「善良は知性に勝るのかもしれない」スーパーマン 劉志信さんの映画レビュー(感想・評価)
善良は知性に勝るのかもしれない
子どものときに、クリストファー・リーブが主役のリチャード・ドナー監督版を封切りで見て、スーパーマンの印象は確定している。
スーパーマンは強く賢く、地球人の味方である。封切り時期に、「原作」といわれた小説の「スーパーマン」(エリオット・S・マッギン著、手塚治虫訳)も読み、スーパーマンのIQが地球人よりもはるかに高いことが、そこで描かれていた。
ドナー版のあと、スーパーマンは何度も映画化されたが、「強く賢くて信頼できる」スーパーマンという像が弱くなった気がしていた。
ドナー版でも、レックス・ルーサーなど悪役たちに心理戦を仕掛けられたが、相手のわなを突破すれば、スーパーマンにまったく迷いはなかった。
その後に製作されたスーパーマンは、悩みが多い、悩みが多すぎるキャラクターだったと思う。また、マーベルの快進撃に影響されて、他のヒーローと能力の比べ合いが多く、人類の守護者、人類の親友という側面がおろそかにされていた気がしていた。
今回のジェームズ・ガン版で、スーパーマンは善良なヒーローであり、敵が悪評を流したとしても、結果的にスーパーマン自身が揺るがないという久しぶりの正統派演出を見たように思う。
スーパーマンがクラーク・ケントとして善良に育ったのは、養父母のジョナサンとマーサのおかげだろう。超人に善良な両親の教育が施されたら、どういう存在になるのか。今回の作品で見事に証明されたように思う。
ちなみに、むかし読んだ小説版「スーパーマン」では、超人の子が地球に送られてくることを知った天才物理学者アインシュタインが、金持ちでもインテリでもないが、善良な子供のいない老夫婦を見つけて、超人の子を引き取らせるように仕込む筋書きが語られていた。
今作で、人類の知性の頂点にたったつもりのルーサーが、人間自身が地球を支配することを妨害するスーパーマンを激しく憎む場面がある。かつての小説の概念をあえて引用し、ひもづければ、20世紀最高の知性の一人、アインシュタインが、善良に育つように願いを込めたスーパーマンに、ルーサーの知性が勝てなかったのは、当然といえば当然なのかもしれない。