雪風 YUKIKAZEのレビュー・感想・評価
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向き合わねばならないことをわかっていながらスルーしていないか?
公開当初の辛口レビューから高評価のそれが増えていますが…つくづく評価の難しい映画だと思います。で、いろいろ考えた私の結論。観ている間は私もけっこう感動していたのですが、やはり高評価はできない映画です。他の方がレビューで『これは映画作品ではなく映画製品』と書いていらして、言いえて妙だと思いました。
CGがチャチいとか映像が使いまわしとアップばかりとかラストのアレとか、いろいろツッコミたくはありますが、まぁ、その辺は二の次ということにしておきます。そのあたりの不満ではなくて…私は太平洋戦争を舞台に物語を紡ぐのなら、「軍上層部はなぜ勝ち目のない戦争を暴走して継続していたのか」「歪んだ軍国主義」「旧日本軍の理不尽な縦社会」「戦争は殺し合いであり、被害者であり加害者であること」等々を『きちんと描こうとしなくてはいけない』と思っているのですが、しかしこの映画、制作者はそのことを理解しているのにあえて目をそらしているような感じを受けています。
特に4点目、『戦争という状況の中で命を救い続けた』と雪風の戦いを美談にしていますが(勿論それはとても立派なことですが)、「イヤ、この映画の雪風だって魚雷撃って敵艦撃沈?してね?」と思ってしまう訳です(この映画を観たのがひと月近く前なので撃沈してなかったらすみません)。
戦争なのですから雪風の行為を否定する気はありません。しかし、『山火事に巻き込まれて後がない救難者を救うために、成功率は万に一つの命がけの作戦を実行し成功させるレスキュー隊の感動的なストーリー』と同じ感覚で一連のシーンを描いているように思える製作者の視点に疑問を感じます。
あくまで例えですが、普段フィクションやファンタジーの戦争で商売をしているヒトたちが「戦後80年だから太平洋戦争を舞台にしたイイ映画を造ろう。でも(前述したような)いろいろ面倒くさくなりそうなトコは、ホラまぁ、テキトーにスルーして造って(音符)」と制作サイドに発注したんじゃねぇか?と勘ぐってしまいました。
この映画で若者に太平洋戦争に興味を持つ人が増えればそれは素晴らしいことですが、この映画で太平洋戦争・戦争をわかった気になられることを私は懸念します。
出演俳優さんたちはこの映画が「上っ面の美談」だなぁと感じているがゆえに、だからこそ真摯に演技しなくてはいけない、と思われていたのではないかと感じました。俳優の皆さんの演技はとても評価しています。…ただなあ、みんな軍服がキレイだったり肌がツヤツヤしてたり坊主頭じゃなかったり…は百歩譲ってあきらめるんですけど、若い2等水兵(?)さんの頬がたぷたぷしているのだけはいただけませんでした。頑張ってもうちょっと痩せてきてよ…
表現が少し浅いように感じました
しょっぱなからけなして申し訳ないけれど、映画作品として、とくに優れたところはないように思いました(予告編を観て、そんな予感はしていたけれど)。
「命をかけて戦った人々の犠牲の上にいまの平和があるのだから、しっかりとやっていこうぜ、日本!」というメッセージは届いたけれど、映画作品としては、少し表現が浅いように感じた。
一番の原因は、脚本がイマイチということでしょう。
物語の作り方が何だかわざとらしい感じがします。
「いい話」にしたいのはわかるけど、それが前に出すぎてしまってはいけません。難しいところです。
それから、撮影。
CGとVFX(かな?)を駆使した戦闘シーンはまあよくできていたと思うけれど、将兵たちを救助するシーンが全然ダメ。
全部、下から見上げた角度、あるいは舷側に相対する角度で撮っている。
ここは絶対に何がなんでも、甲板から見下ろして、海に漂い救助を待つ多数の将兵をとらえるというカットを入れるべきだと思う。それがないからレスキューのシーンにリアリティーがない。
しかも、大きいセットが組めないなど、予算の関係だと思うが、「寄り」の映像が多いから広がりが感じられない。
本作は、全体的に「寄り」のシーンが多く、人物との対比で艦のスケールを感じさせるような場面がほとんどなかった(これもまた予算などの関係だろう)。
あと、悪口ついでに書くと、太平洋の真ん中はいつもあんなに凪いでいるのか? 大阪湾でももっと波があるはずだ。
救助のシーンは、うねりのある日に実際に海で撮影してリアリティーを出してほしかった(好き勝手なこと言ってごめんね)。
俳優陣については、やはり中井貴一が頭ひとつ抜けている気がした。
発声も確かで、揺るぎない存在感を示していた。
エンドロールの、波と警笛の音だけで余韻を残して終わる、というアイディアはよかったです。
追記
同じく旧日本海軍もので救出劇である『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(1965年公開・丸山誠治監督)を鑑賞して比較してみよう!!
