「戦争を現実問題として経験した人たちの心情が偲ばれる」雪風 YUKIKAZE アラ古希さんの映画レビュー(感想・評価)
戦争を現実問題として経験した人たちの心情が偲ばれる
原作はなく、映画の脚本がノベライズされて出版されているが、結末が異なっている。脚本は、「亡国のイージス」「真夏のオリオン」「聯合艦隊司令長官山本五十六」「空母いぶき」などを手掛けて来た長谷川康夫である。海の戦争を扱った作品が多いが、それぞれ出来に揺らぎがあり、「真夏のオリオン」は極めて良かったが、他は原作の改悪があったりしてイマイチな印象を受けた。今作は、日本海軍で唯一戦後まで沈まずに残った駆逐艦を題材にしており、ミッドウェイから大和特攻、さらには戦後の復員兵輸送までと舞台が連続して、ややまとまりを欠いた印象を拭えなかった。
雪風は山崎貴監督の「ゴジラ -1.0」にも登場しており、ゴジラを撃退する「わだつみ作戦」の中核を担う役割を果たしていた。流石に終戦期の兵力事情にお詳しい山崎監督である。また、「宇宙戦艦ヤマト」では、主人公・古代進の兄である古代守が艦長を務めるミサイル艦「ゆきかぜ」が登場している。終戦まで沈没しなかった雪風を彷彿とさせるように、ガミラスと最後まで戦った古代守は、イスカンダル星で生存が確認されるという強運ぶりを発揮している。
19 世紀中頃、小艇からも発射可能で敵艦の船底に孔を穿ち、場合によっては沈めることもできる兵器として魚雷が登場した。これを搭載して小型で高速、小回りがきく水雷艇(または魚雷艇)は、戦艦すらも撃沈可能な危険な軍艦となった。そこでこの水雷艇を沈めるために誕生したのが「水雷艇駆逐艦」である。のちには自らも魚雷を積んで水雷艇と同じ戦い方をし、爆雷を主力兵器として敵の潜水艦を沈め、自軍の輸送船の護衛なども行う何でも屋的な軍艦として重宝された。間もなく名称から「水雷艇」が落ちて、単に「駆逐艦」と呼ばれるに至った。
第一次大戦直後、まだ航空機が発達途中で大陸間弾道核ミサイルなどもなかった当時の主力戦略兵力は、海を渡って他国を攻めることのできる海軍であった。世界を巻き込んだ大戦争後の軍拡競争の激化を懸念した世界の列強は、各国が保有する海軍の主力兵器たる戦艦などの隻数を制限するワシントン、ロンドンのふたつの海軍軍縮条約を間を置いて締結した。その結果、戦艦の保有隻数の比率はアメリカ5、イギリス5に対して日本は3と不利になった。
そこで日本海軍は、この軍縮条約失効の1年目に、強力な陽炎型駆逐艦の建造に着手し、1937 年に始まった第3次軍備補充計画で 15 隻、続く1939 年に始まった第4次軍備補充計画で4隻が建造され、後継の小改良型である夕雲型駆逐艦 19 隻と合わせて、甲型駆逐艦とも称された。甲型駆逐艦(陽炎型駆逐艦グループ)の8番艦として 1938年8月2日に佐世保海軍工廠で起工され、1939年3月24日の進水式を経て 1940年1月20日に竣工したのが雪風である。
雪風は 1941年12月8日に始まった太平洋戦争に最初から参加し、16 回以上の激戦に関わり、戦争末期に実施された悲惨な戦艦大和の沖縄特攻作戦にも同行したが生還している。とはいえ、これらの死闘においてまったく無傷だったというわけではなく、何度か損傷を蒙り、少数ながら死傷者も出している。
終戦時、きわめて良好な状態を維持していた雪風は、日本の軍人や民間人の外地からの復員輸送に従事した。そして 10 数回もの輸送航海を行って、艦内における出産も3度経験している。生まれた子どもたちはそれぞれ博雪、雪子、波子と命名されたという。軍人として南方戦線に従軍して戦場で片腕を失った故・水木しげるも雪風に乗って帰国している。
復員輸送を終えた雪風は、戦時賠償艦として 1947年7月に中華民国へと引き渡され、「丹陽」と命名された。かくして同艦は、それまでの旭日旗に代えて青天白日満地紅旗の下、二度目の軍務に就くことになったが、1970 年に除籍となり、翌 1971 年12月8日、中華民国政府は丹陽の主錨などを日本に返還した。今日、この雪風の主錨と壁掛け時計は、江田島の海上自衛隊第1術科学校に展示されている。
映画のエンドロールに、参考文献のひとつとして「雪風に乗った少年」がクレジットされている。著者の西崎信夫は 15 歳で志願入隊し、海軍特別年少兵として雪風に配属され、多くの海戦を体験したことが詳しく語られている。それによると、雪風は太平洋戦争が始まる前に造られたことで完成度が高く、また乗組員たちの訓練が行き届き、艦全体のコミュニケーションも円滑だったという。手練れの乗組員たちが多く、大戦末期に就任した寺内正道艦長は判断力にすぐれ、敵の攻撃を巧みな操舵術でかわしてみせたとある。沈没した大和の生存者 300 名ほどを救出したのも雪風だった。
登場人物はいずれも架空であるが、存在感が素晴らしかった。特に、早瀬専任伍長を演じた玉木宏は美形オーラを封印して実直なベテラン乗組員を好演していた。雪風の歴代艦長に寺澤という名前がないため、艦長も架空の人物であるが、同期の戦友を大事に思い、任務を忠実に全うしようとする姿が清々しかった。新米水平井上を演じた奥平大兼は、成長する姿が頼もしかった。一度だけ訪問したことがある江田島の旧海軍兵学校のシーンが見られたのは嬉しかった。
特筆すべきは岩代太郎の優れた音楽である。重要なシーンで登場人物の言葉にできない痛切な思いを語り、緊迫感や安堵感など、作品に寄り添った作りが見事だった。通常はエンドタイトルで流される主題歌を早めに流し切って、あとは波の音だけが流れるエンドロールというのも斬新だった。
戦争は、平和な日常を送っていた一般国民を家族から引き剥がして戦場に送り、多大な犠牲を強いるものである。戦争を嫌うのはどの国でも当たり前であるが、国のために命懸けで奮闘し、武運つたなく戦死した兵士たちを、生き残った国民が篤く祀って感謝を忘れないのは、どの国でも当然のことである。しかるに、テレビ局や新聞社が 47 丁の実効支配を受けている現在の日本だけが、それをタブー視させられているのは腹に据えかねる事態である。日本人兵士の悪いイメージを捏造するのが当然と思っている 47 丁の洗脳作戦にまんまと乗せられている現代の日本人が多いことを、戦死者たちはどんな思いで見ているのだろう?映画の最後に込められたこういうメッセージもねじ曲げられて届けられるのでは、戦死者たちは本当に報われないだろう。
(映像5+脚本4+役者5+音楽5+演出4)×4= 92 点。
