シンシン SING SINGのレビュー・感想・評価
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ラストシーンのその先で生まれた映画
コールマン・ドミンゴがオスカーにノミネートされていたから観てみようかくらいのノリで予備知識を入れずに鑑賞したので、エンドロールで驚かされた。
主要キャストのうち、3名(C・ドミンゴ、マイク・マイク役のショーン・サン・ホセ、演出家ブレント役のポール・レイシー)以外は一般的なプロの俳優ではなく収監された過去を持つ人たちで、その多くは物語に出てきたRTA(Rehabilitation Through the Arts)の経験者だという。ディヴァイン・アイ役のクラレンス・マクリンは、元々は実際にシンシン刑務所で恐れられる荒くれ者だったところRTAで更生し、ディヴァインGのモデルであるジョン・ウィットフィールド(作中、Gにサインをもらう役でカメオ出演)と共に本作の原案・製作総指揮を担っている。
刑務所という殺風景な舞台には不似合いなほど穏やかに進んでゆく物語を追ううち、ドキュメンタリーを観ている感覚に陥る瞬間があったが、それは彼らの実体験が作品の空気に反映されていたからかもしれない。
結果的に先入観なしで彼らの演技を観ることが出来たという意味では、事前リサーチ不足でよかった気がした。
刑務所の演劇グループに、所内一番のワルがやってくる。本作を紹介するそんな短文から、私はほぼ無意識に安直な「暴力や絶望を物語の推進力とする、ありがちな刑務所ドラマ」(パンフレットより。なお作品の背景を詳述したパンフは必読)を連想していた。思えばそれもある種の偏見だったのだろう。
しかし蓋を開けてみると、そこにあったのは人間らしい感情への回帰と癒しの物語だった。RTAのミーティングで次回作の打ち合わせをし、ブレントから演技の手ほどきを受ける中で、収監者たちは自分の内面と向き合う。最初は反発していたディヴァイン・アイも、自分の態度について仲間から忌憚のない指摘を受けたりするうちに徐々に変わってゆく。
ブレントの導きで自分たちが完璧だった時のことを各々が言葉にする場面などは、つい私もその問いを自分自身に投げかけてみたりした。演劇によって自分の感情との付き合い方を学ぶことは、人生経験を通してそれを学ぶことに近い気がし、彼らの体験を不思議なほど身近に感じた。
本作は収監者たちが人間性を取り戻す話にとどまらず、人の心についての普遍的な物語でもあるように思う。
ディヴァインGが冤罪で投獄されていることは中盤でさりげなく明かされるが、その冤罪を晴らす闘いそのものがドラマチックにクローズアップされることはない。一方、彼の減刑嘆願の却下は、親友マイク・マイクの病死という不幸と重なり、彼の心に抱えきれないほどの苦悩をもたらした。
彼が力を貸したディヴァイン・アイの減刑が先に叶ったことは本来Gにとっても喜ばしいはずだが、そのことさえもこの時の彼にとっては孤独と絶望を際立たせる出来事に見えたことだろう。ディノが言った「何かを気にかけると心が開く、そこから痛みが入ってくる」という言葉がGの姿に重なる。
「マミーの掟破り」本公演の前に、「心が抱えきれない時がある」と荒れた態度をメンバーたちに謝ったG。遥か遠いニューヨーク州の刑務所で私とは全く違う世界を生きる彼だが、彼の心のあたたかさ、彼を襲った失望や喪失を知った上で聞いたこの言葉から伝わる感情には垣根など全くなかった。
そして、出所が叶ったGが迎えにきたアイと抱擁する姿に胸を熱くせずにいられない。この短く美しいシーンは、解放、更生、絆、さまざまな意味を感じさせるものだった。
プロではない当事者が演者として参加した作品と言えば近年では「ノマドランド」が記憶に新しい。だが、本作では企画の考案段階からメインキャストに至るまで、当事者たちがより深く関わっているという点が特徴的だ。
シンシン刑務所での演劇プロジェクトに触発された映画が生まれ、それを私たちが鑑賞する、この構造自体がRTAの延長線上にある気さえしてくる。
彼らの実体験が結実したのがこの作品であり、私たちは映画館へ行くことによって、ある意味物語の先にある彼らの実人生、すなわち本作の製作に参加したという人生の軌跡にも触れることが出来る。作品の存在自体が実話と地続きになっている、かつ物語として高いクオリティを実現している、なかなか稀有な映画ではないだろうか。
本物は迫力が半端ない💦
登場人物たちが、実際の囚人を起用とは
2018年「暁に祈れ」を思い出させます。
罪を背負った囚人たちが
少しでも外界との繋がりに思いを馳せ
別人を演じる事で、一時的に心は解放され
母のもと、子供たちのもとに飛んでいける
その時だけは自由に思想を馳せることが出来る喜び。
無実の罪で収監されているディヴァインG が
いつか無実を証明できる