やはり、映画は最後まで・・・。
はい、例によって1ミリも観る気なかったんですが
酷評があまりにもおいらのツボで
1,寄りの画ばっか
2,戦闘シーン複数回使い回し
3,CGしょぼい
と三つそろったらもう鑑賞は義務です。
で
1,僕は「引きの画飢餓状態」に陥るかとワクワクしていたのげすが、そういう事もなく、まあ自然に観られました。
というのも、今映画を後からスマートフォンの画面で観る方とかいる。
「大画面に耐える」とともに「小画面に耐える」ことも要求されるわけで、寄りがメインとなるのも時代の必然かも、と。
まあ、デビッド・リーンが生まれにくい時代ではありますね。
2,戦火の中、同様の状況が続くわけですからこれも特に気になりませんでした。
3,僕としては「しょぼい」とも「ゴージャス」とも感じませんでした。
というわけで
まあ僕の期待するような作品ではなくて良かったとも言えます。
ここから
映画の結末に言及します。
戦争が終わり1970年の万博になり
「日本は元気に再生」
が語られるのですが
「この時代出すのは反則だろ」
と思ってしまいましたが
1970年が雪風が沈んだ年と言うことで
不勉強ですみません。
と素直に反省いたしました。
が、問題はこのあと
現在にむけて
「どうしてもやりたかったんだろうけど、どうしてもやってはいけない」場面が出てきて
意図はしっかり受け止めつつ脱力感におそわれて途方にくれました。
しかし、映画はまだ終わりません。
主題歌が流れて「回想」的な画面が流れるのですが
エンドロールが上がってきません。
そして、歌と画年が終わった後にエンドロールになるのですが
音楽は流れず
海の環境音だけがずっと流れます。
しっかり余韻に酔いしれました。
この映画ではこの部分が一番好きです。
というわけで
映画は最後まで観ないといけない事を改めて痛感いたしました。
没入しました
「武士とは死ぬことと見つけたり」 あの戦争の生き証人
先の大戦において第日本帝国海軍19隻の陽炎型駆逐艦の中で唯一沈まなかった雪風の乗組員たちを描いた戦争ドラマ。
1941年12月8日、日本は万に一つも勝ち目のない対米戦争という無謀な航海へと船出してゆく。
なぜ勝ち目がないのか、国力が十倍以上の米国が相手だからというわけではない。何を持ってこの戦争の終わりとするのか、何を持ってこの戦争の勝利とするのかさえ決めずに無計画のまま始めてしまった戦争だからだ。それは海図を持たず羅針盤もなしに大海原に出る無謀な目的地のない航海に等しかった。
当然の如く次第に戦況は悪化の一途をたどり、もはや航路を見失い舵が効かなくなった日本はすべての国民を道連れにする一億総玉砕という狂気の海域へと突入していく。
そんな中で雪風の乗組員たちだけは己を見失わず自分たちの使命を全うし続けた。あの地獄のような戦争を雪風が生き残れたのはなぜだろうか。
敵の水雷艇の駆逐に始まり護衛や救助という、まさに海軍における万事屋とも呼ばれた駆逐艦は小回りを利かせるために軽量化により装甲が薄く撃沈されやすい。いわば消耗艦であり、先の大戦では雪風をのぞくすべての駆逐艦が沈められたことからもこの雪風が生き残れたのは奇跡とも呼べた。
しかしそれはただ幸運という言葉では説明がつかない。それには乗組員たちの高い志が大きく寄与していたとも思える。
本作は浮沈艦雪風にまつわる数々の史実を基に命がもっとも軽んじられた時代で命の大切さを問うた作品である。
