「不法移民クリプトニアンが「スーパーマン」になるまで」スーパーマン レントさんの映画レビュー(感想・評価)
不法移民クリプトニアンが「スーパーマン」になるまで
78年リチャード・ドナー版では絶対的なヒーローとして描かれたスーパーマン。今回の最新作はその対極に位置する作品と言える。
クリストファー・リープが演じたスーパーマンは冷静沈着でその行動は常にスマート。ほとんど感情的にもならないまさに星から来た王子様というイメージだったが、本作のスーパーマンはロイスとの議論で感情的になったり、ルーサー相手に犬を奪われていらだったり、涙を流したりと。またこの世界では彼以外の超人たちも存在していて、完全無欠のスーパーマンではなく、しょっちゅう怪我したり、弱さを見せることが多い。なにかと人間臭いスーパーマンとして描かれている。
そして、何より大きな違いは神の様な絶対的ヒーローの存在であったスーパーマンが本作ではまるで不法移民のような扱いをされているのがまさに現代風アレンジが効いているところだ。
確かに彼は地球外からアメリカ合衆国に不法に降り立ち、クラーク夫妻に匿われて育てられた不法移民である。今回の監督の発言が政治的だとして何かと物議をかもしているが、客観的に見ればその通りだ。
本作はいま世界中で分断を巻き起こしている外国人への排外主義が古典的ヒーロー映画で描かれた何とも画期的な作品に仕上がっている。
そもそもスーパーマンが不法移民なんて発想を今まで抱く人なんていただろうか。見た目は白人で、育ちはアメリカ、英語も堪能。そして何よりもアメリカのために多くの人々の命を救ってきた。そんな彼を不法移民などという人間は今までいなかった。
しかしいま世界中で巻き起こっている移民難民へのバッシング、そしてヒーローではあるが異物でもあるという彼の存在に着目することでそのヒーロー像を再構築する必要性が生まれた。
劇中では彼が自分のアイデンティティを確立させて人類を救う活動を始めて間もない時期が描かれる。彼は自分の使命は人類を救うことと信じて疑わない。しかし、クリプトニアンの両親のデーターが復元されて彼が地球に送り込まれた真の目的が明らかとなる。
クリプトニアン最後の生き残りとして人類を支配し地球を第二のクリプト星にせよという、その事実が公表されて人類にとってのヒーローがたちまち侵略者というレッテルを貼られることとなる。
自分の使命を信じていたスーパーマン自身が何より衝撃を受ける。己のアイデンティティが揺らぎ始める。
宿敵ルーサーは彼を陥れるためにSNSを利用しフェイク情報をサルを使い拡散し続ける。ドナルド・トランプがモデルとされるニコラス・ホルト演じるルーサーはシリーズ最高に美しい最狂悪役として描かれているのも本作の特徴の一つだ。SNSに書き込んでるのがサルというのがこれまた皮肉が効いている。
そして罠に堕ちたスーパーマンが収容されるのは異次元に存在するグアンタナモを連想させる収容所だ。そこでは非人道的な拷問や殺人が常に行われていて、この点も風刺がかなり効いている。
そんな彼をロイスや他の超人仲間が助け出す。彼は無敵で孤独なヒーローではなく、時には仲間の助けを必要とする存在。
この映画では助け合いこそが大切だと描かれる。異物であるとして排除するのではなく、同じ心を持つ人間としてのスーパーマン。けして完全無欠ではなく、心揺らぐこともある人間的弱さを併せ持つ存在。そのようなヒーロー像を描くことで、異なる存在として互いに憎しみ合うのではなく助け合うことの大切さを本作は描いている。
移民難民問題がメインに描かれてる本作。スーパーマン以外の超人たちの存在が彼を異物としてより際立たせている。他の超人たちは自分たちが異物であることを自覚して、活動を自粛する。自分が所属する国の政府の意向には逆らわない。この辺りも現実社会で移民たちが自分たちが叩かれないよう息をひそめて生きている点を暗に描いている。
しかし、スーパーマンはそんな政治的配慮はせず人命を一番に考える。そんな彼の行動がアメリカ政府にとって頭痛の種でもある。それを利用して異物である彼を排除しようとルーサーは陰謀をたくらむ。