善良でありさえすれば、誰かの手本になるような
存在であり続ければ、いつかは仮釈放が
認められると信じていた彼の
それが叶わなかった時の
絶望感と虚無感に苛まれる姿は痛々しい。
ぶつかり合いながらも、いつしか深い絆で
結ばれていた仲間との友情はこれからの人生の宝物
とてもよかった
刑務所劇団の実録映画で、登場人物を本人が演じている。演劇はその場の空気がとても重要なので実際に見て見ないと分からないのだけど、劇中劇が面白くなさそうだ。クライマックスはずっと取り組んでいた劇を火の出るようなテンションで演じるのかと思ったらさらっと終わる。そしてエンドロールの手前で実際の演劇の映像が流れる。それで十分な感じだ。
日本の刑務所では考えられない取り組みだ。個室があるし私物もけっこう持てるし受刑するならアメリカがいい。
自由への扉 垣根を取り払う取り組み
RTA(演劇を通して更生を目指すプログラム)を描いた作品としては「塀の中のジュリアスシーザー」が思い浮かぶ。かの作品も本物の受刑者たちが役を演じており、その演技力には驚かされた。本作はこのRTAを通して自由を奪われた人間たちの真の解放を描いた感動の物語。
最重警備刑務所として知られるシンシン刑務所、原爆に関するスパイ容疑で逮捕されたローゼンバーグ夫妻が処刑されたことでも有名な場所である。
警備体制が厳重なシンシン刑務所は一方で受刑者の社会復帰に向けたプログラムも充実していた。
再犯率が70%ともいわれるアメリカ、しかしこのRTAを経験した受刑者の再犯率は実に3%だという。その効果はすでに実証済みだ。
犯罪を犯す人間は社会に適応できず、たとえ服役を終えても再び刑務所に戻ってきてしまう。根本的な解決をしない限り再犯率を抑えることはできない。
社会に適応できない人間を社会へ復帰させるためにこの演劇活動が役に立つ。それぞれが自分の役割を与えられその仕事に責任を持って取り組む、演技をする場合その役に真摯に向き合いセリフも憶えなくてはならない、自然と根気も養われる。そしてお互いに協力し一つの作品を作り上げていくことで協調性も養われ、その成功体験から自信も得られる。
また様々な役を演じることで自分はなんにでもなれるのだという自信にもつながる。社会に戻るときにはそんな自信が役に立つだろうし、現に服役後俳優になられた人もいるという。
このRTAの活動はまさに社会に直結した活動とも言え、服役の間でも社会とのつながりを感じることができて長い刑期を乗り越える心の支えにもなっている。
たとえ終身刑であっても真面目につとめていればいつか恩赦で出られるのではないか、そんな一縷の希望を胸に抱いて前向きに生きてゆくこともできる。それは人間性を失わずに最後まであきらめない心を養う手助けにもなるはずだ。ちなみに終身刑でも仮出所が認められるケースはある。
犯罪を犯して収監された者たちにとって社会とのつながりを感じさせるRTAの取り組み。それは彼ら受刑者と社会との間にある垣根を取り払う取り組みであった。
しかし無実の罪で服役していたジョンにとってそれは違った。彼は罪を犯したわけでもなく社会復帰活動などはそもそも必要なかった。彼は札付きの悪であるギャングのクラレンスとは違ってインテリでもあり、自分は他の受刑者とは違うという意識があった。彼らをどこかで上から見ていた。彼と他の受刑者との間には垣根が存在していた。
それは彼の自己防衛でもあった。自分は他の犯罪者たちとは違う。自暴自棄になり、彼らに感化されて自分を見失ってはならない。いつか必ず自由の身となることを胸に抱いて自分の冤罪を晴らす努力を続けていた。他の受刑者との垣根は彼が自分を保つために築かれたものでもあった。
彼にとって演劇活動はこの塀の中にいても社会とつながれる唯一のものだった。たとえ自由を奪われた身であってもこの活動により心の中はいつも塀の外にいられる。心だけはどこへでも自由に飛んでいける。鳥籠に囚われの身であっても彼の心は自由に大空へ羽ばたいて行けた。演劇の活動はそんな彼の心の支えであった。いつか無実が認められ本当に自由に身となれる希望を胸に抱いて。刑務所の窓から手を出して外の空気に触れるときいつか身も心も自由の空気を浴びることができると信じていた。しかし彼の希望は打ち砕かれる。
彼の無実の訴えは認められず、相棒のマイクマイクまで失い彼は絶望に打ちひしがれる。鳥籠から解放されるどころか翼を折られてしまったかのように彼の心は折れてしまう。
なぜクラレンスが仮釈放で自分は出られないのか、そのあまりの理不尽に彼の心はくじけてしまう。そんな彼にクラレンスが寄り添う。クラレンスはRTAの活動通して、ジョンや他の仲間たちのおかげで変わることができた。次は彼がジョンを救う番だった。
