ケナは韓国が嫌いでのレビュー・感想・評価
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人生における幸せとは何なのかという問いを突きつけられる
主人公のケナに明確な夢や目標があるわけではありませんが、韓国では生きていられないといういら立ちがスクリーンからひしひしと伝わってきます。そんな人生に葛藤する女性を等身大で演じているのがコ・アソンです。
ポン・ジュノ監督の傑作「グエムル 漢江の怪物」(2006)でソン・ガンホ演じる主人公の中学生の娘役を演じた天才子役で、怪物に連れ去られたあの彼女が成長して、現代に生きていると仮定して見ると、また違った趣も加味されるでしょう。
観客はコ・アソン演じるケナの目を通し、異国の地で生きてみることで、本当の居場所はどこなのか、自分とは何者で、人生における幸せとは何なのかという問いを突きつけられ、道を切り開いていこうとする姿を追体験していくことになります。
やはりどこか似ているかも
決して家族が嫌いというわけではないのに、経済的、社会的、いろいろな意味で、追い立てられるような生活を余儀なくされ、生きづらさを感じていたケナ。移住先のニュージーランドは、気候が暖かく、アルバイトの賃金も、生活に困らない程度のものは確保でき、学生生活もそれなりに充実しているようでしたが、同じく故郷を捨て、豊かな生活を送っているようみえた同郷の韓国人家族の父親は「ココには何もない」とつぶやき、何故かあまり幸せそうにはみえませんでした。
2024年の世界の合計特殊出生率を低い順から並べると、香港0.8 韓国0.9 シンガポール1.1 日本1.1(推定)。このうち香港とシンガポールはいずれも都市国家型で住宅価格や生活費が高騰しているのが主因のようですが、韓国と日本はそれなりの国土があるにも関わらず、出生率が低迷している点で共通しています。
二国の共通点はともに儒教的な家父長制度の名残があり同調圧力の強いところでしょうか。でももともと、ゲノム解析では日韓の類似性が高いことは以前から明らかにされていましたし、最近の科学雑誌では、韓国人に縄文人の遺伝子をかけあわせシュミレーションすると、日本の現代人の遺伝子とほぼイコールになったとの記事も読みました。3万年ほど前の大陸と地続きだった時代から、互いに影響を与えながらもともと同じような歴史をたどってきたのかもしれません。
そういえば、「日本が嫌い」と言って、留学し長らく海外駐在をしていた人が私の近くにもいます。
異国の地で散った友人と、夢でジャンクフードをいっしょにお腹いっぱい食べるシーンが大好きです。「あんたそれにしても沢山食べるね・・・私、幸せってさ。みな過剰評価していると思うんだよね」といったケナのセリフが特に印象的でした。
良い作品
当然のように人々の心に根付いた格差、男尊女卑等々に息苦しさを感じたケナがニュージーランドへワーホリに行き、また行っちゃう物語。
ケナの両親役の俳優さんはもう少し貧乏感、疲れた感じがあっても良かったのでは。
対して、何年も公務員試験に落ち続けた挙句、自殺した友人役の役者は、良いもの食べてない感じ、日に当たってない感じ、精神がギリギリな感じ、自信がなく人におもねる感じ...そして、競争社会で絶対人を蹴落としたりしないだろうなという人の良さがにじみ出ていて心を掴まれる。
女性達のスッピンと化粧した後のギャップも興味深い。
韓国の社会の闇が感じられる作品ではあるが、ケナ自身は貧乏な家出身というだけで、そこそこ良い大学を出ており、プロポーズしてくれる彼がおり、愛情深くご飯を作ってくれる家族がおり、良い会社に就職し、会社の忖度に対して上司に真っ向言いがかりをつけられる十分恵まれた立場である。
そう考えると、単純に気の強い青い女の子の物語。
このまま気が強いだけで突き進んで中年になったらどうなっちゃうんだろうってちょっと心配にもなり、それこそ続編が見たい気持ちになる。
テーマは現代的で良かったと思う
こんなんZ世代が観たら 日本からみんな居なくなってしまうのでは!?...
