シンシン SING SINGのレビュー・感想・評価
全131件中、1~20件目を表示
ラストシーンのその先で生まれた映画
コールマン・ドミンゴがオスカーにノミネートされていたから観てみようかくらいのノリで予備知識を入れずに鑑賞したので、エンドロールで驚かされた。
主要キャストのうち、3名(C・ドミンゴ、マイク・マイク役のショーン・サン・ホセ、演出家ブレント役のポール・レイシー)以外は一般的なプロの俳優ではなく収監された過去を持つ人たちで、その多くは物語に出てきたRTA(Rehabilitation Through the Arts)の経験者だという。ディヴァイン・アイ役のクラレンス・マクリンは、元々は実際にシンシン刑務所で恐れられる荒くれ者だったところRTAで更生し、ディヴァインGのモデルであるジョン・ウィットフィールド(作中、Gにサインをもらう役でカメオ出演)と共に本作の原案・製作総指揮を担っている。
刑務所という殺風景な舞台には不似合いなほど穏やかに進んでゆく物語を追ううち、ドキュメンタリーを観ている感覚に陥る瞬間があったが、それは彼らの実体験が作品の空気に反映されていたからかもしれない。
結果的に先入観なしで彼らの演技を観ることが出来たという意味では、事前リサーチ不足でよかった気がした。
刑務所の演劇グループに、所内一番のワルがやってくる。本作を紹介するそんな短文から、私はほぼ無意識に安直な「暴力や絶望を物語の推進力とする、ありがちな刑務所ドラマ」(パンフレットより。なお作品の背景を詳述したパンフは必読)を連想していた。思えばそれもある種の偏見だったのだろう。
しかし蓋を開けてみると、そこにあったのは人間らしい感情への回帰と癒しの物語だった。RTAのミーティングで次回作の打ち合わせをし、ブレントから演技の手ほどきを受ける中で、収監者たちは自分の内面と向き合う。最初は反発していたディヴァイン・アイも、自分の態度について仲間から忌憚のない指摘を受けたりするうちに徐々に変わってゆく。
ブレントの導きで自分たちが完璧だった時のことを各々が言葉にする場面などは、つい私もその問いを自分自身に投げかけてみたりした。演劇によって自分の感情との付き合い方を学ぶことは、人生経験を通してそれを学ぶことに近い気がし、彼らの体験を不思議なほど身近に感じた。
本作は収監者たちが人間性を取り戻す話にとどまらず、人の心についての普遍的な物語でもあるように思う。
ディヴァインGが冤罪で投獄されていることは中盤でさりげなく明かされるが、その冤罪を晴らす闘いそのものがドラマチックにクローズアップされることはない。一方、彼の減刑嘆願の却下は、親友マイク・マイクの病死という不幸と重なり、彼の心に抱えきれないほどの苦悩をもたらした。
彼が力を貸したディヴァイン・アイの減刑が先に叶ったことは本来Gにとっても喜ばしいはずだが、そのことさえもこの時の彼にとっては孤独と絶望を際立たせる出来事に見えたことだろう。ディノが言った「何かを気にかけると心が開く、そこから痛みが入ってくる」という言葉がGの姿に重なる。
「マミーの掟破り」本公演の前に、「心が抱えきれない時がある」と荒れた態度をメンバーたちに謝ったG。遥か遠いニューヨーク州の刑務所で私とは全く違う世界を生きる彼だが、彼の心のあたたかさ、彼を襲った失望や喪失を知った上で聞いたこの言葉から伝わる感情には垣根など全くなかった。
そして、出所が叶ったGが迎えにきたアイと抱擁する姿に胸を熱くせずにいられない。この短く美しいシーンは、解放、更生、絆、さまざまな意味を感じさせるものだった。
プロではない当事者が演者として参加した作品と言えば近年では「ノマドランド」が記憶に新しい。だが、本作では企画の考案段階からメインキャストに至るまで、当事者たちがより深く関わっているという点が特徴的だ。
シンシン刑務所での演劇プロジェクトに触発された映画が生まれ、それを私たちが鑑賞する、この構造自体がRTAの延長線上にある気さえしてくる。
彼らの実体験が結実したのがこの作品であり、私たちは映画館へ行くことによって、ある意味物語の先にある彼らの実人生、すなわち本作の製作に参加したという人生の軌跡にも触れることが出来る。作品の存在自体が実話と地続きになっている、かつ物語として高いクオリティを実現している、なかなか稀有な映画ではないだろうか。
Unapologetically Intellectual
A heavy prison drama about inmates rehabilitating through theater, Sing Sing was one of the Best Picture snubs at the Oscars. Colman Domingo is well-deserving of his acting nomination. As the story centers around auditions for Hamlet, the Shakespearian energy pervades the narrative, reflecting the characters' struggles as if they are manifested from the scripts in their hands. Such is the power of acting.
