「スーパーマンらしくない、というのは誤りである。」スーパーマン aossさんの映画レビュー(感想・評価)
スーパーマンらしくない、というのは誤りである。
元々コミックの始まりの1930年代のスーパーマンは悪党を見かけると直ぐに殴りかかるような短気の性格だ。市民の怒りの代弁者、という立ち位置なのかもしれない。現代と比べるとかなり荒くれたキャラクターだったものが、時代の変化と共に完璧なヒーロー像の象徴として進化していって最後はマン・オブ・スティールにたどり着いた。
しかし、今の時代はその完璧の意味が問われている。
観ている最中、私は少しイライラとしていた。あまり知らない敵に一方的にスーパーマンが押され続けて、似たようなシーンが何度も繰り返されるからだ。スーパーヒーロー映画として爽快感のある見せ場がほとんど無いようにも感じていた。けれど視聴後に思い返すと、それがまさに他人と付き合うという事なのだと思った。他人と同じサイクルで行動をしていると、ついイラっとしてしまう時がある、そういう他人と付き合う時にごく当たり前に生じるものがこの映画には込められていた。
それに、忘れている人も多いだろうが映画の終わりにちょっとしたシーンが追加されるポストクレジットは本来こういう意味あいであった。次の作品に意味が引き続けられるようになったのはアイアンマンぐらいからだろうか。
アメリカでの評判も良い、コミックスの良い所をチョイスしているという評価。全てを融合して原点に立ち返る、それがこの映画のコンセプトだと考える。家族ものとして、あの違和感が最後に回収されたのも良かったと個人的には思っている。
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