「武士とは死ぬことと見つけたり」。江戸中期に書かれた「葉隠」のこの一節が長年にわたり曲解され、大義のために死ぬことが美化されてきた。そんな武士道精神への曲解が「生きて虜囚の辱めを受けず」などの戦陣訓を生み、多くの兵に玉砕を強いることとなり失われずに済んだ多くの命が犠牲となった。そして戦場の兵士だけに通用した戦陣訓の教えは変容しやがて一億総玉砕というスローガンの下で国全体をも覆いつくしてゆく。
戦況の悪化に伴い敗戦が確実視される中、あくまでも国体護持にこだわり、ただ敗戦を遅らせるためだけに十死零生の特攻作戦が繰り返され多くの若い命が散っていった。特攻作戦はけして戦況を変えることなどできはしないただの時間稼ぎに過ぎなかった。降伏を遅らせれば遅らせるほど尊い命が失われていった。
そんな愚かな作戦を指揮する軍中枢に対して竹野内豊演じる雪風艦長の寺澤は武士道精神の義(正義)に反する愚かな行為であると吐露する。
本来安全な軍の中枢にいてもおかしくなかった寺澤はあえて危険な最前線に出て戦う。彼は義に反するような主君である軍に仕えることを拒んでもよかった。しかしこの誤った愚かな戦争に反対して投獄されるよりも彼は最前線で指揮を執ることを選んだ。その理由は何だったのか。
それは戦場で失われる命を少しでも救おうとしたためであった。愚かな戦争は一度始めてしまえばもはやすぐには終わらない、ならば終わりが来るまでせめて自分は失われる命を少しでも減らそう。そう決意しての彼の行動であった。
そして「幸運艦」と呼ばれる雪風は彼にとってふさわしい船であった。それはどんなに巨大で頑丈な装甲に守られた軍艦にも引けを取らない、玉木演じる早瀬をはじめ乗組員たちの生きることへの執念がどんなに分厚い装甲よりも攻撃から守りぬいてくれる心強い志にあふれた船であった。
そんな雪風にも最大の試練が訪れる。大日本帝国海軍最後の作戦と銘打った天一合作戦、もはや無用の長物と言われた海軍の象徴であった戦艦大和に死に場所を与えるための、そしてそれに続く日本国民総玉砕へ向けての先駆となるための自殺作戦に雪風も同行する。それはゼロ戦による特攻同様生きて帰れぬ航海であった。大和の死出の旅に同行させられた雪風は今度こそ大和と共に三途の川を渡ることとなるのか。しかしそんな作戦とはもはや呼べない悲壮な作戦においても艦長の寺澤は乗組員たちを鼓舞する。いつもの雪風で行こうと。
彼らはいつも通り彼らの使命を果たした。護衛と救助。救える限り命を救い続ける。命を救うためには自分たちが決して沈んではならない。ただ命を捨てに行く戦争の中で命を拾い続けた乗組員たち。彼らの生きることへの執念が雪風をして浮沈艦ならしめたのであろう。
ただの幸運艦ではなく生きることへの執着心、己の使命を全うしようとした乗組員たちの強い意志がそうさせたのだろう。これこそが真の武士道精神である。
「武士とは死ぬことと見つけたり」とは、けして死を美化することではない。常に死を意識しながら限りある命において己の使命を全うせよという意味である。いつ死ぬかもしれない戦いのなかで後悔せぬ生き方をせよという、死を強いるのではなく限りある人生の中で己の人生を生きることの大切さを説いたものである。
しかし当時の日本軍ではそんな言葉が曲解され兵士たちに忠誠を誓わせ彼らの命を駒のように利用した。彼らの国を想う心を利用したのだ。沖縄も時間稼ぎのために捨て石とされ県民の25%が死に至った。