RTAの活動は社会復帰に向けた活動。それは罪を犯した者たちのためだけではない。理不尽にも自由を奪われ希望を失った人間に希望を与えるための活動でもあった。理由はどうあれ共に自由を奪われた者たちが互いに助け合い力を合わせて苦難に立ち向かう。社会の一員として互いに協力し合い共に生きてゆくことを学ばせる、そんなRTAに込められた真の目的がジョンを救ったのだった。この時ジョンとクラレンスの間にあった垣根は完全に取り払われた。
アメリカの受刑者数は世界一の数で220万人にものぼり、世界の受刑者全体の25%にも及ぶという。ジョンのような無実の人間だけではなく収監される必要のない者たちまで収監してきた歴史がアメリカの刑務所にはあった。
今でこそシンシン刑務所のような人道的取り組みがなされている刑務所も少なくないが、アメリカの刑務所の多くはその作られた理由が他の所にあった。
もちろん当初は犯罪者を処罰するため隔離するために作られたが、その多くは収益性を見込んで作られた。
それは南北戦争終結時にまでさかのぼる。奴隷労働に依存していた南部は奴隷解放により経済は苦しくなった。その不満が当の黒人たちに向けられ彼らは迫害される。
憲法で奴隷労働は禁じられていたが受刑者の労働だけは例外であり、奴隷解放後、職や住むところを失った黒人たちは徘徊などという微罪で多くが刑務所に入れられ労働力として利用された。
刑務所は労働力を供給する新たな奴隷制度を作り上げた。こぞって刑務所は建設され、また70年代以降麻薬犯罪取り締まり強化によりさらに受刑者の数は膨れ上がった。多くは麻薬所持だけで最高終身刑にまで至るケースもあり受刑者は増え続けた。
犯罪取り締まり段階でもシステマティックレイシズムが働き、黒人が白人よりも集中的に取り締まり対象となり多くが収監された。アメリカ全人口に黒人が占める割合が14%に対して黒人受刑者が占める割合は30%にも及んだ。
次第に増えすぎた刑務所が財政を圧迫し、民間刑務所が採用されることとなる。刑務所を中心としたビジネスモデルが確立され、産獄複合体という状況が生まれた。もはや刑務所は人間倉庫と呼ばれ、収益化のために経費は節減され、ただ受刑者を収容するだけで彼らへのケアはほとんど行われなかった。病気でも治療は受けさせてもらえずそのまま亡くなる受刑者も後を絶たなかった。社会復帰に向けた厚生プログラムなどありえない状況が今でも続いている。
受刑者はもはや利益を生む搾取の対象としてしか意味を持たなかった。シンシン刑務所のように本来の刑務所が担うはずの矯正施設としての役割を果たさず、受刑者をただ奴隷のように搾取している刑務所が今も存在するアメリカ。
ジョンは最後には自由を手に入れることができた。しかし今もなおジョンのように無実の罪であるいは微罪により自由を奪われ奴隷の身に甘んじている人々が多く存在する。
このRTAのような取り組みがすべての刑務所行政に行き渡り、奴隷制度を続ける劣悪な刑務所の垣根を取り払いすべての受刑者の人権が守られることを願うばかりだ。そうして初めて真の自由が人々にもたらされるのだろう。南北戦争から160年以上経った今でもいまだ黒人奴隷たちは真の自由を勝ち取れていない。
刑務所と社会との垣根を取り払うRTAの取り組みが人権を侵害する不当な拘束を許す制度の垣根をも取り払う役目を持つものであることを信じたい。
物語の最後、仮出所が認められたジョンをクラレンスが迎える。車の窓から手を出して外の空気に触れるジョン。この時彼は身も心も自由を嚙み締めていた。
個人的ハイライトシーン
個人的ハイライトシーンは、演劇指導者が受刑者に「今までの人生で最高の瞬間は?」と聞き、ひとりひとりが答えていくシーン。特に子どもの頃に「近所にかき氷のワゴンがやってきた時」って答えた方のシーンはお気に入りになりそうだ。
もっとドラマティックな内容が起きるのかと思いきや、たしかにドキュメンタリー基調。しかもものすごく静か。演劇の映画ということで、映画中の「セリフ」ひとつひとつが作りこまれているのかなという感じ。言葉で映画が展開するのが好きな人にはうけるかも。
本音を語り、傷をさらす
こないだ鑑賞してきました🎬
刑務所内での更生プログラムを題材にしたストーリー。
ディヴァインGを演じるコールマン・ドミンゴは確かに良かったですね🙂
プログラムの中心メンバーであり、演目を考えたりもしますが、時折現実に押しつぶされそうになったり。
そのあたりの心の揺れ具合を、画面越しからも伝わる熱量で表現したドミンゴは見事でした😀
アカデミー主演男優賞ノミネートも納得です🫡
クラレンス・マクリンの本人役も良い味でてましたね。
最初は稽古に身が入らない感じも、雰囲気がありリアルでした😳
実話ベースということで、プログラムを通じて収監者たちが少しずつ希望を見出していく様は心に響くものがあります🤔
実際の刑務所関係者や、更生プログラムの卒業者が出演しているのも功を奏していますね。
刑務所が舞台のヒューマンドラマとして、確かな手応えを感じる1本でした👍
既視感あるも胸熱!