観てよかった
好き嫌いが分かれる作品かもしれません。
「観てよかった。この映画に出会えてよかった」と思える作品でした。
スニークプレビューで、家人が見せてくれた作品だったのですが、「実話」だというし、
アメリカの重刑専門の刑務所の更生プログラムの<舞台演劇>のグループの人たち本人が本人役として、演劇グループのメンバーとして出演していて、びっくり!
主役の冤罪で刑務所に入れられてしまった黒人ディビアンGを演じたドミンゴさんは、ベテラン俳優さんで味の演技をされており、それは彼のキャリアからすれば当然なんです。が、後に相棒になる黒人服役囚ディビアンIを演じたクラレンス・マクリンさん、(なんて凄みのある、哀愁のある演技をする俳優さんだろう)と感嘆していたのですが、HIPHOPのキングのように存在感もあり、韻をふくんで唄うようにワードが出てくるアーチスティックな俳優さんで、(ハリウッドはすごい役者さんが次から次へと出てくるなあ)と思ったら、その方もこの刑務所の<舞台演劇>のグループの人(本人)だというので、本当にびっくり!!
後で公式HPを観たら、刑務所の<舞台芸術>グループメンバーとして出演していた役者さんのほとんどが<本人>だったんです。すごい!! 演技プロ! 最高にイカした人たち!
演劇は「他人の人生を演じる」ことで、人生というものや、人の心の動きを客観視する訓練ができるんだそうで、それを繰り返していると、自分の心の動きも客観的にみられるようになって、心の自己管理が出来るようになって、役作りのために「沈思黙考」する習慣や、南幅して人の人生について考えるようになって、それで、やがて自分のことも客観視できるようになって、やがて更生の道を歩みだす…ということのようです。
こんなに、心理描写が丁寧に描かれた映画、久しぶりに見ました。
私は、この映画と出会えてよかったです。
塀の外と内を隔てる鉄製の網
公開時、どうしてもタイミングが合わず、断念した作品を、u-nextの残ポイントで鑑賞。
はじめ、吹き替えで流れはじめたのだが、これは絶対字幕で見るべきやつと直感し、開始1分で、冒頭から字幕で観直したら、やっぱり届く深さが違った。
初っ端からディヴァインGを演じるコールマン・ドミンゴが醸し出す、複雑な感情の入り組んだ芳醇な演技に対して、ディヴァイン・アイの薄味加減に、最初は嫌な予感しかなかったのだが、終わってみると、それすらも演技だったのかとわかる。
折々の場面で、その時の心の動きを一番知るのは本人なわけで、本人たちが、本人たち役を演じることの意味に気付かされる思いだった。
無罪による投獄といった形で、いわゆる人種差別に起因した偏見の問題は、今作の中でも存在しているのだが、あえてそこをクローズアップせずに、「塀の外と中」の対比に特化して、「自由はあるけれども、生きづらい外界」と「制限はあるけれども、理解してくれる仲間のいる監獄」の間で揺れる登場人物たちの、立ち直りの物語にスポットを当てた展開にうなったし、作者や監督たちの秘めたメッセージの強さを感じた。
隔てているのは、向こうがはっきり見えて、外気だって変わらないはずの鉄製の網一枚なのに、なんとその先の遠いことか。
とある人物がその場から去った後、固定されたままのカメラの映像が流れ続ける数秒間も、その絶望的な遠さを見事に描き出していた。
<ここから内容に触れて書き残したいこと>
・演劇プログラムの教育的価値が、よく伝わってきた。演じるということは、他者の気持ちになって考えてみるということに他ならないし、そのためには、自分のこれまでの心の体験を掘り起こすことが必要になる。自ずと、自己の中にメタな視点が生まれ、また「脱獄しなくても外に出られる」心の自由さも獲得して、より不幸な選択肢を選ばずに済むことにつながるのだろう。そうしたことを出演者たちの姿から感じとって、「RTA受講者の再犯率は3%(公式サイトの猿渡由紀のコメントより)」いう驚くほどの数字も納得できた。
・助ける、助けられるという関係についてもディヴァインGと、ディヴァイン・アイのやり取りから考えさせられた。助けた者たちに助けられるというストーリーは、テンプレかもしれないが、やっぱり沁みてしまうし、涙腺が緩む。
このプログラム自体が、そうしたつながりを自然とつくり出していると思うし、そこへのリスペクトが感じられるエンドロールのテロップは、熱かった。
・「ここではniggaではなく、brotherと呼ぶんだ」というセリフにグッときた。
自嘲的な物言いは、それを乗り越えた強さの表れにも見えるし、自分でもそう思って使っているのだろうが、やっぱり自他を傷つけるナイフなんだと思う。
全ての出発点は、相手へのリスペクト。
・「フェーム」と「アイリーン・キャラ」という言葉に反応してしまった。懐かしい…。
感じたことメモ
最初からこんな自分になりたかったわけじゃなくて。
抜け出そうともがいたり、諦めたり。
相手を思ってやっていても、いつまで人の背中を見送る自分を保てるのか。納得させられるのか。
私なら腐ってしまいそう…
楽しみたい自分がいる一方で、そんな自分を客観的に見て疑問を抱く部分とかも良かったな。
生か?死か?ソレが問題だ。
ムショ慣れしていく中で、心を鈍らせて生きる屍と化すか?