"幸せ"って言葉は過大評価されてる気がするんだよね
数年前に観た「ひと夏のファンタジア」には魅了されたが、今回のチャン・ゴンジェ監督の最新作もとても気に入った。
この監督は語り口がとても優しく上手い。
貧困、男尊女卑などステレオタイプに陥りやすい設定を過度に強めることはしない。ケナの家族は貧しいが典型的な家父長制家庭ではない。父親は勤勉で娘想い、母はケナに新居費用は要求するが毒親ではないし、ケナの彼氏にしても確かに儒教的思想は持っていそうだが、悪意はなくケナへの視線は常に優しい。皆どこにでもいる等身大の人間として描かれている。この塩梅が上手い。
ニュージーランドでは様々な人たちとの出会いを様々なエピソードで紡いでいく。高揚感や死を織り交ぜながら、現在と過去を行き来させる。この辺りの構成もとても上手い。
ラスト近くハンバーガーショプでの負け組の友人との会話(夢想)が印象に残る。「本当の幸せって、寒くなくて食べれること」「僕は日当たりが良くて、眺めがいいことかな」。
シンデレラのように劇的に何かがあるわけでもないし、起承転結や予定調和があるわけでもない。人生はそんなもの。でもニュージーランド出発前に比べたら、ケナの表情は明らかに穏やかになっている。これだけは間違いない。
羨ましさもある
ケナみたいな人生観の人は案外、居るかも
生きづらさと自分探し
ある意味モラトリアム映画だろうか、若いうちは大いにあっていいと思います。ただ、日本社会は、新卒カードという言葉があるように、やり直したり遠回りすると就職には不利になるのも確か、このあたりが難しいなと思うんだけど、選択はあくまでも本人だからな
考え方一つだというけれど
大学出ても、満足な就職がない。
やっと就職できても。
片道二時間の通勤地獄。
サービス残業当たり前。
パワハラも。
これは、全てこの映画に当てはまるわけではないけど。
となると、ある程度財力というか余裕のある人は、海外での道を探る。
そんな、主人公。
かといって、海外でも、思ったほど上手く行ってない模様。
ある種のモラトリアム映画だろうか。
私の友人は、国立大学を出て、海外青年協力隊に4年参加した。
当時、すばらしい自分の道を開拓するためのチャレンジと。
羨望の眼差しを送った。
40年たって、沖縄に在住する彼を訪ねて、当時の気持ちを尋ねた。
「就職したくなかった、サラリーマンになりたくなかった」
「モラトリアム」だよと、サラリと言った。
出稼ぎとは違う、自分探し
移民問題が取り沙汰されている。
彼らは、より良い生活を求めて、移動する。
良ければそこに定住する。
でも、来てほしい人と来てほしくない人もいる。
これも本音。
主人公もある意味、そうなんだろうけど。
ただ、自分探しの趣のほうが強い。
だから、移民ほどの切迫感はないんだけど。
青春の旅路なんだろうな。
生きづらさを感じる韓国社会
ひしひしと伝わってくる。
主人公の親世代は、こんなもんだと受け入れているけど。
主人公のように、若い人は大きく違う。
そんな、韓国社会をよく表現している。
グローバル化の中で、自国にこだわることもない。
じゃあ海外でという流れも。
でも、そう簡単ではない。
もっと条件悪くなるかもしれないし。
だけど、原作がベストセラーになったように。
韓国以外での道を探す若者の願望が、見て取れる。
そうやって、自らの進んでいく道を探すんだろうな。
若さは、うらやましい。
SNSの発達で狭くなる世界
便利なツールではあるけど。
最近の日本でも、つくづくそう感じる。
使い方にもよるけど、世界が広がるのではなく、逆に狭くなる。
ある不満をXでつぶやく。
あるいは、芸能人が、ブログで日常の出来事を書く。
ときにそれが、炎上したりして。
