「いいところを探したが、なかった」LUPIN THE IIIRD THE MOVIE 不死身の血族 悠さんの映画レビュー(感想・評価)
いいところを探したが、なかった
誰かこの映画のいいところを教えてほしい。僕には見つけられなかった。強いていうならルパン三世の新作を劇場公開できたということくらいかな。
ルパン三世には哲学がある。思想がある。だからルパンは特別なことをしなくてもその振る舞いに美学が滲み出る。それが全く感じられなかった。声優が悪いのではない。脚本やそもそもの企画に問題がある。コンセプトからして無理がある。傑作『ルパンVS複製人間』の前日譚をやりたかった。その心意気やよし。そのためにどうして『ルパンVS複製人間』と似た謎の島を用意してゾンビ人間(今作だとゴミ人間と呼ばれている。このネーミングがめちゃくちゃ下品で嫌い。)たちと正面から闘う?ルパンたちに正面から集団戦をさせたら芸がないことくらいわかるだろう。苦戦したら、ルパン一味の英雄性が失われ、勝っても馬鹿馬鹿しく見える。殆どの作品は後者をとってコメディに仕立てるが今作は前者をとった。結果いつものキャラクターが全くカッコよく見えない。次元も五ェ門も常に苦戦していて、なんだか頼りない。
何よりも罪なのはルパンから余裕を奪ってしまった。ルパン三世というキャラクターの何よりの魅力は我々が絶体絶命のピンチだと信じて疑わない状況でも常にニヤついてヘラヘラして、なんだか巫山戯ているように見えてしまうところにある。今作のルパンは次元のいう通り「いつになくマジ」だったが、余裕のなさにしか見えなかった。ルパンが自らの美学を脅かされた『ルパンVS複製人間』ですらルパンは次元に優しい笑みを浮かべる余裕はあった。その笑いは突き詰めると仲間に対する信頼と愛情であり、それをいちいち口に出さないところに粋があった。『ルパンVS複製人間』において顕著なルパンの魅力を奪っておきながらなぜその前日譚を名乗れるのか?名乗らせない。僕は許さない。
なんだか第二シリーズの外れ回を劇場で観ている気分だった。PART6のときもそう感じた。ノスタルジーの罠にハマってるのだ。雰囲気だけ似せてもその作品に通底する"想い"を引き継がないと意味がないのだ。そういう思想もなく、ただ戦車の名前とそれっぽいセリフ(それっぽくなかったけどな)をだしたところでごっこ遊びにしかならない。そんなものを大人が観るに耐えると表現してしまうあたり、この50年で大人という言葉の意味が変わってしまったのだなと思った。