劇場公開日 2025年6月13日

「大作仕立てでありながら、安易にスペクタクルには傾かったこと、感染の恐怖を煽るものではないところに好感が持てました。」フロントライン 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 大作仕立てでありながら、安易にスペクタクルには傾かったこと、感染の恐怖を煽るものではないところに好感が持てました。

2025年7月3日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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 特定の場所で行き交う人間群像を綴る作品のスタイルをグランド・ホテル形式と呼びますが、本作の舞台は日本で初めて新型コロナウイルスの集団感染が発生した豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」。そこでの実話を基に、未知のウイルスに最前線で立ち向かった災害派遣医療チーム (DMAT)に所属する医師や看護師たち、そして厚労省の現場担当者の闘いをオリジナル脚本で描いたドラマです。

●ストーリー
 2020年2月3日、乗客乗員3711名を乗せた豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」が横浜港に入港しました。香港で下船した乗客1名に新型コロナウイルスの感染が確認されており、船内では100人以上が症状を訴えていたのです。
 しかし日本には大規模なウイルス対応を専門とする機関がなく、災害医療専門の医療ボランティア的組織「DMAT」が急きょ出動することになります。彼らは治療法不明のウイルスを相手に自らの命を危険にさらしながらも、眼の前の「命」を救うことを最優先にした人々でした。
 船外から全体を指揮するDMAT指揮官・結城英晴(小栗旬)と厚労省の立松信貴(松坂桃李)、船内に乗り込んだ医師の仙道行義(窪塚洋介)と真田春人(池松壮亮)、
そしてプリンセス号のクルー羽鳥寛子(森七菜)をはじめとした船内クルーたちは、明日さえわからない絶望の船内で、乗客全員を下船させるまであきらめずに闘い続けたのでした。
 けれども前例のない対応には、世論の反応は厳しいものがありました。現場でレポートするTV局の記者・上野舞衣(桜井ユキ)は、上司の轟(光石研)の命令に疑問を持ちつつも、指示どおりの世論を煽りたてる過熱報道を続けます。
 マスコミの加熱報道が世論をさらに煽った結果、DMATの対応は、日本中からの注目や批判を浴ることになったのです。

●解説
 新型コロナウイルスが日本で流行する間際、文字通り"最前線”に立っていた人たちの物語。隔離された客船の中で、未知のウイルスから乗客を守った医療従事者の奮闘を、事実を基に描き出しました。
 物語の軸は災害派遣医療チームDMATの救急活動です。横浜港に停泊した船内に乗り込む医師や看護師を、対策本部から統括するのが指揮官の結城。
こういった"最前線"の外側にいるのが、報道するテレビ局。また乗船した医師を自宅で待つ家族。その周りには様々な情報に翻弄される世間の様子も垣間見せていました。
 皆さんの記憶も生々しい時期ですが、本作を見て、実際どれだけの現実を知っていたのかと愕然とさせられました。未知のウィルスが蔓延する既存のルールや判断が通用しない世界。必死に最善を尽くそうとするチームの奮闘と、対応の批判を加熱させるニュースの論調の乖離ぶりが、本作では大きくクローズアップされました。
 監督は「生きてるだけで、愛。」や「かくしごと」の関根光才。なかなか素晴らしい語りを見せてくれました。大作仕立てでありながら、安易にスペクタクルには傾かったこと、感染の恐怖を煽るものではないところに好感が持てました。
 抑制された描写で多様な立場それぞれの感情の機微を丁寧に追っていくのです。それだけに、撮影準備には入念な当事者の医師らへの取材を感じさせます。それを基に、当時は報道されなかった事実を綿密な人間ドラマとして紡いだのでしょう。美談であることを強調しなくても、善意と献身に集中したチームが英雄であることは伝わります。一方で競争に毒されたマスコミの姿勢など、観客が持ち帰る課題も大きいことを強く感じたのです。
 感染が一段落しているいまだこそ、本作を冷静に見ていられますが、当時こんな作品を見せられたらなら作中で自然に募っていく誰しも身に覚えがある感悄は、抑えきれなかったことでしょう。なぜ今、忘れていられたのかが不思議なほど、当時の息苦しさが鮮明に呼び起こされました。
 果たして私たちは今、あの日々の反省や教訓を実践できているのでしょうか? そう問われたようで、背筋が伸びたのです。
 それくらい当時は感染したら死ぬかもしれないとおびえ、先の見えない状況に焦り、不安がいつしか感染者や医療従事者への差別につながっていたのでした。そして当時のマスコミは野次馬丸出しに煽り立てたのです。

