「【追記しました、既存文面更新しました】全ヒーロー映画中で最高傑作であるファミリー映画」スーパーマン モータルコンバッタントさんの映画レビュー(感想・評価)
【追記しました、既存文面更新しました】全ヒーロー映画中で最高傑作であるファミリー映画
多くの人が言っている「わからない」「おふざけ」というのは全て言いがりです。
この映画は「細かい背景がわからなくても、そのヒーローの良いところと悪いところが全部わかる」という内容に作られています。
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全てのヒーローとヴィランのバックボーンを一切語らず。
はっきり言ってダメダメな目的だけを語らせています。
これの結果で起きる全てのキャラへの険悪感を「喚き散らす子供」を見るような生暖かい視点に、見事に落とし込んでいるのです。
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全編を通して子供の喧嘩が続いて行く、ただのファミリー映画でした。
欠けた大人の成長や救済を描くのがヒーロー映画のつねですが、救済せずに保護をして終わったという怪作なんです。
まさに『大ヒーロー幼稚園』でした。
これが名作じゃなければ、なにが名作なのでしょうか?
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その上で、ヒーローたちもヴィランたちも、自分たちの芯と言える部分をしっかりと行動で示しています。
スーパーマンを知らない人でも知っているようなその「行動」を徹底的に見せた。
その後で、他のキャラのそういう「行動」も見せることで、スーパーマンへの救済が、全てのキャラに当てはまっていることわかるという物語になっています。
スーパーマンに与えられた救済というか保護というか、これが物語の中心なんだと思います。
過去の監督の発言をいつまでもあげつらってヘイトをまき散らす人がいますが、この映画ほどしっかりと「本当のポリティカルコレクトネス」を描いて居る作品もないと思います。
原著にはない「生みの親が支配的な遺言を残していた」という改変と、育ての親であるジョナサンの発言を持って、スーパーマンを成長させるのではなく「救済する」というこの神表現は、ポリティカルコネクトネスの正しい姿を描き出しています。
こんな表現がある作品は、ゲーム原典のモータルコンバットとこれしか知りません。
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多様性は、尊重してしまうと、ちょっと視点が変わるだけで『ただの相対主義の険悪に化ける』のです。この為、いま、ネット社会は「相対険悪の押し付け合い」です。
多様性とは認めるものであり、スタート地点が同じになるようにするだけが「ポリティカルコレクトネス」ではないでしょうか。
人を尊いと考えるならば、その後の一人一人の選択、人生そのものを尊重すべきです。
これを描いて居る作品は、世界中でもごくわずかではないでしょうか。
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子供として描くという仕組みを一切最後まで手を緩めずにやり続けることで、スーパーマン含めて誰一人として成長していないことが分かるというエンディングになっています。
全員が子供のままであることを「無垢なままで、その行動こそが尊ばれる」ということを描いて居ます。
エンドロール後のシーンでまで徹底的に子供ぶりを描くことで、『これからのDCユニバースの「まっしろなキャンバス」を示して終わり』ました。
傑作ではないでしょうか…。
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でわ、アメコミファンは不満なのかというと、そんなことはないんです。
ミスリード:ウルトラマンとポケットユニバースを見せるなら、その反対側の次元はアース3ではないかと推測してしまう。
ウルトラマンというのは、アース3の悪のスーパーマンなんです。
こいつが出て来て、別の次元とこの次元の間に世界を作ってしまったと発言する場合、最後に彼が正体を現し、マルチバースの話が始まると予想してしまうんです。
それが実はスーパーマンのクローン「ビザロ」であった。
しかも、原著のような自立意志もなく、レックスの誘導に完全に従う人形である。
「心の準備をする間もなく、スーパーマンの能力を持つレックスとの対決を体験させる」という原著ファンを驚かす仕組みになっているわけです。
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さらに映画を見てから数日経って気づいたのですが…。
この「実はウルトラマンじゃなかったです」というのは「ウルトラマンは出さない。アース3は出さない」⇒「マルチバースはやらないよ!」というメッセージなのではないでしょうか?
翌々週から上映を開始した、ファンタスティックフォーですが、同じようにアメコミファンに大人気の一方で、原著ではマルチバースというかユニヴァースの輪廻関連のキャラの物語で、ラスボスもそれを設定しました。
ここから、MCUとDCUの方向性の違いが明確になっていくと思います。
それを明示する作品としては、最高傑作だと感じる次第です。
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この映画を見る際に大事なのは「まずは、考えずに感じる」ことです。
考えずに感じるならば、原著にて「問題児」とまで言われるガイ・ガードナーの善性を、いきなり感じ取ることができるでしょう。
難しいテーマのヒーロー映画ではなく、本当のヒーロー映画の復活ではないでしょうか。
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その後で、なにかを感じたキャラの行動を映画らしく文学的に解釈してみると、かなり分厚いメッセージが出て来ます。
弱いスーパーマンが嫌という人が多く、なんというか「行動を見る気もないのかな」と、悲しい気持ちになりました。
最初の1分で済まされたスーパーマンが最初に負けているのって「レックスに負けていた」のですよね。それがジョナサンの言葉で救われた後、勝てたということが物語の流れでしょうか。
大多数の人が、険悪に悪者だと決めつけるレックスですが、彼は「自分で身に着けた有能さが無い相手に対して差別と偏見を向ける人間至上主義とエリート至上主義」というキャラなので「ビザロを使って、能力差が無い状態でスーパーマンに勝つ⇒相手の努力を認めて居なかったことで負ける」という事態になり「歯を喰いしばって泣く」んですよね。
全てのキャラが、本当に素晴らしい内面を隠しています。
表面をなぞって、スーパーマンらしくないと言い切ってしまうには、勿体なさ過ぎる作品です。