ディヴァインGとディヴァイン・アイの友情物語である。
シンシン刑務所で行われている収監者更生プログラムの
舞台演劇を軸にストーリーが展開するが、
Gとアイを中心に描かれている。
ラストで私は『ショーシャンクの空に』が頭によぎった。
刑務所が舞台なだけに目新しさはないし、
友情物語と言えば‥ということで、
どうしても既視感はある。
しかしながら、最初は尖っていたアイの態度が
Gとのコミュニケーションを通して
徐々に仲間と打ち解けて和らいでいくのには
感動するし、俳優の演技も素晴らしいと思う。
無実なのにもかかわらず刑務所から出られないGの葛藤と
仲間とのぶつかり合いも見応えがあった。
Gも聖人君子のような立ち振る舞いだったものが、
やはり一人の人間なのだとあらためて感じる素晴らしい
演出だった。
そして今度はアイがGに寄り添い、Gの心を溶かしていく。
ラストでは先に出所していたアイがGの出所日に
車で迎えにきていて、涙ながらにハグする場面は
心が震えた。
ラストショットのGの表情も実に爽やかで、
観ている私としても救われる気持ちになった。
実話がベースであり、本人役で出ている人もいるし、
実際の画像も使用され、リアリティも増していたと思う。
時々こういう作品が観たくなる。
人間になるためには
まるでドキュメンタリーを観ている感じ。
主要キャストが受刑者の方々とは。
as himself リアルだった。
挫折と再起。
あのビニール袋が網にかかっただけで警報。
『人間になるためにここにいる』
自分の弱さと向き合い、他者と心を寄せて
前向き生きる。そして人が人らしく
生きて行くには何が必要かを学ぶ。
本物の喜びと苦しさと人間味の優しさが
伝わってくる。
『そうだ、死ぬのは簡単だ、喜劇は苦しい』
色々な想いと気持ちがぶつかり合う言葉である。
静かに心に沁みる
実際の元囚人が演じてるというところに興味を惹かれて鑑賞。主演の二人くらいは俳優かと思ったらまさかのDivine Iは本人だった。(divine xが二人いるのがしばらく理解できず、人物の見分けは最初難しかった。。)
そしてフィクションならきっと彼が最後やらかして上演が危うくなるとかとか、仮釈放目前に詐欺の被害者と揉めてパーになるみたいな感じかなと冒頭思ったが、見事に演劇、RTA rehabilitation through the artsによって感情を制御し牙を抜かれていった。最初、所内で詐欺働くやつなんて入れなきゃいいのに、って思ったがそんな彼をも改心させるアーツの持つ力は強大だった。。実際はもう少し紆余曲折あったとは思うけど。事実は小説ほど都合良いアップダウンはない。
日本社会で例えばスポーツに打ち込む子どもが非行に走りにくい(と思われる)ように、何かに本気で向き合うことはとても意味があるし、それが自分の内面と向き合う演劇という世界だからこそ人の心を溶かしていったんだろうなとは思わせる。「プロセス」と呼ばれる、心を開く練習は私にも辛そうでやりたくない。
「ここではニガー(黒人蔑称の?)じゃなくて相棒と呼ぶ」というところ、元はbeloved?直訳すると愛されし者!?和訳工夫したなあと感心したが、だとしても収容所で大罪犯したヤンチャな人たちがそんな優しい言葉で互いを呼ぶのか?というのはびっくり。根がやはりクリスチャン文化の国だと愛は身近なのか。。?divine (神聖) だし?
マイクマイクと夜語るくだりだけ長いな、と一瞬飽きたら直後まさかの展開で飽きた自分を恥じてしまった。。一瞬一瞬を大切にしなければなのね。。
THIN THING
評価の高さと題材が気になって、遅ればせながら観てきたが…自分には合わなかった。
最も受け付けなかったのが、台詞廻し。
自分の文化に対する理解が乏しいせいか、それとも訳が上手くないのか、全然頭に入ってこない。
本当に黒人はこんな回りくどい会話をしているのか。
まぁ自分がズレた期待をしていた面は多分にある。
“若者が”のところを“囚人が”に変えた大人の青春もので、その立場ならではの葛藤や成長が描かれると思っていた。
いや、そういう内容ではあったのかもしれないのだけど、なんか芯が外れてるような。
ポスターで「難しい」とされている喜劇に対するアプローチにも興味があったのだが、これはゼロ。
本編は元より、劇中劇に喜劇の要素をほぼ感じない。
流れで見れば面白いのかと思えば、本番のシーンは丸ごとカット。
終盤に本物と思しき映像が少し流れるが、これだけ見せられて何を受け取ればいいやら。
Gとアイの仮釈放を巡る顛末は皮肉ではあるし、マイク•マイクの死はリアルな無常感がある。
しかし映画としては地味過ぎて終始眠かった。
冤罪だというGは別として、他の囚人が罪と向き合う様子が感じられないのもモヤモヤする。
罪を犯した者が楽しんじゃいけないとは思わないが、そこと向き合わない“更生”なんてあるのだろうか。
ラストの解放感のある画変わりはよかった。
心にしみるね。
シンシンって刑務所の名前なんだね。更生プログラムで劇をする。そこに、ややこしい悪が入ってくる。
主人公は、無実で入っていて、脚本が書ける。
なんだかんだトラブルけど、話し合いや共通があれば
友情ができるんだ。ラストは良かったよ。
あんな2人が相棒になるんだ。
いい映画だったよ、
誰もが葛藤しながら生きている
塀の中と塀の外、・・・
「空気が違う」と出所した誰がが言っていた。
罪を犯して収監された、社会とは隔絶された刑務所の中で行われる更生プログラム。
演劇というのは意外だったけれど、これが自己の内面と向き合うのにものすごく効果的なのだと観るうちに分かってきました。
演じるってすごいな。別の誰かになることで、逆に自分が何者なのかを思い知る。
まして、自暴自棄になってもおかしくないこの特殊な環境の中で。
「みんな、人間に戻るためにここにいるんだ」と一人が言っていた。
下手すると、元の獣に戻ってしまう自分への恐れとも向き合い、いろんな思いと闘っているんだな・・・
主人公は冤罪なの?だったら酷すぎる。
ショーシャンクやんか!