つぶやきの世界とか、その界隈とか限定されていて。
意外と、窮屈。
有名人となればなおさら、テレビで言った一言のため謝罪を繰り返さなえればいけなかったり。
まあ、問題発言ならしょうがないけど。
そのことが、SNSでものすごい勢いで拡散してゆく。
そう、生きづらい、嫌な時代だと思う。
そんなとき、ケナのように脱出試みるんだろうか。
でも、インターネットは世界中で追いかけてくるよね。
ケナに限らず、私達の逃げ場所は、どこにあるんだろう。
「人生で逃げ出したい時があれば逃げても良いんだよ」みたいなメッセージが込められている感じの作品。
残念ながら自分にはあまり響かなかった感じ。
多分、若い世代の人が共感できる作品だったかも。
主人公のケナ。
老朽化した狭小住宅に4人の家族と暮らし寒い冬を心底嫌っている設定。
片道2時間の満員電車の通勤で疲弊し、職場の上司とはソリが合わず。
恋人のジミョンとは、表面的には穏やかな関係を保っているものの、価値観のずれを感じている設定。
そんな息苦しい日常から抜け出すように、ケナは一人でニュージーランドへの移住を決意。
韓国での憂鬱そうなケナの表情とは対照的に、ニュージーランドで次第に笑顔を取り戻していく様子を丁寧に描いていた印象。
韓国のどんよりとした薄暗い風景と、ニュージーランドの眩しいほどの光が降り注ぐ開放的な風景のコントラストが印象に残る。
ニュージーランドで新しい友人や恋人ができ充実した日々を送るケナ。
この先どのような困難が待ち受けているのか?
そして彼女がどのように成長していくのかが見どころだった感じ。
ケナの仕事仲間のセリフ。
「自分を守る為に黙ってちゃダメ」って言葉が重かった。
ニュージーランドでの生活も決して良いことばかりでは無く、それでも様々な経験を通してケナが少しずつ自立し、前向きに生きていく姿に心を打たれた。
ニュージーランドの自然の中で生き生きと輝くケナが、本当に美しく見えました。( ´∀`)
よく分からなかった
自分で選択肢を狭めない生き方
トランプの再選が決まり多くのアメリカ人が国外への移住を決断した。ロシアでもウクライナ侵攻をきっかけにして多くの富裕層やインテリがロシアを後にした。
自分が生まれ育った母国を捨てて移住することはある意味身を裂かれるような思いを味わうことだろう。ただの一時的な旅行とはわけが違う。だが、たとえ自分が生まれ育った母国であろうともそこから離れざるを得ないことも起こりうる。愛する母国イコール現政権ではない。またそういう事情がなくても他国への移住を望むことは当然人であれば認められる根源的なものでもある。人間は常に自分が住みよい地を探し求め、それを探し当ててそこを安住の地としてきた。
ケナが望むのはまさにそんな人間としての根源的な願望。寒い場所が嫌いなら暖かい場所へ、競争社会が嫌なら競争がなくとも生きていける場所へ。何も自分が生まれた国に一生束縛される必要はない。愛国心だのなんだのと他人に言われる筋合いもない。仮に愛国心があったとしてもケナは寒いのが苦手なのだから。
親を選べないように生まれてくる国は選べない。でも自分の人生は選べる。一度きりの人生をこの韓国の10万キロ平方メートルの中だけで過ごすのはもったいない。毎日二時間かけての通勤で何をしてるのかもわからない会社を辞めてケナは韓国から抜け出すことを決意する。
恋人のジミョンは韓国人にしては今風の男子で女の自分を尊重してくれるが、やはり彼は韓国男子だ。自分を支えたいなどと悪気はないものの女を下に見ている。自分は男の庇護下でいるつもりはないというのに。そんな悪気のない彼を憎めない、でもやはり彼も韓国という枠に縛られている、そして彼の気遣いにいちいち嫌気がさす自分も韓国的なものに縛られている。彼は何も私の家庭を憐れんで施しをしようという気はないのに根拠のない劣等感に縛られてる自分が嫌になる。やはり自分をそういう風に縛り付けるそんな枠から解放されたいのだ。
