「納得がいかない。…どころの話ではない!」スーパーマン おとっつぁんアルファさんの映画レビュー(感想・評価)
納得がいかない。…どころの話ではない!
正直、「違う…」と思った。本棚ひとつ丸々アメコミで、それもほとんどDCだけど、「コレジャナイ」感が強かった。本国でも日本でもヒットしているらしいが、リチャード・ドナー版から入って、ザック・スナイダー版に喝采を送った自分としては、今後のDCUの展開は、あまり期待出来ない。
ジェームス・ガン監督は、「オリジンは不要」と言うが、言ってみれば桃太郎の、「どんぶらこっこ」は描かない、と言うことになる。また、「これは移民の話」とも言っていたが、これは狭いようで広く、政治的な意味合いさえ帯びてくる。そんな前知識の上で観たが、危惧した通りの結果だった。
スーパーマンを弱くしたのは、解釈としてアリだと思うが、犬のクリプトにしろ「ジャスティス・ギャング」の面々にしろ、日本には馴染みのないキャラクターが多すぎる(ファンの私は知ってたけど、一般の日本人は知らないだろう)。展開もアクションも先が読めてしまって、スナイダー版の空中戦のような、ワクワクする感じはなかった。
有名な(少なくともアメリカでは有名な)オリジンを省いた為か、(いきなりスーパーマンが、「正義の味方」として出てくるなど)キャラクターに深みがなく、すっかり「アベンジャーズ化」してしまった。同じアメコミの映画化でも、作りまで同じような作品を、観たいとは思わない。
つくづく、「スナイダー版の続きが見たかったな」と思った。重い作品で、評判は良くはなかったけれど、アベンジャーズに対するあのアプローチはありだった、と思う。
今後のユニバースは展開していくらしいが、続きを観るかは、作品を見て考えたい。
まあ、好きずきですが。
追記。作品の内容について。ネタバレあり。
いちばん嫌だったのは、訳の分からない、軽々な設定が、次から次へと出ること。やれ、「この川に落ちると、ブラックホールに呑みこまれる!」だの、「カレはお前のクローンだ!」だのと…SFファンタジーなので、何でもありでいいのかも知れないが、あんまり多すぎて白けてしまった。
後半、レックス・ルーサーに、説教する場面に至っては、我慢していたトイレに駆け込んだ。戻ってきたら、ほぼ映画は終わっていたけれど、別に口惜しくもなんともなかった。
「陽気に映画を楽しみたい」と言う方にはいいかも知れない。アベンジャーズが良かった、と言う方にはもっといい。キャラクターを真面目に深く読み過ぎて、結果的に重くなった、と言うのが嫌いなら更にいい。
娯楽性を追求した結果定番になっていると思う。定番は別に悪くはないが、同じような“ハリウッド色”…否、“マーベル色”…(否、ディズニー色?)に、DCも取り込まれてしまった、そんな気がした。
評価はおおむね好意的のようだが、少ないながらも「つまらない!」と言う人もいることを、忘れないで欲しい。
…まあ、好きずきですが。
時間が経つうちに、また腹が立ってきたので、更に追記。重箱の隅をつつかせてもらう。
まずはじめに、「メタヒューマンがいっぱいいる世界」と字幕が入る。この時点でもう?である。じゃあ、「ただの金持ち」であるバットマン(このセリフ、スナイダー版にあったね)や、弓が上手いだけの、普通の人間であるグリーンアローは、お呼びでない、というわけね。
半殺しになったスーパーマンを、犬のクリプトが助けに来る。この犬、モデルはガン監督の飼い犬だという。それって、作品の私物化、と言えなくもないんじゃない?
国境を超えて助けに行くクラークを、ロイスが問い詰める。超人であるスーパーマンに、外国から「助けて!」と言われてるんだから、助けに行くのは当然。ロイスの狭量さを感じた。
戦闘中にリスを助けるスーパーマン。優しいのはわかるけど、ビルの下敷きになりそうな人々を、助けるのが先じゃない?じゃあアンタは、ビルの下敷きになったアリの巣も、守ろうとするのかい?スーパーマンなら、倒れてくるビルを支えるくらいのことは出来そうなものだよ。
命の危険が迫っているのに、夢中で携帯で写真を撮ろうとする人々。命の危険だよ?逃げる方が先なのが当たり前じゃないの?
化け物が来ても、不貞腐れて助けに行かない、そんなスーパーマンは見たくないよ。
ルーサーが作った別世界も、説明がなさすぎて、都合よく作ったとしか思えない。
クリプトンの両親をただの俗物にした理由もよく分からない。スーパーマンが正義を守るために目覚める、というのがやりたかったんだろうけど、この設定は、後で無理が来るのが見えている。「クリプトンは滅び、我々もそれに従うけれど、息子だけは守りたい!」という、悲壮な覚悟ではなかったのか?あの俗物ぶりなら、「3人で地球に行って、征服してやろうぜ!」とか言いかねない。
強いから、でなく、底抜けの善人だから、というのが、真のスーパーマンの魅力、という解釈なのだろう。それはわかる。多くのアメコミ作者が、そのように書いている。ただ、本当の優しさを描くなら、例えば、木に登って降りられなくなった子猫を、そっと掬い上げるとか、脱線しそうな列車のために、自分が線路になる、といった方が、優しさは伝わるし、スマートでもある。コレ、ドナー版のワンシーンです。
挙げ句の果てに、ルーサーに向かって、「俺は、間違いも犯す、人間なんだ!」とのたまう。これは逃げ向上。アンタが失敗したら、死人が出るんだよ?その責任、ホントに分かって言ってるのかい?そもそも君は人間じゃない、他の星から来た異星人ですよ?
スーパーガールが帰還して、「あの子は赤い太陽の下で、酒をかっくらっていたのだよ」という。赤い太陽の下なら、スーパーパワーは失われるからなのだが、この設定、みんな大前提として、知っている、とでも思っているのかな?太陽系の中心であるイエローサンの下では、スーパーパワーを発揮できるけれど、クリプトンと同じレッドサンの下では、ただの人になってしまう。この設定に対し、もう少し言及があってもよかったんじゃないかな?
良かった点。この後の、お転婆で、酒好きスーパーガールの登場は面白く見られた。コレは新解釈で、結構面白そう、と思ってしまった。ガン監督のDCUに興味はないけれど、来年の「スーパーガール」は見に行こうと思う。
思いきり揚げ足を取ってしまったが、一貫性のない、論理的にスジが通っていないと、訳がわからなくなってしまう。まあ、お祭り騒ぎが好きな方は、それでいいのかもしれない。
…まあ、好きずきですが。