もはや狂気の沙汰に陥っていたともいえる陸軍は本土決戦を計画し、国民一丸となり米軍を向かい入れ一億層玉砕も辞さぬ考えであり、ただただ破滅の道へとひた走った。
本作はあの狂気に満ちた先の大戦を開戦から終戦までを生き抜いた生き証人駆逐艦雪風の物語を通して命が最も軽んじられた時代において命の尊さを描こうとした意欲的な作品であった。
終戦後、復員船となった雪風は多くの復員兵を運んだ。中にはあの水木しげる氏も含まれたという。そうして多くの命を祖国に送りとどけた寺澤はまるで己の使命をやり遂げたと安堵したかのように静かに息を引き取る。それはまさに死するときまで己の信念を貫いた武士道精神に則った生き様であった。そして雪風もまた使命を全うして退役する。
命が最も軽視される戦争、そんな戦争を一度始めてしまえば失われるはずのない尊い命が失われる。いま日本は戦後八十年を迎えいままた戦争ができる国へと突入しようとしている。かつての大戦で犠牲となった人々はけして日本を守るために命を投げ出したのではなく愚かな為政者たちによる犠牲者でしかない。それがまた繰り返されようとしている。命を重んじるならば何より戦争を起こさないことにすべてが向けられるべきである。戦争をしないことこそが命を重んじる武士道精神そのものなのである。
戦争を起こさないこと、それは武力による抑止でなされるのではない。武力を強化すれば相手も同じく強化するだろう、そんな抑止力による緊張の糸が切れた時に戦争は起きる。武力抑止ではなく外交努力により他国との交渉を続ける、先の戦争で最も軽視されたものであり、このせいであの無謀な戦争が起きたのだ。
常に外交努力を怠らず相手国との理解につとめる。それこそが戦争を起こさない唯一の道であり、これこそが戦わずして勝つということである。勝利とはたった一つの命でさえ無駄に失われないことを言うのである。
現在の日本は再びあの当時の戦前に戻りつつある。戦争を知らない子供たちやその孫たちが声高々に抑止論を展開する。中には核抑止まで叫ぶ人間が先の参院選で当選する始末だ。かつての戦争体験者が政治家の中からいなくなれば日本は危険だと田中角栄が述べていた通りになりつつある。
21世紀を迎え人類の歴史はまたも戦争で時代の幕が開かれた。9.11をはじめウクライナやパレスチナ。そして日本も台湾有事は日本有事などと勇ましいことを叫ぶ者がいる。
戦争の勝者とはもはや戦争に勝つことではない。戦争を始めず一人の犠牲者を出さないことをいうのだ。戦わずして勝つ。尊い命が無駄に失われることこそ武士道精神の正義に反することなのだ。
夏休みに合わせて公開されていることからファミリー層をターゲットにした作品。戦争映画としては戦闘シーンの迫力や高揚感、カタルシスを得られにくく、戦場における残酷な描写も抑えられていて、また狂気へと突き進んでいく当時の大日本帝国の姿があまり危機感をもって伝えられていないなどいろいろ物足りなさを感じる。
人間ドラマもあまり重厚なものではなくライトに描かれる。メッセージもセリフで分かりやすく伝えられる。
ファミリームービーとしての戦争映画だからこれでいいのだと思う。お子さん連れの戦争を知らない子供たちの子供やその孫たちが夏休みに戦争について考えるいいきっかけにはなる作品だと思う。
これは映画で撮る必要はあるのか?