演劇を通して、
《自分ではない誰かになりきる》事で、否が応でも己と向き合い、苦しみながら《人間》を取り戻す道を選ぶか?
万雷の拍手を獲て感じてしまった刹那の自由、心の解放。
馴れきって当たり前になっていた刑務所の臭いや雰囲気に違和を感じる…
手に入れた鈍感を捨てるのは辛いだろう。
然し、冒した罪を贖いたいのなら、向き合う苦しみを対価にせねば、本当の反省なんて心の内から滲み出る訳ない。
苦しいからこそ喜劇を!
諦めってのは………未練を残すんだよ
悪くはないけど・・・。
本物は迫力が半端ない💦
登場人物たちが、実際の囚人を起用とは
2018年「暁に祈れ」を思い出させます。
罪を背負った囚人たちが
少しでも外界との繋がりに思いを馳せ
別人を演じる事で、一時的に心は解放され
母のもと、子供たちのもとに飛んでいける
その時だけは自由に思想を馳せることが出来る喜び。
無実の罪で収監されているディヴァインG が
いつか無実を証明できる
善良でありさえすれば、誰かの手本になるような
存在であり続ければ、いつかは仮釈放が
認められると信じていた彼の
それが叶わなかった時の
絶望感と虚無感に苛まれる姿は痛々しい。
ぶつかり合いながらも、いつしか深い絆で
結ばれていた仲間との友情はこれからの人生の宝物
シンシン SING SING
心温まる
この映画好き!あらすじなどはさらっと読んだくらいで予告もなにも見ずに鑑賞。
シンシン刑務所のRTAという演劇プログラムに所属する主人公。重い罪を犯した人たちが収監されているが、演劇を通じて自らの心と向き合う。鑑賞後に知ったが、出演している人はほぼ実在の人物を自ら演じている。
鑑賞中何度も涙が溢れた。人を変えてしまうものそれは「孤独」やと思う。仕事上、重い話を聞くことが多いが共通していることは孤独であること。日常で抱えた痛み苦しみを吐き出す人もおらず限界を迎えた時に過ちを犯すのかなと思う。
ここに出てくる人たちも会いにくる家族もいない人たちが多いんやろう。刑務所生活の中で唯一演劇メンバーでああでもないこうでもないと話したり、演じたりすることこそが孤独を癒す憩いの場なんやろうなあ。
とてもいい映画でした🎬
とてもよかった
刑務所劇団の実録映画で、登場人物を本人が演じている。演劇はその場の空気がとても重要なので実際に見て見ないと分からないのだけど、劇中劇が面白くなさそうだ。クライマックスはずっと取り組んでいた劇を火の出るようなテンションで演じるのかと思ったらさらっと終わる。そしてエンドロールの手前で実際の演劇の映像が流れる。それで十分な感じだ。
日本の刑務所では考えられない取り組みだ。個室があるし私物もけっこう持てるし受刑するならアメリカがいい。
刑務所に収監された人達が舞台演劇を通じて再生を遂げていく姿を描いた作品。 本年度のベスト級。
鑑賞中に本作が実話を基にしているという事に驚く!
さらに、実際に収監経験のある方々がキャスティングされていることにも衝撃を受けた!
