「私なりの考察」サスカッチ・サンセット だいきさんの映画レビュー(感想・評価)
私なりの考察
見る側一人一人の受け取り方がちがうというのは映画の醍醐味ではあるが、製作者が十何年も時間を費やしたというこの作品は、ただの自己満足ではなく、何か大きな伝えたいことがあるのではないかと私は考えた。
私が思う、この映画の伝えたかったメッセージというのは、人間の一方的な都合によって破壊される環境や土地開発への警告ではないかと考えた。それもこの映画のすごいところは1時間30分の時間の中に緻密に、かつ考察の余地を残しつつ沢山散りばめれているところだ。
至極当たり前に浸透している環境破壊やエコロジーについての人間の認識は、結局一人一人の意識を変えないと地球という大きな星は変わっていかない。それを映画という媒体で、それに興味がない人間にも考えさせるようにしむけているように思えた。その内容も、人間と野生動物の丁度狭間のようなサスカッチが主人公なのである。逆に上記のようなメッセージを来場者に伝えようとしたとき、主人公が人間であってもシカやクマなどの野生動物であってもサスカッチ程強く伝えることはできないであろう。
彼らは、見た目や生活は人と同じように生き、習性や本能は野生動物そのものだ。人間だけが進みすぎているがゆえに忘れかけていた皆同じ動物だという認識を、人と近い生き物とすることで植え付けつつ、皆が共生すべき世界を人間の都合だけで侵食し続けている現状へ警鐘を鳴らしているのだ。
においをかいで、口に入れて確かめるその習性が一環に描かれていたのは、人間が生み出し自然を侵食する無機物が本当に野生動物の習性を理解したうえで彼らにとって安全なものなのか見直すべきなのではないかという疑問の描写に思えた。
予兆もなくあっけなく死んでしまうシーンが見受けられながらも子育てや出産に苦難するシーンが印象的だったのは、ただでさえ自然界で子孫を繁栄していくことは難しいことを伝えるための描写であるように思えた。
自分以外のサスカッチが3匹しかいないがために数を3までしか数えられないシーン(鏡をみて驚いたシーンも含め)や、定期的に音を鳴らして仲間を探すシーンは、そのような環境でも絶滅がたとえ近くても希望を捨てず生きようとする野生動物の静かな叫びを描写しているように思えた。
もしこの映画に訳がつくのであればサスカッチは何を話していたのだろう。言葉が理解できない映像であるからこそ、本来の自然が生み出す緊張感が演出されていたような気がする。
私の考えがどうであれ、他人の考えがどうであれ、私はこの映画を見たことをずっと忘れないだろう。
私は私がうけとったままのメッセージを誰かにも伝えていくことにする。
そんなことを考えながら、本作品と好きなセレクトショップとのコラボレーションTシャツを一枚購入し、映画館を後にした。
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