●小栗旬モデル・阿南医師が記者に語った映画のテーマ
※毎日新聞記事より抜粋、紹介します
 フロントライン(最前線)に立ったのがDMAT(災害派遣医療チーム)である。大災害が発生した際、ふだんは各地の病院にいる医師や看護師、業務調整員がセットとなり被災地に急行し、現場医療者らを支えるプロ集団。1995年の阪神大震災の教訓から「救える命を救う」という目標を掲げ創設された。

 ただ事案発生当初、「感染症対応」はDMATの任務に入っていなかった。だから、神奈川県健康危機管理課から相談があったとき、DMATの県事務局調整本部長だった阿南氏は「任務にないから、出動はムリ」と言えば済んだ。ところが彼はこう答えた。

 「知事がこれを『災害』と認定し派遣要請してくれれば、DMATは出られる。知事にそう話してほしい」

 危機とまではいかなくても、困難な事案が持ち上がったとき、役人気質が染みついた人は「できない理由」をまず探す。法律、条例、しきたり、慣習、前例………。そして面倒を引き受けない理由はすぐに見つけられる。変化を好まない日本人はそうしがちだ、というのは言い過ぎか。

 ところが、阿南氏は「できる(=動くための)理由」を県職員に示したのだった。周囲を見渡したときに、DMATのような緊急事態対応の訓練を積んできた全国組織がやらなければ立ち行かない。瞬時にそう判断したからだ。

自らの意思で動いた隊員たち
 自らの意思で動こうとしたのは、患者の広域搬送を指揮した阿南氏だけではなかった。船内での活動を指揮した医師(作中では窪塚洋介)も、最前線で患者と接したDMAT隊員(作中の池松壮亮)もまったく同様である。

 そして彼らと接するうちに、厚労省の役人(松坂桃李)さえも、法律や前例にとらわれず「命を守る」行動を選択し始める。ここがこの作品のポイントのひとつであろう。

 たとえば、船内では高熱が出る人が多数出始めていた。こうした人は一刻も早く船外の医療機関に搬送しなければ命が危ない。ところが、国・厚労省本省は「検疫を」「隔離を」と矢の催促を繰り出してくる。

命令に従うか、命を救うか
 しかし現場では、検査などしていたら、船内で多くの人が死んでしまうと考えた。そこで阿南氏らは独自の患者区分を設定し、それに従い独断で下船活動を実施したのだ。言ってしまえばそれは「国の命令に従って命を危険にさらす」か、「抗命しても命を救う」か、究極の選択だった。

 前者だと少なくとも責任を問われることはない。だけど、人は死ぬ。後者だと、もし何かの手違いでミスがあれば全責任を負うことになる。もちろん阿南氏らは迷うことなく、後者を選択した。

「面従腹背すればいい」
 そんな経緯を取材中に聞きながら、私は「怖くなかったですか、国の命令に背くなんて」と聞いてしまった。しかし彼らはこう答えた。「簡単ですよ、上からの命令なんて面従腹背すればいいんだから」

 現場で、自分の責任において判断する。何を言われようが、現場にいちばん情報があり、事態を把握し、適切に対応できる。その信念から、彼らは命令をときに「聞き流す」こともできるのだ。

 それでも、重圧はあったはずだ。阿南氏は映画公開前のメディアの取材に何度も「私たちは何と戦っていたのですかねえ」と嘆息した。私からみれば、彼らは、前例踏襲の、責任回避の、「ことなかれ主義」がはびこった「日本というシステム」と戦っていた。危機が目の前で燃え盛っていてもなお、危機に向きあおうとせずに前例や法律にしがみつく人たちを相手にしていた。

流山の小地蔵
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