Gは、あの優しい人柄は、やっぱり特別なものだった。でもその彼でさえも心を押しつぶされそうになって、仲間に救われる。
ラストシーン、迎えに来てくれた彼と抱き合うシーンは涙無くして見れない。
そして、Gとマイクマイクと演出家の役の3人以外は全て元収監者ということに驚いた。
知らずに見て良かった。みんなすごい。
こういう映画見ると、アメリカの懐の深さを感じます。
観て良かった。
演劇体験は心理療法である。
やっぱり演劇と心理(心理療法)ってつながっているなぁと再確認しました。
じんわりと心に響く映画でした。
演劇舞台はアメリカニューヨーク州の最重警備刑務所シンシン。主人公のディヴァインGは、無実の罪で25年もの期間で収監されています。そんな彼の心の支えは、更生プログラムの1つである演劇グループに所属して、日々仲間たちと演劇に取り組むことでした。ある日、シンシンいち恐れられている元ギャングのマクリンがやってきて、自分もやってみたいと言い出し・・・
映画の中のいくつかのシーンを通して、演技の心理と、演技(演劇)の持つ心理的効果を3つ挙げてみたいと思います。
①感情を解き放つ-カタルシス
マクリンは、エジプトの王様の役になるのですが、最初セリフに集中しすぎて、表情がいまいち冴えません。その時、ディヴァインGは、「きみはこの刑務所いちの王様だよな。そんな気分で演じてみたらどうかな?」と助言するのです。すると、マクリンは急に目の色を変えて「おれはこの刑務所の王様だ!おれがここを支配している!」とアドリブで言い出し、まさにエジプトの王様のように振舞うのです。表情が生き生きとして、気分も良さそうです。
実は、彼は以前からいつも疑心暗鬼になり、素直な感情を押し殺して生きてきたのでした。そんな彼が、演劇に出会い、自由に自己表現することの喜びを知ったのでした。
1つ目の心理は、感情を解き放つ、カタルシス(浄化)です。これは、演技という枠組みの中で抑えていた感情を自由に出すことで、気持ちのわだかまりを洗い流し、すっきりすることです。ただ感情を爆発させるのは社会で受け入れられませんが、演技というルールのなかでは逆に好まれるというわけです。ちょうど、暴力は受け入れられませんが、格闘技というルールのなかでは逆に好まれるのと似ています。
このカタルシスは、その演技を見る観客も味わうことができます。それは、観客が演技する演者に共感することで、カタルシスを追体験できるからです。
なお、その演劇グループに外部から来ている演出家のブレントは、「怒りの演技は簡単だ。難しいのは傷つく演技だ」と説明していました。この理由は、怒りがストレートな単一感情(一次感情)であるのに対して、傷つく感情は悲しみや怒りなどの基本感情と、恥や悔しさなどの社会的感情が織り交ざり見え隠れする複合感情(二次感情)だからです。ちょうど、その後に仮釈放委員会で却下を伝えられた時のディヴァインGの表情(この映画のなかでは演技ではなく真の表情)が当てはまります。
ちなみに、このような感情に焦点を当てて気づきや受容を促す心理療法は、エモーション・フォーカスト・セラピーと呼ばれ、この映画の演劇グループのウォーミングアップのシーンでたびたび行われていました。
②自分を俯瞰する―メタ認知
ディヴァインGは、マクリンに「おれたちは演技することで、人生に向き合えるんだ。おまえだってそうだ」「脱獄した気分にもなれる」「芝居でシャバの世界を味わえるんだ。頭の中で出所できる」と演劇の魅力を語ります。海賊、剣闘士、エジプトの王様などの演技を通して、心の自由を得ることができ、人間として生きている日々の喜びを実感できるということです。これは、演出家のブレントの「プロセスを信じろ」というセリフにも通じます。演劇の更生プログラムは、舞台に立ってうまい演技するという結果ではなく、そこに至るプロセス自体が彼らを救済するということです。
また、マクリンは、演技中に他のメンバーが後ろを通ったことで演技に集中できなくなり怒り出します。けんかになりそうになると、あるメンバーが、「昔おれは、怒りにつぶされてた。ある時、食堂でけんかが起こり、あるやつの喉が切られて血が噴き出てたんだ。だけど、それでも近くにいたおれは平静を装って動かなかった(助けようとしなかった)」と語り出します。そして、「おれたちはもう一度人間になるためにここにいる」と涙ながらに言うのです。
2つ目の心理は、自分を俯瞰する、メタ認知です。これは、演技というプロセスを通して、なりきる喜びを味わいつつ、日々自分の気持ちや行動を見つめ直すことです。これは、感情のセルフコントロールも促し、人間性を回復させます。人間らしく生きるには、自分の弱さや自分のありのままの感情を俯瞰して気づき、虚勢を張ったり無関心を装ったりせずに受け入れることが必要だからです。そして、欲望や怒りに身を任せない生き方を選ぶことです。これは、アルコール依存症への心理療法にも通じます。
