「責任」#真相をお話しします R41さんの映画レビュー(感想・評価)
責任
#真相をお話しします――ネット社会の刃と責任の不在
2025年公開の映画『#真相をお話しします』は、結城真一郎の同名ミステリー小説を原作とする作品だ。
原作は五つの短編オムニバスで構成され、読者に「現代社会の危うさ」を考えさせる仕掛けを持つ。
映画はその枠を大胆に崩し、暴露系生配信チャンネルという一本の軸を設定し、原作の断片を組み合わせてローラーコースターのような物語を紡ぎ出した。
映画オリジナルの設定「ふるはうす☆デイズ」。
それは、離島で暮らす子どもたちの日常を切り売りするリアリティ番組だった。
都会の喧騒から逃れ、のびのびと子どもを育てたい――そんな親の願いは、結局「収入源」という現実に絡め取られる。
純粋な心を搾取する手段としての配信。
そこに潜むのは、無知と無責任な「いいね」、そして古くから変わらないいじめの構造だ。
サテツとチョモランマ。
改名までして過去を消そうとした彼らが選んだのは、社会への復讐だった。
余命宣告を受けたチョモの体に巣食うガンは、彼の心に刻まれた傷の象徴だろう。
リンコの死――それはお金のための代償だったのか。
真相は最後まで明かされない。
だが、彼らがルージュを椅子に縛り付け、真実を吐かせようとする場面で、観客は究極の問いを突きつけられる。
「仮面を脱ぎ、自分をさらけ出すか。それとも、他者を処刑するか。」
この映画が刃を向けたのは、無責任に言葉を投げつける視聴者という個々人だ。
ネットに私生活を晒され続けた主人公たちは、直接叩かれたわけではない。
しかし、その構造がリンコの死を招いた。
お金のためなら何でもする――それはルージュだけの話ではない。
企業も、政治家も、そして私たちも。
責任を取らないまま「今」を迎えているのは、集合意識の産物だ。
「面白ければTVじゃない」
そう謳った時代は終わった。
だが、責任を取らない文化はTVからネットへと移り、ポリティカル・コレクトネスという新しい規範が、揚げ足取りの武器に変わった。
正義はいつ暴力に転じるのか――この映画は、その問いを私たちに突きつける。
原作は余白を残し、映画は選択を迫る。
どちらも、現代社会の危うさを映す鏡だ。
そして私たちは、その鏡の前で、何を選ぶのだろうか?
