「スーパーなのはスーパーマンだけでいい」スーパーマン モトさんの映画レビュー(感想・評価)
スーパーなのはスーパーマンだけでいい
マン・オブ・スティール、バットマンvsスーパーマン、王道と違うことを求め中二病をこじらせた逆張り風スーパーマン映画2作を経て、青タイツに赤パンツのアイツがついに帰ってきた!ダークファンタジーとはおさらばだ!おかえりスーパーマン!そんな風に考えていた時期が私にもありました。
本作は確かにダークファンタジーではありません。でも期待したスーパーマンでもありませんでした。自分が求めていたのは、心を奮い立たせてくれるような、思わず握りこぶしを握ってしまうような、そんなベタベタのスーパーヒーロー像。墜落するヘリコプターや飛行機を受け止めてしまったり、地球を逆回転させて時間を戻してしまったり、そんな離れ業はスーパーマンにしか出来て欲しくないし、唯一無二なその姿に思いを馳せたかったのです。
アメリカでDCやマーベルのヒーロードラマが量産されるにつれ、それらのヒーローが同じ画面内で協力して悪に立ち向かう展開が昨今当たり前となりました。飛べるのはスーパーマンだけではないし、銃弾が効かないのも、ビームを出せるのもスーパーマンだけではありません。様々な主人公が入り乱れるドラマなら勿論それでもいいのです。でも本作は「スーパーマン」なのです。スーパーマンを主人公とした世界の中では、スーパーパワーを発揮するのはスーパーマンだけであって欲しいし、そんな鋼の男という存在に画面内の全世界の人々が憧れと畏怖の念を抱いていて欲しい。だからこそスーパーマンは凄いんだ!と画面外からその世界を興奮して眺めたい。求めていたのはその熱量でした。
今作は昨今のDCドラマの流れを受け継いで、特殊能力を持つメタヒューマンが当たり前に登場します。スーパーマンの非日常的なパワーは、画面内の世界に生きる人々にとっては「他でも見たことがある」能力の一部に過ぎません。スーパーマンの特異性と言えば地球人ではないことくらい。端的に言えば「スーパーマンだけがスーパーではない」世界線の話が展開します。だから一応ラスボス扱いのはずのカル₌エルのクローンも、他のヴィランと比べて印象深いヒールとして描けていない。違うんだなぁ。スーパーマンだけが特別な世界を描いていれば「スーパーマンと同等以上の戦闘力を持つ敵って何者!?」と興奮して見られたはずなんです。
スーパーマンを知らない、あるいはジャスティスリーグ等の派生作品からスーパーマンを知った人、なんとなくヒーロー物を見てみようと思った人、そういった方々には今作は良質なエンターテインメントとして受け入れられると思います。だからこそ世界的には評価も高いし興行的にも成功を収めているのでしょう。ジェームズ・ガン監督も多分狙ってやったことなのだと思います。メタヒューマンを登場させておけば続編への伏線も張れる。でもね、やっぱり違うんです。「スーパーマン」というタイトルで上映される映画の中では、スーパーマンはスーパーであって欲しかった。スーパーなのはスーパーマンだけであって欲しかったのです。懐古主義のおっさんの戯言かもしれませんが、青タイツに赤パンツのスーパーマンであればそうであって欲しかったのです。その意味では約20年前に公開されたスーパーマンリターンズの方が、よほどスーパーマンであったと思うのでした。
最後となりますがジョン・ウィリアムズのスーパーマンのテーマ、結局最後の最後までオリジナルに近い形のアレンジでは登場しませんでした。これも握りこぶしを握れなかった大きな要因の一つとして挙げておきたいと思います。
続編、あるのかなぁ。興行的にはありそうな気もしますが、スーパーマンを脇役のように扱って欲しくないなぁ…。