演出家のブレントは、ウォーミングアップで「きみたちにとって最もパーフェクトな場所はどこ? パーフェクトな瞬間はいつ?」「誰かといっしょかな?」「どんな音が聞こえる?」「温度を感じる?」「私を連れて行ってくれるかな」と質問します。すると、それぞれのメンバーが語り出すのですが、あるメンバーは「自分が、(刑務所のそばを流れる)ハドソン川が見える椅子に座ると、向こう岸の山の上に母がいて、降りてきるんだ。そして、おれをずっと見てるんだ」と言います。もちろん彼が想像する母親なのですが、まさに母の視点を通して、自分を俯瞰している心のあり方が見て取れます。
ちなみに、このように俯瞰を意識して気づきや受容を促す心理療法は、マインドフルネスと呼ばれます。
③助け合おうとする―仲間意識
マクリンは、もともと一匹狼で、最初はディヴァインGたちに怒りをむき出しにして、何度も食ってかかっていました。ディヴァインGがマクリンを助けようと思い仮釈放委員会へのレポートを作っても、マクリンは断ろうとします。しかし、毎回メンバーたちが輪になって気づいた自分の弱さやありのままの感情を語り合い、いっしょに演技の練習をしていくうちに、マクリンは少しずつ心を開いていきます。やがて、彼は「みんなといっしょにいれば、また自分を信じられるかもしれない」としみじみ言うのです。
そんななか、ディヴァインG自身の仮釈放の申請が却下となるなどいろいろ不遇なことが重なり、ディヴァインGはその絶望から演劇の練習中に「何も進歩していない。何が喜劇だよ。とんだお笑い草だ」と暴言を吐き、逃げ出します。すると、数日してマクリンがディヴァインGのところにやってきて、「今度はおれがおまえの力になりたいんだ。おまえがそうしてくれたように」と言い、手を差し伸べるのです。救う側と救われる側という立場がお互いに入れ替わりながら、彼らはより人間らしくなっていくのでした。
3つ目の心理は、助け合おうとする、仲間意識です。これは、演技の練習など共通の目的に向かっていっしょに何かをするという相互作用から、お互いに気にかけるようになることです。ここから分かることは、「最初から好きだから助け合う」のではないということです。逆です。「助け合うから好きになる」のです。そして「好きになったからさらに助け合う」のです。これが、友情の心理です。そしてこれは、アルコール依存症などの自助グループにも通じます。
こんなかんじで、映画ではごく自然に、リアルに、演劇の持つ心理療法的な力が現れているシーンが流れていました。
私は今大学で心理学を教えているのですが、演劇的なメソッドを授業に取り入れています。教室の中で、集団精神療法のような、相互作用が生まれ、学生さんひとりひとりのメタ認知の向上や、カタルシスの効果がでていると体感しています。
演劇教育が日本で今よりももっと普及するといいな、と「SING SING」を観ながら、強く感じました。
Sue
アカデミー賞ノミネート作品組なので無条件で鑑賞。
囚人が監獄の中で行う舞台演劇とは?というところも面白そうでした。
ドキュメンタリーみたいなタッチで進み、演劇をするためのワークショップの様子を眺めているようでした。
更生プログラムのための演劇という、日本では中々観ることのない風習でしたし、厳しい面が強く描かれがちなムショ映画なのに開放感があったのが良かったです。
演技を通しての友情や信頼、演技があるからこそ生まれる乖離、演技をやっていたからこそ気づいた大切なものなどなど、演技と収監生活がここまでリンクするとはという驚きが確かにありましたし、演技力が裏目に出てしまうシーンもあったりと感情は大変でした。
主にGとアイの2人がメインで衝突したり、マイクマイクが賑やかしてくれたり、メンバーがそれぞれの境遇を語って和気藹々としたりするので安心して観れるな〜と思っていたところに後半では急展開が入ったりと、ここが監獄だっていう事を時折思い出させるシーンがある作りはリアルで良かったです。
ただ全体的には会話劇メインという事もあり、演劇でステージに立っている時は場面の移り変わりがあるんですが、どうしても素でやっている時の画面に華やかさは無く物足りなさを感じてしまいました。
カメラワークにうんたら言えるほど偉くはないんですが、アップで映しているシーンが多く、どうしてもノイズになってしまいました。
舞台ならではの臨場感もどうしても盛られ具合が過ぎてしまい、演劇よりもしっかり映画になっていたなと思いちょっと残念でした。
出演者のほとんどが囚人だったというのも素晴らしく、その雰囲気を知っているからこそ醸し出せる雰囲気がありましたし、ぶつかり合いもスリルがあったりと見応えがありました。
ラストシーンはちゃんとそこに繋がってくるのねというラストで、みずみずしいまでの空が美しかったです。