自由の身となったケナ、でもニュージーランドでも人種差別もあるし言葉の壁もある。自由に国境を超えて世界中を飛び回れる翼を得るのも楽じゃない。そんなニュージーランドの地で知り合う様々な同志たち。彼らがケナを束縛していた枠から徐々に解放してくれる。
私は何人でもない、私はコスモポリタン(地球市民)だ。何にだってなれるはず。自分の可能性を自分で狭めてはいけない、自分の限界線を決めてはいけない。
ケナの自殺した同級生はこの韓国で国家試験に何度も失敗して、これではとても生きてはいけないと自ら命を絶った。限界線なんて本当は存在しないのに。自分で勝手に決めた限界線を超えたからあきらめてしまうなんて。でも多くの人々がこの限界線に縛られて生きてる。そんなことが馬鹿らしくてケナは旅立った。限界線なんて端から存在しないのに、自分で作り上げた限界線に縛られて生きるなんて。
若い命が今も失われる。つい先日も韓国を代表する子役出身の女優さんが自ら命を絶った。三浦春馬氏の死以来のショックだった。彼女の作品が好きだった。
年寄りから言わせてもらえば若い人はどんなに才能にあふれていても唯一ないものが経験だ。長く人生生きていれば思うようにいかないことの方が多い、そういう時には生き急がないこと。うまく行かなければ焦らず立ち止まる。それでキャリアをだめにしようがそれはしょうがない。人生は積み木のようなもの。どんなに高く積み上げても崩れるときは一瞬。でもまた積みなおせばいい。それができるのが若さであるということ。だから自分の限界を勝手に決めて限界を超えたとしてあきらめないでほしい。
ケナは同級生の死を見つめて思ったはず。自分は限界線を引かない、生きられる限り生き続ける。自分の悔いのないように生き続ける。そうして彼女は暖かく過ごしやすい自分にとって安住の地を見つけるのだろう。彼女の目線の先のどこにも線はひかれていない。
自分探しの旅
寒さが嫌いなペンギン
70点ぐらい。国ガチャ、席ガチャ
ヘル朝鮮って言葉や韓国から移住する人の多さは知ってたけど、
最近は、日本人も日本から出ていく出ていかないってネット記事を目にし、他人事じゃない。
それもあって、楽しみにしてた作品です。
時間軸が行ったり来たりして、登場人物が時おり一緒くたになって、少し分かりずらかったけど、大筋は理解し終了。
終わったあと、いろんな方の感想、ネット記事、あらすじ、を読んで、
あの場面そういうことか…あの人って◯の彼氏だったんだ…とか、かなり理解できた。
近くのオッサンがカサカサうるさくて、観るの阻害されてイライラ、余計に分かりずらかったんだけど、
映画館のイヤなとこは、こういうマナー悪い奴がいると最悪。
もう内容よく分かったし、けっこう面白かったし、口直しを含め、もう1回観ます。
皆様、お互い思いやり配慮を持って映画を鑑賞しましょう。
タイトルなし(ネタバレ)
ポスター見て、てっきり生きづらい韓国を出て、海外にバックパッカーとして放浪の旅に出るロードムービー的な映画と勝手に思ったら、韓国とニュージーランドの生活が半々の展開でした。
最後は結局ニュージーランドに戻るのでしょうね。
これで幸せの青い鳥は身近にいたとかで、韓国で元彼と結婚して幸せな家庭を築くエンディングだったら、かなりしらけてしまったはず。
個人的には、インドネシアの彼の元へ行って結婚した方が良かったと思うのですが・・・
主人公に全く共感できず。
「的外れで焦点ずらし」な男たち