舞台劇かと思う位、映画で撮られている意味を感じない。右舷の魚雷発射管前しかないセット。右舷一基しかない三連装機銃。映画として撮るならもう少し金を掛けるべきでは?だからCGがしょぼいのも解る。だったらもっと大胆に表現すべきでは?シナリオはそんなに悪くないとは思うけど、大和の水上特攻のやりとりは必要性を感じなかった。雪風に絞って話を進めれば良いのに。。。役者の演技は良かっただけに勿体ない映画になってしまった。監督は映画が本当に好きなのか疑問に感じる。
残念な映画です。
歴史、軍事オタクとして一度は見ておこうと思い、見てみました。が、意味不明な映画でした。がっくりガッカリです。
まず、何が言いたいのかわからない、監督や脚本の言いたいことが全く意味不明、役者はあれだけそろっていて演技は良かったのですが。
ただずらずら事象を並べたうえ、意味不明なシーンが多すぎる。言葉使いや情景など不満だらけの映画でした。まるでB級どころかC級といいたい。普通の戦争映画にしてももう少しまし。時代考証もお粗末、階級や軍事知識もお粗末ではこんな映画になるでしょう。
なぜ、雪風でならないのか意味が解りません。最後の有森さんのシーンもあの髪留めで艦長の娘とわかるのでしょうが時代が違いすぎる。考証不足の映画もいいとこ。最後の方の乗組員のあいさつのような帽振りシーンも意味わからん。なんで追加したんですかね。
庵野秀明監督が何故「シン・ゴジラ」の身長を“雪風”の全長(118.5m)にしたのか?その答えがここにあるのかもしれない
「雪風」の名前を知ったのは、映画『シン・ゴジラ』公開後に出版された公式本「ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ」
シン・ゴジラの身長が雪風の全長118.5mに由来しているという事が記載されていて初めて興味を持った。
戦艦マニアでもなんでも無いのでそれまでは正直名前も良く知らなかった。
雪風とシン・ゴジラの身長に関係がある事は意外と知られてないかもしれないが、庵野秀明総監督が何故その身長にこだわったのか、その答えを知りたいと思い鑑賞した。
また、映画『ゴジラ-1.0』にて駆逐艦「雪風」艦長堀田辰雄役で好演していた田中未央が「大和」艦長役として登場、多くのお客さんは恐らく『ゴジラ-1.0』に登場した「雪風」に興味を持ち、鑑賞された方が多いのでは無いかと思う。
戦後80年という区切りの年だが、2025年公開作品で第二次世界大戦を描いた作品は意外と少ない。
そんな中公開された本作
とにかくキャスティングは豪華だ。
主演雪風艦長役には『シン・ゴジラ』にも登場した竹野内豊
助演も先任伍長役に『沈黙の艦隊』の玉木宏、第二艦隊司令長官役に『連合艦隊』『亡国のイージス』の中井貴一、砲術長役に『坂の上の雲』の藤本隆弘、戦艦「大和」艦長役に田中未央、『MOTHER』で日本アカデミー賞新人賞受賞奥平大兼、『亡国のイージス』からは中井貴一はじめ三浦誠己、山内圭哉、益岡徹。女優陣も田中麗奈、當真あみ、メインキャストでは無いが有村架純もラストに意外と重要な役どころで出演する。
主題歌はUru
このラインナップを見ただけでも充分大作感満点。
そして、各キャスト陣のラインナップが図らずも過去に出演した壮大なVFX映像を想起させ、多くの観客の期待感を上げたに違いない。
しかし、感想コメントを読んでも総じて“映像がしょぼい”、と映像面への評価は極めて厳しい意見が目立ってる。
日本のVFXクオリティは『シン・ゴジラ』『沈黙の艦隊』『ゴジラ-1.0』など確実にハードルは上がっている。
TVレベルでもクオリティが高い作品は色々あるが、本作のVFXは恐らく2009年NHK製作「坂の上の雲」の日露戦争日本海大海戦とほぼ同じくらいのスケール感に感じた。放映当時は、日本のテレビドラマレベルを遥かに超えたと言っても良い(今観てもTVレベルなら充分高いクオリティ)ほど衝撃的な映像だったが、既に十数年が経ち、国産VFXクオリティが上がってる今、映画館で観る映像としては物足りないと言わざるを得ない。