役者陣の振り分けかたがここでも活きてくるなんて、配置がうますぎるわ〜となりました。
日本では中々刑務所の様子が公開されることは無いので、日本の刑務所でもどんな更生プログラムが組まれているのかなという興味が出てきました。
なんにせよアカデミー賞ノミネートは納得な1本でした。
鑑賞日 4/17
鑑賞時間 18:35〜20:25
座席 B-11
独居房は狭いアパート程度に個性的にカスタマイズ
とても興味深い映画。
アメリカ・ニューヨーク州のシンシン刑務所が舞台。シンシン刑務所は、ローゼンバーグ事件のローゼンバーグ夫妻が電気椅子で死刑になるまで収監されていた刑務所。
主要な出演者は、主役など4人を除いて全てシンシン刑務所の元収監者が本人役で出演しているみたいです。
特に、準主役とも言えるクラレンス・マクリン(本人役)は良い演技でした。
とても興味深かったのは、凶悪犯が収監されている刑務所なのに、独居房が狭い安アパート程度に、個性的にカスタマイズされていたこと。
壁に絵が貼ってあったり、本棚があったり、ペンや色鉛筆が沢山あったり。
日本の刑務所のこれまでイメージとかなり違うと思いました。
しかし、調べてみたら、日本の刑務所もかなり様変わりしているようで、独居房にも各々液晶テレビがあるらしい。びっくりです。
網走番外地の時代ではないのですね。
【実在の最も重い警備で有名なNYシンシン刑務所を舞台にした演劇による更生プログラムを受ける"as himself"元収監者出演多数映画。今作はそこにこそ、この映画の価値があると思った作品である。】
ー ”今週のシネコンの収益はコナン君に任せた!”と思いながら、久しぶりに名古屋のミニシアターの殿堂へ。
映画好きの人達が集う映画館であり、上映中の映画のフライヤーも刈谷日劇同様にババーンと置いてある太っ腹の映画館である。で、今作も含めた上映中の映画や他の映画館ではお目に掛かれないフライヤーを多数ゲットしてから、予約してあった席へ。-
■実在の最も重い警備で有名なNYシンシン刑務所を舞台にした演劇を通して、ムッチャ怖い顔の収監者たちが人間関係を育みながら変容する過程を追ったヒューマンドラマ。
無実の罪(本人曰く。ここら辺はキチンと描かれない。)でシンシン刑務所に収監されたディバインG(コールマン・ドミンゴ)。だが、彼は更生プログラムRTAの演劇活動が、自由を感じる唯一の場である。
そこに、白人の収監者を脅しているディバイン・アイ(クラレンス・マクリン:"as himself"第一号)が志願してくる。ディバインGは共にプログラムを仕切っているマイク・マイクと彼の演技を見て参加を認めるのである。
最初は”仕切ってんじゃねーよ!”などとディバインGに突っかかるマクリンだが、演技を練習するプロセスで、彼の態度は徐々に変化していくのである。
◆感想<Caution!内容に触れています!>
・冒頭から、ムッチャ強面の”俳優”多数出演で、”どっから集めて来たんだろ?コールマン・ドミンゴくらいしか知らないぞ?”と思って観ていたらエンドロールでビックリ。多数の"as himself"俳優で”マジっすか!”である。
・演劇活動の題目は、シェイクスピアなどの重いモノが多かったのだが”喜劇をやろう!”と言う事になり、タイムトラベルも入れたゴチャマゼ演劇をやる事になるのだが、その演劇については余り映されない。が、エンドロールで本物の劇の映像が出てくるのだが、結構受けていたなあ。
・RTA参加者たちが、自分の人生で一番輝いていた時を話すシーンは、彼らの絆を感じたシーンである。小遣いで買ったかき氷の味、芝刈り、妻にプロポーズした時。だが、そんな時は彼らの人生には戻って来ないのである。
・ディバインGは、親切にもクラレンス・マクリンの仮釈放の面接のノウハウを纏めて渡して上げるのだが、ある日盟友と言っても良いマイク・マイクが小さな収監室で脳動脈瘤破裂で突然死して、且つ彼の仮釈放の嘆願も通らずに、彼は劇の練習中に”こんなことをやって何になるんだ!”と暴言を吐き、その場を去ってしまうのである。
驚きつつ、その後姿を見るRTA参加者たち。
だが、刑務所の庭で独り座っているディバインGの所に歩み寄るクラレンス・マクリンが言った言葉が沁みる。”皆で話し合ったんだが、お前を赦すよ。”
<そして、クラレンス・マクリンは一足先に仮出所をし、漸く刑務所を出たディバインGを出迎え”自由は良いな。”と言いながら強く抱き合うのである。
今作は、実在の最も重い警備で有名なNYシンシン刑務所を舞台にした演劇による更生プログラムRTAを受ける"as himself"元収監者出演多数映画であり、そこにこそこの映画の価値があると思った作品である。>
■一応記すが、私の臨席のオバサンは序盤からガックシと頭を下にして熟睡してました。私は優しいので、そのままにしておきました・・。