物語は無実の罪で収監されている主人公「G」を中心に展開。
Gは外部から招かれた演出家ポール、そして個性豊かな収監者たちと共に一つの舞台を作り上げて行くストーリー。
特に印象的だったのは、序盤のオーディションのシーン。
参加者たちがそれぞれの役を熱演する様子を捉えたカメラワークが良い!
収監者たちの高い演技力に圧倒される。
刑務所内の問題児のクラレンスが劇団に加わる展開。
彼の入団理由が予想外(笑)
悪人に見えても読書好きという意外な一面に彼の人間味を感じる。
物語はほぼ演劇の稽古や上演シーンで進行するものの、登場人物たちの圧倒的な演技力に飽きることなく最後まで引き込まれた印象。
上映中劇そのものの全貌が見られることは無かったものの、最後に映される本番の舞台の皆の演技をもう少し観たかった。
刑務所の傍らを走り抜ける列車の描写。
自由な無い刑務所内の生活と、外の自由な世界との対比を象徴しており印象的なシーンだった。
個人的には、序盤の印象とは異なるクラレンスの意外な一面がもう少し掘り下げられ、彼を巡る一波乱があっても面白かったのかも。
鑑賞中、本作のタイトルが実在の刑務所の名前であることを知る(笑)
鑑賞後にシンシン刑務所についてWikipediaで調べてみると、その歴史の深さにかなり読み応えがありました( ´∀`)
自由への扉 垣根を取り払う取り組み
RTA(演劇を通して更生を目指すプログラム)を描いた作品としては「塀の中のジュリアスシーザー」が思い浮かぶ。かの作品も本物の受刑者たちが役を演じており、その演技力には驚かされた。本作はこのRTAを通して自由を奪われた人間たちの真の解放を描いた感動の物語。
最重警備刑務所として知られるシンシン刑務所、原爆に関するスパイ容疑で逮捕されたローゼンバーグ夫妻が処刑されたことでも有名な場所である。
警備体制が厳重なシンシン刑務所は一方で受刑者の社会復帰に向けたプログラムも充実していた。
再犯率が70%ともいわれるアメリカ、しかしこのRTAを経験した受刑者の再犯率は実に3%だという。その効果はすでに実証済みだ。
犯罪を犯す人間は社会に適応できず、たとえ服役を終えても再び刑務所に戻ってきてしまう。根本的な解決をしない限り再犯率を抑えることはできない。
社会に適応できない人間を社会へ復帰させるためにこの演劇活動が役に立つ。それぞれが自分の役割を与えられその仕事に責任を持って取り組む、演技をする場合その役に真摯に向き合いセリフも憶えなくてはならない、自然と根気も養われる。そしてお互いに協力し一つの作品を作り上げていくことで協調性も養われ、その成功体験から自信も得られる。
また様々な役を演じることで自分はなんにでもなれるのだという自信にもつながる。社会に戻るときにはそんな自信が役に立つだろうし、現に服役後俳優になられた人もいるという。
このRTAの活動はまさに社会に直結した活動とも言え、服役の間でも社会とのつながりを感じることができて長い刑期を乗り越える心の支えにもなっている。
たとえ終身刑であっても真面目につとめていればいつか恩赦で出られるのではないか、そんな一縷の希望を胸に抱いて前向きに生きてゆくこともできる。それは人間性を失わずに最後まであきらめない心を養う手助けにもなるはずだ。ちなみに終身刑でも仮出所が認められるケースはある。
犯罪を犯して収監された者たちにとって社会とのつながりを感じさせるRTAの取り組み。それは彼ら受刑者と社会との間にある垣根を取り払う取り組みであった。
しかし無実の罪で服役していたジョンにとってそれは違った。彼は罪を犯したわけでもなく社会復帰活動などはそもそも必要なかった。彼は札付きの悪であるギャングのクラレンスとは違ってインテリでもあり、自分は他の受刑者とは違うという意識があった。彼らをどこかで上から見ていた。彼と他の受刑者との間には垣根が存在していた。
それは彼の自己防衛でもあった。自分は他の犯罪者たちとは違う。自暴自棄になり、彼らに感化されて自分を見失ってはならない。いつか必ず自由の身となることを胸に抱いて自分の冤罪を晴らす努力を続けていた。他の受刑者との垣根は彼が自分を保つために築かれたものでもあった。
