「数々のデッサン画がアンカー(錨)のように効いている」かくかくしかじか 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
数々のデッサン画がアンカー(錨)のように効いている
実話が持つ説得力を、
端的にビジュアルの力で観客に直接訴えかける技術の高さが際立っていた。
単なる実話の再現に留まらず、
その核となるリアリティを巧みに「調律」することで、
感情の過剰な揺れ動きさえも不思議と安定させていた。
本作におけるその「調律」の基準点として機能していたのは、
かなりの数の【デッサン画】だ。
それはまるで、
クラシックコンサートにおいてコンサートマスターが、
演奏前に出す、基準音、「ラ」の音、440ヘルツ前後のプワ~って音、
すなわち全ての楽器が調和するための絶対的な基準音のように、
作品全体の「クオリティのライン」を決定づけているかのようだった。
映画の中で繰り返し登場する、
あの息をのむ、といっても過言でないデッサン画の数々が、
物語の真実味を担保するアンカー(錨)として、
機能していたのではないだろうか。
先生の「かけかけかけ」という叫びにも似た呪文、
あるいはパワハラ指導シーン、
コミカルな場面など、
演出のトーンが、
過剰になりかねない要素が、
このデッサンという基準点によって見事に調和していた。
映画全体が、
そのリアリティラインに沿って丁寧に調律されていたからこそ、
観客は感情の波に乗りながらも、
決して物語の核心から逸れることなく、
没入できる構造になっている。
そして、この「調律」の巧みさは、
端的な視覚的要素として衣装やロケーションにも如実に表れている。
物語の後半、
それまでカラフルな暖色系だった主人公のジャージが、
鮮やかな青へと変化していく様は、
単なる衣装替え以上の意味を持っていた。
それは、先生の純粋な心に呼応する主人公、
広がる青い空とが見事にシンクロするかのようで、
観客個々の日常に仕事に勉強に部活に、
それぞれの心に静かに、
確実に響く効果を生み出している。
もちろん、
セリフに頼らずとも感情を伝える主人公の「黒眼芝居」の技術の高さは、もはや語るまでもないだろう。
【蛇足】
あのデッサン画のような美術装飾品は、
通常の映画の現場だと、
美術部または装飾部が準備する。
しかし、
美術デザイナーはその技術があっても、
セット図面、ロケセットデザイン、予算作成などが、
優先される。
装飾部は撮影前の飾り込み、
撮影後の撤収、プロップ、小道具の準備で、
手が回らない。
あのクオリティの素描となると、
かなりの技術を持った専門家に、
発注する事になるケースが多いが、
シーン毎のニュアンス、
完成段階を伝えるのが難しい・・・
何より、あの物量!
それこそ、「かけかけかけ」「期限期限期限」等々、
専門チーム結成&管理が必要な質と量だ。
衣装も昨今の下北界隈でさえ、
あのようなジャージは揃わないだろう、
という風に、
本作は現場の裏側でも、
様々な人が、スタッフが、
関係者が、かなりの熱量を持って動いているのが伝わってくる、
濃密さがダイレクトに観客に伝導する仕組みの作品だ。