「梅干し食べて、スッパマン‼」スーパーマン alfredさんの映画レビュー(感想・評価)
梅干し食べて、スッパマン‼
字幕版を観た1週間後に、吹替版を観た(「鬼滅の刃」があまりにも混雑しているので、やや消極的選択)。
アメリカ映画は、良くも悪くもその時代のアメリカを映そうとする。
遠く離れた日本から見ると、現在のトランプ時代のアメリカとは他者(外国人)を排除し、フェイク情報に粉飾された時代と言える。しかしそれは今の日本も似たような姿をしている(先の参議院選挙はそれを暗示していないか?)。
他国の紛争に積極的に出向くスーパーマンの姿は、現実のアメリカ・ファーストに異義申し立てしているということか。
フェイク情報に惑わされてスーパーマンを非難する民衆の姿こそ現実のアメリカだと監督(兼脚本)は言っているのだろう。
本作でのスーパーマンは異星人というよりも外国人という目線で描かれており、それは現実とのリンクを目指す制作陣の意図する所だろう。
ジョン・フォードの時代から多くのアメリカ映画は故郷(ホーム)に帰ることを主題として描いて来た。冒頭で敗北したスーパーマンは愛犬クリプト(預かっていることは最後で分かる)に「Take me home」と告げる。しかしスーパーマンには帰るべき故郷(星)はない。一時的な基地に彼は戻り、傷ついた体を癒すのだ。
「人はアメリカ人に生まれるのではない。アメリカ人になるのだ。」
アメリカ映画が長らくかつ誇らしく描いて来たこの大原則が反故にされようとするこの時代に、ファンファーレが高らかに鳴って、スーパーマンは1人のアメリカ人として奮闘する。しかし今の彼には仲間がいる。決して孤軍奮闘ではない。連帯することで希望の光を見ようとしている。
本作を観る価値があるとすれば、現在の不寛容な時代を生きる我々にこそあると言える。
映画のなかで、スーパーマンの名前を口にしながら「S」マークの旗を立てんとする紛争地の少年らの姿がある。硫黄島の摺鉢山でのアメリカ国旗を立てる兵士の写真を意識した一場面だろうが、今の世界状況下ではアメリカは求められていないというメッセージなのだろう。
ここから余談。
不寛容といえば「イントレランス」だ。グリフィスの大作であり、サイレント映画時代を代表するこの作品。元々8時間に及ぶ超大作として予定され、やむを得ずカットして3時間にして公開されたという問題作。
不寛容さが跋扈するこの時代に是非こそ映画館で再び観たいと願う。久しぶりの再会にリリアン・ギッシュは微笑んでくれるだろうか。