このルーサーの真の目的が何よりスーパーマンの排除にある。その動機は人類にない強さ、純粋さがルーサーにとって脅威に感じられたからだ。彼はどこかでスーパーマンを羨望の目で見つつ嫉妬していたのかもしれない。そんな彼の中のアンビバレントな感情がよりスーパーマンに対して執着する源になっていたのかもしれない。
他にも明らかにパレスチナ情勢を投影したかのような侵略戦争を利用して土地を収奪することを画策したりと、現実世界のトランプ政権を揶揄したような描写が数多く、シリーズ一番の大人にとって見ごたえがある作品に。
ガン監督は本作は政治的だとはっきり公言している。そもそもヒーロー映画に政治を持ち込むなという批判自体がナンセンスだ。映画には様々なメッセージが込められるもの。当然政治的表現の自由は民主主義において根幹をなすものだ。
そういった政治的メッセージをこめつつ、スーパーマンという古典的ヒーローを新たに再構築して本作はシリーズ通してリチャード・ドナー版に引けを取らない傑作となった。
スーパーマンの育ての両親は健在で、自分のアイデンティティが揺らぐ彼に父ジョナサンがかける言葉が印象的だった。
自分の選択と決断がこの世界でお前が何者かを決める。たとえ与えられた使命が侵略だとしてもそれを実行するかはお前次第。
もしスーパーマンがドナルド・トランプ家で育てられたなら「ブライトバーン」になっていただろう。しかし彼はこの温厚でやさしいクラーク夫妻に育てられたことでスーパーマンになれたのだ。
彼の本来の使命ではなく彼がこの地球で育てられた中で培われた人への思いやりの心、人を信じるという心が彼をスーパーマンになさしめたのだ。
そして世界もそんなスーパーマンを異物ではなく良き隣人として受け入れる。たとえフェイク情報に翻弄される人間がいようとも目の前の真実、スーパーマンが良き隣人と知る人々はフェイク情報に惑わされることはないのだ。
現実世界ではフェイク情報により外国人への排外主義が支持され先の参議院選挙でも目も当てられない選挙結果となった。西欧諸国もこの日本も同じような排外主義という妖怪がはびこる時代に。しかし、そんなフェイク情報に惑わされず真実を見極めることのできる人間も多い。世界の混乱はまだ始まったばかりだ。これからも第二、第三のルーサーは現れるだろう。しかし我々は良き隣人である外国人(異星人)と共に手を取り合いこの難局を乗り越えられると信じている。
本作は実に多くの要素が込められたまれに見るヒーロー映画だった。
ちなみに本作はジョー・エルを悪役として描いた点も画期的。でも彼の発想はかつての西欧諸国の植民地主義そのものの考え方だから一概に非難できないよねえ。特にアメリカは。
そして最後には実はあの翻訳は人類の言葉に翻訳した場合あのような意味になるがスーパーマン自身があのデーターを改めて母国語で聞くと全然違う意味だったというオチを期待したんだけどそれはなかったな。
埼玉県川口のクルド人ヘイトでクルド人が日本人に対して「日本人死ね」と発言したと拡散されたのが実は「病院に行け」という言葉であった事実があり、それを連想したんだけどな。でも本作では地球の両親に育てられてスーパーマンになれたということからジョーエルは悪役のままでいいのか。
ちなみに異星人であるスーパーマンにはミランダ警告は適用されないという場面もアメリカのダブスタを皮肉っていて面白かったな。法律が適用されないならなんで逮捕状出てるんだよ。
逮捕されたルーサーが収容されるのがエルサルバドルの悪名高いテロ犯専用収容所なのも皮肉が効いていた。
本作は見れば見るほどいろんなメッセージが込められていてリピートお勧めかも。
深く、そして優しい解説でした。エンタメというより教育映画ですかね。拙レビューでは、今作、深化無しと断じてしまい自身の浅薄さを露呈しました。小説版では、スーパマンの養育環境を斡旋したのはアインシュタインで、金持ちでもなく、インテリでもなく、ただ”善良”な家庭ということらしくて、まあ、世界の警察として善良さを押し売りしながら、裏工作も怠らない、いかにもアメリカ的な発想!嫌いじゃないですが………