タイトルなし(ネタバレ)
米国NYのシンシン刑務所。
最重警備施設であり、収監者の多くは重罪で長期収監されている者たちだ。
ただし、同施設では、演劇などの芸術を通じての更生プログラムRTA(リハビリテーション・スルー・ジ・アート)を行っており、同プログラムの受講者は更生率が高い。
演劇プログラムに欠員が出て、新たに受講者を求めることになった。
採用されたのは、クラレンス・“ディヴァイン・アイ“・マクリン(本人)。
麻薬密売地帯で生まれ育ったためか、犯罪・暴力の世界にどっぷり漬かっている。
プログラムを主導するのは、殺人罪で長期収監されているジョン・“ディヴァイン・G“・ホイットフィールド(コールマン・ドミンゴ)とマイク・マイク(ショーン・サン・ホセ)。
しかし、ディヴァインGは、殺人事件は冤罪だと訴えている・・・
といった物語。
ドキュメンタリー的と謳われていたので、RTAプログラムの詳細を伝える映画かと思ったが、意外とドラマ部分のウェイトが大きい。
RTAを通して、ディヴァイン・アイの心が落ち着いていく様などはドラマとしての見どころはあるが、ディヴァインGの冤罪設定などはドラマ的にはやや上滑りしている。
(劇中、殺人は自身が否定し、真犯人の告白もあることから冤罪だが、武器所持の罪は否定していないので収監自体が誤りというわけではないとも思えるので、冤罪部分のドラマが必要だったかどうか疑問符)
ドキュメンタリー的なのは、ディヴァイン・アイ以外のほかRTA受講の元収監者が本人役で出演しており、本プログラムが有効に機能していることはうかがい知れるが、RTAを受けた者と受けていない者との対比が映画の中で薄く、かつ、受講者で釈放された者の更生エピソードもやや薄い(後者は劇中では1名登場するのみ)。
そういう意味では、少し食い足りない。
元収監者が本人役を演じることで、製作意義は達しているとはいえるけれども。
タイトルなし(ネタバレ)
犯罪者が刑罰でない更生プログラムを受けるという話はそれなりにわかっていたので、期待した。演じる場面より、じっとして口々に言い合う場面が多いので、退屈だった。黒人女性担当者から聴聞を受けることになり、演技ではないかと疑われる場面は、少し可哀想になった。結果が出るまでの待機時間に移り、実物のカーテンコールの場面が続き、少し希望を感じた。釈放で解放された後、エンディングでは、様々な表情や動きをする当事者たちが登場し、そのドキュメンタリーでも良かった気がした。
格子のない窓
主役以外はご本人とはいえ、元受刑者で現俳優みたいな人達なのかなぁ。更生プログラムの参加者ではあったみたいだけれど。
普通に見れた。
いや…普通過ぎた。
とても崇高な作品だとは思う。過ちを犯した人間を許せる社会が実現されていて、舞台上には一般の共演者もいて、客席からは笑いと拍手が向けられる。
…複雑だけれど、更生させる資格があるのかと疑問を抱く人もいるとは思うけど、長い目で見たら間違ってはいないんだろう。
参加者にしてみれば別世界なんだと思う。
よくこんなプログラムを思いついたなぁと感心するのだけど、理には適ってるようにも思う。
演出家をかって出た人は肝が据わってんなぁとも思うし、途中途中で挟まれる各人の半生からはバイオレンスしか感じない。
札付きの悪である囚人がプログラムを通して更生し、本人も諦めてた仮釈放を許可されたりする。
その手伝いをしていた主人公は、心の支えでもあった友達を亡くし、仮釈放の面談では「それも演技なの?」と理不尽な質問もされる。立ち上げたプログラムがマイナスに働いた瞬間の表情は…あのまま動かないんじゃないかと思う程に絶望に支配されてた。
主人公のお気に入りの場所として、度々出てくる格子のない窓。
拳が一つ通る程の大きさなのだけど、そこが唯一格子に邪魔されず景色を眺める事が出来るのだとか。
なんかコレが更生プログラムとリンクしてくる。コレを「希望」と呼んでいいのか「泡沫の夢」と呼ぶべきなのか。近づけば格子は見えない。が、引いて見れば格子の存在に気づいてしまう。無くなるわけではないのだ。彼らが収監されてる事に変わりはない。
なんか一気に虚しさが込み上げてくる。
そりゃそういうもんだよなぁ…。
彼らを描くから、彼らに感情移入もするけど、れっきとした犯罪者だもんな。
物語は主人公の出所で幕を閉じる。
不慣れな自由を肌で感じてるかのような主人公は絶品だった。
どんな場所でも状況でも、人って1人じゃいられないんだろうなぁなんて事を思い、人と協力して創る「演劇」ってものには、他者共生の側面なんかもあったんだなぁと、そんな事を漠然と思う。
にしても、どなたもカメラを全く意識してない芸達者ぶりだった。監督はどんな脚本と演出を用意したんだろうか?見事だと思う。
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