映像に対して酷評9割と言うのはその通りだと思う。
予算が無いなら無いなりに、画そのものにもっと工夫をすれば良かったが、何故かVFX大作の同様の画を撮ろうとした事が敗因。センスオブワンダーが無いのだ。
山田敏久監督は長い間助監督として多くの作品に関わっているが、本作が監督デビュー。
監督にして、脚本も手掛けている庵野秀明監督や山崎貴監督との格の違いをまざまざと見せつけられる結果となってしまった。
一転、脚本自体はそこまで悪いとは思わなかった。
史実を元に脚色されてるとは言え、“雪風”が何故戦禍の中不沈・幸運艦と呼ばれたのか、家風ならぬ“艦風”というものがあったとパンフレットのコラムに書かれ、なるほど“幸運艦”は決して奇跡では無く、必然があった事であろう描かれ方は非常に興味深い内容だった。
最期の航海1945年4月「大和」の沖縄特攻時も、帰りの燃料は積まない一撃必殺の特攻を伝える軍部に「若い人にはこれからの日本を立て直してもらわないといけない、彼らを乗せて帰るには、帰りの分の燃料も必要です」と反論をしていたのも、本当にそんな進言をしたのか疑問は残るが、結果として帰投した事を考えると、それだけでも“奇跡”と呼べるだろう。
“雪風”がただ戦禍を乗り越えたということだけでは無い、その名に大きな意味が込められている事を知れた事は大きな意味を持つものであった。
ただ、これらの話しが戦時の美談と考えるのはやはり早計な気がする。
NHKの「雪風」元乗員の証言などを見ると、上官のしごきなどは決して美談では語れないものがあったし、沖縄特攻時は燃える物などは一切積まず、積荷だけでこれからの出撃が尋常じゃない事を察したと証言されてる。海に投げ出された生存者の救出はそれこそ壮絶な地獄絵で、投げ出された人々は沈没する大和の重油にまみれ甲板に引き上げてからお湯で洗い流し服は捨てたという、あの映像の様な縄梯子ではなく一人一人一本ロープで引き上げてたとも語っている。
それに映画では、重油でまみれる海上から引き上げられるはず?にも関わらず、みなさん綺麗なおべべで救出され、到底戦禍の中を掻い潜っている様に思えない“画”も、史実を元にと宣伝している割にリアリティを感じさせない要因かもしれない。
まあ、ドキュメンタリーではないので、極限の史実をありのまま描く事は難しいかとは思うが、それにしてももう少しリアリティを表現できていれば良かったのかと思う。
しかし、幸運艦としての“雪風”の特徴的存在感は伝わるものがあった。
少なくとも「お国のために」と国民相マインドコントロールされてる戦時下において、生きて帰る事を一義に考え艦の規範としていた事が、その後の船乗り(海上自衛官や海上保安庁乗組員など)達の理念に引き継がれたと考えると、雪風が救った多くの命が日本を建て直す礎になった事は間違い無いだろう。
シン・ゴジラの身長が118.5mである事。
『ゴジラ-1.0』で吉岡秀吉演ずる水島が「この国は人の命を粗末にしてきた、生き残る事を誇りとしたい」そう語った事も、何か“雪風”という存在と結びつきそのアイコンの大きさを感じさせる。
パンフレットに、映画監修をした元自衛官であり護衛艦の艦長も務めた五島浩司氏のコメントが寄せられていた。
「“雪風”は護衛艦のりにとって憧れであり、艦長を目指す若い幹部にとって目標」
ここで言う雪風は自衛隊護衛艦の事だが、“雪風”という名前が、単なる駆逐艦の名前だけという訳ではないという事。現在も錨が広島県江田島市の海上自衛隊第1術科学校教育参考館で展示されている。錨の横には史実のみ記載された案内があるが、それらが意味する事はあまりにも深く重い過去の歴史への反省と、新しい未来へ生きて“希望”を繋げる事の大切さを伝えている様な気がしてならない。
2025/8/16 この期間にふさわしくってとこでしょうか。 予想...
