・テリフィックや、ファックポーズ🖕で戦車をぶっ飛ばすグリーン・ランタン、絶叫しながらメイスを振り回すホークガールといったジャスティス・ギャングの面々の方が生き生きとしていた。
やはりガン監督は正義超人すぎて型を崩す事が出来ないスーパーマンよりも、ジャンク感のある2流ヒーローの方が上手く扱えている。彼の資質は、そういう日の当たらない存在を扱う時にこそ光るよね。
まぁ何はともあれ、シン・DCユニバースは無事動き出した。
次回作は『スーパーガール』という事なのだが、これもガンが監督するのかな?いずれにせよ、スーパーガールの単独映画は久しぶりなので今からとても楽しみ〜☆✨
共感ありがとうございます!
今後のDCUでは、作品ごとに監督を変えて、全くちがう作風の作品が増える、らしいです。そのためガン監督が全部やるわけじゃないっぽいのですが、ガン監督が直々に監督する映画も今後でるみたいです。
なのでガン監督にはぜひとも、おっしゃる通り「日の当たらない」ヒーローやヴィランの映画を撮ってほしいですね!
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