映画のタイトルを見て、数年前に話題になっていた(本作の)原作について思い出して劇場鑑賞を決めた本作。サービスデイのヒューマントラストシネマ有楽町はまぁまぁの客入りです。
冒頭、ケナ(コ・アソン)のナレーションで解説しながら始まる朝の出勤風景。寒さと眠さに耐え、片道2時間かけて向かった職場ですが、自分の仕事に意義を見出せないばかりか、上司(男性)の理不尽さや魂胆が丸見えな指導に嫌気が差しています。モヤモヤする気持ちを恋人・ジミョン(キム・ウギョン)に共有するケナ。一昔前なら「理解があって彼女想いの優しい彼氏」と言われていたような模範解答をするジミョンですが、ケナにとっては「的外れで焦点ずらし」な返答にイラっとします。反骨心が強く、時にストレートな物言いもしがちなケナ。しかし、ちゃんと聞けば何一つ間違ってはいないし、むしろ自分の人生、そして幸せについて目を逸らすことなく真剣に向かい合っています。そしてまた、「こうあるべき」と言われがちな世間体を気にして安易に「敷かれたレール」に乗ることにも疑問を抱いています。
今あるものを捨ててまで「賭け」に出るリスク。28歳と言う、嫌でも「この先の人生」を意識せざるを得ない年齢にいよいよ、韓国を出る決意を決めて飛び立つケナ。初めのうちは言語というハードルにどうしても「韓国人コミュニティ」での行動が多くなりがちですが、段々と英語も上達し始め、交友関係の幅も広がり始めます。
ところが、どこに居たって「起きて欲しくないこと」に直面するのも人生。そんな時、辛い気持ちに寄り添おうとする男性陣は、ケナを自分の庇護下に置こうとします。勿論、本人たちに「弱みに付け込む」意図はないでしょうが、根本的にケナを理解していれば「そうじゃないだろう」なこのサジェスチョンもやはり「的外れで焦点ずらし」。私を含める男性陣よ、本当に気を付けないといけませんな。。
韓国では寒さに震えてポケットに手をツッコミながらくわえタバコする「ヤサグレたケナ」が、オークランドでは自然と海に囲まれた開放感の中、日に焼けて健康的。(映画でそのシーンはありませんが)しっかり勉強して学位を取りつつ、余暇には友人たちと呑みながら英語でポリティカルな議論までするケナは正に「覚醒」。強い意志で「モヤモヤすることが多かった20代」を脱却し、新しい人生に踏み出す30歳のケナに拍手を送りたくなること必至。良作です。
ケナの二面性
ストーリーは分かるけど、感情の動きは敢えて類推させるように描いてきいるので、全部は分かんないよ。
日本でも行きづらいところあるけど、韓国はもっと大変そうだね。
冒頭でケナが上司と対立するけど、上司も大変だと思ったな。
日本的なしがらみの部分を残しつつ、欧米的な実力主義も導入されてそうだよね。
男性社会で、男性でも大変そうなのに、女性になったら、そりゃ大変だ。
ケナはニュージーランドへ行って会計の学位を取ることにすんのね。
「日本や韓国の金持ちはアメリカかヨーロッパへ行く。ここに来るのは貧乏ばかりだ」って言われちゃうのは辛いね。そういう辛さは残る。
妹と対象的に描かれてるのかな。
妹はなんにもしないダメ人間なんだけど、周囲は気にせずやりたいことをやってる。
最後はバンドマンの彼氏もできて、ダメじゃないんだよね。
観てて印象的だったのが、ケナは「強く、自立した女」を目指してるように見えるんだけど、男の人の前で可愛い声で、舌っ足らずに話したりするんだよね。
これが揺れてる感じを表現してるのかな。
ちょっと引っ掛かりがあって面白かった。
留学して最初に出会った留学生と付き合い始めるところとか、最小限の説明で描いてくるから、全部は追い切れてないと思うんだよね。原作も読んでみよ。
幸せとは
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