2025/8/16
この期間にふさわしくってとこでしょうか。
予想よりとってもよかったてす。
お国のために一億総動員、命をかけて戦うという内容がメインの戦争ドラマや映画が多い中、そんな中でも命の大切さを語った人たちがいたのかということが一番印象に残った。
死ぬことは怖くない、でも目的が明確にならない作戦に命をかけるのは反対。
どんな状況でも命をかけるというのは、半端な覚悟では無理ですが、そんなことを言えば非国民と罵倒されかねない時代にそれを言い切れる、そんな上官にならみんなついていくでしょうね。実際にそういうやりとりがあったのかは勉強不足のためわかりませんが、それならば悲惨な中にも幸運艦があったということに救われた気がしました
あ、でも個人的には最後の、雪風乗組員の「見守ってるぞー」のシーンはなくてもよかったかも。それまでの内容で十分伝わったなと…。あくまで個人の感想ですが。
コンプライアンスの問題でスポイルされている
後は頼んだぞというバトンタッチ
第一次世界大戦勃発から次の第二次大戦勃発まで約25年の月日がある。人が生まれて、多くの場合は最愛の人と出逢い自分の子供が出来る期間だろう。辞書的には四半世紀と言われる長さになる。
本作では、終戦後25年の大阪万博(70年)が対比として登場する。戦後の高度成長と平和の象徴としてだ。
駆逐艦「雪風」は、戦中を生きのびた数少ない船だという(たった一隻のみだったという記述もある)。運もあったのかもしれないが、冷静かつ適切な判断と行動が出来た艦長と乗務員の功績だろう。雪風は戦後は引揚船として機能し(劇中描写あり)、最後は中国側に戦争賠償として引き渡され、71年(大阪万博の翌年)に解体されたという。
そういう意味では、雪風は戦争を生き延びて天寿を全うしたといえよう。
サミュエル・フラーの「最前線物語」(80年)で、2つの大戦を生き延びてきたベテラン軍曹が若き兵士に向かって「戦場で1番大事なこと、それは生き延びる事だ」と言う場面がある。
「スターウォーズ」でスカイウォーカーを演じスターとなったばかりのマーク・ハミルが、ゴダール作品への出演もある鬼才サミュエル・フラー作品に出ることで、公開当時話題になった作品だ。
本作に登場する軍人らは、誰も明確に口にはしないが、アメリカとの戦争が無謀であり勝ち目が無いと思っている。しかし、暴走列車に乗っている自分らは、列車を停めて降りることは誰も出来ないとも感じている。
船が呉港に戻った時、船員らは楽しみにしていた映画が上映されていなかったことを悔やむ。中には敵国のジョン・フォードの「駅馬車」の名を口にし観たかったといい、さらに「あんな映画を作る国と戦うのか」と嘆息をつく。
さらに、艦内の上下関係の緩い和気あいあいとした雰囲気など、「貴様はそれでも大日本帝国の軍人かっ‼」と上官からの鉄拳制裁が乱れとぶ戦争映画を見慣れた者としては違和感アリアリなのだが、これらは敢えての演出なのだろう。
艦長はかつて日米開戦に反対した人物として描かれるなど、精神論で圧倒的な物量の差を埋めようとしたことへの皮肉ともとれる。
最後に船員らが甲板から手を振りながら「日本を頼むぞ」と呼びかける場面がある。多くの人は余計だとか否定的のようだが、あの戦争を生き延びることの出来なかった者たちの遺言だと私は受け取った。
特攻の説明や戦線の動きを図示する点などは若い世代への配慮なのだろう。戦後80年という長さは人の健忘には最適な期間かもしれない。
「負けて良かったじゃないか。」
まだ戦争の記憶が人々に鮮明に残っていた時期に、小津安二郎は映画「秋刀魚の味」(小津の遺作)の登場人物にそう言わせている(この点については内田樹さんが書籍やネットで言及されているのでぜひ一読を)。
呉を舞台としたアニメ「この世界の片隅に」で敗戦を知った主人公のすずさんは思わず「ふざけるな‼」と叫ぶ。艱難辛苦を国民に強いておきながら、「負けました」では納得がいくわけもない。
私も負けて良かったと思う。頭の悪い軍人が威張り散らかすような時代など御免被る。しかし、それには膨大な死者と損害が必要だったというのが口惜しいばかりだ。
いま生きている我々の多くは、あの戦争を生き延びた者たちの子供や孫たちだ。
命はつながるものであり、いまを生きる者は次の世代にバトンタッチしていく。その時、「後は頼んだぞ」と次世代に言葉をかけていくのだと思う。
メッセージ性が高い戦争映画
若い人に観て欲しい映画です
賛否両論別れてるみたいですが良かったですよ(笑)
8月15日かみさんと一緒に観ました
流石に年配ばかりで若い人はほとんどいませんでした
私自身昔から戦争物はあまり好んで観てませんでしたがこれは観たかった作品でした
駆幸運艦と呼ばれ何度も帰って来た逐艦『雪風』
その館長寺澤一利(竹野内豊)とにかく声が良い!『面舵いっぱい』『ヨーソロー』
時には館長とぶつかるが迅速な判断の出来る先任伍長早瀬幸平(玉木宏)かっこ良かった
泳ぎが得意な若き水雷員井上壮太(奥平大兼)ものすごく頑張ってました
第二艦隊司令長官伊藤整一(中井貴一)渋さが際立ってました
寺澤館長の『普通が良いな』が耳に残ります
早瀬の最後がかっこ良すぎ
最終決戦に臨むにあたり上層部との会議?での意見交換が素晴らしかった!(実際はこうではなかったかもしれませんが)
エンドロール後におそらく竹野内豊の娘(有村架純)が出て来てびっくり!