彼にとって演劇活動はこの塀の中にいても社会とつながれる唯一のものだった。たとえ自由を奪われた身であってもこの活動により心の中はいつも塀の外にいられる。心だけはどこへでも自由に飛んでいける。鳥籠に囚われの身であっても彼の心は自由に大空へ羽ばたいて行けた。演劇の活動はそんな彼の心の支えであった。いつか無実が認められ本当に自由に身となれる希望を胸に抱いて。刑務所の窓から手を出して外の空気に触れるときいつか身も心も自由の空気を浴びることができると信じていた。しかし彼の希望は打ち砕かれる。
彼の無実の訴えは認められず、相棒のマイクマイクまで失い彼は絶望に打ちひしがれる。鳥籠から解放されるどころか翼を折られてしまったかのように彼の心は折れてしまう。
なぜクラレンスが仮釈放で自分は出られないのか、そのあまりの理不尽に彼の心はくじけてしまう。そんな彼にクラレンスが寄り添う。クラレンスはRTAの活動通して、ジョンや他の仲間たちのおかげで変わることができた。次は彼がジョンを救う番だった。
RTAの活動は社会復帰に向けた活動。それは罪を犯した者たちのためだけではない。理不尽にも自由を奪われ希望を失った人間に希望を与えるための活動でもあった。理由はどうあれ共に自由を奪われた者たちが互いに助け合い力を合わせて苦難に立ち向かう。社会の一員として互いに協力し合い共に生きてゆくことを学ばせる、そんなRTAに込められた真の目的がジョンを救ったのだった。この時ジョンとクラレンスの間にあった垣根は完全に取り払われた。
アメリカの受刑者数は世界一の数で220万人にものぼり、世界の受刑者全体の25%にも及ぶという。ジョンのような無実の人間だけではなく収監される必要のない者たちまで収監してきた歴史がアメリカの刑務所にはあった。
今でこそシンシン刑務所のような人道的取り組みがなされている刑務所も少なくないが、アメリカの刑務所の多くはその作られた理由が他の所にあった。
もちろん当初は犯罪者を処罰するため隔離するために作られたが、その多くは収益性を見込んで作られた。
それは南北戦争終結時にまでさかのぼる。奴隷労働に依存していた南部は奴隷解放により経済は苦しくなった。その不満が当の黒人たちに向けられ彼らは迫害される。
憲法で奴隷労働は禁じられていたが受刑者の労働だけは例外であり、奴隷解放後、職や住むところを失った黒人たちは徘徊などという微罪で多くが刑務所に入れられ労働力として利用された。
刑務所は労働力を供給する新たな奴隷制度を作り上げた。こぞって刑務所は建設され、また70年代以降麻薬犯罪取り締まり強化によりさらに受刑者の数は膨れ上がった。多くは麻薬所持だけで最高終身刑にまで至るケースもあり受刑者は増え続けた。
犯罪取り締まり段階でもシステマティックレイシズムが働き、黒人が白人よりも集中的に取り締まり対象となり多くが収監された。アメリカ全人口に黒人が占める割合が14%に対して黒人受刑者が占める割合は30%にも及んだ。
次第に増えすぎた刑務所が財政を圧迫し、民間刑務所が採用されることとなる。刑務所を中心としたビジネスモデルが確立され、産獄複合体という状況が生まれた。もはや刑務所は人間倉庫と呼ばれ、収益化のために経費は節減され、ただ受刑者を収容するだけで彼らへのケアはほとんど行われなかった。病気でも治療は受けさせてもらえずそのまま亡くなる受刑者も後を絶たなかった。社会復帰に向けた厚生プログラムなどありえない状況が今でも続いている。
受刑者はもはや利益を生む搾取の対象としてしか意味を持たなかった。シンシン刑務所のように本来の刑務所が担うはずの矯正施設としての役割を果たさず、受刑者をただ奴隷のように搾取している刑務所が今も存在するアメリカ。
ジョンは最後には自由を手に入れることができた。しかし今もなおジョンのように無実の罪であるいは微罪により自由を奪われ奴隷の身に甘んじている人々が多く存在する。
このRTAのような取り組みがすべての刑務所行政に行き渡り、奴隷制度を続ける劣悪な刑務所の垣根を取り払いすべての受刑者の人権が守られることを願うばかりだ。そうして初めて真の自由が人々にもたらされるのだろう。南北戦争から160年以上経った今でもいまだ黒人奴隷たちは真の自由を勝ち取れていない。
刑務所と社会との垣根を取り払うRTAの取り組みが人権を侵害する不当な拘束を許す制度の垣根をも取り払う役目を持つものであることを信じたい。
物語の最後、仮出所が認められたジョンをクラレンスが迎える。車の窓から手を出して外の空気に触れるジョン。この時彼は身も心も自由を嚙み締めていた。
全131件中、1~20件目を表示