「損得でなく善悪で行動した人たちの物語」フロントライン K2さんの映画レビュー(感想・評価)
損得でなく善悪で行動した人たちの物語
2020年、Diamond Princess号のCOVID封じ込めに関わったDMATのメンバー、英雄達の話。構成上は勧善懲悪的なヒーローストーリー
主人公目線で描かれたヒーロー物語なので、彼ら(DMATとサポートした厚生省、協力した医療機関の人々)にとっての善(正義)と、それに対する悪(障害、邪魔する人たち)が衝突する出来事が描かれることは当然。この映画の場合、これは正解。起きた出来事を時系列で追いかけ、視聴者が彼らの体験を追体験するようにストーリーは進行します
我々(視聴者の多く)は、このとき世界中で起きたことや、その後船の外の世界でおきた出来事を概ね知っています。複雑なサイドストーリーや凝ったプロットはないので、自らの記憶を思い出しながら物語に没入することができます
基本はボランティアで活動する医師・看護師集団で救急医療が専門分野あるDMATは、半ば厚労省に押し切られる形で専門外の感染症対策のフロントラインを任されます。一方、メンバーは危険で過酷な過重労働を強いられ、その家族たちは無知な一般市民のバッシングや、(必ずしも無知ではないが、確信犯的にそれを煽る)マスコミによって苦境に立たされる展開
一方で、劇同時に目の前で彼らに接する人達からの感謝や賞賛の声もしっかり描かれます
これ(バッシング)が当時DMATの身に降りかかったとは知りませんでしたが、この後、世界中の医療関係者の身に同じことが起きたのは周知の事実
描かれたのは、次々と現れる未知の状況に対して、それぞれのプロが何を考え、どう行動したか、のプロセス。100%の正解がない中で、何かを正しいと判断し行動しながらも、同時にその判断が本当に正しいかを常に疑い続ける姿。これはすべての大人に常に求められること
印象深いセリフがいくつかある
(ボランティアのDMATが対応せざるを得ない状況に対して)
「日本にはアメリカのCDCに当たる(感染症対策を専門に独立して管轄する)専門機関はない」
「なぜかと問われれば、それが人道的に正しいと思ったからです」
(『うちの病院がこれ以上感染者を受け入れるなら辞める、というスタッフが何人もいるんだよ』と言う経営者に対して)
「そんなのはやめればいい。この病院だけじゃなく、すべての医療現場から去るべきだ」
「みんな、こういう時のために医者とか看護師になったんでしょう」
この映画のメッセージは、
DMATの皆さんよくがんばったね、スゴイ!!
ではない
大人の皆さん、いつもの自分で考えて判断し行動してますか?
いつも、その判断が正しかったかどうか、反芻しながら生きていますか?
だと思います
ストーリーを追いかけながらも、頭の隅でそのようなことを自分事として考えながらの鑑賞となり、思っていた以上に濃密な2時間強となりました
P.S. (長くてすいません)
劇中、SNSで船内の検疫活動を「素人だ」と批判し、DMATへの誹謗中傷を助長する結果となった感染症の専門家や、それにやはりSNS上から異を唱えて世論を動かした専門家が描かれます
両者には、モデルとなった実在の医師が存在します
興味深いのは、両者がその後もそれぞれ現場の医師として、公に意見を表明していて、対談の動画なども公開されていること。互いの意見は平行線の部分はありながらも、それぞれが医療現場で働くプロとして、自身の考えや行政のあるべき姿を正々堂々と述べている
例えば前者は、当時の発言がDMATの活動にNegativeに影響したので、劇中では明らかに「悪者」として描かれています。しかし、主張は疫学的な(科学的な)視点からの、本来こうあるべきだ、の正論。言っていることは正しくても、その場の解決策としてベストかどうかは別の話ということ。なので、当時の救急医療の現場の背中を押す事はできなかったが、ではその主張は無意味かと言えばそうとは限らない
この映画は「火事場のクソ力」で緊急事態を乗り切った英雄達の話。しかし、映画は同時に、本来、医療現場は「クソ力」に頼るべきではない、というメッセージも発信しているように思える
今でも、国内だけでコロナ感染で年間2万人以上の人が亡くなっていて、これは(年度による変動はあると思いますが)インフルの10倍以上になるそうです
映画の出来事から5年以上経ったいま、
日本という国はコロナパンデミックの経験から何を学んでどう変わったのか、
「日本にはアメリカのCDCに当たる専門機関はない」の現実はどう変わったのか(変わるのか)
時間があれば、ネット上の医療関係者による発信や動画アーカイブを振り返ってみるのもオススメです。この映画の描いた現実を違う視点から考えてみる機会になります