これからの戦争映画って感じで若い世代に観て欲しい映画です
今を生きる我々へのメッセージが込められていると思います
本作は現代を生きる私たちへ警鐘を鳴らしているのだと思いました。今の日本はどうなっているか?彼らに恥じない国になっているのか?見ているぞ…と。武士道や追い込まれた戦況での高官の言動には観ている側も苦しさを感じます。
雪風は幸運艦と呼ばれましたが、そこには乗組員たちの壮絶な戦いと努力があった、だから必ず帰港できた。どんな状況でも諦めなかった。今を生きる人々にも日本を諦めて欲しくない、そういった制作側のメッセージを感じました。CGや戦闘シーンに関しての辛辣なコメントが見られましたが、醍醐味はそこではないのかなと思います。そこを求めるならハリウッド作品があります。受取方は人それぞれですよね。
もう戦争映画作るのやめないか?
この映画は太平洋戦争時、日本海軍の主力駆逐艦「陽炎型駆逐艦8番艦 雪風」が題材となっている。この雪風という船は戦地から必ず帰還してくることで「幸運艦」や「呉の雪風 佐世保の時雨」と謳われていた。戦後「丹陽」という名で中国に賠償艦として引き渡された。ここまでは史実だが、最近の戦争映画やはり脚色が酷い。どこがと聞かれれば、全てがと答えたくなってしまうほどに。
そこにメスを入れても仕方がないから映画作品としての切り口で感想を書くが、何よりストーリーの濃度が薄い。例えば、不発弾が艦内の浸水した場所に沈んでしまい、爆発しないようにそれを取り除き、信管を外すシーン。若手乗組員が水の中に5分間潜れるから、自分が行くと立候補し、水の中に潜り、他の乗組員は5分間待つ。カットが変わった瞬間「あと3分か」もう一度カットが変わって「あと2分だ」。正直、理解に苦しむ。そこはもっと濃密に、緊迫した心理描写や作業風景を書いてほしい。上で待つ乗組員にフォーカスするなら、何もできない無力感や、信じたり、祈ったりするシーンを少なくとも5分。なんならそれ以上の時間割いたっていい。いや、割かないといけない。また、坊ノ岬海戦のシーンでは戦艦大和が轟沈するまでの時間が非常に短く、愕然とした。史実では約2時間攻撃を受け続けた後に轟沈する。しかしこのシーンに関しては、この映画の本筋ではないからまだ理解できる。
そして戦争映画にも関わらず、服や顔が綺麗すぎるのも非常に違和感があり、リアリティがなくチープに感じてしまう。そういったところを指摘する人間が製作陣にいなかったのか非常に不思議である。
ここからは作品を離れて、戦争映画一般について述べたい。例えば、紀元前のことを題材とした物語を創作する。その頃について書かれた資料は少なく、正直その資料が事実ではないかもしれない。しかし、その余地を創作で埋め、膨らませることができる。しかし、たった80年前のことについての資料は膨大にあり、ほとんどが事実に則し、余地なんてものはほとんどないだろう。そんな中、創作をしてしまうと、それは「嘘」になりかねないし、私はそれを「嘘」と呼ぶ。印象操作といっても過言ではないだろう。だから最近の戦争映画は好きになれない。フィクションならフィクション、ノンフィクションならノンフィクションだとはっきりさせなければ、危うい。
ただし、音楽は非常によくできており、また、効果的に使われていた。音楽がもたらす臨場感は、作品全体の欠点を部分的に補っていた。この映画で評価できる点である。個人的には航行している雪風を見ることができたのも良かった。結局、私は「戦争映画」という形式そのものに限界を感じる。だからこそ冒頭で述べた問いに立ち返らざるを得ないのだ。
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